翻訳記事:ランダム性

これは翻訳記事です

GDC#9:ランダム性

2010/3/3 Soren Johnson
Game Developer誌2009年10月号に掲載された物の再掲:

 

ランダム性はゲーム制作における強力な武器だ。プレイヤーの行動の結果や場の環境の決定にランダム要素を入れる事ができる。だがその一方、ランダム性がゲームを壊してしまう事もある。これがゲームに何をもたらすのか、どういう時に逆効果になるのか以下に見て行こう。

 

確率の誤謬

ランダム性を導入する際に問題となるのは、人間は確率の見積もりが酷く下手であるという事だ。「ギャンブラーの誤謬」は良い例である。ルーレットで5回続けて黒が出ると、参加者は往々にして次も黒が出る確率は小さいと考えてしまう。こうした連続に何の意味も無い事は明白だというのに。それとは逆に、人間は何も無い所に連続性を見てしまう事もある。バスケットボールに「ホットハンド」という言葉がある。一度シュートを決めた選手はその後のシュート成功率が高まるという考えだが、研究によればこれは全くの迷信である。

またスロットマシンとMMOの制作者なら良く知っている事だが、確率と報酬の分布を非線形にする事でゲームを実際以上に気前良く見せる事ができる。あるスロットの倍率と当たり確率が2008年にwizardofodds.comで公開されていた。

1/8の確率で1倍
1/600の確率で2倍
1/33の確率で5倍
1/2320の確率で20倍
1/219の確率で80倍
1/6241の確率で150倍

80倍の当たりはプレイヤーに良い目を掴んでやろうと思わせる程度には出易く、カジノの収益を脅かさない程度に出難い。さらに言えば、人間は極端な確率を正しく判断できない。1%の確率は度々発生する物と期待され、99%の確率は100%と同程度に安全であると誤解される。

 

下地作り

だが確率の見積もりが難しいという事実はゲーム制作者にとって都合が良い。「カタン」の様なダイスによる単純な資源産出システムも、確率の要素のお陰で奥深い物になっている。

さらにランダム性は上級者と初心者の技量の差をある程度埋めてくれる(と皆思う)。運の要素が強いゲームでは初心者も勝つチャンスを信じる事ができる。大抵の人はチェスのグランドマスターに挑もうとはしないが、バックギャモンの名人になら挑んでも良いと考えるかも知れない。上手く良い目を出せば誰にでも勝つチャンスがあるのだ。

ゲームデザイナー、ダニ・バンテンの言葉を借りればこうだ。「多くのプレイヤーはランダムイベントに自分の戦略が邪魔される事を嫌うが、それでも計画崩しはゲームを活性化させる為に必要なのだ。この問題に関してプレイヤーの言いなりになってはいけない。不運は、プレイヤーが負けた時に言い訳を提供する(糞イベントの所為で負けた!勝ってたのに)。勝った時には不運を跳ね返したという満足感を与える」

そうだ。運の要素はある種の潤滑油、あるいはゲームにおけるアルコールとして働く。1対1の真剣勝負に向かない人々を引きつけるには運の要素が必要だ。

 

確率がゲームを壊す場合

ただし気をつけて欲しい。ランダム性はあらゆるゲームのあらゆる状況に適するわけではない。「意地悪な驚き」は駄目だ。例えば木箱を開けると弾薬などのアイテムが手に入るが、1%の確率で爆発するという例を考えよう。この場合プレイヤーは爆発の可能性を安全な方法で知る事ができない。爆発がゲーム初期に起きた場合、プレイヤーはもう木箱を開けなくなってしまう。逆にずっと無事なままゲーム終盤になり、そこで突然爆発したら、プレイヤーは聞いていないよと思うだろう。

またランダム性がただのノイズになってしまう場合も問題だ。それはただ単にプレイヤーのゲームに対する理解を妨げる。もし”StarCraft”のマリーンが銃を撃つ度に死亡判定ロールがあったとしたら、時間当たり攻撃力がでこぼこになる以外何の効果も無い。長い目で見れば運の要素は平均化され、ゲームの結果に与える影響は小さい。だが確率のノイズの所為でプレイヤーがマリーンの攻撃力を理解するには困難が伴う事だろう。

