翻訳記事:勝つ為に戦う(5)

これは翻訳記事です

 

敗北から学ぶ

敗北はゲームの一部である。一度も負けた事が無いとすれば、それは一度も試された事が無いという事だ。それでは成長しない。敗北は学びに繋がる機会である。だが敗北は苦しい。感情が論理的考えを押しのけてしまう事もある。以下に列挙するのは「負け犬」になる姿勢だ。これらを口にする様になったら赤信号である。

 

「少なくとも俺は正々堂々戦った」言い換えれば「あいつはせこい!」

これは圧倒的に多い負け犬の遠吠えである。これについては先に詳述した。負け犬は空想上の倫理的優位を拵えるため、自分の「正々堂々」にしがみつく。どの行動ができてどの行動はできないかを決める個人的な戒律だ。言うまでもなく、どの行動が可能かはゲーム自体が決める事であり、上乗せの戒律は無駄で余計で勝利の邪魔だ。負け犬は対戦相手が彼の戒律を破ったかどで文句を言う事もある。彼は常に、世界中が自分の戒律に同意し、それを破るのは邪悪なアウトカーストだけだと信じている。こうした「正々堂々」への宗教的情熱に理由を見出すのは難しい。ある種のプレイヤーは何が何でも「勝者」でいたがるものだ。敗北の海のただ中にあってさえ、彼は自分の戒律を奇妙に歪めて自分を何とか「勝者」に分類するだろう。

 

「負けたけど相手は弱い」

これは最もおかしな抗議だ。自分より弱いと思っている相手に負けると、「相手は弱い」という言い訳が用いられる。彼は自分が非常に優れたプレイヤーで、この様な雑兵に負けたくらいでは何も証明されないと言っているのだ。彼は往々にして相手の「弱いプレイヤー」が持っている弱点を数え上げ、「ワンパターンだ」とか「読み合いが弱い」といった台詞を吐く。しかし相手を貶めれば貶めるほど、彼自身もっと惨めになる。相手がワンパターンな戦術に頼っているとしたら、それを打ち破れなかった自分はどうなのだ?

この傾向は取り除かねばならない。恐らく相手を責めるのはプライドのゆえだろうが、失敗から学ぶ機会を奪ってしまう(それに他のプレイヤーにも嫌われる。気にしないかも知れないが)。原則として、勝つだけの力量を持ったプレイヤーには相応の敬意を払わなくてはならない。プレイスタイルにどんな瑕疵があろうとだ。認めたくないかも知れないが、こうした「弱い相手」はしばしば実際には自分より強いのだ。相手が自分より弱いなら勝たせてはいけない。自分の失敗から学び、ライバルに追いつくべし。どちらにせよ問題は自分自身の中にある。相手のせいではない。

 

「俺は弱いよ、やるまでもなかろうよ」

今度は逆のパターンである。自信がありすぎるのではなく無さすぎるのだ。この台詞は負けた後の悲しさからしばしば出て来る。それはまだ良い。その場に留まって挑戦を続けるべし。問題なのは、試合の前や最中にこれを言う場合だ。自己評価の低さは自分を本当に弱めかねない。中には過去の敗北や、生活上の不運を引きずってしまう者もいる。そしてゲームに対しても負け犬根性で挑む。客観的に見れば試合において有利になっている場合ですらだ(例えばM:tGで良いデッキを持って来たとか、格闘ゲームで相性の良いキャラクターを選んだ場合が相当する)。この種のプレイヤーはそうした雑念を振り払い、今目の前にある試合に集中せねばならない。選んだキャラクターなり陣営なりデッキなり、あるいはゲームの技量なり知識なり、何らかの優位を持っているならそれに集中すべきである。そして優位性を持っていないなら、それこそもっと頑張らなくてはならない。冷静にならなくてはならない。逆境に打ち勝たねばならない。そして目にもの見せてやれ。自分を信じなければゲームには勝てない。信じれば勝てる。

 

「糞ゲー/運ゲー/つまんねー」

公正を期す為に言っておくが、世の中には本当に糞なゲームや偶然性が強過ぎるゲームやつまらないゲームもある。その場合はさっさとそのゲームを止めて時間を無駄にせぬ方がよい。しかしこの種の抗議はしばしば完璧なゲームに対しても向けられる。「糞ゲー」に見えるのは、そのゲームを素晴らしい物にしている本質が見えていないだけかも知れない。

「運ゲー」は少々話が複雑だ。ゲームの偶然性が強ければ、それだけ競技性が失われる可能性がある。しかし偶然性はゲームに「楽しさ」ももたらす。通常、この抗議への回答は1つしか無い。同じプレイヤーが安定して勝ち続けるかどうかを見よ。例えばM:tGは偶然性が強過ぎるという議論もある。しかし国際大会で入賞するのはいつも同じ顔ぶれだ。本書執筆時点での世界最強プレイヤー、Kai Buddeは大会に毎回出て来る。使うデッキは他のチームメイトと全く同じである。それでもKaiが勝つ。どうやらこのゲームはそれほど「運ゲー」ではないようだ。

ポーカーにも同じ事が言える。個々の手は偶然による所が大きいが、大会で優勝して賭け金をさらって行くのはいつも同じ面々だ。

(訳注:北米で最も人気のあるポーカーのルールは、日本で普及しているルールに比べ実力に左右される割合が大きい)

「つまんねー」というコメントは頭を使わない。これは基本的に、負けた責任をゲームの欠陥のせいにしているだけだ。無論ゲーム自体が欠陥を抱えている場合もある。しかしこのフレーズを使っていると、負けた言い訳をしてそこから学ばないという事も覚えておこう。

こうした負け犬根性に陥らない様に気をつけよう。負けたのは自分の責任だ。被害者ぶるのは負け犬の道である。勝つのは負けを受け止め、自分を磨こうとする者だ。

原文:http://www.sirlin.net/ptw