手慰みの報酬

前回のコラムではゲームの本質である誘引について述べた。今回はもう一つの柱である報奨について考察しよう。

ゲームは動作とそれに対する誘引および報奨の総体である。ゲームはまず動作によって表される。「撃つ」ゲームだったり「跳ねる」ゲームだったり「揃える」ゲームだったりする。撃つゲームには撃ちたくなるゾンビが登場し、撃てば撃つほどスコアや札束が手に入る。揃えるゲームは揃えたくなる絵柄の札や牌を使い、揃え方によって点を取る。

動作と誘引と報奨が完璧に一致している時、ユーザ体験は黄金のピラミッドを成す。何かを撃つゲームを買ったら撃ちたくなる物が出て来て、その上報奨まで得られるとなれば。

報奨系はゲームメカニクスそれ自体と密着している。「ゲームバランスが悪い」というのは報奨系が崩れているという事である。例えば戦略ゲームで戦闘機が異様に強いとすれば、それはひたすら戦闘機だけを生産する事を報奨している。しかし戦略ゲームは慎重に計画を練って資源を配分する遊びである。故に報奨系はそうした深謀遠慮に報いるべきであり、頭を使わない連続クリックに良い結果を与えてはいけない。「動作」と「報奨」の不一致こそゲームバランスの穴である。

プレイヤーは報奨系の命令に逆らう事ができない。戦闘機だけを作る事が勝利への最短経路であれば、それがどれほど退屈であってもプレイヤーはそうし続ける。そしてしばらくの後にゲーム自体を止める。

報奨系は楽しい行動を報奨しなくてはならない。ゲーム自体が依って立つ行動、ゲームが誘引する行動をである。最も楽しい行動が最も報われるのが良いゲームバランスである。