翻訳記事:ゲームデザイナーになる方法

これは翻訳記事です

GDC#23:ゲームデザイナーになる方法

2013/2/4 Soren Johnson
Game Developer誌2012年11月号に掲載された物の再掲

 

ゲーム業界に入る理由は色々ある。才能あるイラストレーター、プログラマ、作曲家にとって、ゲームの仕事は創造性を発揮できる場だ。あるいは単に、自分の好きな事を仕事にできるのが楽しいという人もいる。しかし多くの場合、業界に入る理由はただ一つ。ゲームデザイナーになる事だ。

言うまでもなく、ゲームデザイナーになる最も簡単な方法はゲームを作る事だ。優れたツールや配信チャンネルが今程充実している時は無い。これらは個人で素晴らしいゲームを作る助けになるだろう。Andreas Illigerは”Tiny Wings”を、Brendon Chungは”Atom Zombie Smasher”を、Vic Davisは”Armageddon Empires”を、Jonathan Makは”Everyday Shooter”を作った。誰もゲームデザイナーになるのに許可など取ってはいない。

とは言っても、誰もが個人でできる程の資質を、あるいは気力を備えているわけではない。残念ながら、大手のゲーム会社でゲームデザイナーとして仕事を始めるというのはほとんど神話である。この職は非常に経験を要する上、競争は極めて激しい。どの会社にもデザイナー志望の開発者は溢れている。ゆえに新入社員が雇われるのは、コードを書くとか絵を描くといった特定の技能のためである。

ゲームデザイナーの役割は自分で勝ち取らねばならない。そして勝ち取るのは仕事を通じてである。デザインに関われる位置を占めれば機会は自ずと現れる。私が初めてデザインの仕事を得たのは、Civilization 3チームからデザインとプログラミングの人員がいなくなった時にちょうど準備ができていたからである(当時Big Huge Gamesの立ち上げにより人員が流出した)。

チームには純粋なゲームプレイプログラマがいなかった。社長であるJeff Briggsはリードデザイナーとしての仕事に忙しかった。私は一度も公式にデザイナーとして任命された事は無いが、デザインに関する仕事は可能な限り全て引き受けた。プロジェクトが完成する頃には私の貢献は明らかになっていた。かくしてJeffは私を共同デザイナーとしてクレジットしてくれた。

つまり、ゲーム開発者として働いている人間にとっての大きな問いはこうだ。デザインの仕事に関わる機会が現れたら、どうやってそれを活かすべきか? 以下にいくつかの知見を述べる。

 

1.プログラミングを学ぶ

ゲームというカテゴリは非常に広い。文章、音楽、映像といったいくつもの要素を往々にして含む。ストーリーに重点を置いたゲームもある。純粋なアブストラクトゲームもある。しかしそれらは全てアルゴリズムを土台にしているという共通点がある。コードはゲームの言語である。そしてコードを書く方法を知っていれば非常に様々な役割を果たす事ができる。

誰かが敵の挙動スクリプトを書かなくてはならない? チームがシナリオエディタを必要としているが誰もそれを作る暇が無い? あるいはゲームにもっとランダムマップスクリプトが必要? シニアデザイナーにゲームのアイディアがあるが、プロトタイプを作るプログラマが足りない? これらの仕事は全て、デザインの仕事に至る梯子である。そしてそれができるのはプログラマだけだ。

 

2.UIやAIを作る

ゲーム開発の分野でありながら、「ゲームデザイン」と厳密には見なされていない2つの要素がある。UI(ユーザーインターフェース)とAIである。AIはゲーム世界において人間の操作しない要素の挙動を決める。これはゲームプレイ自体と切り離せないものであり、AIを作るにはデザイナーと毎日相談しなくてはならない。もしAIプログラマが常に良い仕事をし、更に信頼性を高める事を目指すなら、ゲームデザインは明らかな次の一歩だ。

この道筋はインターフェースの仕事においては更に明白である。UIはまさにユーザ体験の最前線だ。プレイヤーとやり取りができなければゲームメカニクスは無意味であり、UIこそその問題を解決する最も重要な道具である。即ち、UIデザインはゲームデザインの一部なのだ。「インターフェースからデザインへ」という道筋の良い所は、インターフェースの仕事をやりたがる開発者が非常に少ないという事だ。ベテランはインターフェースの仕事は若手にやらせれば良いと思っている。この偏見を利用して、皆が嫌う仕事に志願しよう。インターフェースデザインをやりたがる実力ある開発者は、どこのゲーム会社も探し求めている。

 

3.DLCに志願する

DLCもまた、ゲームデザイン職への良い道筋だ。小さいリリースならば競争は激しくないし、ゲーム本体のデザイナーは往々にして疲れ果てており、DLCが必要だと考える事さえ難しくなっている。ゆえにDLCはデザイナーの卵にとって、自分の力を示す素晴らしい機会なのだ。会社は自分の従業員が成長してデザイン職に相応しい力を付ける事を望んでいる。新たなデザイナーを外部から雇うのは大博打だからだ。DLCは小さなリスクで従業員を育てる素晴らしい機会なのだ。

