翻訳記事:ソーシャルゲーム革命

これは翻訳記事です

GDC#13:ソーシャルゲーム革命

2010/9/14 Soren Johnson
Game Developer誌2010年6/7月号に掲載された物の再掲

 

最近の記憶を辿ると、今年のGDCの話題は最新ゲーム機でもなく、また次世代機でもなかった。業界の目を釘付けにしているのは、近年におけるフェイスブックゲームの爆発的流行である。実際、ソーシャルネットワークの寵児であるZyngaの”FarmVille”は、8200万人の月間アクティブユーザーを抱えている。そしてそれは僅か9ヶ月の内に達成されたのだ。

“FarmVille”の規模は並外れている。3月に頭打ちになるまで、このゲームのユーザー数はWoWの総ユーザーと同じ数だけ「毎月」増え続けていた。間違いなく”FarmVille”はオンラインゲームの中で初めて、世界人口の1%が遊んでいる作品となった。

ゲーム開発者の多くはこうしたソーシャルゲームの勃興に複雑な思いを抱いている。ユーザー数の多さは世界的なゲーム人口の広がりを示しているが、これらゲームの多くは単純で、面白い意思決定よりも時間の投資に重きを置いている。また悪名高い手法もいくつか存在する。個人情報に基づく広告によるマネタイズや、ウォールへのスパム、ゲーム内ピラミッド構造によるユーザーの増殖などだ。

それでもフェイスブックゲームはこの業界におけるブレイクスルーの象徴だ。ソーシャルネットワークは巨大な市場へのアクセスを可能にし、プレイヤーと開発者の両方に様々なメリットをもたらす。

  • 本物の社交:ゲームは今や実際の友達との間で遊ばれる。マルチプレイヤーゲームにつきものの問題、友達がいなければ楽しくなく、始めた時は友達がいないという現象はもう起こらない。
  • 継続非同期プレイ:友達と一緒に遊ぶ時間を見つけるのはなかなか難しい。とりわけ社会人ゲーマーにとってはそうだ。非同期プレイがこれを解決する。今やプレイヤーは自分のペースで、よく知っている友達と一緒に遊べる。たまたま同時にオンラインになった見知らぬ人と付き合わなくてもいい。
  • 基本プレイ無料:新規プレイヤーが輪に加わるのに60ドルも払う必要は無くなった。消費者は他の友達も同じゲームを買うのでない限り、なかなかマルチプレイヤーゲームを買おうとはしないものだ。基本プレイ無料システムはこの摩擦を解消した。
  • 統計に基づくデザイン:ゲームは開発者の情熱によって無から作り出される。そして店売りのゲームであれば、ただ1回しか発売の時が無い。その1回で成功しなくてはならないのだ。信頼できるデータとフィードバックにより素早く、反復的に開発を進められるというのは魅力的だ。

フェイスブックゲームが持つこれら4つのメリットを存分に活用できれば、一頭地を抜く助けとなろう。そこで筆者はZyngaのシニアデザイナーであるポール・ステファノクと、製品管理ディレクターであるスーチー・チェンに取材を試み、この新しい領域での経験を語ってもらう事にした。

 

ソーシャル第一、ゲーム第二

Zyngaのチーフデザイナー、ブライアン・レイノルズはよくこう指摘する。成功するソーシャルゲームはソーシャルである事が第一、ゲームである事は第二だと。しかしだからと言って、ゲームとして面白くならないわけではない。チェンは次の様に説明する:

「コーンを植えるか葡萄を植えるか、鶏を買うか果樹を買うか、こうした決断が面白くなる状況も存在する。他のプレイヤーに贈り物をして交流できるようにしておくのは良い考えだ。そして贈り物自体が有限だったりコストがかかれば、それが面白い意思決定として持ち上がって来る。技量を磨いて課題に挑戦する場はちゃんとある。しかしソーシャルゲームにおける技量と課題は、明確な懲罰や競争を伴っていなくてもいい。ここが従来のゲームとは違う。”FarmVille”において美しい農園を作るのは技量の要る事だ。そして隣の農園よりも美しくとなれば、やりがいのある課題である」

