翻訳記事:勝つ為に戦う(27)

これは翻訳記事です

 

勝つ為に戦わない

この回では逆の視点から見てみよう。いつも「勝つ為に戦う」のは非生産的だ。長い期間に渡って勝ち続けるのであれば、全ての試合を大会の決勝の如く戦うのは不可能だ。そんな事をしていたら基本的な研究もできないし、特定状況下での変わった戦い方も知らずにいる事になる。そうして結局は次善の戦術に甘んずる。

 

研究

勝つ為の戦いと学ぶ為の戦いはしばしば異なる。今この試合の勝率を最大にするためには、新しい戦術や対策やパターンを試して無用な危険を冒す事はできない。回り道をせずに戦うのは試合に勝つ最善の道だ。だがそれは貴重な経験を得て戦術の引き出しを増やす機会を逸する道でもある。

ストリートファイターで簡単な例を挙げよう。コンマ数秒後に相手が超必殺技を出す事が読めたとする。このラウンドを取る一番賢明な方法は、そのままガードする事だ。だがそれでは学べない事もある。その必殺技はそもそもどれぐらい判定が強いのか? こっちが先に蹴りを出せば止められるのか? それとも必殺技が出る時の「暗転」を待ってから1フレーム(1/60秒)後に無敵の昇龍拳を出すべきか? 相手の方が先に無敵が切れてこっちの技が当たるかも知れないし、向こうの技が常に勝つのかも知れない。この情報があれば、体力が残り1ドットで相手が超必殺技の削り勝ちを狙った時に非常に役に立つ。大会ではそういう局面がよくあるのだ。どういう選択肢があるか知っている方が良い。

「カジュアル」な試合ではよく、私は安全な選択肢を捨ててその技にどんな返しがあるか試してみる。たとえそれが駄目で試合に負けても、得た知識の価値がそれに勝る。もう同じ間違いは(多分)しないからだ。勝つ為に戦いたいなら、全ての瞬間における全ての選択肢を知らねばならない。それには多くを犠牲にして実験をしなくてはいけない。

もちろん大抵のゲームで事情は同じだ。StarCraftでコルセア6体はミュータリスク12体に勝てるのか? Unreal Tournamentでショックライフルコンボは接近戦でも使えるのか? 実際にやってみなくては分からないのだ。

 

弱い戦術を磨く

ゲームが出たばかりの頃は、どんな戦略なり戦術なりが実際に強いのかまだ分からない。それでも全部分かったと豪語するプレイヤーは多いものだが。確かにその時点で他のプレイヤーより良い戦術を知っているのだろうが、対戦は進化する。新たな発見とともに古い戦術は時代遅れになる。大抵はまったく違う戦術が見つかり、古い物はプレイヤーの面汚しと化す。またしばしば、古い「最強」戦術への対策が見つかることもある。格闘ゲームでも、どのキャラクターが最強かという探索がある。発売後数ヶ月、時には数年も経ってから弱キャラと思われていたXがとんでもないバグYを利用して無敵になるという事もある。

これが勝つ為の戦いとどう関係するのか? 「勝つ為に戦う」ハードコアプレイヤーは1人のキャラクターを選び、強力な戦術を選び、それを極限まで磨き上げる。そしてそのキャラクターがその戦術を使うための全ての技を身につける。例えば初代マーヴルvsカプコンでロックマンを選び「ロックボール鳥籠」を練習する。これはロックマンが「ロックボール」というサッカーボールを作り出し、画面端へ斜めに蹴り上げ、それに続いて地上と空中へ1発ずつ弾を撃つというパターンだ。この3つの飛び道具で画面全体を支配する。そして相手がそれに対処している間にまたボールを作り出して同じ事を繰り返す。

真剣なロックマン使いなら春麗用のロックボール、ヴェノム用のロックボール、と色々なバリエーションを研究するだろう。他のプレイヤーがロックボールの有用性を減ずる対策を見つけたら、対策への対策を見つけて同じパターンを押し通す。これはまさに「勝つ為に戦う」様に見えるが、結局最後は僅かな勝利に甘んずる。そうやって修練した戦術は実は、悪くはないけれども他のキャラクターの1/10も良くない事が判明する。

