翻訳記事:筋を通す

これは翻訳記事です

GDC#15:筋を通す

2011/2/4 Soren Johnson
Game Developer誌2010年11月号に掲載された物の再掲

 

まず次の文章をじっくり読んでみよう。

「手順自体は極めて簡単である。まず対象物をいくつかのグループに分ける。もちろん、扱う量によっては全てをまとめて1つにしても構わない。設備の不足によって他の場所に移動しなくてはならない場合、それが次のステップになる。そうでない場合はこれで準備完了。重要なのは大量にやり過ぎない事だ。一度にやる量が多過ぎるより少な過ぎる方がましである。短期的にはこれは重要に思えないだろうが、物事はすぐに複雑になってしまう。ミスの代償も大きい。最初は手順全体が複雑に思えるだろうが、慣れれば生活の一部と化すだろう」

この文章の意味が分かっただろうか? それとも無意味な文字列にしか見えないだろうか? 恐らく後者だろう。この文章は文脈というものを全く欠いているからだ。ではもう一度同じ文章を読んでみよう。ただし次の言葉を頭に入れておいてくれ:「洗濯」

これでもう読み取れるものは違って来る。そして何か意味を持つ様になる。この文章はただの洗濯の手引きだ。実際この文脈が確立すると、もうこの文章を洗濯物の事を考えずに読む事は不可能であろう。

 

スキーマ理論

この情報はスキーマ理論の例である。スキーマ理論は我々の脳がどの様に世界をカテゴリ分けするかを説明するものだ。短く言うと、スキーマとは知覚の枠組みであり、特定のテーマに基づいて新しい情報を処理・分類するのである。

例えば犬についてのスキーマはその身体(四つ足・体毛・尻尾)、挙動(吠える・涎を垂らす・追いかける)、更には犬種(コリー・スパニエル・プードル)などの情報を含んでいる。また犬のスキーマはその上位スキーマの性質も含んでいる。例えば哺乳類(温血・背骨・出産)やペット(飼いならされている・忠実・トイレのしつけ)など。実際に犬を前にするとこれらのスキーマが様々な情報を与えてくれる。そしてその動物がどう振る舞うか予測できるのである。

しかしスキーマは活性化されなければ働かない。先の文章は「洗い物」という単語で正しいスキーマが呼び起こされるまで意味不明だった。スキーマが無ければ文章は何にもならない。物事を効果的に人に伝えようとする作家にとっては重要な知見である。

 

ゲームとスキーマ

ゲームデザイナーも効果的に人に伝えるべき物を持っている。プレイヤーが学ぶルールとメカニクスである。この教育プロセスはゲーム開発における最大の試練のひとつである。多くのゲームが面白いシステムを持ちながら、プレイヤーに遊び方を伝えるのに失敗して消えて行った。問題解決の為には様々な道具がある。適切なペースでのチュートリアル、ポップアップヘルプ、使いやすいUI。だが最も簡単な道は、プレイヤーが既に持っているスキーマを活用し、ゲームの骨格であるメカニクスと合致させることだ。

例えば、ボードゲームの「アグリコラ」はプレイヤーが持っている農業のスキーマを利用して複雑な経済メカニクスを理解させている。耕すのと種を撒くのと刈り取るのとパンを焼くのと、どれが先でどれが後かプレイヤーはちゃんと知っている。こうして資源・土地・施設・行動の複雑な相互作用を簡単に学べるものにしている。かくして、ゲームのテーマに課せられた重要な使命が明らかになる。即ちプレイヤーにメカニクスを理解させ、覚えやすくする事だ。そしてそれは何故テーマとメカニクスが合致すべきかという理由のひとつでもある。

スキーマの力を示す別の例を挙げよう。ボードゲームの「コロレット」と「ズーロレット」である。どちらも骨組みのメカニクスは同じで、カードを集めるが種類が多過ぎるとペナルティを受ける。例えばコロレットではプレイヤーは7色のカードを集めるが、最も多い3色だけが得点になり、4色目以降はマイナスになる。

ズーロレットもメカニクス自体は同じだが、こちらは色を集めるのでなく動物を集め、種類ごとに檻に入れる。この違いによってゲームに強力なテーマが加わった。プレイヤーの動物園に関するスキーマを活用し、得点システムを上手く正当化しているのだ。コロレットでは「3色を超えた分はマイナスになる」とそのまま覚えなくてはならない。一方ズーロレットは盤を見れば、各プレイヤーに3つの檻しか無い事がすぐ分かる。それ以上の動物は檻が足りずに展示できないのだ。違う種類の動物は別の檻に入れるというプレイヤーの知識を利用して、ゲームを学びやすくしているわけである。

もっと突っ込んだ話もすると、テーマによってスキーマを活性化させやすかったり難しかったりする。とりわけ、歴史ものと現代ものはSFやファンタジーよりも多くのスキーマに共鳴する。”Age of Empire”の騎士と射手が何をするかはすぐ察しがつくが、”StarCraft”のミュータリスクとダークテンプラーはそうは行かない。実際、ファンタジーゲームのほとんどは確立されたテンプレートをなぞっている(エルフ、ゴブリン、ドワーフ)。プレイヤーにはそれが馴染みある世界である。ここからはみ出た作品、例えばコーハン〜不滅の王国〜はペルシア神話を基盤にしたファンタジーであるが、そういった物は往々にして失敗する。プレイヤーが既に持っているトールキン世界の知識を利用できないからだ。

