翻訳記事:勝つ為に戦う(7)

これは翻訳記事です

 

何を禁止すべきか?

これは少々ややこしい問題だ。前の節ほど明瞭ではない。この世の全てを禁止せねば気が済まないプレイヤーが世の中には大勢いる。雑魚は自分を負かす戦術やテクニックは全て「せこい」と断じ、従って禁止すべきだと考える。実際のところ、本当に禁止すべきものは非常に少ないのだ。

大会で何が禁止されるべきかという本題に入る前に、まずゲームの流通形態に関して述べておきたい。これによって禁止すべき物も変わって来る。1つ目の形態は、ゲームがリリースされたらそれきりという物だ。プレイヤーは今あるゲームで遊ぶしかない。もう1つは後からパッチが1つか2つ出て、深刻なバグやバランス上の問題を修正してくれる物だ。この2つはどちらも今あるゲームで遊ぶしかないという点で、本質的に同じカテゴリに入る。そして私が若い頃にはこのカテゴリしか無かった。

オンラインゲームは新たな形態をもたらした。Blizzard(“StarCraft”、”Warcraft 3″、”Diablo”、”World of Warcraft”の開発元)は”battle.net”という無料のオンライン対戦サービスを自社ゲームに提供している。全ての対戦ゲームはこのサービスを通すので、Blizzardはゲームがどの様に遊ばれているかに関して膨大なデータを収集できる。ゲーム時間はどれくらいで、どの戦術が上手く行き、どのマップが遊ばれているか、などなど。この会社はゲームをリリースした後も数年間に渡ってパッチでバランスを調整し続ける。

いわゆるMMO、”EverQuest”や”World of Warcraft”などはゼロサムな競技ゲームではないが、こちらも定期的にパッチが当てられている。プレイヤーは毎月料金を支払っており、言わばゲームを改善する為の巨大なチームを財政的に支えているわけだ。

リリース後にパッチで根本的な改善を続けるという考え方自体は良い面がたくさんある。しかし同時に、バグがあったりバランスの調整できていないゲームをリリースして後から直せばよいという風潮も生んだ。この種のゲームのプレイヤーと、「変化しない」ゲームのプレイヤーとでは、ゲームの改善や禁止事項の導入に関しての態度が異なる。我々の様なゲーマーにとって、禁止事項の導入は緊急避難的な非常措置だ。オンラインゲーマーにとっては、ゲームバランスの変更は日常茶飯事である。バグの修正も同様だ。

この「定期的にパッチが出る」方式はプレイヤーの側に怠慢をもたらしてもいる。今あるルールで最大限に頑張ったとしてもあまり報われない。その戦術で勝ったとしてもどうせパッチで修正される。ゲームに足跡を残す事はできるとしても、勝ち続ける事はできないのだ。MMOでは更に悪く、アカウントを永久に削除されてしまう可能性がある。ルールの範囲内で開発者の意図せざるプレイをしたというだけの理由でだ。

 

禁止事項の規準

禁止事項は施行可能・定義可能・合理的でなくてはならない。

 

施行可能

そもそも検出が難しい戦術もある。検出が難しいものに対して罰を課す事はできない。例えば格闘ゲームにおいて、本来無敵でない技を無敵にする裏技があったとする。しかしそれが使われたかどうか、毎回検出するのはほぼ不可能だ。あるいはRTSで、ユニットのHPを少しだけ増やす裏技があったとする。しかし実際のゲームでそれが使われても検出はやはり不可能だ。もし大会に禁止事項を加えたいなら、それは容易に検出可能であるか、あるいはそもそも起きない様にしておかなくてはならない。

また格闘ゲームにおいて、本来そうでない技がガード不可能になってしまったとする。ただし1/60秒以内のタイミングで繰り出した場合だけだ。果たしてそのプレイヤーは「裏技」のタイミングで技を出したのか? あるいはその1/60秒後に出したのか? もしかしたら単なる幸運で裏技のタイミングになってしまったのかも知れない。これに罰を課せるだろうか? こんな規則を実施できるか想像してみよう:「原則として技Xは使ってよいが、1/60秒間だけXを使ってはいけないタイミングが存在する」

 

