単純と馬鹿の境界

スパ帝国で作るゲームは思考力を要求せねばならない。同じ手がいつも使えたり、最善策があまりに明らかだったりしてはいけない。

同時にゲームメカニクスは可能な限り単純でなくてはならない。単純な物を拡張するのは簡単だが、複雑な物を減量させるのは並大抵の仕事ではない。

この二つの要求はしばしば対立する。シンプルで要素数の少ないゲームは選択肢も限られる。少ない選択肢で思考力を要求し続けるのはかなり工夫が要る。

例えば狐めくりの場合だ。これは外れ札を押し付け合うゲームであり、譲渡されたカードを受け取るか拒むかの判断が最も熱い。ではここだけに焦点を当て、得点システムを無くしたらどうなるか。花嫁の1点を無くし、狐の枚数だけで最後の勝敗を決めたらどんなゲームになるだろうか?

ゲームとして成立しなくなる、というのが答えだ。花嫁に得点が無ければ、それを譲渡する事にはいかなるリスクも存在しない。「花嫁を引いたら全て押し付ける」というのが明白な最善策になるのである。この策を実行しているとき、プレイヤーは一切の思考を止めている。それは単純なゲームではなく馬鹿なゲームだ。

狐めくりはゲームとして成立するギリギリの複雑さしか持っていない。それ以上単純化するとバランスが崩壊するのである。この様に、ゲームバランスが成立する限界線がそれぞれのデザインコンセプトごとに存在する。そしてそれが単純なら単純な程、そのコンセプトは優れていると言えるのだ。

雨が雨漏りを見つける様に、ユーザはゲームデザインの瑕疵を必ず見つけて利用する。開発者はそれを塞ぐ為にパッチワークを追加する。その度に複雑さは増加する。単純な状態で成り立つコンセプトとは、水漏れを無くすのに必要なパッチワークが少ないデザインである。それはそれだけ完璧に近いという事だ。