英語の話

ゲームを作っていると英語運用力が必要になる事が多い。英語のゲームを遊ぶ。英語で書かれたデザイン論やレビューを読む。海外から材料を仕入れる。通念に反し、中国の工場と交渉する際には中国語でなく英語を用いる。国際取引は大体そういうものだ。

他の全ての技能と同様、英語の運用も別に全ての人間ができる必要はない。やりたい者が能力を伸ばしてできない者の手助けをすれば宜しい。遠く隔たった言語の習得は資質の差が非常に大きい部分なので分担した方が得である。そういう訳で「じゃあ俺がチームの分の仕事を引き受けてやるか」と思う人向けに書いていこう。

 

言語間の距離

地球上には数千の言語が存在する。およそ6000ぐらいだろうと推定されているが、途轍もない奥地の少数民族語が発見されたり話者がいなくなって絶滅したり混ざり合って新種が生まれたりするので正確な数は誰も知らない。

言語と言語には類縁関係がある。例えばポルトガル語とスペイン語とフランス語とイタリア語はどれも元々ラテン語から派生したもので共通点が多い。琉球語は奈良時代に日本語から分化したと考えられており、構造そのものは同じである。一方アイヌ語は日本語とは別系統の言語であってあまり共通点がない。

これの何が問題かと言うと、日本語と英語は非常に隔たった言語で相互に習得が難しいという事だ。少なくとも日本語話者が韓国語を学んだり英語話者がオランダ語を学ぶ場合よりはるかに多くの労力を要する。既に知っている言語と共通部分の無い言語を新たに習得するには、大まかな目安として2500時間みっちり勉強せねばならん。はっきり言って「労働時間」として勘定すると全く割に合わんのだ。私が英語や中国語やエスペラント語を随分やったのは単に好きだからであり、勘定科目としては「遊び」に入っている。

言語習得を巡る言説の混乱はしばしば言語間の距離を見落としているためである。韓国人の日本語が上手いのは近い言語だからであり、日本人の英語が下手なのは遠い言語だからである。別に熱意や社会環境の専一な帰結ではない。

 

最初の足がかり

遠い言語を習得する際に重要なのが文法である。第二言語が「ちょっと分かる」人が「ちゃんと分かる」へ進めない最大の理由はここだ。文章の構造を理解せずに分かる単語を拾い出して意味を想像で繋いでいると、複雑な話が始まった途端に頭が爆発四散する。例を挙げよう:

 

Subjects can no longer declare war with their own subjects’ wargoals.

(属国はそのまた属国の戦争目標を使って宣戦布告できなくなった)

 

これはEuropa Universalis 4のパッチ情報である。意味は要するにこうだ。このゲームでは戦争を始めるのに口実が要る。例えばその土地は本来我々の物だった、と言って取り返す為の戦争を仕掛けるのだ。また属国を持っていれば属国の口実を利用して宗主国が戦争を始めることもできる。その土地は本来うちの属国の物だったから返してやれ! という具合だ。

またこのゲームでは「属国の属国」が生まれることがある。ピラミッド構造だ。その場合に、子属国が孫属国の口実を利用して戦争を始める事が今まではできたがこれからはできなくなったという話なのだ。

文章構造としては何もおかしな所は無い。しかし”Subjects” “subjects’ wargoals” といった部分部分を抜き出して意味を想像していると「属国が属国の口実で戦争できない」、つまり属国は自分自身の口実を使えないという風に誤読してしまう。

これが大体の人の躓く点なのだ。簡単な文章は読めても込み入った物を理解できない。そこからどう上達すればいいかも分からない。文法構造という基礎を理解していないためである。およそ学問や技芸は分からない部分を放置したまま先へ進むと理解不能な範囲が雪だるま式に膨れ上がって爆散するものだ。

 

動詞を探す

日本語の文章を理解するにはまず述語を探し、他の成分との修飾関係を明らかにする。例えば「朝から米を炊いた」であれば

 

炊いた (述語)

米を炊いた (目的語+述語)

朝から米を炊いた (補語+目的語+述語)

 

という風に述語を核にして1語ずつ理解する。これは私が読み語りの先生から教わった事であるが、英語や中国語にも応用可能なので日本語だけの性質ではないのだろうと思う。例えば “Deal 2 damage to a minion.”という英文であれば

 

Deal (与える)

Deal damage (ダメージを与える)

Deal 2 damage (2のダメージを与える)

Deal 2 damage to a minion (手下1体に2のダメージを与える)

 

