ルールデザインの話(3)

ゲームのルールを作る際のあれこれ


簡単さ

面白い意思決定と並んで重要なのが簡単さだ。ルールは誰でもさっくりと理解できる程度に簡単になっているべきである。人生は短い。難解なルールブックとにらめっこして過ごせる時間はそう長くない(せいぜい10代の10年間を丸々当てられる程度だ)。そこで今回は簡単なルールについて考察してみよう。

柱となる要素は3つある。一貫性があること。個々の要素が単純であること。テーマに沿ってうまく説明されていること。そしてこの順番に重要である。

 

一貫性

ユーザーインターフェースデザインの鉄則はパターンを定めてそれを繰り返すことだ。ある設定ウインドウが閉じるだけで変更を保存する方式なら他のウインドウもそうなっているべきである。あるアラートで”Yes”が右で”No”が左なら他のアラートでもそうなっているべきである。これと同じ意味で、ルールデザインも挙動のパターンを決めて繰り返すことが重要である。

例えばプレイヤーにできる行動が「ワーカー駒を職場に置く」であれば、新しい行動は職場の追加という形を取るのが望ましい。ワーカーと無関係な起動型能力などはねじ込まない方が賢明だろう。プレイヤーの資源収入がターンごとの不労所得に依存しているゲームなら、「建てるとじわじわ収入が得られる施設」と「建てた瞬間に何かがもらえる施設」を並存させるのは混乱の元だろう。ひとつのパターンを踏襲する方が分かりやすい。

特に、微妙に違うふたつのパターンが無文脈に混在していると非常に間違いやすい。カードを引いてから捨てる機能と捨ててから引く機能が涼しい顔で同居していると毎回ルールテキストを注視せねばならん。金をサプライから取る職場と資源置き場から取る職場が並んでいて、かつプレイヤー全員がメタクソに酔っ払っていると何が起きるかはほぼ予測可能だ。ひとつのゲームの中ではひとつの挙動に統一した方が遊ぶ側の心的負担は少なくて済む。

「アグリコラ」と「ルアーブル」を比較すると面白い知見が得られる。どちらも同じ作者の手によるワーカープレイスメントゲームで、プレイヤーは手番ごとに職場を起動して資源を集める。戦略的な奥深さではルアーブルの方が完成度が高いが、ルールの一貫性と遊びやすさではアグリコラが勝る。

アグリコラではプレイヤーが手番でできる事はワーカーを職場に置くだけだ。一方ルアーブルではワーカーを職場に置くか、資源置き場から1種類の資源を取るかという2種類の行動のどちらかを選ぶ。さらにそれとは別に手番中ならいつでも建物や船を売り買いできる。アグリコラの資源は職場に紐付いているが、ルアーブルには「資源置き場から取る」「職場を使ってサプライから取る」「職場を使って資源置き場から取る」など種々に異なった挙動がある。またルアーブルでは他人の職場を使う際に使用料を払うのだが、一部の職場はそれとは別に起動コストとして金を払う。これは職場の持ち主でなくサプライに支払うのだ。

一事が万事この調子でとにかくルアーブルは例外挙動が多い。「市場」はサプライから資源を取り「闇市」は資源置き場から取る。そしてテストプレイヤーが混乱した痕跡として両方のカードにくどくど念を押す如く説明が書かれている。これは意思決定という観点において物凄く面白いゲームであると同時に、物凄く取っ付きの悪いゲームでもあるのだ。

 

単純さ

一貫性の次に重要なのは単純さである。要するに「カードを2枚引く」という挙動は「残り手札が奇数であれば山の一番下から4枚のカードをめくり、それらのコストのうち最も高いものと残り3枚の中から無作為に1枚を引く」よりも扱いやすいという話である。単純なものが望ましいという事にはたいていのルール制作者が同意するが、それでもなんやかんやで複雑なものは世に生まれ出ずる。理由は大体3つだ。

  1. バランスを取るため
  2. デザイン空間を広げるため
  3. 価値の見積もりを難しくするため

1は強さの調節の結果として生じる複雑さである。1点のダメージを与えるのでは弱すぎるが2点のダメージでは強すぎる……という場合にしばしば「1点のダメージを与える。コイン投げをして勝ったらもう1点のダメージを与える」などの中間案が採用される。