さらにランダム性がゲームの進行を無駄に遅らせる場合もある。ボードゲーム”History of the World”と”Small World”は殆ど同様の戦争システムを擁しているが、前者はダイスを使い後者は使わない。このため前者は1ターンの進行に後者の3~4倍の時間がかかる。大量のダイスを振る時間もさる事ながら、後者は行動の結果が知れているため、あらかじめ全ての戦略を決めておけるという点において差がついている。予想外の行動結果に対処するというのはゲームデザインの中核要素だが、同時にゲーム自体の進行速度も重要な要素である。制作者はどちらを重視するか慎重に決めなくてはならない。

最後に、勝利判定に運の要素を持ち込んではならない。不運が不公正と見なされないのは、ゲーム終了までに間があって対処する時間が与えられている場合である。運の要素が働くのがゲームの序盤であればあるほど、ゲームバランスが良く感じられる。ピノクル、ブリッジ、ハーツといった多くの古典カードゲームは、最初の手札配り = 環境生成だけがランダムで、その後の勝者と敗者を決める過程にはランダム性が無い。

 

ゲーム内容としてのランダム性

実の所、乗り越えるべき課題をランダムに生成するという方式は多くの古典ゲームで採用されている。単純な物では「マインスイーパー」、複雑な物では”NetHack”や”Age of Empires”。本質的な意味において、「ソリティア」と”Diablo”はそれほど変わらない。どちらもランダムに生成された環境をプレイヤーが知恵によって探索するゲームだ。

最近では「スペランキー」という面白い例がある。同人ゲーム作家のデレック・ユーが制作した、ローグ的なランダム生成ダンジョンとロードランナー的な2Dアクションを組み合わせたゲームだ。無限に生成される洞窟の探索はかなりの中毒性だが、時にはモンスターや地形の組み合わせによって難易度が極端になりストレスを生む事もある。

然り。未調整のランダム性は野獣の如く、ゲームバランスを破壊する要素にもなり得る。例として”Civilization 3″を挙げよう。チャリオットには馬、戦車には石油という具合に特定のユニットの作成に特定の資源が必要だった。これらの資源はマップ上にランダムにまき散らされるのだが、大陸内の一カ所に鉄が集中し、AI文明の1つがそれを独占するという事態が頻発した。掲示板は資源不足でユニットが作れないという悲鳴で一杯だった。

“Civilization 4″ではこの問題に解決策を与えた。重要な資源を分散させたのだ。例えば7マス以内に2つの鉄が存在する事はできない。予測不可能な資源分布という点はそのままに、資源の一極集中という悪夢を取り除いた。同時に香料・宝石・香辛料などあまり重要ではない資源はあえて集中させ、資源交易を促進した。

 

手の内を明かす

確率について考える場合、ゲーム制作者は最後にこの問いに行き着く。「運の要素はいかにゲームを良く/悪くするか?」ランダム性はプレイヤーに心地よい驚きをもたらし、ゲームを片手間に解けない物にしているか?それとも展開を無駄に予測不能にし、プレイヤーの意思決定を無価値にしているか?

ランダム性を良い物にする方法の一つは、何が起きているかを公開してしまう事だ。”Armageddon Empires”という戦略ゲームの戦闘は単純なダイスロールにより処理され、しかもダイス自体がゲーム画面に表示される。ゲーム内計算処理をプレイヤーに見せる事はゲームシステムへの満足度を高める方向に働く。そうする事で確率は謎ではなくプレイヤーにとっての武器になる。

同じ様な考えで、”Civilization 4″には戦闘勝率を表示するオプションを搭載した。これは戦闘メカニズムに対するプレイヤーの満足度を大いに高めた。人間はとにかく確率の見積もりが下手であるから、それに関して意思決定を助ける仕組みがあればゲームの楽しさはかなり向上するのだ。

「マジック:ザ・ギャザリング」「ドミニオン」などのデッキ作成系カードゲームは確率の概念を前面に出している。デッキに何枚カードを入れるかはそれを引く確率に直結するのだ。勝利を収めるにはレアカードと普通カードの最適な比率を見つけなくてはならない。この考え方はさらに応用され、「ダイスデッキ」からカードを引いてダイスロールの代わりにするシステムもある。これなら悪い目を引く確率は同じだ。

面白いがあまり利用されていない方式の一つに、「ランダム性」をゲームオプションに含めるという物がある。”Lords of Conquest”というターン制戦略ゲームではこれが採用されていた。選択肢は低・中・高の3つ。この選択によって、ランダム性を膠着を破る程度の小さい物にも、戦闘の帰趨を決する大きい物にもできた。ゲームにどの程度のランダム性が存在するべきかは、究極的には各々の好みの問題である。それゆえこの点をプレイヤーの自由にする事はより多くの人々をゲームに引きつけるのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=171