ルールデザインの話(2)

ゲームのルールを作る際のあれこれ


意思決定

ボードゲームのルールは面白い意思決定を生み出すために存在している。意思決定というのは要するに「う〜ん農場を作ろうか工場を作ろうか労組を作ろうか」と悩んだり考えたりするプロセスだ。農場を作れば素早く手札を増やせるが次の建物の選択肢は増えない。工場は別の建物を作る材料を吐き出すが少し元手が要る。労組はどちらの機能も無いが得点源になる。果たしてどれが一番いいのかと考えを巡らす現象が「ゲーム体験」そのものである。

意思決定の要諦は答えを一義的に絞り込めないという点だ。そこで「どれにしようかなあ」と考えるものを意思決定、考えるまでもなく正当な答えが1つしか無いものを機械的判断と呼んで対比してみよう。

機械的判断の例

機械的判断の特徴はON/OFFが明確にされる事だ。例えばこの「どこへ出かけよう?」フローチャートでは雨天時には「家にいる」以外の全ての選択肢がOFFになり、人生に疲れていない時は「近所の森」はOFFになる。与えられた状態に対して選ばれうる結果は1つだけであり、他は全てプロセス違反である。

意思決定の例-01

一方、意思決定は複数の選択肢に選ぶ理由がある時に、その理由の大小を比較して天秤を傾けるというアナログな工程だ。2つの映画のどちらを観ようか迷ったら、頭の中に天秤を用意して両方の皿に水桶を載せる。一方の映画に好きな俳優が出ていたらそちらの桶に水をジョボボボボと注ぐ。もう一方の映画の方が上映時間の都合が良かったらそちらにジョボボボと注ぐ。こうやって諸々の理由を量的に足し合わせて、最後に傾いている方を選ぶわけだ。それ以外の理由が全く拮抗していたら、アベンジャーズの陳腐なキャッチコピーを見た瞬間に均衡が破れてターミネーターに傾くかも知れん。全ては量的な問題なのだ。

 

選ぶ理由、選ばない理由

意思決定とは、複数の選択肢に選ぶ理由がある場合の判断過程である。より厳密にはある選択肢に「選ぶ理由」と「選ばない理由」の両方が同時に存在している時の判断である。

そもそも2本の映画の間で悩むのは、一方を観たらもう一方を観る時間が無くなるからだ。家にいて無限の時間があり2本のDVDを持っているならどちらを観ようかと悩む事は無い。「こっちを選んだらアベンジャーズは観られないよ!」という機会損失がターミネーターを「選ばない理由」として働くわけだ。

ゲームのルールはこうした選ぶ理由と選ばない理由のせめぎ合いを生成する。自分のキャラクターを改造して速さを3割増にできるが耐久力が半分になるという場合、速さの増加が選ぶ理由、耐久力の減少が選ばない理由として働く。両者の価値がそれほど隔たっていなければ改造するかすまいか悩むだろう。

同じ悩みが機会損失の場合でも起きる。改造Aを施すと速さが3割増になり、改造Bを施すと耐久力が倍になる。ただしAB両方を取る事はできない。この時に改造Aを選ぶ理由は速さの増加であり、選ばない理由はBを選べば得られたはずの耐久力の喪失である。「ジェットブーツを履くと体がヤワになるよ!」と「ジェットブーツを履くと鎧は着られないよ!」は本質的に同じ選択を提示しているのである。

 

理由の対消滅

面白い意思決定を生むルールとは、ゲーム内の諸々の選択肢にそれぞれ選ぶ理由と選ばない理由があるものだ。どの選択肢もあまり魅力的でなく「選ぶ理由」が不足していると雲を掴むような薄味ゲームになる。あまりに魅力的すぎる選択肢があって「選ばない理由」が不足しているとバランスの崩れた大味ゲームになる。両方の理由をうまく並存させなくてはいかん。

ここで問題になるのは、プレイヤーは何とかして選ぶ理由と選ばない理由を対消滅させて意思決定を省こうと試みるという事だ。最も単純な例として:

  • A:6勝利点を得る
  • B:5勝利点を得る

という2つの選択肢が提示されたとする。Aを選ぶ理由は6勝利点を得る事であり、選ばない理由はBを選んでいたら得られたはずの5勝利点を失う事だ。そこで代数学よろしく両方から5勝利点を差し引くと:

  • A:1勝利点を得る
  • B:なし

という具合にAを選ばない理由が消滅する。選ぶ理由にはなお1勝利点が残っているので、最早選ぶ理由と選ばない理由の比較は必要なくなり機械的判断のみでどちらを取るか決められる。もちろんこれはバカバカしい例なのだが、もっと複雑な選択でも同じプロセスが起きるのだ。