2は多様なものや過去に無かったものを作る努力の帰結である。「X枚のカードを引く」という機能で作れるバリエーションはせいぜい7種類かそこらだが、X枚のカードを色々込み入った手順で引くのであればその中の手順や数値や条件分岐を組み合わせて数十万種類のバリエーションが生成できる。デザイン空間の中の単純な土地はわずかな面積しか無い。開拓を進めるとどうしても複雑さの荒野へ向かわざるを得ない。

3は意思決定の際にどれが得かを考え込ませるための意図的な仕掛けだ。つまり、2枚のカードを引くのと3枚のカードをごちゃごちゃした手順で引くのとどちらが得かプレイヤーは容易に見積もることができないので、意思決定の作業が必要になるというわけだ。

実はこれらの問題はゲーム内の数値を巧妙に利用することで回避可能である。設計段階で複数の資源を用意し、それぞれの価値比率が綺麗な倍数にならない様に調節しておく。例えば消費財カード3枚は建物カード2枚より価値が大きいが消費財4枚は建物3枚よりほんの少しだけ落ちるとか、1点のダメージは2点のマナ回復よりは有効だが2.5点のマナほどには重くないという具合だ。

こうしておくと、例えば「2点のダメージ」よりほんの少しだけ弱いものを作りたい場合に「1点のダメージと2点のマナ」という形で微調整が利く。逆にほんの少し強いものを作りたければ「1点のダメージと3点のマナ」にできる。もし1点ダメージと2点マナが等しいという風に綺麗な価値比率が出来ているとこうした小技は使いにくい。

また細かい「お釣り」を出せる関係で作れるものの幅も広がるし、共通項を差し引く操作もやりにくくなるのである程度の解析耐性が付く。もちろん数値設定だけでありとあらゆる問題が片付くわけではないが、複雑さを避ける上では結構便利である。

 

テーマによる説明

挙動そのものは複雑でもプレイヤーの知識を活用することで分かりやすく伝えられる。ルアーブルの埠頭という建物は手持ちの資源を金に変換する機能を持っている。資源はそれぞれいくらで売れるかが決まっており、また一度に売れる量の上限は手持ちの船舶数で決まる。さらに追加コストとして船舶数×3の燃料が必要だ。こうしたルール自体は確かに複雑だが、「商品を船に載せて出荷する」という文脈が与えられることで理解可能な範囲に収まっている。一方同じゲームのパン屋はやや奇怪で、小麦と燃料を消費してパンと金を生成する。どうしてパンと売り上げが同時に手元に残るのか? まるでEat cake and have itという慣用句の物理的顕現だ。挙動そのものは単純なのにプレイヤーの理解を微妙に拒むのである。

工場は原料を加工して製品を吐き出す。発電所はエネルギーを生む。道路のあるところは歩きやすく、傭兵は金を請求し、ドラゴンはやたら熱いガスを吐いて人間を炭にする。プレイヤーが既に知っている事に沿って挙動を説明すれば頭に入りやすくなる。「このルールに最もうまく近似した現象はなんだろう?」と問い、適切な名前と背景設定とフレーバーを与えることでゲームを少しだけ取っ付きやすくできる。そんなわけで珍妙な得点方式を持ったゲームには「気まぐれに恩寵を与える王」が出てくる決まりなのだ。

ルールデザインの話(2)

ゲームのルールを作る際のあれこれ


意思決定

ボードゲームのルールは面白い意思決定を生み出すために存在している。意思決定というのは要するに「う〜ん農場を作ろうか工場を作ろうか労組を作ろうか」と悩んだり考えたりするプロセスだ。農場を作れば素早く手札を増やせるが次の建物の選択肢は増えない。工場は別の建物を作る材料を吐き出すが少し元手が要る。労組はどちらの機能も無いが得点源になる。果たしてどれが一番いいのかと考えを巡らす現象が「ゲーム体験」そのものである。

