Diablo 3はカジュアルゲームである

Diabloシリーズの新作がこのほど発売された。見下ろし型の画面構成は前作そのまま。相変わらずやる事も同じ。ひたすら地獄の軍勢を見つけては殴り、死体から戦利品をはぎ取り、パワーアップしてまた戦う。

今の所ほんの数時間遊んだだけであるが、次の様な確信を既に持っている。このゲームはカジュアルだ。前作であるDiablo 2よりも、むしろiOS版クローンの”Dark Quest”に近い。何故か。徹底的にプレイヤーのストレスを軽減する方向で作られているからである。

そもそもゲームの楽しみは2つの源泉がある。「ストレスが無い事」と「ストレスを減らす事」である。前者は優れた操作性とか爽快感である。とにかく快適さがプレイヤーに与えられ、それを思う存分楽しめばよい。「ゲームは楽しいもの」という言説はこれに立脚している。

後者はそれとは違う。まずプレイヤーに大きなストレスが与えられ、知恵と工夫によってそれを軽減する。ストレスを軽減する過程自体を楽しむのである。この方向の傑作が初代Wizardryで、レベル1の冒険者は本当によく死ぬ。第1階層の敵に小突かれただけですぐ灰になる。それを忍びに忍んでレベルを上げ、魔法使いのMAHALITOで敵を一掃する。いわゆる「マゾゲー」というのは負荷の大きさを楽しんでいるわけではなく、負荷をプレイヤーの努力で減らせる事を楽しんでいるのである。狂った弾幕ゲームとか操作の難しい格闘ゲームもこれに類する。

カジュアルゲームとは快適さに楽しみの軸を置いたゲームであり、ハードコアゲームとは努力による負荷の軽減に楽しみの軸を置いたゲームである。これは何が楽しいのかという根本的な哲学の相違である。このゲームは絵が可愛いからカジュアルだとか、難易度が高いからハードコアだといった言説は皮相浅薄の極みである。

Diablo 3は驚く程快適である。まずプレイヤーが一切迷わない。フィールドで迷子になる事は無いし、次に何をしたらいいのかと困る事も無い。スキルの割り振りも少しずつ選択肢が提示され、無意味な選択肢や制限は一切無い。とにかくストレスが無いのだ。

これほど明確に「快適さ」を楽しみの中心に据えたゲームはリテールパッケージでは珍しい。むしろソーシャルゲームやモバイルゲームに多い構造である。即ちカジュアルなのだ。前作のDiablo 2はスキルの振り直しが一切許されておらず、しかもツリーの最初の方は罠としか思えない駄スキルが大量にあった。初見では必ず引っかかって途中でお陀仏になるのである。Diablo 3にそういう事はない。それは無論改善であるが、知識を獲得してキャラクター育成を成功させるという楽しみより、快適さを優先した印でもある。

Diablo 3は快適である。プレイヤーへの悪意が徹底的に排除されている。スキルポイントを間違えて振って全てが台無しになる事も無い。2つの武器のどちらが強力か悩む事も無い。誰でも歩ける平坦な道だ。それが徐々に坂道になるだけである。誰にでもお勧め。ただし超ハードコアゲーマーを除く。

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