翻訳記事:なぜゲームを作るのか

これは翻訳記事です

2007/9/27 Soren Johnson

Braidというサイトを運営するジョナサン・ブロウ氏が、最近オーストラリアのFreePlayカンファレンスで面白い事を言っていた。(動画) どうして我々ゲーム開発者は「何故ゲームを作るんだろう」と自分自身に問いかけないのか。出て来る疑問詞は「どうやって」ばかり。「どうやってゲーム業界に入ろう?」「どうやって販売元にこのゲームを見てもらおう?」という具合だと言う。面白い視点である。そして私は確信するのだが、殆どの開発者はこういう問いかけをした事が無い筈だ。

数ヶ月前、Spore開発チームの仲間であるクリス・ヘッカーが同じ様な質問を私にした。君のゲームデザインにはテーマがあるのか。何かプレイヤーに対して伝えたい考えや経験があるのか。私の答えは、同時にジョナサンの質問への答えでもある。即ち、私はプレイヤーに「常に正しい選択肢は無い」と感じて欲しいのだ。言い換えれば、プレイヤーには適応を試みて欲しい。与えられた環境を注視し、そこから成功への道を見つけ出すという事だ。Civ4で言えばこうである。首都のすぐ近くに大理石と石材があったら遺産建造に力を入れるだろう。ナポレオンとモンテスマがすぐ隣だったら、少なくとも一方とは仲良くした方が良いだろう。周囲がジャングルだらけなら鉄器に行こう。孤島スタートなら天文学に行こう。無論、こうした状況は複数まとまって押し寄せて来るので優先順位を付けねばならない。どの状況を利用し、どの状況を無視するべきか。

柔軟に適応する事は頑固でいる事よりも良い。自分の好きな戦略を環境に押し込むのでなく、環境に合わせて計画を立てるべきなのだ。ここを理解する事が重要だと私は信じている。何故か? それは私自身の哲学や世界観と結びついている。

もし20世紀を1つのテーマで表すとしたら、「イデオロギーの行き詰まりと失敗」だろう。マスメディアの発達により、かつては想像すらできなかった様々な方法で思想が人々に影響を与えるようになった。独善的な指導者が反対する者に絶対悪のレッテルを貼り、強者が弱者を恐怖で支配する。そんな事が思想によって正当化され、繰り返し繰り返し行われて来た。ナチスの強制収容所。ソ連の労働収容所。中国の文革。アメリカのマッカーシズム。20世紀は山ほどの思想で満ちあふれ、思想が冷酷な独裁者を誕生させた。認めたくない事だが、独裁者達はその思想を盲信する一般大衆の支持を受けて生まれたのだ。ヒトラーはまず選挙で権力の座に着いた。(「大衆は小さな嘘より大きな嘘に騙され易い」)スターリンには多数の擁護者が世界中にいた。(「一人の死は悲劇、百万の死は統計」)どちらも今では大量殺人者と見なされている。

私はイデオロギーというものを軽蔑している。この世にはただ1つの解決策があり、世界の問題はすべてそれで対応できるという考えに行き着いてしまうからだ。ただ1つしか解決策が無いという事は他は全て間違いだ。間違っている者は粛清だ。結局こうなってしまう。イデオロギーは思想を人々よりも重要な物としてしまう。これこそ恐怖と圧政の始まりだ。人々は思想などよりずっと大切だ。そうだ、人々は何よりも大切な、かけがえの無い存在なのだ。

Civ4がこの問題に正面からぶつかって行ったとは考えていない。しかし私のこの人生哲学は、ゲームの深層部分に確かに潜んでいる。例えば政治体制システムを見てみよう。民主主義や共産主義といった大まかなレッテルしか無かった以前のCivシリーズとは違い、Civ4では自分の好きな政治をカスタマイズできる。国有化経済と言論の自由を組み合わせる事もできる。警察国家と自由市場も可。極端な話、奴隷制と普通選挙を合わせる事さえ許されている。イデオロギーはレッテル貼りが大好きだ。そうやって反対者を非人間的な何かに変えてぼやかしてしまう。冷戦期の両陣営は「共産主義者」「資本主義者」という言葉を好き勝手に使い、自分達と相手とは違うのだと主張した。しかしアメリカ政府はこの1世紀、徐々に共産主義的な政策を採用して来たのだ。アメリカ。社会保障と、医療保険と、福祉と、最低賃金と、労働組合を持ったこの国が、ベトナムを共産主義から守る為に戦った? もし1907年にタイムスリップして、典型的な反共・反労組の事業家を2007年のアメリカに連れて来たらどうだろうか? 彼は今のアメリカを見て、最終的に共産主義が勝った物と思うのではないか? レッテルは人々を分離し支配する道具だ。その向こうにある社会の現実を見る事を、私はこの政治体制システムを通じて伝えたかった。ラシュモア山の解禁技術がファシズムなのはミスではない。自然の山に国家指導者の巨大な像を彫るのはファシストのやる事だ。たとえアメリカがファシズムの国でないとしても。我々が自分達を民主主義者とか資本主義者と定義したとしても、それでアメリカが世界に害を撒いている事が咎められなくなるわけではない。我々の政策が人々を、現実に存在する人々を傷つけているとすれば。

もちろん、頑固な考え方を変えさせるのがゲームを作る唯一の理由ではない。しかしジョナサンの質問に対してこれ以上の回答は思い浮かばない。もし今後私の理想の戦略ゲームを拵えるとしたら、この哲学はデザインの中心にはっきりと現れている筈だ。やる事にはちゃんと理由がある。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=57

以前Civ4 Wikiに投稿した物の再掲。