翻訳記事:勝つ為に戦う(19)

これは翻訳記事です

 

冷静さ

冷静さとは、一瞬の内に起きる出来事の全ての瞬間を見る能力である。それにはしばしば時間の流れが遅くなったかの様な感覚が伴う。これが可能になるのは、その状況に十分に慣れて、脳が不必要な情報を全て遮断できる様になった時だ。そうなれば残るのは必要な手がかりだけである。

新しいゲームを始めたばかりで不慣れな内は、決定的瞬間は文字通り瞬く間に過ぎ去ってしまうだろう。最初はそもそも、その瞬間が重要で注意を要するという事に気付かないかも知れない。たとえ気付いても、その瞬間に起こりうる何百万もの可能性に圧倒され、全てを正しく認識する事は不可能だろう。それが変わるのは、その瞬間を迎える準備ができる様になった時である。決定的瞬間が来るのが分かり(なぜならその前に起きる事のパターンを既に知っているから)、その瞬間に起きうる事はほんの数種類だと分かり、待ち望む1つか2つの合図以外は全て無視できる様になる。

格闘ゲーム「ギルティギアXX」から例を取ろう。私の使用キャラクターはチップだ。私は突進して行って連続攻撃を繰り出し、相手にガードさせる。恐らくはしゃがみガードだ。私はここにトリックを差し込んで、「中段」蹴りを繰り出す事ができる。これは立ちガードしなくてはならない。相手がチップとの対戦に慣れていなければ、こちらの攻撃は瞬く間に展開し、ただそれを終わるのを待つだけになるだろう。そして攻撃から抜け出すには何らかの判断をしなくてはならないという事にすら気付かないだろう。

では仮に、前もってこの中段蹴りを見せておいて、それがどういう物か説明したらどうだろうか? 中段を出す度に立ちガードせよと伝える。練習する。ガードできる様になる。そしていざ実戦になると、それでもやはり私は中段蹴りを当てる事ができる筈である。実戦の混沌の中で中段蹴りを正しく見極めるのはかなり難しいからだ。中段蹴りがいつ来るか分からないので備えておく事もできない。立ちガードそのものは反射神経が良ければ可能なのだが、格闘ゲームは(通説に反し)反射神経だけの問題ではない。反射神経が役に立つのは、次に何が起こるか分からないのに素早く反応しなくてはならない状況である。鋭い読みがあれば相手が次にやりそうな事を予測する基盤ができる。それが無い場合に反射神経に頼らなくてはならないのである。

ここで、中段蹴りをガードするための重要な手がかりを教えよう。実はこちらは好きな時にこの技を出せるわけではない。出し方は2つしか無いのだ。相手に向かって走って行った後、まず6P、斬撃、斬撃、重い斬撃という具合に連続技を出す。これは別に注意しなくてもよい。何が何やらよく見えなくてもそれで構わない。この時点でこちらができる事は非常に限られており、せいぜい裂掌からの連続攻撃ぐらいである。これは派手な炎を纏ったパンチで始まる。そしてその後、中段蹴りを繰り出すチャンスが来る。あるいはそうせずに下段蹴りを出すという選択肢もある。下段蹴りの後にはもう1回中段蹴りのチャンスがある。こちらが中段蹴りを出せるタイミングはこの2つだけなのだ。

これを知っていれば、次に同じ状況になった時に冷静さを保っていられる。こちらは走って行ってパンチか何かを繰り出すが、別にこれは吟味する必要が無い。ただしその後にはたいてい裂掌が来る。それが来たら、立ちガードするかしゃがみガードするかを決めるタイミングである。よし、裂掌が来た。予定通りだ。中段蹴りが来る最初のタイミングだ。実戦上の都合に照らすと、こちらの選択肢は2つしかない。多くの可能性に圧倒される必要は全く無い。次に来るただ1つの瞬間にだけ集中すればよい。それを待つのだ。画面上の無関係な情報は全て遮断せよ。体力バーは忘れよう。スーパーゲージも忘れよう。SEも忘れよう。キャラクターや背景の美麗なグラフィックも忘れよう。見る必要があるのは中段蹴りの始動モーションだけだ。練習するうちに、この状況は慣れ親しんだ物になり、無駄な情報を遮断する能力が発達するに連れて中段蹴りを食らう事など想像すらできなくなる。その瞬間はあたかもスローモーションの様に流れ、相手がそんな蹴りを当てようとしている事が可笑しく感じられる。一方、初心者にとっては同じ瞬間が一条の閃光の様に過ぎ去り、何が起きているか全く分からないのである。

