翻訳記事:ゼロサムを超えて

これは翻訳記事です

GDC#21:ゼロサムを超えて

2012/7/24 Soren Johnson
Game Developer誌2012年4月号に掲載された物の再掲

 

ゼロサムゲームとは誰かの得が誰かの損になるゲームである。損と得は釣り合っている。例えばポーカーで賭け金を勝ち取る様な具合だ。厳密なゲーム理論の定義から言えば、多くの競争ゲームは実際にはゼロサムではない。例えばアメリカンフットボールでフィールドゴールを決めても、相手から3点を奪って来るわけではない。

しかしもう少し緩く定義すると、「ゼロサム」方式とは相手を困らせるのと自分を助けるのが等価であるという意味になる。”StarCraft”の様な典型的なRTSでは、ラッシュ戦術はブーム戦術と同じくらい有用だ。前者は敵の経済を速やかに破壊する事を目的とし、後者は自分の経済を建設する事を目的としている。相手の最初のユニットをすぐに倒してしまえれば、自分の軍隊の研究がどこまで進むかはそれほど問題ではなくなる。

つまり相手を妨害するのと自分を強めるのと、両方の戦術を同等に報奨するゲームはゼロサム方式である。多くのチームスポーツ(バスケット、サッカー、アメフトなどなど)はこの性質を持っている。防御によって相手の得点を阻むのは、攻撃によって得点を狙うのと同様に重要だ。

競争型のゲームはこの土壌にしっかりと根を張っている。格闘ゲームでは自分の体力を守るのも相手の体力を削るのも両方大事である。戦略ゲームは自分の計画を通すと同時に相手の計画を潰さなくてはならない。FPSはできるだけ多くの敵を殺すと同時に、フラグやチェックポイントなどの目標も達成しなくてはならない。

実際、競争ゲームをデザインするとなるとゼロサム方式がデフォルトになっている様だ。しかし、そればかりが増殖した結果様々な問題が起きている。ゼロサム方式というのは本当の所、せいぜい良くて必要悪でしかない。そして悪ければ、多くの潜在顧客を引き離してしまう間違ったアプローチなのだ。

 

ゼロサムの問題点

ゼロサム方式の問題点は、誰かがババを引かなくてはならない事だ。「ストリートファイター」で凄まじいコンボを食らう。”Age of Empire”で建物を粉々に破壊される。”Team Fortress”で何度も何度も死んではリスポーンする。誰かの楽しみは他の誰かの痛みなのだ。

本当は誰かの痛みなど必要ない。プレイヤー間の相互作用の頻度と大きさを決めるのはゲームのルールである。つまりプレイヤー同士がどのように関わり合うか、決めるのはデザイナーの裁量である。実際、相互作用が全く無くとも競争ゲームは成立する。ゴルフやボウリングの様な並列型スポーツを考えてみよう。あるいはハイスコアを競うオンラインゲーム、”Bejeweled Blitz”や”Burnout Paradise”を。

最も重要な区別は、プレイヤーがプレイ中に進捗を失うか、それとも以後の進捗を阻まれるだけかという点だ。前者の場合、ゲームメカニクスにはゼロサムの感覚がある。自分の進捗を失うのはたいてい苦痛であるし、往々にして負けに至る道でもある。一方「乗車券」や「カタン」に代表されるドイツゲームの大きな特徴は、そうした直接的でゼロサムな対立を避けていることだ。進捗を破壊しない、限定された間接的な相互作用が人気を呼んでいる。

例えば「アグリコラ」や「ケイラス」の様なワーカープレイスメントゲームの場合、プレイヤーがそれぞれ能力を選ぶ事でターンが進行する。誰かが選んだ物はもう選べない。そこで誰が良い役回りにありつくかという競争が生まれる訳だ。もし対戦相手が食料を欲していると分かったら、自分で食料生産の仕事を選ぶことで相手にダメージを与えられる。だがこれは”Age of Empires”で敵の農地を焼いて農民を殺すのとは質的に異なっているのだ。

前者の場合、進捗の遅れは一時的な物である。後者の場合、感情的にも苦痛だし再起のチャンスはほとんどない。実際、「アグリコラ」の様なゲームで他のプレイヤーの邪魔ばかりしていると自分の墓穴を掘ってしまう。アクションは貴重であり、機会費用は大きい。逆にRTSで早期に敵を痛めつける事には殆どデメリットが無い。敵の経済を一掃してしまえば、それだけ自分の経済を大きくする時間が稼げるのだ。

RTSは早期攻撃を報奨する。そうでない様に調整するのは恐ろしく困難だ。そして実際、RTSはゼロサム方式の呪いに苦しんでいる。そのせいでラッシュが有利になってしまうのだ。多くのプレイヤーが「早期戦争無し」のハウスルールを作ってわざわざゲームを再調整している。破壊的な侵略を防止して、終盤に向けての建設ができるようにしている訳だ。

更に、RTSの試合は爆煙でなくすすり泣きで幕を閉じる。勝利条件が敵の全滅であるため、試合の途中で勝敗が明らかになってしまうのだ。「乗車券」の場合、プレイヤーは駒が切れる前に路線を完成させようと競争する。その間試合の熱気はずっと上り坂だ。これに対し、”StarCraft”の熱気は上り坂と下り坂で出来た山になる。そして不幸な事に、下り坂の方は敗者にとってただの苦痛でしかない。

