翻訳記事:勝つ為に戦う(13)

これは翻訳記事です

 

調練

孫子は厳しい調練に関して複数の章を割いて述べている。明確で実効性のある懲罰と報奨のシステムは軍隊にとって必要不可欠であると説く。戦場の混沌の中で、兵士は肉体的にも精神的にも極大の緊張に晒される。生き延びて任務を果たすには命令を反射的に遂行できなくてはならない。指揮官は部下が命令通りに動く事を信じ、部下は指揮官が正しい命令を下す事を信じなくてはならない。同様にして、プレイヤーは自分の肉体が意図通りに動いてくれる事を信じる必要がある。

 

操作スキル

実戦で複雑な技を繰り出すには、訓練を通じてそれを第二の天性としなくてはならない。多くの技やテクニックを体が覚えるほど、操作に注意力を割かずに済む様になり、それだけ戦略判断に集中できる。無論その割合はゲームによって違いがある。テニスや格闘ゲームはチェスや”M:tG”よりその傾向が顕著だ。

考えた時にはもう玉は落ちている。

—ジャグリングの諺

生まれつきこの種の操作が得意なプレイヤーもいる。全てのプレイヤーが最終的に同じレベルまで到達できる潜在能力を持っているかどうかは定かでないが、明らかに上達が早い人間は存在する。操作の上手さはしばしば「実力」と呼ばれるが、実力には色々な側面がありこれはその1つに過ぎない。操作も確かに重要だが、対戦ゲームで最も重要な能力は読みと計算だ。こちらは遥かに見えにくい。自分の眼前で示されたとしても、相手の本当の実力はなかなか見えないのである。一方操作の上手さは誰にでもすぐ分かる。複雑な操作をミス無しに実行できるかどうかである。操作技量は検知しやすいが故に、些か過大評価されているきらいがある。別に私が操作が下手だからそう言っているわけではない。

操作は重要である。明らかな理由の他に、それが知識よりも長く持続する優位だという事もある。今日の世界においてはゲームの戦術に関する情報は非常に速く流れる。新しい「秘密の技」はそう長く秘密でいられない。操作の上手いプレイヤー、いわゆる「技巧派」は、それらの情報を手にして、更に改良して行ける。知識を得るのは技量を得るより遥かに簡単である。技量は数年に渡る筋肉記憶の調練でしか得られない。

 

精神面の強さ

調練は操作技量だけの話ではない。精神面の強さも必要だ。勝負に全力で向き合い、集中力・不屈さ・注意力・体力などの限られた資源を保ち続ける能力である。肉体面の調練は資源そのものを増やす。どれだけの耐久力と注意力を実戦に持ち込めるかを決めるのである。一方精神面の調練はそれらの資源を活用する力を増やす。大会の最後の試合になっても、最初の試合と同じくらい強烈に勝利を追い求めていなくてはならない。そういう状況を作り出す必要がある。

チェスのマスターにして作家のエドワード・ラスターはその著作”Chess for Fun and Chess for Blood”の中で大会に関してこう述べている:

思うに、精神的緊張の極地とはチェス大会におけるマスターの疲労だろう。最も難しい数学の問題を解くのでさえ、チェス大会ほどには疲れない。そして数学は全ての知的活動の中で最も難しい分野である。肉体の健康はチェス大会における最重要の要素であり、それゆえスタミナに勝る若いプレイヤーは年配のプレイヤーに対して大きな優位を持つのである。

私の同僚であるセス・キリアン同じ考えをストリートファイターの大会に関して非常に上手く述べている。以下に引用しよう:

大会に勝つには戦略と操作だけでは駄目だ。気を散らす物全てを振り切る事ができなくてはならない。挽回不能に思えるリードを取られても、歯を食いしばって踏みとどまらなくてはならない。あるゲームにおいて常にトップに留まり、国内の強豪を下して行くには、精神面のタフさが必要である。「勝つ」だけでなく「大会で勝つ」には。これは雑魚が常に見逃している事だ。それは動画で「見る」事はできない。優れたプレイヤーなのに大事な一番を逃すのはここが欠けているからである。集中力を保つ事は非常に重要だ。以下によくある陥穽を述べよう:

 

新鮮さを失う

大会は(さっさと負けてスナックバーに引っ込む気でいるのでない限り)特注の体力搾り取り機である。ゲームセンターの中にいて、緊張し、他の皆も緊張している。音楽はうるさく光は眩しい。どいつもこいつも臭い。そこに10〜15時間ぶっ続けで居続けなくてはならない。その間碌な物は食べられないし、飲めるのは砂糖水である。

