翻訳記事:テーマはゲーム性にあらず(その2)

これは翻訳記事です

GDC#12:テーマはゲーム性にあらず(その2)

2010/6/16 Soren Johnson
Game Developer誌2010年3月号に掲載された物の再掲

 

その1で解説した様に、ゲームの意味を決めるのはメカニクスであってテーマではない。とりわけ二つが対立している場合はそうだ。そういう不調和はプレイヤーを戸惑わせ、場合によっては騙されたと感じさせる。故に開発者はこの二つの調和に向けて努力しなくてはならない。少なくとも、メカニクスとテーマが喧嘩する事が無い様にしよう。

喧嘩している場合、開発者の届けたいテーマをメカニクスが台無しにしてしまう。例えば”Bioshock”はプレイヤーに倫理上の選択を提示する。リトルシスターを搾取するか、それとも救済して魂を解き放つか。搾取すれば2倍のアダム(遺伝子改造に使う通貨)が得られるので、倫理にもとる道への誘惑が存在するわけだ。

ところが、ゲーム中にはリトルシスターを救済したプレイヤーへの報酬も用意されている。それゆえこの選択は最終的に大した違いをもたらさない。ゲームの物語はプレイヤーの選択が重要だと告げている。自分の利益を犠牲にしてリトルシスターを救済しているのだと。しかしメカニクスはそれと違う事を告げているのだ。言うまでもなく、テーマとメカニクスが喧嘩した場合どちらが重要か、プレイヤーはよく分かっている。どちらがそのゲームをそのゲームたらしめているのかを。

同様に、昔ながらのRPGの多くはプレイヤーを不思議な存在にしている。物語の冒頭で壮大な目標(邪悪な魔法使いを倒す!)を与え、プレイヤーを救世主と定義している。しかし実際のゲームプレイは、町の外をうろうろして遭遇した生物を惨殺し、略奪に励むというものだ。物語においてプレイヤーはヒーローと定義されているが、ゲームが報奨する振る舞いはそれと異なっている。リチャード・ギャリオットは”Ultima IV”でこの問題に正面からぶつかって行った。ゴツい悪党を倒す事でなく、八つの徳を磨く事をゲームの主軸に据えたのだ。

 

幸せな結婚

時に、開発者はテーマとメカニクスの完璧な融合を見つけ出す。例えば古典的探索ゲーム、ダン・バンテンの”Seven Cities of Gold”だ。バンテンはオザークでハイキングをしている途中に、未知の土地で方角を見失わない様にするゲームを思いついたという。それをアイディアの種に、次は完璧に合致するテーマを見つけた。コロンブス、コルテス、ピサロといった征服者の時代。彼らはいつも半分迷子だった。こうしたバックグラウンドを材料に制作が始まった。

いくつかのジャンルはテーマとゲームプレイを非常に良く合致させている。Wiiのゲーム(Wii Sports)、音楽ゲーム(Rock Band)、経営ゲーム(レイルロードタイクーン)、スポーツゲーム(Madden)、フライトシム(Wings)、レースゲーム(グランツーリスモ)などだ。これらは現実世界の活動を基にしたゲームであり、メカニクスがテーマから遊離しにくくなっている。もっともらしさを保つ為に四苦八苦しなくて良い訳だ。

実際の所、「マリオカート」は「グランツーリスモ」よりレースらしいレースゲームだと言い張る事もできる。甲羅が飛び交い順位が次々に入れ替わる様は、リアル志向レースゲームのもったりした順位変動よりプレイヤーの理想に近いかも知れないのだ。言い換えると、ゲルニカについてより良く表しているのはどちらだろうか?都市の焼け跡の写真か、ピカソの絵画か?

また、採用されているテーマがメカニクスの実験を上手く正当化してくれる場合も良作が生まれうる。”Left 4 Dead”は本当はゾンビのゲームというより、チームワークのゲームなのだ。開発者は個々のゾンビタイプをチームワークを奨励する方向で調整した。ハンターは一人でふらふらしている奴を狩り、タンクは集中砲火でなければ倒せず、ウィッチは緊密な連絡を必要とする、など。ゾンビというテーマはチームワークを奨励するメカニクスを正当化する背景幕に過ぎない。

 

Civilizationは失敗例?