 

リアルさ vs. ゲーム性

スキーマをゲームシステムを覗く窓として活用すると、リアルさについての問題が出て来る。何故ならその場合、ルールがプレイヤーの期待に沿っていないといけないからである。もし野球のゲームで4アウトまであったら、そもそも野球のスキーマを使った事自体が無駄、それどころか邪魔になってしまう。プレイヤーは本当の野球のルールと始終混同してしまうだろう。

ゆえにリアルさは重要である。そして開発者の大事な道具である。しかし「リアルさ」という言葉はかなり悪い意味で取られてしまっているのが現状だ。例えばゲーム上の些細な歴史的事実の誤りを指摘するユーザーは重箱小僧呼ばわりされる。実際、シド・マイヤーの「楽しさとリアルさが衝突する場合、楽しさが優先だ」という言葉は有名である。

しかしそれが間違いになる場合もしばしばある。ゲームを覚えやすくするリアルさはゲームをより面白くするのであって、面白さを損なうわけではない。問題は開発者がプレイヤーにありとあらゆる知識を求めた場合である。プレイヤーはゲームを始める前から十分な知識を持っていると仮定すると、それだけ間口を狭めてしまう。二次大戦のゲームでドイツのパンツァー戦車に史実通りの性能が付与されていたとしよう。そこまでは良い。しかしプレイヤーが皆パンツァーの性能を熟知していると過程し、ゲーム内でその情報をきちんと与えなかったとすると問題である。

更に、広まっている逸話は史実よりも重要である。重要なのはプレイヤーのスキーマがゲームを始める前にどう組まれているかだ。史実についての何らかの誤解が広まっているとしたら、それを直そうとするより与してしまった方がいい(ゲームが教育目的でない限りは)。

例えばシド・マイヤーの”Pirates!”は真面目な歴史資料に基づいているわけではなく、ハリウッドの海賊映画をゲームにしたものである。その結果全ての海賊には生き別れの妹がいてスペイン人に捕まっており、全ての酒場にはそれぞれ謎めいた旅人がいて宝の地図の切れ端を持っている。同様にウィル・ライトの「シムピープル」も実際の生活ではなく、定番のホームドラマをゲームにしたものである。

 

ジャンルによるスキーマ

スキーマは何もゲーム外に限らない。古参ゲーマーはゲームはどういうものかというスキーマを持っており、開発者がそれに沿っている事を期待する。とりわけ、それぞれのジャンルのゲームが「どうあるべき」かというスキーマだ。FPSなり2Dアクションなり格闘なりローグライクなりについてそれぞれスキーマがある。

知らない犬に出会った人が犬についてのスキーマから知識を引っ張り出す様に、知らないRTSを買ってみる人はそれぞれに持っているRTSについてのスキーマから中身を予測する。プレイヤーは神の視点を持ち、複数のユニットを動かし、農民ベースの経済を回し、軍事と技術の為に建物を揃え、ブーム/タートル/ラッシュの三すくみがある、などなど。

テンプレート通りの要素を余りに多く無視すると、知る人ぞ知る作品になるのがせいぜいで(“Majesty”、”Sacrifice”、”Dragonshard”)、商業的に成功するのはほぼ不可能だ。60ドルのゲームを買うとなれば消費者も慎重になる。買う前に中身が分かっている方が安心だ。そのジャンルのスキーマにぴったり合う方がいい。こういう具合で、ジャンルのスキーマはゲーム産業における新しい試みをかなり阻んでいる。

こうしたジャンルの制限を乗り越える最良の方法は、もっと別の強力なスキーマを与える事だろう。例えば「ニンテンドッグス」は既存の売れ筋ゲームジャンルに合致しないが、犬の世話をするというテーマ自体が消費者のスキーマを呼び起こし、何ができるか想像させる。結果このゲームは大ヒットした。プレイヤーは犬がどういうものか知っている。それを利用して売り込んだわけだ。

 

筋を通す

ゲーマーの中には未知の領域へ飛び込む事を恐れないという人種もある。掟破りのゲーム「ドワーフフォートレス」や「ドミニオン」である。しかし大部分のプレイヤーはどんなゲームか理解しなければコントローラーに触りもしない。スキーマによる取っ掛かりは必要なのだ。ゲームのテーマにせよ、ジャンルの常識にせよ。

後者はコアゲーマーに売れるだろう。しかしながら、ゲームの客層を広げる事ができるのは前者である。Wiiは当代においてそれを証明した。コントローラーの使いやすさに加え、ヒットタイトルの多くは分かりやすいテーマで消費者の持つスキーマと期待に訴えかけた。”Wii Fit”、「マリオ&ソニック」のオリンピックシリーズ、「ジャストダンス」、更には賛否の分かれる”Carnival Games”さえも。宇宙海兵隊や邪悪な魔法使いのゲームではこうは行かない。

そしてよく響くテーマを見つけ出したとしても、まだ道のりの半分でしかない。ゲームのメカニクスがテーマにぴったり合っていなくてはならないのだ。旧来の「リアルさよりゲーム性」という見解は今や開発者のドグマと化し、楽しさの追求と称してテーマとメカニクスを簡単に遊離させてしまう様になった。新しいゲームを始めるのは信じて飛び込む過程である。ゲームがきちんと筋を通していると期待するのはプレイヤーの正当な権利だ。

(洗濯スキーマはHow to Play Podcastより)

原文:http://www.designer-notes.com/?p=302