私が考えるゲームとは、幾何学的な丘や山に満ちた風景である。それぞれの山は戦術や戦略やキャラクターを表し、高いほど強い。時が経つに連れてプレイヤーはこの地を探索し、多くの丘や山を見つけ、見つかった範囲でできる限り高い場所へ登ろうとする。プレイヤーは山の高さを盛る事はできない。ただそこにあるのを見つけるだけだ。尤もこれはやや観念的な区別であるが。問題は、新たな山(例えばロックボール)の麓にたどり着いた時、その頂上が実はそれほど高くないとしてもまず気づかないという事だ。そこを登るのは険しい道かも知れない(沢山の練習)。だが登ってみると、向こうに見える巨峰に比べたらこちらの戦術は低い山なのだ。つまり局地最適解にたどり着いてしまったのであり、もっと他の山を探している方が良かったという事だ。

言い換えると、勝つ為の戦いには探索も含まれる。ゲームの中の色々な要素を試してどれが合っているか、他のプレイヤーは何が得意か、そして最後には何が一番有効かを研究する。ロックボールに磨きをかけている(そして一番勝っている)時、本当に勝つために戦うならば別のキャラクターも試してみるべきだ。不慣れで、扱い方が何も分からないけれど、実は最後になってロックマンより10倍も上手く扱えることが判明するようなキャラクターを。

探せば見つかるわけではない。しかし探す者にしか見つけられない。

—スーフィ教の諺

 

秘密の物語を学ぶ

大会ではしばしば決定的な瞬間が訪れる。極めて珍しい状況が生まれ、どうするか咄嗟に判断しなければならない事態だ。大会では最高のプレイヤー同士が己の戦い方をぶつけ合う。各々自分の得意技を持ち、相手の得意技に即座に対策を見つけねばならない。これは最早単なる楽しみの為ではなく、「本物」の戦いだ。こうした極限の緊張の中で、今までに無い状況で今までに無い解法が生まれるのだ。

こうした珍しい状況になった時、果たして準備はできているか? どんな選択肢がありどんな危険があるか分かっているか? 「秘密の物語」、あるいは珍しい状況における相互作用について知っているかどうかはしばしば勝敗を分けるのだ。

秘密の物語をどうやって学ぶか。例えば大会に向けて準備し、練習し、勝つ為に戦っているとしよう。何を練習しているだろうか? ほとんどの試合で必要になる事が分かっている要素だろう。相手として出て来る事が分かっている物への対策だろう。要するに「真ん中の道」を通って練習しているわけだ。大会への意識的な準備と「珍しい状況」への対応とは正反対だ。その練習に弱キャラへの対策は含まれているか? 大会で使う気の無いキャラクターの練習はしているか? 恐らくはしていないだろう。だがもしどこからか謎めいた挑戦者が現れ、その「弱キャラ」を使って実はそれが強い事を見せたらどうなる? そして練習しなかったキャラクターこそが唯一の対抗手段だったら? 残念、そこまでは探索していなかった。「勝つ為に」戦っていたからだ。

業という考え方に従えば、ゲームへの愛は何かしらの良い結果を引き起こす。そのゲームを愛する者は好きだから遊ぶ。そして色々最適でない事をやってみる。変なキャラクターを選んだり、変な戦術を使って他の変な戦術とぶつかり合わせる。そして秘密の知識を得ていく。勝つ為だけに戦っている者はそんな回り道ができない。ゲームをしている一分一秒が今の山を登る努力であり、局地最適へと達する道のりである。それはもしかしたら、流行りのキャラクターで流行りの戦術を使う以外の事をしてみる気にならない程度にしかそのゲームが好きでないからかも知れない。

