アテネの時間、ロドスの時間

ホラ吹きの男が外国から戻って来た。「俺はロドス島でオリンピアの優勝者さえ届かぬほどの大ジャンプをしてやった、ロドスに行く事があれば競技場に居合わせた人が証人になってくれよう」と言う。そこで一人が遮って言った。「それが本当なら証人はいらない。ここがロドスだ、ここで跳べ」

やるべき事を今この場でやれ。言い訳をするな。明日って今さ!そういう急迫した時間感覚をロドスの時間と呼ぼう。

これと対を成すのがアテネの時間である。アテネでは時がゆっくり流れる。哲学をしたり、自然を見つめたり、スポーツや芸術に励む時間はいくらでもある。人生は長い。急がなくていい。

ロドスの時間とアテネの時間、その最大の差異は時間の簿価である。仮に1時間に1500円稼げる人が3時間を思索に費やしたとしよう。ロドスの時間において、これは4500円の支出として計上される。もしその時間を労働に費やしていたなら稼げていたはずの金額が機会費用になるのである。

一方、アテネの時間において費やした時間の簿価は0である。一日中思索に耽ろうと、仲間内しか笑わない替え歌を徹夜で作ろうと、アリの行列を眺めていて日が暮れようと、それに費やした時間はいかなる支出でもない。もしその時間だけ働いていたらいくら稼げたかなどとは考えない。なぜならアテネ人は労働などしないからだ。

「思索はタダである」これがアテネの時間における法である。考える事にどれほど時間を費やそうともそれによって失う物は何も無い。そういう感覚から哲学が生じる。新しい考えが生まれる。下らなくも面白い、命を削った何かが生まれる。

スパ帝国。所在地アテネ。