実際の友達と一緒の環境でゲームをするとなれば、色々な感情が持ち上がって来る。自尊心、責務、感謝、欲望、そして恥。”FarmVille”では作物を収穫せずに放っておくと枯れてしまう。これはプレイヤーに恥の感情を起こさせ、ソーシャルな圧力によって農園へと向かわせる仕組みだ。もし農園が枯れたイチゴで一杯だったら、それを見た友達は何と思うだろう?

作物が枯れるメカニクスを真似しているゲームは多いが、そのソーシャルな働きをきちんと理解していない場合がある。例えば協力型ソーシャルゲーム”Ponzi”では、何か仕事をこなした時の報酬は時間内に受け取らないとゼロになってしまう。このメカニクスはプレイヤーにちょくちょく戻って来る様に促すが、報酬を取り損ねても他のプレイヤーにはそれが見えないため、ソーシャルな圧力が欠落している。ここが”FarmVille”と違う所だ。

 

非同期という発明

ソーシャル要素以外にも、フェイスブックゲームは様々な興味深いデザインの宝庫だ。とりわけ、非同期プレイは非常に未開拓なデザイン領域と言える。例を挙げると、フェイスブックゲームには2種類の代表的なメカニクスがある。エネルギー方式と収穫方式だ。エネルギー方式の下では、アクションの1つ1つがエネルギーを消費する。そして回復は実時間に基づいている。プレイヤーはある時点でエネルギーの回復を待たなくてはならなくなる。一方収穫方式では行動を起こすのはいつでも自由だが、その結果を得るまでしばらく待たなくてはならない。”FarmVille”でイチゴを植えたら、4時間後に戻って来て収穫するのである。ステファノクはそれぞれのメリットとデメリットをこう説明する:

「先に進みたがるプレイヤーにとって、エネルギー方式は自然なアプローチだ。”Mafia Wars”は最適な例である。一方、収穫方式、つまり「後で戻って来る」システムはよりソフトである。こちらは”FarmVille”などのゲームに適している。競争の要素は少なく、社交や自分の庭いじりに集中するゲームだからだ。要するにゲーム次第という事である。どちらも成功しうるし、両方を組み合わせる事すら可能である。”FarmVille”のトラクターの燃料はエネルギー方式だ」

エネルギー方式にはアイテム課金と結びつけやすいという利点もある。例えばエネルギーパックを買えばエネルギーを即座に回復してゲームを継続できるとか。これに対し収穫方式は、プレイヤーが自分の生活リズムに合わせてプレイ時間を決める事ができる。そのままオンラインでいるつもりなら15分で収穫する作物を植えてすぐに戻ってくればいい。食事や睡眠で離れるなら2時間や8時間の作物が最適だ。

 

一般向けの題材

ソーシャルゲームとハードコアゲームの大きな違いの一つはテーマである。店売りのゲームではファンタジー、SF、レース、WWII、ゾンビといったニッチな題材がしばしば扱われるのに対し、ソーシャルゲームはもっと一般的な題材を取る。フェイスブックの上位10ゲームは農園、レストラン、ペット、水槽などだ。こうした違いはなぜ生まれるのか? それはゲーム機やハイエンドPCを持たない一般人に向けているからだ。そしてニッチな題材でコアなファンを捕まえるという事も無い。

様々な意味で、フェイスブックゲームはこの業界初の「ゲーム版TV」である。サイト内でゲームからゲームへ安全に切り替える事ができ、様式に統一性があり、敷居は低く、友達と一緒に遊べる。そしてプレイヤーが自分の達成を告知したり招待状を送り合えるという点で、これは既にTVを超えている。一人一人が社会的影響力を持てるのだ。

