翻訳記事:勝つ為に戦う(32)

これは翻訳記事です

 

 

最後に

ゲームで勝つ為の考察は現実の生活にも応用できるのだろうか? 否。それは別問題だ。ただ、よほど愚かでなければ対戦ゲームからも人生の知恵を何かしら学ぶだろう。ゲームは訓練と、練習と、修養が必要だ。好きな事なら打ち込むのもずっと楽だろう。ゲームは最悪の状況でも冷静でいる事を教えてくれる。そして命ある限り決してあきらめない事を。誰かを責めるより失敗から学ぶ事を教えてくれる。それが本当に成長するただ一つの道だからだ。そして継続的な成長だけが生き残る道だと教えてくれる。

対戦ゲームは表現手段でもある。ゲームの中と外で生き方を変えるのは難しい。プレイヤーは普段生活の中でやっている様に情報を処理し、決断を下し、同じような側面を重視し、同じような技能に長ける。実際私を含めて、多くのプレイヤーが自分が何者であるかをゲーム内での表現を通じて知る。世界には様々な表現形態があるが、その中で対戦ゲームが優れているのは自分の世界観と他者の世界観をぶつけ合うという点だ。真偽が問われる事の無いおかしな理論を拵えるのは簡単だ。だが対戦ゲームでは戦場に突っ込んで泥まみれになり、そうしたアイディアが通用するかを試してみなくてはならない。もしあなたが変わり者の天才であれば一切の疑義なしにそれを証明できる。ただの混乱した喚き屋ならその通り証明され、他者から教訓を学んで今後に生かす機会を与えられる。

更に対戦ゲームは結果への集中を教えてくれる。自分では優れたプレイヤーだと思っていても、コミュニティは勝者こそが勝つ力を持っていると判断する。重要なのは結果だけだ。それを受け入れなくてはいけない。練習すれば誰もが最高のプレイヤーに「なりうる」だろう、練習する機会さえあれば、あれさえあればこれさえあれば。そうした全てが金メダルの前では無意味だ。実際にその仕事をやりのけた者の手に金メダルは渡る。これはどんな事業、挑戦であっても同じだろう。未完成の巨大なプロジェクトや製品は結果を出した物に比べれば僅かな価値しかない。素晴らしい半分書きかけの本は実際に出版された本に劣る。より良い生活を夢見ているのは、実際に動いて人生を変えるのに比べて価値がない。

「勝つ為に戦う」の生活への応用は単純直截とは行かない。ゲームのどの側面が生活と異なり、どの側面が同じかは自分で考えなくてはならない。それは自分自身で下す決断である。本当に勝つ為に戦うならば、その道は険しく、そして他のどんな人生の道にも劣らず充実しているだろう。

それでは良いゲームを。幸運を祈る。

 

原文:http://www.sirlin.net/ptw