翻訳記事:勝つ為に戦う(1)

これは翻訳記事です

勝つ為に戦う:最強への道 David Sirlin著

 

序章

勝利者ならびに勝利者たらんとする者に贈る。

 

探せば見つかるわけではない。しかし探す者にしか見つけられない。

 

—スーフィズムの諺

 

想像してみよう。ゲームの世界には涅槃に至る雄大な山がある。その頂上には充実感と、楽しさと、卓越とがある。ほとんどの人はこの頂上には無関心だ。人生にもっと大事な問題があり、他に目指すべき頂上があるからだ。しかし少数ながら、この頂上に登れば非常に幸せになれる人もいる。この本はそうした人々に向けて書かれている。その中には既に頂上への道を歩んでおり、手助けを必要としない人もいる。だが大部分は知らずしてその道から外れている。山の麓には大きな谷間があり、彼らはそこで引っかかっている。そこは雑魚の棲む地だ。そこに留まる者は自ら作り上げた心理的な枷に囚われ、自分自身に余計なルールを課している。この谷を越えるのだ。その先にあるのはあるいは退屈な高原であり(駄目なゲームの場合)、あるいは天国の如き頂上である(奥深いゲームの場合)。前者はもっと良い山を登ろうと思える様になる。後者は幸せになる。「勝つ為に戦う」とは即ち、この心理的な枷を明らかにし、本当なら頂上で幸せになれるプレイヤーを谷間から解き放つ過程である。

この考えに不快感を示す人もいるが、それは誤解に基づくものだ。私は「勝つ為に戦う」事を全ての人に求めているわけではない。誰もがこの頂上に辿り着く必要は無いし、そもそも誰もがそこに行きたいと思うわけではない。人生には他にも多くの頂上がある。もしかしたらそちらの方がもっと良い場所かも知れない。だがこの頂上を目指して谷間で引っかかっている人々にとって、自分の位置を知り、より幸せな場所への行き方を知る事は有益である。

「勝つ為に戦う」という考えは現実の生活にも応用できるのか? 何年にも渡ってこの問いを受けて来た。まずは現実とゲームの大きな違いを指摘しておかなくてはならない。ゲームはルールによって明確に定義されている。現実はそうではない。極端な異常事態を探求する事は上級ゲーマーの常である。現実で同じ事をやれば社会的に受け入れられず、倫理にもとり、法にも触れる。競技ゲームは軍隊の倫理を求める。即断即決、有事に備え、勝てば全てが許される(ゲームのルールに沿っている限り)。現実の生活は市民の倫理を求める。親切、理解、公正、優しさである。

「勝つ為に戦う」は確かに現実生活に役立つ知見を含んでいる。しかしそれを語る前に、まずはいかに勝つかを論じよう。

原文:http://www.sirlin.net/ptw