翻訳記事:勝つ為に戦う(30)

これは翻訳記事です

 

 

栄光は束の間

名誉もゲームも移ろいやすい。「最近はどんな活躍をしたの?」と大衆は問う。脚光を浴び続けるには勝ち続けなくてはならない。それは大変な事業だ。過去に勝てたからといって、これからの勝ちが神に下賜されるわけではない。そうしている間に他の者たちが努力と成長を続け、いつか「よりその座に相応しい」者となって現れる。

 

頂点に立てば、取って代わろうとする者が列を成して待ち構えているものだ。

—初代ストリートファイターのボスキャラクター、サガット リュウに称号を明け渡す際に

 

おそらくこれまで、どうやって上達し他のプレイヤーを倒すかに心血を注いできたのだろう。だが競争相手は今いるプレイヤー達だけではない。新参プレイヤーや、今はまだ始めてすらいない未来のプレイヤーもいつかは頂点の座を脅かしに来る。もちろん知識や経験の面では遥かに優位だろうが、向こうは若さという武器がある。いつかは体力や集中力で敵わなくなる。少なくとも、敵わない相手が出て来る。テニスであれチェスであれ、ベテランが若手に倒される瞬間というものがやって来る。好むと好まざるとにかかわらず。そして新参ならではの強みというのもある。定石を知らない為に、また若さゆえの反骨で型にとらわれない思考ができるのだ。

そう、今の同輩に倒されないとしても、いつか老人は衰え未来の世代に追い越される。ちなみにゲームによっては25歳で「老人」扱いだ!

 

 

詩人ディラン・トマスの助言に従うか?

 

穏やかな夜に身を任せるな。
老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。
怒れ、怒れ、消えゆく光に。

 

迫り来るのは老いと競争相手だけではない。ゲームと生活の両立が深刻な問題になって来る。どれほど天性の才能があろうと、ゲームで勝ち続けるには時間と思考力を注ぎ続けなくてはならない。人生には沢山の脇道がある。恋人、配偶者、子供、親戚、仕事、付き合い、そして他の趣味。それだけでなく、もう「ゲームへの愛」が失せてしまう事もある。好きでもないゲームで頂点に居続けようとするのは困難にして危険である。そのゲームが好きな者達はずっと楽にやり続け、上達し、時間と思考力を注ぎ込める。それと張り合っていられるとしても、人生の大部分を好きでもない事に費やすのはそれ自体が問題であるし、そのうち破綻する。

いくつかの競技はこの点で恵まれている。例えば非常に得意になった分野がたまたまバスケットボールであれば、もう鉛筆工場で働く心配はしなくていい。プロバスケットボール業と広告とですぐに金が唸り始める。運気が列を成して待っていてくれる。こういう場合は本当に幸せだ。

対戦ゲームのプレイヤーはそこまで幸せではない。残念ながらこれを書いている時点で、ゲーム大会はまだまだ黎明期に過ぎず、「プロゲーマーになる」という夢は限られたゲームの限られた人間にしか現実的でない。いくつかの団体が状況を変えようとしているし、それに私も喜んで協力したいが、まだ現実問題としてそうなってはいないのだ。いつか我々の社会が肉体スポーツより頭脳スポーツの方に重きを置く様になる事を私は願ってやまない。

殆どのゲームにおいてプロになるのが現実的でない以上、ゲームの世界で頂点に君臨し続けるのに必要な努力と、仕事や生活とが両立しなくなるのは非常にあり得る事だ。その座に居られる内に楽しんでおこう。

(訳注:原著Playing to Winが出版されたのは2006年)

 

原文:http://www.sirlin.net/ptw