喩え話をしよう。ある人物の声を聞いたら手を叩く事に決めたとする。そして30人がめいめい勝手に話している部屋に入る。数秒ごとに新しい人物が話し始める。その全てが不協和音であり、聞き取る事などできるわけがない。ではここで、同じ任務を別の部屋でやってみよう。今度はその部屋は完全に無音であり、中に入るのは目的の人物だけである。その1人が静寂を破って話し始める。「簡単じゃないか、誰がこんな任務に失敗するんだ?」と思い、少しも困難なくすぐに手を叩く。これが上級プレイヤーの見ている1/60秒の世界である。完璧な集中によって不必要な全ての情報を遮断し、重要な手がかりだけを残しているのだ。

 

「バーチャファイター3」から別の例を挙げよう。ジェフリーが「大カウンター」(相手の技を潰すタイミング)でローキックを当てると確実に投げを決める事ができる。キックの当たりが大カウンターでなかった場合は確実には投げられない。プレイヤー達にどうやってそれを判断しているか聞いたところ、彼らは「大カウンターの音を聞いたら投げコマンドを入力しろ」と言った。最初は冗談を言っているのだと思った。実戦の混沌の中でその音だけを聞き分けるのは至難の業である。しかし練習するうちに、キックボタンを押した後、全てがスローモーションになってその音を待ち構える事ができる様になったのだ。その音を聞いた時には既に準備ができており、投げコマンドを入力するのは馬鹿馬鹿しいほど簡単になった。

ただし気をつけよう。もしそうした瞬間を見る事ができ、対戦相手の誰もができないとしたら、対戦は非常に有利になる。トリックは毎回通用する。そしてそのトリックは優れているのだと勘違いする。そしてある日同等の冷静さを持った強敵に出会い、向こうはこう思うのだ:「何だこいつは? こんな見え見えのトリックに引っかかると思っているのか?」ここに至って今度は自分が馬鹿に思えるだろう。そしてトリックはもちろん通用しない。

だが話はここで終わらず、まだその上がある。上級者と対戦したら「冷静さによるトリック」はもう一切通用しないのだろうか? 基本的に通用しない、ゆえに全く新しい戦略を考えなくてはならない、と以前私は思っていた。だが気付いたのだ。あるプレイヤーは間違いなく最強なのに、時々セオリーから全く外れた行動をしていた(彼の名はアレックス・ヴァイエ。後の章でもまた登場する)。行動Bが優れていると誰もが知っている状況で彼は行動Aを選ぶ。あるいは、まともなプレイヤーなら誰でも見破れる様な見え見えのタイミングでトリックを繰り出す。それは時間の無駄の筈である。ところが彼はそれを当てて、しかも勝ってしまうのだ。何故だろう?

ヴァイエに言わせれば、対戦相手はいつでも一定の認識能力を持っているわけではない。ヴァイエは相手を苛立たせたり混乱させる為にあらゆる手を尽くし、その認識能力を減衰させる。もしゲーム中に恐ろしく変な事が起きれば、相手はその瞬間に囚われて「なんじゃありゃ?」と思い、一時的に目の前の事が見えなくなる。その時こそ、いつもなら見え見えの攻撃が当たってしまうのである。ヴァイエは相手の集中力を失わせ、時間がスローダウンする感覚を奪い去るのである。

興味深い事に、セオリーから外れる行動はヴァイエにとっては非常に効果的なのだ。彼は本来なら当たらない様な攻撃を上手く差し込むだけでなく、それを可能にする為に敵を惑わせる。非常識な行動で敵を混乱させる。もし彼の行動を棋譜の上で吟味したら、「この行動は危険だ、この行動は無意味だ、この一連の動きは全く非効率で別のコンボの方が常にダメージが大きい」という風に批評できるだろう。彼の選択はしばしば非論理的で非最適である。しかしゲームの達人は彼であり、学ばねばならないのは私の方である。誰よりも冷静に状況を見据える達人と対戦する事になったら、セオリーから外れて相手を惑わす事はますます重要になる。相手の目に「砂」をぶつけるのである。普段は見える瞬間が見えなくなったら、本当は通用しない数多くの戦術を差し込むチャンスだ。

 

闇の如く知り難くあれ。雷の如く素早く動け。
—孫子兵法

 

原文:http://www.sirlin.net/ptw