という具合に少しずつ語を加えるのだ。Dealは動詞、damageは目的語、2は目的語の数詞でa minionは関節目的語、toは前置詞である。

 

前頁の文章でも実演してみよう:

declare (宣言する)

can declare (宣言できる)

can declare war (宣戦布告できる)

Subjects can declare war (属国は宣戦布告できる)

Subjects can no longer declare war (属国はもはや宣戦布告できない)

Subjects can no longer declare war with wargoals (属国はもはや戦争目標を使って宣戦布告できない)

Subjects can no longer declare war with subjects’ wargoals (属国はもはや属国の戦争目標を使って宣戦布告できない)

Subjects can no longer declare war with their own subjects’ wargoals (属国はもはや彼ら自身の属国の戦争目標を使って宣戦布告できない)

subjects

 

肝は係りの関係である。文章中の全ての語は最終的に述語に情報を加える。例えば ”Subjects” は「誰がそれをするか」という情報を “can declare” に追加している。 後半の ”subjects’” は “wargoals” を修飾してそれが誰の物かを示し、wargoalsは「何を使ってそれを行うか」という情報を動詞に加えるものだ。

 

リスニング

聞き取りが苦手だと称する人は多い。スクリプトを目で見れば理解できるが同じ内容を耳から聞いても理解できない。そうすると耳の側に何らかの問題があると考え始めるものだが、実はそれは間違いである。

人間はそもそも正確に言語を発話していないし正確に聞き取ってもいない。音声認識プログラムの様に聞いた音の波形を音素に分解して並べ、単語を構成してテキストを作って読み取る……という仕組みにはなっていない。そうでなく、前後の文脈から先を予想したり空白を頭の中で補完しながら話を聞いているのである。

あるイギリスの大学教授がこんな実験をした。講義の最中に “map” (地図)という語を全て “nap” (昼寝)に置き換えて発話してみたのだ。果たして学生は誰一人それに気づかず “map” と聞き取っていた。napと聞き取ってmapの間違いだろうと想像したのではなく、そもそもnapと言っていた事自体に気づかなかったのだ。

人間は文脈に基づいて次にどんな言葉が来るかを予想する。「あのーすいません、小林ですけど」と言われたら、「すいません」の時点で次は名前か用件だろうと察する。また社会的関係から下の名でなく姓を名乗ると合理的に予見する。そうすると小林とか山田とか斎藤といった日本人の姓が「次に聞くであろう言葉」の集合を形成するので、実際に聞き取った音に最も近い物を選ぶわけだ。

このせいで外国名や珍しい苗字は常に電話口で聞き返される。「菱田ですけど」と言うと「岸田様ですか?」と返ってくるのだ。もちろんこれは初回の事であって、一旦その名で予約を入れてしまえば菱田と聞き取ってもらえる。顧客の名前は「聞きそうな言葉リスト」の上位に入るからだ。

外国語を聞き取れないのは耳が悪いからではないし音素を弁別する能力が足りないせいばかりでもない。話の中身を十分に理解しておらず、次に何が来るか予見できないからだ。ゆえに適切な文脈が外部から与えられると非常に簡単になる場合が多い。例えばあなたが中国語を全く解さないとして、中国の飲食店で注文を聞く係を担当する羽目になったら途方に暮れるだろう。しかしその店に麻婆豆腐(マーポードウフ)と卵炒め(チャオタン)しかメニューがなく、すべての客がぶっきらぼうにどちらかの料理名を叫ぶ以外に一切の発話をしないとしたら数分で完璧にこなせるようになるのではないか? 音素を精密に聞き取る必要が全く無く、2つの音声パターンのどちらに近いかだけを判断すればよいわけだから。

音声言語の聞き取りは多かれ少なかれこういう仕組みになっている。自分が何についての話を聞いていて、次にどんな内容が展開されるかを理解していないと第一言語ですらまともに聞き取れない場合がある。無文脈な固有名詞は特にそうだ。人間は音を聞き取って理解するのでなく、理解する事で音を聞き取るのである。

 

教材

学習教材を推薦する場合は常にEnglishClubというwebサイトを提示している。全て平易な英語で書かれており文法の基礎から順に並んでいる。日本語で手に入る教材はあまり質が良くない。手っ取り早く何かを習得しようとすると大体基礎が貧弱で後になって困る。

受験英語は果たして北米で話されているのと同じ言語であるか疑わしい。むしろこれは日本語話者が英文を機械的に和文に置き換えて理解する技術であって、中国語に対する漢文の関係に近いと思う。 “I’m fine, thank you” と応答する自動機械は多言語話者ではない。