勝つ為か楽しむ為か

勝つ為に遊ぶ」という有名な記事がある。競技ゲームにおいて最適な手を探し続け、徹底的に勝利を求めるという考え方だ。例えば格闘ゲームにおいてひたすら投げを浴びせる事は正しいとされる。「せこい真似をするなよ」という抗議は無効であり、勝ちを求めて技量を向上させ続ける先に本当の楽しみがあると説く。

この議論の背景にあるのは「楽しむ」と「勝つ」の伝統的な対立である。デザインコンセプトから期待される方法でゲームを楽しむか、ルールの穴を突いて貪欲に勝ちを求めるか。

結論から先に言うと、両者が一致する様にバランスを調整すべきである。ルールに対して最適な反応をした場合に最も楽しい遊び方が生ずるのが良いバランスだ。ハメ技を使うなと抗議しても意味が無い。開発プロセスで取り除いておかなくてはならん。

「スーパーストリートファイターIIX」の豪鬼はゲームを破壊していた。出すだけでも一苦労で、圧倒的に強い。勝つ為にこのキャラを選ぶとすれば、それは楽しくないプレイになってしまった。それゆえどこの大会でも禁止されていた。

「縛りプレイ」というのは要するにそういう事で、「最適なプレイ」と「楽しいプレイ」が一致する様に色々条件を課すのである。縛りを考案する作業はゲームデザイン作業に非常に近い。

ルールはそれ自体として存在するのではない。それにプレイヤーがどう対処するかを含めての構造である。ルールへの最適な対処がゲームを破壊してしまうなら、それはルールがゲームを破壊しているのである。