一般向けになる事で変化するのは流通方式やテーマだけではない。基礎となるメカニクスも変化する。ステファノクは”Rise of Nations”などのRTSからソーシャルゲームへ移行する際に、様々な事を脇に置いておく必要があったと言う。

「重大な点の一つは、ゼロサムな競争についての意識を改める事だった。RTSから来た人間にとって、ゲームの競技としての側面は大きなものだった。プレイヤー達が建設や探索をしたがっている事には気付いていたものの、それが競争に勝つというゴールに支えられていなくてはならぬと思いこんでいたのだ。だが違った。従来型ゲームの競争的側面は多くの人にとってデメリットだった。競争が悪いとか、ソーシャルゲームで競争に支えられた仕組みを実現できないと言っている訳ではない。そうではなくて、世の中には沢山の、思っていたより遥かに沢山の、競争を望まないプレイヤーがいるのだ」

ゼロサムな競争はハードコアゲームの開発者が当然の前提と思っている要素である。だが協力型ゲームもここ数年人気を増しており、”Left4Dead”やWoWの自動グループ機能からもそれが分かる。競争型プレイは通常、一方の側が勝利しもう一方が粉砕される。だがソーシャルゲームは、破壊的でなくとも競争的になれるのだ。その答えは並列競争にある。誰が先に自分の経営するレストランを大きく発展させるか、といった競争である。

 

デザイナーとは誰の事か?

ソーシャルゲームが従来のゲームと大きく異なる最後の要素は、統計を用いたプレイ分析と絶え間ない改良である。毎週、時には毎日の。新しいデザインを対照実験できる様になったのは開発における大きな進歩だ。チェンは例を挙げる:

「私がSerious Business(ソーシャルゲーム会社。後にZyngaが買収)を経営していた時、フェイスブックはアプリケーションによる「お知らせ」を許可した。そこで我々は長いお知らせと短いお知らせ、どちらが有効か調べてみた。私は大した差は無いだろうと思っていた。短い方は簡潔だが、長い方は物理的に大きいので気付かれやすいのではないか。様々なコピーを用意して、30日間の対照実験を行った。そして結果は、短ければ短い程有効というものだった。コピーの短さとクリック率には奇麗な比例関係が成り立っていた。その差は最大300%にも達した。数行のコピーを書くだけでこれほどの差が付くとは」

今やリアルタイムでフィードバックが得られ、開発上の決定を下せる環境にある。そうなると、デザイナーの役割は一体どうなるのだろう?デザイナーは今なおゲームの「作者」なのか、それとも違う役割になるのか。コミュニティとゲーム会社の間で流れ込んで来るデータを眺めて暮らすのか。実際、レイノルズはZyngaにおける「チーフデザイナー」はそこまで重要な存在ではないと認める。ステファノクは自身の仕事における統計の役割に付いて次の様に語る:

「統計こそ望む全てだ。少なくとも、デザイナーが部屋に座ってプレイヤーはどのボタンを押すだろうと悩んでいる姿を見る度に、こういう物があればと願って来た。手を伸ばせば答えがあるとしたら、どうしてデザイナーはそこに座っていなくてはならないのだ? プレイヤーがどう遊ぶかを知る事はゲームデザインの創造性を止めはしない。住人がどう暮らすかを知る事が建築の創造性を止めないのと同じだ。これは新しい道だ。知識は制約を知る助けとなる。そして制約は良いデザインの材料だ。私はゲームの作者なのかって? それはまあ、フィクションかノンフィクションかによりますな?」

このモデルではデザイナー=作者という概念は通用しないかも知れない。しかし傑作を作る方法は、依然として「手を汚して」プレイヤーと真剣に向き合い、どのアイディアが上手く働き、どのアイディアが駄目かを見つけ出す事である。ソーシャルゲームの開発はこのルールを新たな地平へ延長したものに過ぎない。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=254