意思決定の要諦は答えを一義的に絞り込めないという点だ。そこで「どれにしようかなあ」と考えるものを意思決定、考えるまでもなく正当な答えが1つしか無いものを機械的判断と呼んで対比してみよう。

機械的判断の例

機械的判断の特徴はON/OFFが明確にされる事だ。例えばこの「どこへ出かけよう?」フローチャートでは雨天時には「家にいる」以外の全ての選択肢がOFFになり、人生に疲れていない時は「近所の森」はOFFになる。与えられた状態に対して選ばれうる結果は1つだけであり、他は全てプロセス違反である。

意思決定の例-01

一方、意思決定は複数の選択肢に選ぶ理由がある時に、その理由の大小を比較して天秤を傾けるというアナログな工程だ。2つの映画のどちらを観ようか迷ったら、頭の中に天秤を用意して両方の皿に水桶を載せる。一方の映画に好きな俳優が出ていたらそちらの桶に水をジョボボボボと注ぐ。もう一方の映画の方が上映時間の都合が良かったらそちらにジョボボボと注ぐ。こうやって諸々の理由を量的に足し合わせて、最後に傾いている方を選ぶわけだ。それ以外の理由が全く拮抗していたら、アベンジャーズの陳腐なキャッチコピーを見た瞬間に均衡が破れてターミネーターに傾くかも知れん。全ては量的な問題なのだ。

 

選ぶ理由、選ばない理由

意思決定とは、複数の選択肢に選ぶ理由がある場合の判断過程である。より厳密にはある選択肢に「選ぶ理由」と「選ばない理由」の両方が同時に存在している時の判断である。

そもそも2本の映画の間で悩むのは、一方を観たらもう一方を観る時間が無くなるからだ。家にいて無限の時間があり2本のDVDを持っているならどちらを観ようかと悩む事は無い。「こっちを選んだらアベンジャーズは観られないよ!」という機会損失がターミネーターを「選ばない理由」として働くわけだ。

ゲームのルールはこうした選ぶ理由と選ばない理由のせめぎ合いを生成する。自分のキャラクターを改造して速さを3割増にできるが耐久力が半分になるという場合、速さの増加が選ぶ理由、耐久力の減少が選ばない理由として働く。両者の価値がそれほど隔たっていなければ改造するかすまいか悩むだろう。

同じ悩みが機会損失の場合でも起きる。改造Aを施すと速さが3割増になり、改造Bを施すと耐久力が倍になる。ただしAB両方を取る事はできない。この時に改造Aを選ぶ理由は速さの増加であり、選ばない理由はBを選べば得られたはずの耐久力の喪失である。「ジェットブーツを履くと体がヤワになるよ!」と「ジェットブーツを履くと鎧は着られないよ!」は本質的に同じ選択を提示しているのである。

 

理由の対消滅

面白い意思決定を生むルールとは、ゲーム内の諸々の選択肢にそれぞれ選ぶ理由と選ばない理由があるものだ。どの選択肢もあまり魅力的でなく「選ぶ理由」が不足していると雲を掴むような薄味ゲームになる。あまりに魅力的すぎる選択肢があって「選ばない理由」が不足しているとバランスの崩れた大味ゲームになる。両方の理由をうまく並存させなくてはいかん。

ここで問題になるのは、プレイヤーは何とかして選ぶ理由と選ばない理由を対消滅させて意思決定を省こうと試みるという事だ。最も単純な例として:

  • A:6勝利点を得る
  • B:5勝利点を得る

という2つの選択肢が提示されたとする。Aを選ぶ理由は6勝利点を得る事であり、選ばない理由はBを選んでいたら得られたはずの5勝利点を失う事だ。そこで代数学よろしく両方から5勝利点を差し引くと:

  • A:1勝利点を得る
  • B:なし

という具合にAを選ばない理由が消滅する。選ぶ理由にはなお1勝利点が残っているので、最早選ぶ理由と選ばない理由の比較は必要なくなり機械的判断のみでどちらを取るか決められる。もちろんこれはバカバカしい例なのだが、もっと複雑な選択でも同じプロセスが起きるのだ。

例えば今度はそれぞれの選択肢に「金」と「勝利点」の2つの要素が含まれているとしよう。

  • A:3勝利点と5金を得る
  • B:6勝利点と2金を得る

この場合も共通する3勝利点と2金を両方から差し引いて比較できる:

  • A:3金を得る
  • B:3勝利点を得る

もしこのゲームが終了時に手持ちの金を1:1で勝利点に変換できるルールだったら、Aを選ばない理由は事実上消滅する。というのも両方からさらに3勝利点を差し引くと:

  • A:3勝利点を失い3金を得る
  • B:なし

という形になるからだ。Aで得た3金はそのまま使わなければ結局3勝利点として返って来るし、途中で他の目的のために使う事もできる。流動性が手に入る分だけこちらの方が明らかに得なのだ。

ゲームコミュニティはこの種の代数学を日夜研究している。「カードXの効果はカードYとZを合わせて更にダメージを追加したものに等しい」という具合にそれぞれの要素の選ぶ理由と選ばない理由を分解し、共通項を見つけて対消滅させる。そうして明らかに選ぶ必要のないエレメントや常に正しい選択を発見し、意思決定の余地をじわじわと削り取るのである。

 

対消滅耐性

なのでゲーム内の複数の選択肢、ないし選ぶ理由と選ばない理由はできるだけ複数の部分で異なっている事が望ましい。「ナショナルエコノミー」の建物は意図的にこれを組み込んでいる。このゲームには起動した時にカードを引ける建物がいくつかあるのだが、それらは次の様になっている。

  • 設計事務所(コスト1、評価額8):5枚めくって好きな1枚を引く
  • 工場(コスト2、評価額12):手札を2枚捨てて4枚引く
  • 製鉄所(コスト4、評価額20):3枚引く
  • 自動車工場(コスト5、評価額24):手札を3枚捨てて7枚引く

コストはそれを建設する際に捨てるカードの枚数、評価額は持っている事による得点の増加である。もちろんコストの重い建物の方が手札をたくさん増やせるが、「2枚引く」「3枚引く」「4枚引く」という具合の単純な上位種にはなっていない。

設計事務所は正味1枚しか増えないが、選択肢が多いため欲しいカードをピンポイントで引いて来る確率が高い。工場は正味2枚増えるが「原料」の手札が必要である。製鉄所は正味3枚増え、捨てるカードを持っていない時でも使えるが、欲しいカードを引いて来る確率は最も低い。自動車工場は正味4枚増えるが大量の原料が必要である。

これは要するに、プレイヤーがどの建物を作ろうかと悩んだ時に理由の対消滅をさせないためである。もし自動車工場が「4枚引く」という単純な製鉄所の上位種だったらどちらを建てるかの選択はあまり悩まないだろう。手札に製鉄所と自動車工場の両方があり、どちらでも建てられ、その後すぐに起動するつもりだとしよう。手札を4枚捨てて製鉄所を建てた後に3枚引こうと、5枚捨てて自動車工場を建てた後に4枚引こうと結局は同じだけの手札が残る。違いは後者の方がより強力で高価な建物を所有しているという点だけだ。

こういう事態を防ぐために建物の機能はできるだけ多くの点で異なる様にしている。どうしてもピンポイントで探し出したいカードがあれば製鉄所より設計事務所を起動する事を選ぶかもしれない。ルール制作者がどう足掻こうとプレイヤーは酵母菌のごとくゲームを消化分解するのだが、選択肢同士が複数の点で異なっている方が少しは耐性が付く。

 

上位互換?下位互換?

最後に「上位互換」の問題について触れておこう。ゲーム内に存在するエレメントが、他のエレメントより全ての点で同じか上回る場合、一方がもう一方の上位互換であると見なされる。モンスターAとBはどちらもコストが2で強さが3なのに、Aはそれに加えて追加ダメージを与える機能まで付いている!といった具合だ。

言うまでもなくゲーム内に上位互換があるのは望ましくないデザインだ。どちらを選ぶかの判断が機械的作業になってしまうからである。ただしこれまでの話を踏まえて言えば、本質的な問題は「強さが異なる事」でなく「強さ以外の部分が同じである事」だ。