あらゆるハードコアゲーマーは、非常に長くプレイしているとある時点で燃え尽きの感覚に達する。勉強していて同じ文章を繰り返し繰り返し読んでいるとそれが無意味に思えて来るが、同じ事がストリートファイターでも起きる。精神が半ば昏睡状態に陥り、2秒前と同じ無駄な動き以外は何もできなくなる。顔に「次の波動拳を撃つぞ」と大書きしてあるのである。そしてまんまと超必殺技を食らう。これは中級者にとっても小さな問題ではない。何かの技を外した時(特に波動拳)、その技を出せると「証明」しなければと思ってしまう。一体誰に証明するのかは神のみぞ知る。そしてその機会が巡って来るとすぐに飛びついてしまう。あたかも馬鹿馬鹿しい「名誉」を守っているかの様だ(波動拳を出せる誉れ高きプレイヤー!)。かくして次の波動拳を繰り出し、強パンチなり何なりで手痛い反撃を食らう。いつもなら賢く強いプレイヤーが、すぐに次の波動拳を出そうとするのである。これは非常に興味深い事だ。あたかも彼らは心に描いた試合の脚本から「脱線」してしまい、そこを元に戻そうと試みているかの様である。「本来はここで波動拳を出さねばならない」という具合だ。これを読むだけでどれだけ多くの飛び込み攻撃を成功させたか分からない。もし0.5秒でもこの事を考えていれば、それが最悪のプレイだという事はすぐに気付くはずである。そしてそれこそ、燃え尽きた時にできなくなる事なのだ。

経験の浅いプレイヤーには馬鹿馬鹿しく思えるかも知れないが、大会で勝ち進むには最初の方の勝ちに気を取られない事が優位を生むのである。勝つ事に囚われなければリラックスして新鮮な気持ちでいられる。精神的疲労はしばしば見過ごされるが、それは現実に存在するリスクなのである。その為に多くのプレイヤーは準決勝以上まで勝ち進むと腕が悪くなる。これは大会の試合が意外に生彩を欠いている理由である。選手は10時間以上高ストレスに晒されているのである。

精神的疲労を軽減するテクニックが1つある。機械的に勝つ方法を編み出すのである。そのアルゴリズムを乗り越えられない程度のプレイヤーに対してなら、ほとんど自動操縦の如くにして対戦する事ができる。「教科書通りに」勝つ方法は飛び道具持ちのキャラクターの方がやりやすい(ゆえに強いプレイヤーはこれを選ぶ傾向がある)が、それ以外でもやり方は沢山ある。こうしたシンプルで効果的なテクニックを実行できれば、最初の方で当たる弱い対戦相手はそれを乗り越えるのに全ての時間を費やす(波動拳の弾幕を避けたり、こちらのザンギエフが43回連続で飛ぶのを何とか落とそうと対空手段を探したり)。連中はかなり高い確率で、こちらを攻撃できる位置に来ようとして馬鹿な動きをする。これはきちんと対処できれば非常に好都合である。

ただし注意。実力が伴わない内はこの手を使ってはいけない。これをやるには本気の戦い方と、それより楽なセーブした戦い方の2つを持っていなくてはならない。中にはキャラクターを使い分ける事によってこれを実行するプレイヤーもいる。こうすると「自動操縦」で楽をするだけでなく、本命のキャラクターでの戦い方を隠しておける。そしてこれはなぜ見事な戦いをする必要が無いかという例証でもある。「勝つためにはあらゆる必要な手段を取る」のであれば、まず何が必要なのかを認識せねばならない。馬鹿馬鹿しい単純なパターンで相手を倒せるのなら、わざわざ他の事をする必要は無い。壊れていない物を直す必要は無いのである。更にこれは相手を怒らせるという追加効果もある。ワンパターンの手でやられ続けると怒りで頭の回路がショートする。そしてますますプレイ内容が悪くなり、ますますミスを頻発し、ますます苛立つ。このスパイラルである。