拡張パックのデザインを担当するのもデザイナーの卵には利益が大きい。即ち、真っ白な所から面白さを作り出すという困難な事業に挑戦しなくて済む。これは新人デザイナーにとっては何もできなくなる程のプレッシャーだ。拡張パックなら、中核デザインの改良を続けつつ、大勢のプレイヤーが遊んで得られた知見を適用していける。多くのゲームは簡単に実現可能な改良点がいくつもぶら下がっているが、それが明らかになるのはリリースの後だ。これらの改良に集中せよ。プレイヤーはきっと良い反応を示してくれる。

 

4.フィードバックに集中する

ゲームデザインは才能と技能である。 Noah Falsteinによれば、ゲームデザイナーに占めるINTJ(内向・直感・思考・判断)タイプの人間は不釣り合いに多い。つまりゲームデザインの仕事に向いた性格とそうでない性格とがあるわけだ。しかし才能だけでは十分とは言えない。自分のデザイン技能を自発的に磨いていかなくてはならない。そしてそうする方法はただ一つ、デザインを実装してユーザからフィードバックを得る事だ。私がデザインについて本当に学び始めたと言えるのは、Civilization 3がリリースされ、プレイヤーはこうやって遊ぶだろうという当て込みが悉く外れた時である。

ゲームは自律アルゴリズムの塊ではない。デザイナーとプレイヤーの間に存在する、共通の体験こそがゲームである。ゲームは常に中立的なプレイヤーに晒されなくてはならない。さもなくばそれは机上の空論である。ゲームはリリース前に可能な限り多くのパブリックテストを行わなくてはならない。ゲームを晒せば晒すほどデザイナーの技能は高まる。デザイナーの卵は何とかしてこのフィードバックループを得る方法を見つけなくてはならない。簡単なモバイル用ゲームを出すとか、人気ゲームのModを作って皆からのフィードバックを得よう。その方が、リリースまで外部に晒される事の無い巨大プロジェクトで働くよりずっと有益だ。簡単なボードゲームを作るのでさえ、きちんとテスター集団を見つけてフィードバックを得られるなら技能を磨く助けになる。

 

5.謙虚であれ

今日のゲーム業界において、謙虚な性格は成功の鍵である。デザイナーは現実を受け入れなくてはならない。多くのアイディアを出してもその殆どは上手く行かないのだ。実際、ゲームデザイナーの仕事とは自分の考えやプライドに固執する事ではない。展望を選び、チームに任せる事だ。デザイナーは口上手な演説家でなく、謙虚な聞き手であるべきだ。もしデザイナーが懐疑的な聞き手に向かって、何故そのメカニクスが面白いか論じているとしたら、そのゲームには非常に大きな問題がある。確かにデザイナーは自信と自己主張の強さを備えていなくてはならない。そうでなければ誰も取り合わない。だが、謙虚さは物事をあるがままに見る目を与えてくれる。どうあって欲しいかという希望ではなく。

もちろんゲームデザイナーの卵にとって、この規則は二重に重要である。傲岸不遜で自分のアイディアに自信を持ち過ぎている様に見えれば、職に就く準備ができていないのは誰の目にも明らかだ。素晴らしいアイディアがあるのに誰にも相手にされないのは途轍もないストレスだ。しかしそれでも正しい態度を保ち続けるべし。誰かのアイディアが実装されたとしても、そのアイディアが勝ったとは思わないこと。それはテストされているだけなのだ。本当の仕事が始まるのはアイディアがプレイ可能な形になり、それが「皆の物」になった時だ。どのゲーム開発チームも実装し切れないほどの大量のアイディアを抱えている。開発者はその中で最高のアイディアを追求せねばならない。誰のアイディアだったかなど関係ない。実際、アイディアの出所は往々にして忘れ去られる。覚えているのは、それを正しい形に持っていくのに誰が時間を費やしたかである。

 

誰がデザイナーになるべきか?

最後に、デザイナーの卵に次の質問に答えてもらおう:ビデオゲームを作った事はあるか? シナリオは? Modは? ボードゲームやカードゲームは?

全ての質問に対して「否」と答えたら、そもそも自分がゲームデザイナーに向いているのかどうか考え直すべきである。画家は子供の頃から絵を描き始める。音楽家は小学生の頃から楽器を習う。作家は文章を書く。俳優は演じる。監督は監督する。若いデザイナーはゲームを作る。成功への情熱を抱いているならば、ゲーム作りは絶対にすべき事だ。したいと思う事ではない。本物のゲームデザイナーはゲーム作りを止める事などできないのだ。

ゲームを作るのと遊ぶのとは違う。ゲーム作りを楽しめる人の数は、ゲームで遊んで楽しめる人よりも遥かに少ない。ゲーム作りとは何年にも渡って1つのコンセプトを磨き続ける事であり、批判から学ぶ強さを要する仕事だ。本物のゲームデザイナーの証とは何か? それは適当な週末に彼がしている事を見れば分かる。空いた数時間を費やして最も好きな事をしていれば……即ち新しいゲームを作っていればそれが証だ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=455