金を使う権利

CivilizationとかSimCityとかカタンとかすとすてとか、村を築いていくタイプのゲームは究極的には「資源管理ゲーム」である。食料やら木材やらを採取し、それを使って何かを作り、作った物からまた何か利益を得る。その繰り返しである。

これはつまるところ複利システムである。金が利子を生み、利子がまた利子を生む。「溜め込むべき何か」は加速度的に増え続ける。

問題は、本当に複利の力でトークンが増え続けると管理不能になるという点だ。人口100人で始まった村が10ターンごとに2倍になり、300ターン目に1073億7418万2400人の銀河帝国になっていたらちょっと戸惑うのではなかろうか。

そういう訳でトークンの増加にはある種の限界が定められているのが普通である。例えばすとすては人口が増加すればするほど新たな人口のコストが増える。カタンは良い土地から順に開拓するので、開拓地を増やせば増やす程不毛な土地に踏み込まねばならなくなる。

そうした成長限界システムの一つとして、金を使う権利の制限がある。桃太郎電鉄ではいくら金を持っていても当地の駅に止まらなければ物件を購入できない。すとすてではいくら資材があっても建物カードが無ければ建設はできない。

「金を使う権利」というメカニクスはとても面白い。複利の力によるトークンの増加を採用しつつ、ゲームの規模をプレイヤーの管理できる範囲に留めておける。加速度の快感を副作用無しに組み込めるわけだ。

このメカニクスを軸にしてデザイン空間を探索しようという試みがiMperiumである。「カード」と「エネルギー」=カードを出す権利を分離し、エネルギーを複利の力で増加させる。プレイヤーはカードを出す事によって勝利に近づく。エネルギーの増加に伴いカードを出すテンポは速まっていく。「徐々に大きく・強く・速くなる」感覚は楽しいのである。

iMperiumではカードとエネルギーはある程度交換できる様になっている。カードを売却すれば1エネルギーになるし、キャラバンカードを使ってカードを引く事もできる。しかしその効率はあまり良くない。自在に交換可能であったらそれは1種の資源である。交換が制限されている事によって2種の資源となるのである。

そしてこういった、「交換不可能または困難な複数種の資源を管理する」事こそが資源管理ゲームの本質である。つまり金と金を使う権利の分離はこのジャンルの必然である。