采配の問題

単騎で強いタイプの指揮官は部下に無闇な期待をするという話


 

「未熟の不知」という有名な論文がある。被験者を集めてテストを受けさせると、成績の悪い被験者はだいたい自己評価が過大であり、下から2割ぐらいの連中でも自分は平均より上だと思っている。一方成績の良い被験者は自己評価は正確だが、他の被験者の成績を高く見積もりすぎる傾向があり、自分の相対順位を実際より低く予想する。これは今日ダニング・クルーガー効果と呼ばれあちこちで引用される。

日常の言葉で言い換えるとこうだ。できない者は鈍すぎて自分ができない事にすら気づかない。できる者は自分にできる事は誰にでもできると勝手に思い込んでいる。

こうした現象は人員を登用して仕事に割り当てる際にしばしば問題になる。本人が思っているよりも仕事ができないことはよくある。特にその登用を決める上役が個人戦闘力の高いタイプだと、そいつ自身ダニング・クルーガー効果に罹患しているため二重に判断が歪められる。そして上役というものは大方指揮能力の高さではなくその前段階での個人的能力のゆえにその地位に登って来ている。終末を告げるラッパは鳴りやまん。

こうした現象に対抗し、パフォーマンスに対する認知の歪みを矯正する方策を考えた。要約すると次の2つだ。

  • 自己申告はノイズである
  • 速度は優れた指標である

 

自己申告はノイズである

Perceived Ability

先の論文に示されている様に、自分自身の能力に対する認知は実際の成績と極めて緩い相関しかない。個人ごとのばらつきや、観測者期待効果による誘導や、上役との性格的合致が有能さとして誤認される傾向を考慮すると能力の自己申告は情報として無価値である。

日常の言葉で表現するならば、「絶対やってみせます!」と豪語する候補者と「できるか分かりませんが頑張ってみます」とはにかむ候補者の期待値は同じである。よって最初から自信の有無を聞かない方が息を無駄に吐かなくて済む。

誓言とか契約とか供託金とかを用いて嘘の申告にリスクを負わせたとしても正確な情報を引き出すのは不可能である。なぜなら能力の低い候補者は本当に自分はできると信じているからだ。

 

速度は優れた指標である

もう少しマシな能力計測手段を探す場合、一番良いのが速度である。つまり成果物を期日通りに、あるいは前倒しで持って来る傾向である。ギリギリ通用する水準を満たしていれば出来具合にはそこまで注意を払わなくてよい。大幅遅れで素晴らしいものを持って来る者より期日通りにほどほどのものを持って来る者の方が期待できる。

なぜか。第一に、速度の方がばらつきが少なく客観的に計測できるからだ。制作分野では特にそうだが、出来の良し悪しはどうしても主観に左右される。好みもあるし、要求仕様が上手く伝わったかどうかにも影響を受ける。単純に発注者が2つの色から1つを選択しただけでも認知が歪められてその色を好ましく感じるものだ。

速度の方は均質で無機質な時間によって容赦無く表される。調子の良し悪しはあるにせよ、リテイクを除けば品質ほどには偏差が大きくない。不可抗力による遅れも時にはあるが、5回連続で運悪く家に隕石が落ちる確率は低いのである程度の標本規模があれば信頼性の高い計測ができる。

次に、速度は他の全ての基盤になる。素早く手を動かせればリテイクも早い。多くのものを完成させれば成長も早い。次々に試みていれば偶々素晴らしい出来のものが生まれる可能性も高い。プロジェクト管理の観点からもリスクが低い。手が早いという事はとにかく素晴らしいのだ。この要素はしばしば過小評価されている。

 

まとめ

人員の能力を測るにあたって「できるか?」と聞くのは酸素の無駄である。「何月何日までにXを持ってこい」とクエストを提示した方がよい。

 

( ・3・)<明日までにぷにぅ饅頭の型作ってこい えぇ…(困惑)>(・q・ )