定義可能

禁止事項は「完全に定義可能」でなくてはならない。仮に格闘ゲームで、ある5つの技を繰り返し繰り返し使うのが最上の戦術だったとしよう。そしてその行動が「タブー」になり、プレイヤーが禁止を望んだとしよう。この場合、何を禁止すれば良いのかという明確な定義が無い。そのパターンを3回繰り返すのは可能か? 2回なら? 1回だけなら? 5つの技のうち最初の4つだけを繰り返したら? それは合法か? こうなるとゲームは誰が「タブー戦術」にギリギリまで近づけるかという競争になってしまう。そして恣意的な禁止の文言に抵触したらアウトだ。

あるいはまたFPSにおいて、「キャンプ」行為(同じ場所にずっと留まる)を禁止するという考え方がある。これに関してプレイヤー間の友好的な合意は必ずしも必要ではない。これは一応施行可能である。サーバー側でプレイヤーの位置を監視し、規則を破った者に罰を課せばよい。問題は「キャンプ」をどう定義するかである。仮に同じゾーンに3分以上留まる事がキャンプと見なされ、キャンプが実際に最上の戦術だったとしたら、今度は同じゾーンに2分59秒留まるのが最上の戦術になってしまう。これはもう滑りやすい坂と同じで、禁止されるキャンプ行為に非常に近いキャンプ的戦術が常に横行する。

完全に定義可能な要素の例もある。カードゲームのM:tGにおいて、あるカードが強力過ぎると分かったらそれが禁止される事がある。「このカードは使ってはいけない」というのは完全に定義可能である。誰かがそれを「ほどほどに使う」という心配は無い。格闘ゲームでは同じ動きを「ほどほどに繰り返す」事が可能だった。あるいはFPSで2分59秒だけ「ほどほどにキャンプする」事もできた。カードは分離可能な要素であって禁止は実行可能である。

 

合理的

ここに問題の全てがある。何かを禁止するのが合理的でなければ、そもそも施行可能性や定義可能性を考える必要自体が無い。競技ゲームにおける教訓とは、禁止を合理化できる理由はほとんど無いという事だ。

あるバグがプレイヤーに小さな有利を与えてしまったとしても、禁止の理由にはならない。実際これはよくある事だ。ほとんどのプレイヤーはバグを利用している事自体に気付かない。単にそれを「裏技」と考えている。ゲームに重大な影響を与えるバグでさえ必ずしも禁止すべきとは限らない。それによってゲーム性が変わるだろうが、ゲームというのは自己修復の性質があり、ほとんどの手段には対抗手段(しばしば他のバグ技)があるものだ。

“Street Fighter Alpha 2″(北米版ストZERO2)には立っている(しゃがんでいない)相手に対してだけ大ダメージを与えるオリジナルコンボがあった。開発者はそれを見てからしゃがみガードできると意図していたに違いないのだが、実は上手くやると相手はそれをガードできない。これはゲーム性に大きな影響をもたらした。立っているだけで危険なのだ。しかし、この技が普及した後でもなおゲームは素晴らしかった。一見すると、立ち上がって攻撃に行くのは危険過ぎる様に見える。しかし綿密な研究の結果、攻め手は相手のオリジナルコンボにそれを破る技を差し込める事が分かった。要するに、バグがあってもゲームは成立した。この画期的な戦術は発明者の名を取って”Valle CC”と呼ばれた。Alex Valleについては後に述べる。

他の例として、「スーパーパズルファイターIIX」を挙げる。これは落ちものパズルである。自分の領域に様々な色のブロックが降って来るので、同じ色を3つ並べて消し、相手の領域を埋める。相手の領域が一杯になれば勝ちだ。

パズルファイターにもゲーム性の変わるバグがあった。レインボージェムを使うと自分の側にあるブロック1色を全て消せる(並んでいなくても)。そしてブロックを相手の側に送り込める。本来、これは普通にブロックを並べて消した場合より相手に送るブロックがずっと少ない筈だった。つまりブロックを処理できる代わりに相手への攻撃は減るというトレードオフだった。ところがここにバグがあり、裏技で普通に消した場合より多くのブロックを相手に送り込めてしまった。レインボージェムは「その場凌ぎ」でなく、ゲームを終わらせる大岩と化してしまったのだ。相手がこの裏技を使った場合、同じ技を使わずに勝つのはほぼ不可能である。

