不完全情報ゲームデザインの基本定理

嘘つきゲームを作る時の問題


 

この頃ポーカーに凝っていてテキサスホールデムを随分遊んでいる。電車の中で暇があると古典と呼ばれる理論書を読んだり確率表を眺めたりして時間を潰す。アメリカの国民的ゲームと呼ばれるだけあって相当な量の研究がなされている。

しばらく遊んでいる内に気が付いたのだが、ポーカーはどうやら役を作るゲームではなくて誰が強い役を持っているかを当てるゲームらしい。自分が一番強いハンドを持っていると思ったら賭け金を膨らます。弱いと思ったら大人しくしている。ブラフをかけたり煙幕を張ったりも偶にはするが、そうした搦め手の頻度は最初思っていたよりずっと少ない。

卓の上でやり取りしているのは本当はカードでもチップでもなく情報である。見えているカードや他の人間の行動によって推察を行い、それに基づいて行動し、その行動がまた他の人間にとっての手がかりになる。

そこで興味深いのが”Harrington on Hold ‘em”で紹介されていた2つのプレイスタイルだ。「保守的」なスタイルはあまりブラフをかけず、弱いハンドはさっさと投げ捨てる。「攻撃的」なスタイルは相手が弱いと見たらどんどんブラフをかけるし幅広いハンドで参加する。保守的な方は確率論的により妥当だが相手に読まれやすい。攻撃的な方はリスクが大きいが相手から見ると非常に読みにくい。賭け金を釣り上げているのが真正な高いカードなのか、ブラフなのか、低いカードでポットに入ったら偶々モンスターハンドに化けたのか分からんのだ。

だから逆説的なことに、「攻撃的」なスタイルは相手に情報を与えないという観点から見れば防御的である。逆に「保守的」なスタイルは自分の行動の最適化という点で攻撃的である。

 

ゲームデザインへの応用

私の本業はゲームデザイナーなので(そうだったのか!)そちらに応用してみよう。不完全情報ゲームを遊ぶ時ではなく作る時の定理は次の様に導かれる。

  1. プレイヤーは非対称な情報を持つ
  2. 知り得ない情報についての正確な推察はプレイヤーを有利にする
  3. 正直な行動はプレイヤーを有利にする

1は基本的な前提である。明らかにされない情報があってもそれが全員に共通だと単に乱数を用いたゲームである。2はこれまた自明である。情報はゲーム内での戦略的優位性を生み出すが故に意味があるのであって、何にも影響しないなら最初から隠れた情報が存在しないのと同じだ。

3はしばしば軽視される極めて重要な点だ。プレイヤーは自分だけが知っている情報を正直に申告した方が嘘をつくより有利にならなくてはならない。そうでなければ卓に情報が流通しない。全員が常に嘘をついていたらそれは嘘ではなくランダムなノイズである。

不完全情報ゲームの奥行きを担保しているのは2と3の間のジレンマである。正直に行動すればするほど最適化され有利になるが、同時に他のプレイヤーに沢山の情報を投げ与えてしまう。”Harrington on Hold ‘em”で紹介されていた例は、AA(最上のハンド)で常に賭け金を釣り上げていたら、釣り上げなかった時はAAが入っていないことがばれてしまうという論考である。だから偶には逆の行動もして目をくらます。

所謂「正体隠匿」ジャンルの失敗作によく見られるのは3が十分に考慮されておらず、ランダムな振る舞いに基づいて裏切り者を探さねばならない代物である。これは大抵言いがかりと印象論に終始する。一緒に遊んで楽しい友達同士で言いがかりを付けるのは楽しいのだが、それはゲームが楽しいのでなく人間が楽しいだけである。

 

(´・ヮ・)<お前友達いたの? (・ε・ )