自然は単純を好む。人は?

辞書は版を重ねるごとに厚くなる。ガジェットは新しくなるほど機能が増える。法律の条文は年々増える。ゲームは拡張版が出る度に複雑になる。

人工物には複雑化する性向が組み込まれているのだろうか?人間は身の回りの物全てを理解不能になるまで複雑化する生物なのか?

なぜ物事は複雑化するのか。この問いへの答えを一つ挙げてみよう。人工物にはデザインの選択肢がある。例えばカードゲームは手札を無くせば勝ちにもできるし、手札の柄を揃えれば勝ちにもできる。山から引くゲームにもできるし、最初に全て配ってしまうゲームにもできる。こうした選択肢の組み合わせパターンが無数にあり、実際に存在するのは無限に広がるデザイン空間の中の1つの点である。

1行しかルールが無いカードゲームの取りうる形は非常に限られている。カードをめくるとか、投げるとか、積むとか。その選択肢はせいぜい数百であろう。

これが2行になると格段に選択肢が増える。1行目に「カードを投げる」と書いてあったとしたら、2行目には「遠くまで飛ばせば勝ち」とか「的に当てれば勝ち」とか「長く空中にあれば勝ち」とか書く事ができる。そしてそれぞれが違った遊びである。要素数が増えれば組み合わせの数も増える。つまり

構成物は複雑さが増すほど取りうる形態のパターンが増える

という事である。nの複雑さを持つ構成物のデザイン選択肢は、n-1の複雑さを持つそれよりも常に多い。

次に、我々が構成物に変化を加える時の方法を考えてみよう。携帯電話を改造して乾燥機にする事は非常に難しい。変更を加えた後の物は、加える前の物に似ていなくてはならない。携帯電話を改良したら少し機能の増減した携帯電話になるのである。

改造とはあるデザイン選択肢から隣接する選択肢への移動である。ゆえに改造後の複雑さは改造前と同じか、少し減っているか、少し増えているかである。さてここで先の法則を参照しよう。複雑な構成物ほどデザイン選択肢は多い。という事は、複雑さを減らす改造案は少なく、それを増やす改造案は多いはずである。

ゲーム開発会議ではメンバーから次々にアイディアが飛び出す。そしてその大部分はルールを付け加えるものである。既存のルールを変更するアイディアはやや少なく、ルールを取り去るアイディアは非常に少ない。

任意のデザインに関して、その隣接するデザインを無作為に1つ選んだとすると、それは複雑さが増加している確率が高い。改造によって複雑さが増加する確率は減少する確率を常に上回る。平たく言うと、

弄れば弄るほど複雑になる

という事だ。そういう訳でスパ帝国はシンプルさを好んでいる。後からルールを拡張して複雑にするのは簡単だが、単純化するのは非常に骨が折れる。