これは翻訳記事です
GDC#10:難しいゲーム
2010/4/1 Soren Johnson
Game Developer誌2009年12月号に掲載された物の再掲
外科手術ゲーム「超執刀カドゥケウス」はニンテンドーDSがいかにゲームを変え得るかを示してくれた。タッチペンがメスになり、プレイヤーは医者となってゲームに没頭する。ただ残念なのは、実際の手術の難しさまで再現してしまった事だ。時間制限もあり難しい面は本当に難しい。
ミスをするとやり直しになり先へ進めない。これが致命的な問題である。というのも、このゲームには難易度設定が無いからだ。どれくらい難しいゲームをしたいか、プレイヤーが決める事はできないのだ。ゲーマー人口が子供から大人まで大きく広がっている今日、このデザインはゲームのターゲット層を大きく絞り込んでしまったと言えよう。
ゲームである以上、それなりに難しくなくてはならない。とりわけアーケードの時代には、難易度が急上昇する必要があった。だが今は違う。今は顧客を増やすため一人一人に合わせて難易度を調整する時代である。
難易度自動調整システム
例えば”Call of Duty 4″は、訓練ステージでプレイヤーの技量を計測して適正な難易度に調整する。”Left 4 Dead”は難易度自動調整システムを搭載し、プレイヤーの状況と技量によって敵の出現や回復アイテムのドロップを調整する。
しかし、難易度調整システムというのはいささか変な感覚を引き起こす。AIチートと同様、見えざる手が難易度を勝手に弄っているとプレイヤーが感じたら夢から覚めてしまうのだ。ハードルを飛び越えようとしているのに、ハードルそのものが伸び縮みしてしまう様なものである。プレイヤーのレベルに合わせて武器やスキルを向上させる”Oblivion”の敵はうんざりする。
調整の仕組みがバレてしまえば、今度はそれに合わせた不条理戦略が次々に出て来る。例えば敵が強くならない様に一切レベルを上げないとか。もっと深刻なのは、この仕組みがRPGの根源的な楽しみを破壊してしまう事だ。つまり成長である。キャラクターを目一杯育てて、かつては敵わなかったモンスターを一掃するのが楽しいのではないか。
難易度選択制
そもそも、RPGの中核システムは戦いに勝つ度に少しずつ強くなるという事である。楽勝だと思えばさっさと進めば良いし、きつければレベル上げをしてから行けば良い。プレイヤーが自分で難易度を調整できるのである。重要なのはデザイナーでなくプレイヤーに決定権がある事だ。
ゲーム開始時に難易度を選ぶという単純な仕組みは黎明期からあったが、ゲームの最中に難易度を変える仕組みは最近やっと出て来たものだ。「NINJA GAIDEN Black」では、3回死ぬごとに「忍犬モード」を選択できる様になる。敵が弱くなる代わり、主人公は罰ゲームとしてピンクのリボンを付けなくてはならない。この仕組み(罰ゲーム部分以外)は”God of War”など多くのゲームに影響を与えた。
もっと言えば、難易度選択そのものをゲームシステムとして取り込む事すら可能である。ブラウザTD系ゲーム”Desktop Tower Defense”には難易度の概念が無く、代わりに敵を早く呼び寄せる事ができる様になっている。そして最終スコアは敵の撃破数だけでなくかかった時間も考慮される。よって加速無しの戦いは初心者用、上級者は加速でハイスコアを目指す。
難しさの質を変える
“Thief”では難易度を変えても守衛の数は変わらないし、気付かれ易さが変わるわけでもない。そうでなく課題そのものを変えるのである。例えばイージーでは規定数の宝石と宝物を盗みさえすればクリアだが、ハードでは守衛を1人も殺さずにそれを達成しなくてはならない。
つまり難易度が変わると課題の質が変わるのである。ハードコアゲーマーに長く遊んで貰う良い方法と言えよう。”Civilization 4″のOCCや永久戦争モード、”Diablo 2″のハードコアモード(死ぬと復活しない)なども同様の例だ。それからXbox Liveの実績。これも普通のゲームに上級者向けの目標を付け加えてハードコアゲーマーをつなぎ止めている。