私は2001年8月9〜11日にあったスーパーストリートファイターIIXの大会に向けて猛練習をした。その大会ではダルシムだけを使おうと決め、色々な相手にダルシムの練習をした。幸い私はこのゲームが好きだったお陰で、「お遊び」で本田やリュウも使い、「本気」のベガも時々やった。それでも重点はやはりダルシムだった。

いざ大会当日。事態は思わぬ方向に推移した。私のダルシムは勝ち残り、ある日本の有名なホーク使いに当たった。ホークは弱キャラとして有名である。とりわけダルシムに対しては不利だ。だが相手は「弱キャラ」で魔術を見せる事のできるプレイヤーの好例だった。1ゲーム目で私のダルシムは惨敗を喫し、作戦を変えなくてはならなくなった。(訳注:北米の大会は大抵複数ゲームの先取である) そこで思いついたのが「お遊び」で使っていた本田だ。本田ならラウンドの間中しゃがんだままホークをやり過ごせる。相手が近づいて来れば頭突きで押し返し、またしゃがみ続ける。そして結局、この大会本番における頑固さと寒さの見本市は結果を出した。私はその日本のプレイヤーを、誰も予想していなかった様な組み合わせで倒したのだ。私はその後別の日本のプレイヤーにまた別のおかしな組み合わせで負けるのだが、これは別の話である。

この話の教訓は、勝つ為の戦いはしばしば結果に結びつかないという事だ。ゲームを愛し、好きだから遊ぶ者は、大会で使える珍しい綾を学んでしまう。もちろん役に立たない事もあるだろうが、「好きだから遊ぶ」プレイヤーは気にしない。楽しければいいのだ。そうやって知識を集める事自体が楽しいのだ。「勝つ為に戦う」プレイヤーはしばしば特定の戦術・戦略・キャラクターに囚われてしまい、ある日突然それが時代遅れになって呆然とする。これに対し、戻ったり回り道をしたりできるプレイヤーは新しい山を見つけるなり、他の山に登ろうとしたりする。そしてその山が実は10倍も高かったという落ちが付く。

 

個人的アドバイス

2003年、私はXにはもっと高いキャラクターの山がある事に気付いた。私の得手不得手と大会で負ける相手から予測したメタゲームに基づき、今度はバルログを使い始めた。いくつかの大会でバルログを使い、1回負けると使いなれたベガに切り替えた。こうしたバルログの練習が実を結んだのが2004年の第9回東海岸大会だ。1回だけベガを使った他は全てバルログで通して優勝した。しかも決勝戦では1ラウンドも負けずに8ラウンドを取ったのだ。

 

日本での覚書

上の章を書いた数ヶ月後、アメリカチームのX担当として日本の大会に遠征した。Capcom vs. SNK 2も少しやった。そこで興味を惹かれたのが、日本のプレイヤーは1人のキャラクター(あるいはCvS2なら1つのチーム)だけをずっと使い続けるという事だ。というのも大会レギュレーションがキャラクターの途中変更を許していないからだ。アメリカでは試合ごとにキャラクターを変えられるのが通例で、2〜4人のキャラクターを練習しておく方が良かったのだ。

日本のプレイヤーが見せてくれたのは、1人のキャラクターを磨き続ける事で不可能を可能にできるという事だ。私がやったどちらのストリートファイターでも、「弱キャラ」に全てを賭けたプレイヤー達が、実はそれらの山は想像したより遥かに高い事を見せてくれた。こう聞くと、色々な山に登ってみるという論点は怪しいと思うかも知れないが、その大会のCvS2部門を制したのは結局皆がよく知る「壊れキャラ」の使い手だった(ちなみにAグルーヴの前転キャンセルを使うブランカ・さくら・ベガ)。その優勝者というのがときどである。彼はまた前述の2001年大会でもCvS2部門を制している。彼は結局これまでの論述が正しい事を証明したのだ。ゲーム内で最も高い山を見つけ、全てを費やしてそれを完璧に登った。残念ながら彼は信じがたいほど寒いプレイヤーでもあったが、とは言えアメリカと日本の全国大会を制した寒いプレイヤーなのだ!

原文:http://www.sirlin.net/ptw