例えば今度はそれぞれの選択肢に「金」と「勝利点」の2つの要素が含まれているとしよう。

  • A:3勝利点と5金を得る
  • B:6勝利点と2金を得る

この場合も共通する3勝利点と2金を両方から差し引いて比較できる:

  • A:3金を得る
  • B:3勝利点を得る

もしこのゲームが終了時に手持ちの金を1:1で勝利点に変換できるルールだったら、Aを選ばない理由は事実上消滅する。というのも両方からさらに3勝利点を差し引くと:

  • A:3勝利点を失い3金を得る
  • B:なし

という形になるからだ。Aで得た3金はそのまま使わなければ結局3勝利点として返って来るし、途中で他の目的のために使う事もできる。流動性が手に入る分だけこちらの方が明らかに得なのだ。

ゲームコミュニティはこの種の代数学を日夜研究している。「カードXの効果はカードYとZを合わせて更にダメージを追加したものに等しい」という具合にそれぞれの要素の選ぶ理由と選ばない理由を分解し、共通項を見つけて対消滅させる。そうして明らかに選ぶ必要のないエレメントや常に正しい選択を発見し、意思決定の余地をじわじわと削り取るのである。

 

対消滅耐性

なのでゲーム内の複数の選択肢、ないし選ぶ理由と選ばない理由はできるだけ複数の部分で異なっている事が望ましい。「ナショナルエコノミー」の建物は意図的にこれを組み込んでいる。このゲームには起動した時にカードを引ける建物がいくつかあるのだが、それらは次の様になっている。

  • 設計事務所(コスト1、評価額8):5枚めくって好きな1枚を引く
  • 工場(コスト2、評価額12):手札を2枚捨てて4枚引く
  • 製鉄所(コスト4、評価額20):3枚引く
  • 自動車工場(コスト5、評価額24):手札を3枚捨てて7枚引く

コストはそれを建設する際に捨てるカードの枚数、評価額は持っている事による得点の増加である。もちろんコストの重い建物の方が手札をたくさん増やせるが、「2枚引く」「3枚引く」「4枚引く」という具合の単純な上位種にはなっていない。

設計事務所は正味1枚しか増えないが、選択肢が多いため欲しいカードをピンポイントで引いて来る確率が高い。工場は正味2枚増えるが「原料」の手札が必要である。製鉄所は正味3枚増え、捨てるカードを持っていない時でも使えるが、欲しいカードを引いて来る確率は最も低い。自動車工場は正味4枚増えるが大量の原料が必要である。

これは要するに、プレイヤーがどの建物を作ろうかと悩んだ時に理由の対消滅をさせないためである。もし自動車工場が「4枚引く」という単純な製鉄所の上位種だったらどちらを建てるかの選択はあまり悩まないだろう。手札に製鉄所と自動車工場の両方があり、どちらでも建てられ、その後すぐに起動するつもりだとしよう。手札を4枚捨てて製鉄所を建てた後に3枚引こうと、5枚捨てて自動車工場を建てた後に4枚引こうと結局は同じだけの手札が残る。違いは後者の方がより強力で高価な建物を所有しているという点だけだ。

こういう事態を防ぐために建物の機能はできるだけ多くの点で異なる様にしている。どうしてもピンポイントで探し出したいカードがあれば製鉄所より設計事務所を起動する事を選ぶかもしれない。ルール制作者がどう足掻こうとプレイヤーは酵母菌のごとくゲームを消化分解するのだが、選択肢同士が複数の点で異なっている方が少しは耐性が付く。

 

上位互換?下位互換?

最後に「上位互換」の問題について触れておこう。ゲーム内に存在するエレメントが、他のエレメントより全ての点で同じか上回る場合、一方がもう一方の上位互換であると見なされる。モンスターAとBはどちらもコストが2で強さが3なのに、Aはそれに加えて追加ダメージを与える機能まで付いている!といった具合だ。

言うまでもなくゲーム内に上位互換があるのは望ましくないデザインだ。どちらを選ぶかの判断が機械的作業になってしまうからである。ただしこれまでの話を踏まえて言えば、本質的な問題は「強さが異なる事」でなく「強さ以外の部分が同じである事」だ。

ゲームバランスとは全ての選択肢をちょうど同じだけ魅力的にする事ではない。選択肢同士を比較する際に共通項を差し引いて機械的判断に還元できない様にする事である。

良いルールとはプレイヤーの意見が割れるものだ。AとBのどちらが強いかをコミュニティが議論した際に、「Aの方が強いだろう」と全会一致するのも、「AとBはちょうど同じだけの強さでどちらを選んでも変わらないだろう」と一致するのも同じくらい退屈である。Aが強いという一派とBが強いという一派に割れて実際の対戦で決着を付ける方が面白い。

 

ルールデザインの話(3)