難易度以外でゲームの課題を変更する方法はまだある。例えばRTSは大抵難易度と速度の調整が別々にできる。強いAIを相手にゆっくりしたゲームテンポで戦う事もできるわけだ。また昔のゲームは複雑さの設定というものもあった。”M.U.L.E.”や”Lords of Conquest”などは、資源の種類が減るなどルールを単純化したバージョンも遊べた。初心者はこのモードで手加減無しのAIと戦ったのである。
鬼ゲーと糞ゲー
しかしながら、上級者向け課題が退屈さとセットでやって来る例もある。例えば自由にセーブができないゲームは、寄り道して追加の課題をやろうという気になりにくい。課題をクリアするには何度も試行錯誤せねばならず、その度にスタート地点からやり直しでは堪らない。肝心の挑戦にたどり着くまでに簡単で長いステージを越えなくてはならないのだ。その間にスキップできないカットシーンが入っていたりすると最悪である。
この問題をすっきり解決したのが「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」の時間巻き戻しシステムである。ミスをしても規定回数まで時間を戻してやり直せるのだ。ミスの度にステージをやり直す必要を無くしつつ、巻き戻し回数に制限を設ける事で緊張感を上手く保っている。
つまらない部分を削減する方向はMMOの世界にも見られる。”World of Warcraft”はデスペナルティを大幅に軽くした事で有名だ。それ以前のMMO、”Everquest”や「ウルティマオンライン」は死んだら死体を回収に行かなければならなかった。そうしなければ経験値をロストしてしまう。一方WoWでは好きな事ができる。デスペナルティを恐れて弱いモンスターだけを専門に狩るのでなく、強敵に挑みたければ挑めるのだ。最悪死んでしまっても町に戻されるだけで済む。
結局、ミスを余りに重く罰するとゲーム性そのものが歪みかねない。安全な道を選べと強制するに等しいからだ。”Warcraft 3″の人気Mod、”Defense of the Ancient”ではユニットが殺されるごとに敵チームに金銭が入る。このため初心者お断りの空気ができてしまった。DotAコミュニティの雰囲気と環境はインターネットの基準に照らしても相当酷い。
ペナルティよりも…
戦略パズルゲーム「パズルクエスト」はペナルティの軽さという点でWoWに似ている。いや寛容の極地と言えよう。ミスをしてもいかなるペナルティも無く、それどころか戦いに負けるとボーナスが貰えたりする。無論勝利に比べれば量は少ないが。また、この仕組みは面白い副次効果ももたらしている。セーブという概念を明示する必要が無いのだ。どう転ぼうとペナルティを受ける事は一切無いためロードしてやり直す必要が無く、戦闘や行動の度に自動セーブする仕組みが問題無く働くのだ。
全てのゲームがここまで寛容ではない。”Bioshock”は似た様な復活システムを備えていて、死亡するとゲーム内に点在する蘇生カプセルで復活できる。そして敵の体力は回復しないので、何度も蘇生する事が前提ならレンチ一本でどんな敵にもいつかは勝てる。この仕組みはおかしいと感じたプレイヤーが多かったらしく、後のパッチで無効にもできる様になった。
しかしここでの問題はシステムの欠陥ではなく、”Bioshock”のプレイヤー層に合わなかったというだけの事である。”Lego Star Wars”は全く同じシステムを使っているが、こちらは父親と息子が一緒に楽しむ様なゲームなので完璧にマッチしている。”Bioshock”のプレイヤーはもっとハードコアなゲームを求めたのだ。
もしかすると、最上の策はこうかも知れない。プレイヤーはどんどん先に進める。ただしその技量は何らかの基準に照らして評価される。「押忍!闘え!応援団」は曲を演奏し終える度にS・A・B・C・Dで出来が評価される。演奏を終えさえすれば次の曲に進めるが、良い評価が出るまで繰り返す事もできる。もし「カドゥケウス」が同じ様なシステムを採用していたら、単なる奇作以上の物になっていただろう。ゲームを開発するに当たって、これと同じ失敗を繰り返してはならない。
原文:http://www.designer-notes.com/?p=179
Tweet