こうすると思考力を節約できるだけでなく、ある種の「トラウマ体験」が起きる確率を減らす事もできる。過去に囚われるのはどの段階のプレイヤーも免れない陥穽である。既に起きた事に躓き、それに精神力を集中してしまい、眼前の試合をおろそかにするのである(なんであんなに馬鹿な事をしたんだ?)。悪い傾向である。ミスをした。これは既に悪い。そしてそれに囚われる事で更に悪くなっている。それは全く助けにならない。自分を叱りつけたからといって誰も褒めてはくれない。例えば、私が春麗でケンかリュウを相手にしているとしよう(厳しい戦いだ)。そしてどうにか相手の波動拳を誘った。スーパーゲージは溜まっている。そして肝心なスーパーコンボを出し損ねるのである。これほど苛立たしい事はそうそう無い。相手が勝利を大皿に乗せて差し出してくれたのに受け取らなかったのである。こうなった場合、たとえまだ接戦だったとしても、私は往々にして勝負を捨てていた。自分に腹が立ち、「波動拳をスーパーコンボで抜ける事すらできないのなら勝つ資格なんて無い」と感じるのである。愚かしい。同じ事がラッキーパンチで勝った場合にも起きる。自分の力で勝ったのでないからと言って(相手が昇龍拳をミスしたお陰で勝てたんだ…)、座したまま負ける事で自分を罰してはいけない。自分にその優位を取る資格が無いと信じるなら、結局次の試合に負ける事でそれを証明してしまう。過去への囚われである。最上の対処は過去を笑い飛ばし、自分の信仰する神に感謝するなり呪詛を吐くなりして次へ進む事である。運、あるいは相手の単純なミスは全ての大会における構成要素である。それが自分に味方したら喜べばいい。

 

未来は今である

過去に囚われるべきではない。では他にはどこに囚われるだろうか? 落とし穴その3、未来の心配である。大会に出ない内はそんな物が存在するとは思いもしないだろうが、いざ参加してみると簡単に捕まってしまう。

未来に囚われないとは、自分が対戦表のどこにいて誰と当たるかを気にしないという事である。ちなみにこれは運営卓の周りが非常に混む原因である。目の前の課題の困難さに心を囚われてはいけない。もしルーク・スカイウォーカーが自分の目の前の事に集中していれば、タトゥイーンを離れたりはしなかったはずである。化け物プレイヤー47号と同じ組に入れられたのは確かに不安だろう。しかしそれへの心配にエネルギーを費やしていたら、試合が始まってもいない内から相手に大きな優位を与えてしまう。多くのプレイヤーが動揺で自滅する。強者たちは相応の理由があってその名を轟かせているのだろうが、別に何らかの魔力を持っていたり、秘密の技でこちらを瞬殺して来るわけではない(本当にそうだとしてもそれを心配すればますます分が悪くなる)。自分が今戦っている試合に集中せよ。それを越えるとしてもせいぜい次の試合の心配までである。大会が初めてなら、あるいは全てのプレイヤーの経歴とプロフィールを知らないという罪を犯したのであれば、ちょっと周りに尋ねてみよう。例えば雑魚212号はずっとケンしか使わないという情報は有益である。それに合わせてキャラクターを選べる。上級アドバイスその2:本命以外のキャラクターも1人は持っておこう。ワンパターンの猿になってはいけない。全てを破壊する巨大な猿でない限りは。こうしないと相手がキャラクター選択を変えて、こちらのキャラクターを「食って」しまうかも知れない。

(訳注:アメリカの格闘ゲーム大会では複数のキャラクターを使う事がたいてい認められている)

だが、キャラクター選びは対戦の有利不利とは関係なく、使いやすさで決めるべきである。私が春麗を選んだのは最強のキャラクターだからではない(首位と接戦ですらない)。自分にとって使いやすいからである。その為に不利な組み合わせが出来るとしても、「自分の」キャラクターを使って最高の操作をしたい。誰かの作った「ダイヤ」に頼って決めるべきではない。www.shoryuken.comの理屈屋が「XはYに有利」だと判断したからと言って、それを覆せない理由は無い(別にダイヤグラムが無益だと主張しているのではない。その逆だ。単にダイヤは両者が潜在能力が出し切った場合を仮定して作られていると指摘しているのである。大会の試合全てがそうであるとは思えない)。また、「自分の」キャラクターを使っていれば、前例のない状況でも金縛りになりにくい。トッププレイヤーはそういう状況を浴びせて来るのである。立ち止まってどんなテクニックを使えば切り抜けられるかを考えてはいられない。対処法は反射的に、自動的にできるレベルで知っていなくてはならない。それ以外はためらいを生む。即ち負けだ。

精神の強さを保つには、新鮮な気持ちで居続けること。今に集中すること。できる事をやり、目の前の試合だけを考えること。そして勝つための意志を保つことだ。

—“s-kill”ことセス・キラン

原文:http://www.sirlin.net/ptw