ゲームバランスとは全ての選択肢をちょうど同じだけ魅力的にする事ではない。選択肢同士を比較する際に共通項を差し引いて機械的判断に還元できない様にする事である。

良いルールとはプレイヤーの意見が割れるものだ。AとBのどちらが強いかをコミュニティが議論した際に、「Aの方が強いだろう」と全会一致するのも、「AとBはちょうど同じだけの強さでどちらを選んでも変わらないだろう」と一致するのも同じくらい退屈である。Aが強いという一派とBが強いという一派に割れて実際の対戦で決着を付ける方が面白い。

 

ルールデザインの話(3)

ルールデザインの話(1)

ゲームのルールを作る際のあれこれ


ボードゲームのルール作りについて1冊本を書こう! と半年前に思い立ったものの着地点が定まらず一向に原稿が進む気配が無い。仕方ないので一旦本は諦めてブログ記事として散発的に発信し、反響があったら内容を拡充してまとめるという方針に切り替えた。第何回まで続くか全く不明だが気楽に読んで頂きたい。

 

ルールは最初に作る

最初の話題は「ゲームはどういう順番で作るか」という問題である。1つのゲームはルールやアートワークや図案や説明書や駒や箱やその他色々なエレメントが合わさって出来ている。どこから手をつけるべきだろうか?

ルールである。これは「場合による」とか「大抵の環境では」といった但し書き無しに、常にルールを最初に作るのが望ましい。理由は主に2つある。歩留まりと他工程への影響である。

第一に、ルールデザインは工程として見ると歩留まりが物凄く悪い。10個ぐらい遊べるゲームルールを作ると、「これは面白い!」というのが1つか2つ、「まあ悪くはないんじゃないかな」というのが3つか4つ、残りがカスである。これは他の工程に置き換えてみるととんでもなく高い不良品率だ。ゲーム用画像を依頼したアーティストが箸にも棒にも引っかからん落書きを10枚中5枚並べ、「何か問題でも?」という顔をしたら0.2秒後には右ストレートが鼻の頭に突き刺さっている。説明書の半分のページで日本語が破綻していたらライターは紆余曲折の末病院に送られる。10回試みて7回失敗したら「3回も成功してすごいな!」と褒められるのはルールデザイナーと野球の打者ぐらいのものだ。

第二に、ルールは他の部分への影響が大きい。ゲームというのはルールを中心に回っている物なので、何か変更を加えると他工程もそれに合わせる必要が出てくる。例えばモンスターを戦わせるゲームで、全てのモンスターを「機械系」と「八本足の軟体動物系」の2系統に分けたとしよう。機械系は電撃に弱く、八本足の軟体動物系はタコツボを見ると入ってしまうという具合にそれぞれルール上の挙動を定める。数十のモンスターを作り、アーティストがそれらのアートワークを制作した。ところがその後になって八本足の軟体動物系モンスター「明石丸」を機械系に変更したとすると、幸運にもタコにも機械にも見える宇宙的なデザインをしていない限りその絵は描き直しになる。

こういうわけで、他の仕事をしてからルールを変更すると二度手間三度手間が発生するし、他の部分を全て完成させた後でルールを作ってみたらあまり面白くなかったという場合「これまでの全ての労力を無駄にする」か「これまでの全ての労力に加えて生産コストを無駄にする」かという選択を迫られる。ほとんど疫病神だ。

従って理想的な工程順序は、まず遊べる形のルールを作り、面白ければ他の工程を始め、面白くなければ何も見なかった事にしてプロジェクトを打ち切るというものだ。これならたとえ失敗しても無駄骨を折るのはルールデザイナーだけで済む。というよりそもそも、面白いルールが出来上がった時点を以てプロジェクトの第一日とすべきである。その前の段階でアーティストに「俺さ、今すげえゲーム作ってるんだけど絵描いてみてくんない?」などと相談すべきではないのだ。

なお企画書は助けにならない。ストーリーを読む類の広義のゲームはともかく、ルールから面白さが生まれるゲームはまずプロトタイプが必要だ。企画や構想の段階では曖昧な部分が全て想像で補われているため非現実的に美しく見える。このあたりの仕組みは「構想の呪い」という記事で解説している。

 

ルールデザインの話(2)