“Civilization”シリーズはテーマをメカニクスに一致させようとする試みと、それに伴う教訓の宝庫である。このゲームは一応世界の歴史を扱った物という事になっているが、化けの皮が剥がれるのにそう時間はかからない。

まず、文明はゲームを通じて休み無く発展し続ける。暗黒時代に逆戻りしたり、内戦で分裂したりは決してしない。ユーザーコミュニティはこれを「不滅の中華症候群」と呼んだ。プレイヤーが遭遇しうる後退は、外部からの侵略によるものだけである。

大体、ゲームには「革命を始める」ボタンが付いているのだ。プレイヤーはいつでも、好きな時だけ政体を変えられる。ルイ十六世が見たらさぞ羨ましがるだろう。それにまた、全ての行動はトップダウンで決定される。プレイヤーは王であると同時に将軍であり、大実業家であり、神なのだ。

どうして実際の歴史と食い違ってしまうのか。問題の源泉はプレイヤーの介入である。面白いゲームであるためには、プレイヤーは状況をコントロールしていなくてはならない。更にプレイヤーの決定には公平で明白な結果が返って来なくてはならない。そうしてこそ情報に基づいて決断を下し、計画を練り、失敗から学ぶ事ができるのだ。実際の歴史は言うまでもなくもっと混沌としており、難解であらぬ方向に動いて行ってしまう。

正直に言おう。このゲームのメカニクスは世界の歴史というより、それを駒にして動かす神々の遊びに近い。指導者達は全く年を取らない。そして彼ら不死者はプレイヤーを打ち倒せる唯一の存在である。導かれる人民の意志はゲームの展開に影響を与えない。

とは言え、プレイヤーによる介入は良い物である。そうでなければゲームはこんなに楽しくない。ゲームメカニクスに組み入れるには範囲が広すぎたり、漠然としていたり、不安定な要素だってある。それにまた、テーマはテーマで置いておいて、ゲーム自体はそれとは関係ない欲望を満たす幻想空間という場合もある。

“Civilization”の場合、欲望とは歴史をコントロールする事である。それは歴史を学ぶ題材にはならないかも知れないが、だからと言って無価値ではない。他の芸術分野で世界の歴史というテーマに体当たりした物は非常に少ないし、存在しても往々にして危険なイデオロギーの産物だったりする。例えば「國民の創生」だ。

本物の歴史についてちゃんと教えてくれるゲームを作りたいなら、特定の時代や出来事に焦点を絞るべきだ。例えばバンテンの”Seven Cities of Gold”やシドの「レイルロードタイクーン」。プレイヤーを生身の人間として定義して、その肉体の制約内で課題をこなす様にする。

 

テーマは重要

テーマとメカニクスは別物だが、一般人はそうは思っていない。折角良いゲームを作っても、テーマが普通の人にとってぞっとする物だったら不当に汚名を被せられてしまう。例えば、”Grand Theft Auto”は犯罪と都市の混沌をテーマにしているが、ゲームそのものは自由とその結果を扱っているのだ。プレイヤーは法を犯すごとに悪名が高まり、最終的に警察が大量の火力を送って来てゲームオーバーに至る。

にも関わらず、普通の人からすればGTAはただの通り魔とひき逃げのゲームである。一般人は何かそれ以外の要素を「扱っている」とは想像できない。だがプレイヤーはちゃんと分かっている。ゲームが提供する物がただの犯罪でない事を。自由な箱庭の中で動き回る。決断が世界に影響し、結果が返って来る。これこそ目玉なのだ。

“Crackdown”は対照的な事例である。自由な箱庭という部分はGTAと同じだが、テーマは犯罪と戦うスーパーコップという物になっている。こちらの方が世間には受けが良い。GTAはヒット作になったが、あれは必ずしも犯罪をテーマにしなくても成立した。社会的責任を考える開発者はその事を覚えておこう。

一般大衆に受ける。優れた作品を創造する。両方を達成しようとして開発者達はもがいている。そしてテーマとメカニクスが食い違っていると、両方とも達成が難しくなるのだ。ゲームデザインの文化に疎い普通の人は、パッケージの絵を見てゲームの中身を想像する。中身と外身が違っているとパッケージ詐欺になってしまう。それでは新規プレイヤーは離れて行ってしまう。

芸術の世界では抽象物が重要な地位を占めている。歌詞は楽曲に意味を付け足すが、楽器だけの演奏も広く好まれている。同様に、ゲームはテーマが無くても成立し得る。テトリスはその代表例だ。

更に、適当に貼り付けただけのテーマも、余計な期待をさせなければそれなりに機能する。”San Juan”と”Race for the Galaxy”はどちらもカードゲーム版「プエルトリコ」だ。一方はカリブを舞台とし、もう一方は外宇宙を舞台とする。しかしそれは大した問題ではない。ゲームは別に現実を奇麗に再現しようとしているのではない。テーマは調味料として入っているだけだ。

それでも、偉大な芸術作品はその意味する所とテーマとがあまりにも食い違っていてはいけない。ゲームの世界はそういう例が溢れている。シェイクスピアの「オセロ」は嫉妬に狂った緑眼の怪物についての物語であり、16世紀のムーア人兵士の人生についてではない。そして後者は前者を妨げない様になっている。”Bioshock”はどうだろう? “Spore”は? “Civilization”は? これらのゲームはそれぞれテーマを持っているが、メカニクスはそれと合致しているだろうか?偉大であるためには、ゲームプレイはテーマが約束する物を届けなくてはならない。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=240