しかし、ゼロサム方式はRTSが必ずかかる風土病という訳ではない。”Annoseries”、”Railroad Tycoon”、”M.U.L.E.”などの経済ゲームを考えてみよう。これらの最終目標は富の獲得だ。誰が一番速く成長するかの競争であり、他のプレイヤーを邪魔する事を報奨しなくとも、いやそもそも可能にしなくてもゲームが成立するのだ。

戦争RTSでも直接的でない競争原理は採用できる。”Warcraft 3″はクリープを導入した。これはマップ中央部分に生息する中立キャラクターで、プレイヤーはこれを倒して戦利品と経験値を得る事ができる。次世代RTSはこれをもう一歩進めてクリープを倒すだけのゲームにできるのではないか?

 

マイナスを無くす

ゼロサム問題を解決するため、多くの競争型ゲームが取り入れているのが相互作用の制限である。プレイヤー同士が影響を及ぼし合える状況を限定するのだ。例えば「マリオカート」の場合、特定の場所で甲羅を手に入れるまでは攻撃ができない。そして手に入れる場合も、最強の甲羅はどん尻にいる時しか出て来ないのだ。ハードコアなRTSの世界でさえ、まず兵舎を建て、兵隊を作り、それを所定の位置まで動かしてようやく攻撃ができる。

このように、相互作用の制限はゼロサム方式の嫌な部分を取り除く強力な道具である。同じ様なテーマとルールを持ったゲームでも、どんな相互作用が可能かによって全く違う感触になる。例えば「トラビアン」と”Empires & Allies”は似た様な非同期戦略ゲームであり、どちらもプレイ期間は数ヶ月に渡り、リアルタイムで軍を編成して敵を攻撃する。しかしこの2つの間には大きな違いがある。他のプレイヤーの都市に攻め込んだ時の挙動である。

「トラビアン」における侵略は厳密なゼロサムである。攻撃者が資源を奪ったら被害者はその分だけ資源を失う。一方”Empires & Allies”の場合、一方が得をしてももう一方は損をしない。攻撃者の戦利品は無から出て来るのである。更に「トラビアン」では死んだユニットはゲームから取り除かれるが、”Empires”の方は防御側のユニットが死んでもそのまま生き返る。

“Empires”は戦闘というものに対するプレイヤーの常識を密かに裏切っている。勝利が存在するためには敗北が必要であるという常識を。だがこのデザインのお陰でゲームの敷居は低くなり、感情的にも消耗しなくなった。一方トラビアンは伝統的な方式を採用し、一方の得は一方の損である。その結果、このゲームは怒り狂ったプレイヤーだらけの酷い空間になってしまった。

デザイナーは本能的に戦いイコールゼロサムと考えてしまう。しかしこの先入観のせいでゲームの敷居を上げてしまっているのだ。プレイヤーがゲーム中に経験する感情は現実のものだ。ゆえに誰かの苦しみを必要とするメカニクスを導入するのは慎重にすべきである。

 

プラスを加える

目がくらむほどシンプルな解決策もある。ボードゲームの「七不思議」では、プレイヤー同士が様々な軸で競争する。科学、政治、建物、富、軍隊における得点を競う。この様なゲームに軍事要素を入れるとなると、まず思いつくのは軍隊を作って他のプレイヤーのユニットなり建物なり資源なりを攻撃する方式だろう。だが七不思議は全く違う答えを出した。

ゲームは3つの時代に分かれている。そしてそれぞれの時代ごとに、最大の軍事力を持っていたプレイヤーに得点が与えられる。配分される得点の合計はプラスであり、戦いに勝てば得をするが負けてもそれほど損にはならない。ゆえに軍事戦略が他のプレイヤーを死滅させる事にはならず、適切にバランスが取られているのである。強力な軍隊があっても対戦相手が科学で勝つのを止める事はできない。軍事的勝利は敗者から進捗を奪わないのである。

実際、物事がプラスになるやり方はゲームデザインの他の面にも良い影響を及ぼす。例えば「パズルクエスト」の場合、全ての戦闘が必ずプラスの結果になるので手動セーブシステムが無い。戦闘中にアイテムを失う事は無く、戦えば必ず少量のゴールドと経験値が手に入る。プレイヤーは勝とうと負けようと必ず戦闘前より良い状態になっており、それゆえゲームにはセーブスロットが1つしか無く自動でセーブされる。これは伝統的な、負ければ何かを失うデザインではハードコアになってしまうだろう。このシステムのお陰でセーブ/ロードが不要になり、それだけ敷居が下がり、ゲームはより広い層に訴求できる様になった。

とは言えゼロサム方式はやはり強力な道具である。プレイヤーの非常に原始的な感情を呼び起こす事ができるからだ。時にはプレイヤー同士で破壊し合う事もゲームには必要だろう。だが全ての争いがゼロサムである必要は無い。ゼロサムには大きなデメリットも存在するのだから。勝者が栄えるために敗者が苦しむ必要は無いのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=438