翻訳記事:戦略ゲーム七つの大罪

これは翻訳記事です

GDC#1:戦略ゲーム七つの大罪

2008/9/27 Soren Johnson
Game Developer誌2008年4月号に掲載された物の再掲:

 

戦略ゲームはコンピューターゲームの中でも歴史が古く、誉れ高き伝統を持つ。”M.U.L.E.”から”Civilization”や”Starcraft”へと連なる系譜だ。にも関わらず、同じ様なデザイン上のミスが何度も何度も繰り返されているのも確かだ。ここではよくある7種類のミスを解説しよう。

 

1.大量の文章を詰め込む

戦略ゲームはボードゲームの直系子孫である。ボードゲームの楽しさはルールやメカニクスを理解し、決断を下し、その世界に何らかの結果を引き起こす所にある。
コンピューターゲームではこの楽しさを一人で味わえる。ところがいつの頃からか、開発者はやたらに長いシナリオをシングルプレイ用コンテンツとして詰め込み始めた。最近の”World in Conflict”に至ってはシングルプレイ用のスカーミッシュモードすら無い有様だ。こういったシナリオはどうにも奇異である。ゲーム本体と共通のルールはあるが、色々と相違点もある。AIは自力で戦略陣地を発展させて行動を始めるのでなく、人間プレイヤーがトリガーとなる特定の行動をする事で動き始める。人間が負ける事が不可能になっているシナリオすらある。負けそうになるとスクリプトでAIが止まったり、人間側に増援が来たりする。さらに、こうしたシナリオは基本的に「目標物」ベースである。あれを壊せ、あの場所を占拠しろ。これではプレイヤーが戦略を判断する余地が無くなってしまう。面白い意思決定の無いゲームはすぐ飽きる。幸い、最近の戦略ゲームは状況が改善された。”Sins of a Solar Empire”や”Armageddon Empires”はオープン型のランダムマップ方式に戻って来ている。予め決められた目標物などは無い。これぞ本格戦略ゲームの楽しさなり。

 

2.大量の要素を詰め込む

ゲームの骨格が完成した後も、大量のユニットやら建物やら何やらをついつい追加したくなる。実際、多くの開発者がゲームの事を要素の寄せ集めとして語るのを目にして来た。(「18の武器!68種類のモンスター!29面!」)
この考えは間違っている。ゲームは面白い意思決定の集合だ。そして「要素」は意思決定を形成する為にあり、漫然と存在しているのではない。プレイヤーの取り得る選択肢が少な過ぎるのは良くないが、大抵の場合は多すぎて失敗している。選択肢はいくつが丁度いいのか? 具体的な数字を挙げるのは難しいが、大雑把な見当は付けられる。Blizzardは12という数字を用いて、RTS製品が複雑になり過ぎない様に管理している。”StarCraft”は各勢力ごとに平均12種類のユニットを持つ。”WarCraft 3″も然り(ヒーローは含まない)。”StarCraft 2″も大体このあたりに落ち着くだろう(訳注:本コラムの発表はSC2の発売前。その通りだった)。実際Blizzardの発表によれば、新たなユニットを追加する分、古いユニットをいくつか廃止するとの事である。ゲームはプレイヤーが頭の中で全ての選択肢を一度に検討できなくてはならない。あまりに選択肢が多過ぎると考えるべき範囲が広がり過ぎてしまう。

 

3.プレイ方式の限定

良いゲームもいずれは飽きられる。折角の名作も、ゲーム設定が限られていると色々な遊び方ができない。”Company of Heros”は革新的で素晴らしい戦術RTSであるが、枢軸国同士の対戦や、3人以上のマルチプレイが許されていない。第二次世界大戦の世界観からすればそれが正しかろうが、その結果遊び方が非常に限定されてしまっているのも確かである。一方”Age of Empires”シリーズは良い判断をした。どの文明も自由に組み合わせてチームに入れる事ができるし、マップスクリプトを自分で作る事もできる。”Age of Kings”のマップで印象的だったのが、木が殆ど無く石と金が溢れているという地形である。通常のゲームと経済バランスがあべこべになるのだ。更にこのゲームは複数のプレイヤーが1つの文明を操作する事さえ可能だった。1人が軍隊を動かし、もう1人が経済を賄うといった具合である。以前AoKで面白い試合をした。4人が操作する2文明と、3人が操作する3文明が対戦したのだ。そして2文明の側が勝ってしまった! こういうちょっとしたプレイ方式の広がりによって、我々の仲間内でのAoKの製品寿命は倍になったと言えよう。無論ゲーム設定はゲームの核となるメカニクスときちんと結びついていなくてはならない。設定を変えると無駄にルールが複雑化するのは良くない。

 