しかし裏技を知っているプレイヤー同士で戦うと、ゲームは相変わらず面白い。自分のレインボージェム技で相手の技を打ち消せるからだ。各プレイヤーは落ちて来るブロック25個ごとにレインボージェムを手に入れるので、双方ともだいたい同じタイミングでそれを手にすると予測できる。あるいは相手のレインボージェム技に合わせて大量のブロックを普通に消す事もできる。こうすると相手の攻撃をいくらか相殺し、残りが降って来るので自分の領域がかなり埋まる。そしてパズルファイターの場合、自分の側に沢山ブロックがあればそれだけ相手に撃ち込む弾丸が増えるのだ。狡猾なプレイヤーは相手にレインボージェムを撃たせ、蓄えた弾丸で逆転勝利を狙う。結局の所、バグはゲームを変えたが壊しはしなかった。明らかにこれは禁止する必要が無い。

バグや戦術がゲームを壊しているかどうか、どうやったら分かるだろうか? 簡単な方法は、それがゲームを壊していないという前提でひたすら遊んでみる事だ。99%の場合において、その戦術が優れていればいるほど、対抗戦術やより優れた戦術が見つかるものだ。熟慮を経ない禁止は雑魚のする事である。雑魚はValle CCやレインボージェム技に対抗する術を探さない。また禁止事項を入れると、本来そのままで成立していたゲームに人工的なルールを加える事になってしまう。更に1つ何かを禁止すると、次から次へと雪崩の様に禁止事項が持ち上がる。もしゲームを壊す様な戦術を見つけたら、それで大会に出て勝つ事をお勧めする。結果、ゲームがその戦術だけに収斂してしまう様なら禁止を検討すべきである。実際にそうやって勝ち、その戦術がゲームを壊していると証明できた例を私は知らない。

ゲーム開発者に一言。リリース後にバグを修正できるならすべきである。しかし、プレイヤーは「不公平な」戦術を使う感覚を楽しんでいる。それだけで大会に勝ててしまうほど強くなければ、「不公平な」だからと言ってそれを取り上げるのは間違いかも知れない。

 

即座に禁止すべき不具合

繰り返しテストせずとも即座に禁止すべき事項もある。例えばゲームをクラッシュさせたり、対戦相手の画面を真っ白にしたり、キャラクターやユニットや資源が消えたりする様な不具合である。ゲームを続行不能にする、あるいはゲームが成立しなくなる大きな不具合は禁止に値する。また全てのプレイヤーに使えない不具合も同様だ。2人プレイ用ゲームにはしばしば、2P側でしか使えないバグ技が存在する。この種の戦術は禁止すべきである。たとえそれほど強力でなかったとしても、全てのプレイヤーがアクセスできないというだけで十分な理由になる。

 

「強過ぎる!」

非常に極端で珍しいケースとして、「強過ぎる」要素が禁止される事もある。プレイヤーからの禁止要望はこれが一番多く、そしてその殆どが馬鹿馬鹿しい。ある戦術が「強過ぎる」から禁止するというのは全く理にかなっていない。それはゲームを「2番目に強い」戦術へと収斂させるだけだ。それでゲームが良くなるとは限らず、往々にしてむしろ悪くなる。

「強過ぎる」要素を禁止すべきは、それがあまりに甚だしく、ゲームから他の戦術を全て追放してしまう様な場合である。非常に珍しいケースだが、「最も強い」に留まらず「他の全てより10倍強い」要素を排除するとゲームが改善される事もある。これは非常に珍しいという事を強調しておきたい。大抵の場合は、禁止を求めるプレイヤーがそれ以外の戦術をちゃんと理解していないだけである。本当に強過ぎるならそれを使って大会を連覇すべきだ。ごく稀に本当にそれが正しく、1つの要素(バグにせよ仕様にせよ)に収斂してしまうほどゲームが浅いという事もある。その場合、最善の対処はそのゲームを放棄して他のゲームを遊ぶ事だ。世の中には良いゲームが沢山ある。

極端に稀なケースとして、強過ぎるという主張が正しく、かつゲーム自体は救うに値し、かつその超強力な戦術を除けばゲームが10倍も良くなる場合もある。その時初めて禁止は考慮に値する。その場合でさえ、研究が進み、上級者と大会運営にその戦術が禁止されるべきだという理解が広まる時間は必要だ。公式の禁止の前に「暗黙の禁止」が導入される事もある。以下に例を挙げよう。

 

「X」の2例

(訳注:この本は2006年に書かれている)

「スーパーストリートファイターIIX」、あるいは「X」は格闘ゲームにおける禁止事項の良い例だ。本書執筆現在、このアーケードゲームは稼働開始から10年経ってもまだ大会が開かれている。実際、東京だけで週に1〜2回の大会が開かれているのだ。このゲームは非常に成熟している。そしてバランスに関する10年間のデータがある。