4.メカニクスのブラックボックス化

90年代後半のいつ頃だったか、”Black & White”が開発されていた頃である。インターフェースの無いゲームという概念が流行り出した。インターフェースを無くせば普段ゲームをしない層にも受け入れられるという考え方であった。それ以来、ゲームメカニクスをプレイヤーから隠してしまおうという潮流が顕著になった。1999年の”Age of Kings”には素晴らしいレファレンスカードが付いて来た。ゲーム中に登場するあらゆる物のコストや価値や修正子が一覧になっていたのだ。しかし最近のRTSは、マニュアルに具体的な数字が書いてある事は稀である。ただし強調しておきたい。透明性の名の下に数字の洪水でプレイヤーを溺れさせろと言っているわけではないのだ。そうでなく、開発者はインターフェースを2層に分けるべきである。基礎レベルと参照レベルだ。基礎レベルは初心者が基本的な情報を得られる様にする。例えばどうやって戦車を作って悪者を粉砕するのか。そして参照レベルはゲームシステムに関するあらゆる質問に答えられる様にする。このレベルの情報をゲーム内百科事典にまとめるのも有効だ。つまりシヴィロペディアである。”Rise of Legends”は2層構造を上手く実装している。ゲーム中のポップアップには「上級モード」があり、特定のキーを押しっぱなしにすると詳しい情報が表示される。

 

5.プログラムやデータの機密化

折角作ったプログラムやデータを秘密にしておきたいというのは自然な感情である。開発に何年もかけたのだし、独創性によってジャンルの地平を広げたのだから。ゲームの核を公開するのは大抵の開発者にとって難しい決断だ。経営者にとってはもっとそうだろう。だが我々はCiv4のゲームとAIのソースコードを発売直後に公開した。その結果は素晴らしい物だった。2つ目の拡張パックには3つのModが含まれていた。どれもファンが作った物で、デレク・パクストンの”Fall from Heaven: Age of Ice”と、ガブリエル・トロバートの”Rhye’s and Fall of Civilization”と、デール・ケントのWWII: The Road to Warである。これらのシナリオは”Beyond the Sword”の大きな売りだった。Modがこれほど深く、面白くなるには(あるいはそもそも存在するには)ソースコードの公開が不可欠だったのだ。PC系の開発者は殆どが既にこの点を理解しているだろう。釈迦に説法だ。だからこそ、これに反する事は七つの大罪の中でも最も重い。どういうわけか戦略ゲーム界は、FPSやRPGに比べてModに閉鎖的だ。id Softwareの様な先駆者を欠いているせいだろうか。Blizzard社の”WarCraft 3″には素晴らしいシナリオエディタが付いていたが、これはどちらかと言えば例外である。戦略ゲームのMod作者は制作環境に恵まれないのが現状だ。だからこそ、我々はCiv4をModに開放する事を使命と感じた。物を手放すのはいい気分だ。それに冴えたやり方である。

 

6.病的なコピープロテクト

不正コピーが業界に与えるダメージを計測する事は不可能だが、無視する事も不可能である。Stardockのブラッド・ワーデルは製品である”Galactic Civilization”シリーズに一切のコピープロテクトを施さなかったが、こういう勇者は少数派だ。ちなみにこの製品はきちんと製品番号を登録するとオンラインアップデートが受けられる。何らかの方策で不正コピーを防止するのは業界にとって当然だ。しかしだからと言って、ゲームを始めるのにいくつもの面倒な手順を要しても良い事にはならない。重要な問いはこうだ。「果たしてこのコピープロテクトを導入する事で売り上げは増えるのか?」目くじらを立てない方が良い場合もある。例えばLANマルチプレイだ。言い換えれば、製品CDを持っていないプレイヤーは持っているプレイヤーが主催するゲームに参加できる。”StarCraft”はゲームを「増殖」させる事を許していて、LANマルチにのみ参加できるコピーを作れる。実はLANマルチの開放はCiv4における我々の方針であった。ゲームは起動時にCDチェックを行うが、ゲーム中はしない。よって、4人で集まってLAN対戦をするとなったら1枚のCDを順に回して行けば良い。たまにしか無いLAN対戦会のためにわざわざ全員が製品を購入してくれるとは思えなかったのだ。それにこういう環境によって新規プレイヤーが入って来れば、今度はシングルプレイの為に本当に製品を買ってくれるかも知れない。

 

7.余計な所にストーリーを入れる

ストーリーとゲームの歴史は悲喜こもごもである。退屈なカットシーンやら、どこかで見た様なキャラクターやら、プレイヤーが操作できないシナリオやらで多くのゲームが駄目になった。ゴミの様な会話を早送りできないのは本当に困る。だが最悪なのは、ストーリーを入れなくて良い所に入れてしまうケースである。例えば戦略ゲームがそうだ。結局の所、戦略ゲームとはゲームの源流である。人類初のゲームはバックギャモンやチェスだ。誉れ高き伝統なり。戦略ゲームにおける「ストーリー」とはゲームそのものである。例えば”Rise of Legends”はシナリオ型のキャンペーンでなく、”Rise of Nations”にあった世界征服モードを搭載していたらどれほど良くなっていた事か。皮肉な事に、私はRoLのキャンペーンモードが気に入っている。技術や強いユニットがミッションの合間の戦略マップでのみ獲得でき、RTS部分がシンプルになっている。しかしそれはストーリーがあるから楽しいのでなく、ストーリーがあるにも関わらず楽しいのである。核となるRTSをシンプルな上部戦略レイヤーと組み合わせ、何回も繰り返して遊べるゲームにもできた筈だ。それがストーリーの為に犠牲になっている。こういう例は枚挙にいとまがなく、殆どのRTS開発者は同じ罠に陥っている。今こそ潮流を止めなくてはならない。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=106