ストリートファイターにはしばしば特定のコマンドを入力すると使える「隠しキャラ」が存在する。強いキャラの時もあれば弱い時もある。時には隠しキャラがゲームで一番強いという事もあり、初代「マーヴル VS. カプコン」がそうだった。凄い。そういうゲームなのだ。それに慣れよう。ところが「X」は隠しキャラを導入した最初のストリートファイターシリーズであった。そしてそのキャラは恐ろしく強い「豪鬼」だった。ほとんどのキャラクターは豪鬼に勝てなかった。「勝つのが難しい」のではない。絶対に、絶対に、絶対に勝てないのだ。豪鬼は「壊れて」いた。このゲームは斬空波動拳をきちんと扱える様にできてはいない。豪鬼はただの最強ではなく、他のキャラクターより少なくとも10倍は強かった。これは非常事態だ。アメリカの上級プレイヤーは即座にこれに気付き、このままでは全ての大会が豪鬼同キャラ対戦のみになると予期した。かくして豪鬼はほぼ異論無く禁止キャラとなった。私はこれは正しい決断だったと思う。

ところが日本では、豪鬼が大会で公式に禁止される事は無かった! こちらでは「暗黙の禁止」が導入された。つまり豪鬼は強過ぎてゲームを壊すのでので使ってはいけないという暗黙の了解である。プレイヤー達は非公式にそう合意した。中には大会で豪鬼を使う者もごく少数ながらいたが、上級プレイヤーの中にはいなかった。それをやるのは下手なプレイヤーだけで、神キャラクターを使って負けるのである。これは屈辱だ。そして観ている者は満足だ。これはアメリカにおける「公式の禁止」とは違う、興味深いやり方だ。

ここまでは良い。しかし日本ではもう1人のキャラクターについて「暗黙の禁止」が導入されかかっている。私はこの例を境界線として提示する。「強過ぎる」から禁止するという事に関して、これはちょうど合理と非合理の境界線上にある。これより弱いものは禁止に値しない。それゆえ、この例は何がゲームにおいて許されるかという指標になる。

問題のキャラクターは「Sサガット」である。Sサガットも豪鬼と同様の隠しキャラ(あまり隠れていないが)である。Sサガットは豪鬼とは違い、斬空波動拳の様な壊れた技は持っていない。Sサガットはしばしばゲームにおける最強のキャラとされる(豪鬼はもちろん除く)。だがトッププレイヤーの間でもその点については議論がある。恐らくどんな上級者もSサガットを上位3キャラ以内に位置づけるだろうが、それが最強だという広範な合意は無い。では何故、それを禁止しようなどと思うのか? 対策を知らない雑魚の集団が反射的に禁止を叫んでいるのだろうか。

そうではない。日本のトッププレイヤーの間には、Sサガットを使わないという暗黙の了解がある様だ。何故なら、Sサガットがいない方がゲームの多様性が大きく広がるからだ。Sサガットは基準によっては2番目に強いキャラクターに過ぎないが、全キャラクターの半数を簡単に封殺できてしまう。それらのキャラクターはSサガットと戦うのが精一杯で、勝つのは殆ど無理だ。同格の上位キャラクターならばSサガットと戦ってもきちんと試合が成立する。そしてほぼ全てのキャラクターは、Sサガット以外の上位キャラクターに対して勝利の目があるのだ。つまりSサガットを大会で使用可能にすると、春麗やケンなど多くのキャラクターが事実上使用不可能になってしまう。

ゲームの黎明期にこうした禁止を申し立てたとしても、それは正当化できないだろう。大会によって更にテストするのが妥当だ。しかしこのゲームは10年もテストした。大会がSサガット同キャラ対戦だけで埋め尽くされてはいない。しかしSサガットを倒せないキャラクターは明らかになり、それらはアメリカでは滅多に使われなくなった。一方日本では使われており研究が進んでいる。日本ではSサガットが暗黙裏に禁止されているからだ。これによる多様性の増加はSサガットの欠落を補って余りある様に見える。禁止は妥当だろうか? 正直な所、完全にそうだとは確信できない。しかし合理的判断の範疇には収まっていると思う。判断の基盤となるデータが10年分もあるのだから。

原文:http://www.sirlin.net/ptw