少しは見やすくなったかな…
Tweet月別アーカイブ: 2012年6月
カジノとゲーム
20XX年。ある日本のSNS運営会社がオンラインカジノを開設した。会員は瞬く間に増え巨大な収益を上げるも、やがて社会問題化。当局の指導が入り株価は暴落した。
これは実話である。「ソーシャルゲーム」を僭称するオンラインカジノが日本には相当数ある。300円入れてスロットを回し、出て来た景品を他のプレイヤーに売る。パチンコ屋の三店方式と同じである。ゲームとは本質的に無関係だ。実際こうしたオンラインカジノの成長はゲーム業界の市場動向とは無関係に動いており、むしろパチンコ業界と競合している。
しかしこうしたカジノ企業もBlizzardという巨人の前では霞んで見える。Diablo 3のリアルマネーオークションハウスがこのほど開業した。プレイヤーは各種のアイテムを現金で相互に取引できる。売り上げはPaypalアカウントに引き出せる。運営元は成約と引き出しの際に手数料を徴収する。これが生まれた経緯はどうあれ、既に十全なカジノの機能を備えているのである。優れたアイテムを発見すれば高く売る事ができる。となればキャラクターの戦闘能力を高めたい。その為の先行投資として高価な装備品を買っておこう。「金を得る為に金を投じる」という発想がここでは可能である。そして賭場は客同士で金をやり取りするものであり、胴元は場代を抜くのが仕事である。
勿論オンラインゲーム界には遥か昔からRMTが存在し、それを運営元の管理下に置く形でRMAHが始まったのである。BlizzardがRMTを導入した訳ではない。有限かつ有用な物には値段が付く。時間を投じてアイテムを獲得するというシステムがある以上、プレイヤーがそれを売り買いするのは避け難い。
カジノはカジノとして節度を守って楽しめば良い。「ゲーム」として究極の回答はGuild Warsである。このゲームではPvPキャラクターを作ると最高の装備が無限に生成できる。有料装備品も見た目を変更するだけで強さには影響しない。勝敗を決めるのは技量だけで、キャラクターの強さは全て公平である。これなら売買対象物自体が最初から生じない。
TweetPuzzle Strike 日本語マニュアル
創作は無報酬
例えば俳優の仕事を考えてみよう。俳優の第一の顧客は演出家である。演出家の指図に従って演技するのが彼の仕事である。彼が世の中に価値を提供するのは演技によってであるが、自分の報酬を得るのは指図に従う事によってである。好き勝手にやるならアマチュアとして過ごすだけだ。
建築家やSEの仕事はそれぞれ物を作る事だが、クライアントの要望を汲み取る事で初めて報酬が生ずる。アスリートはスポーツが仕事だが企業の広告塔となる事で報酬を得る。生産活動と報酬を得る道筋は必ずしも同じではない。
ゲーム作家はどこから報酬を得るのか?ゲーム制作によってでない事は確かである。筆者の報酬は材料を発注したり印刷所と交渉する所から生じている。ビジネスである。ゲーム作りだけをやっていても報酬は生じないが、ビジネスだけをやっていれば(例えば輸入雑貨屋)ある程度の報酬は生ずる。
作家が創作物を直接金に変換しようとすると恐ろしくレートが悪い。Gumroadもアメロードも印税生活の提供にはほど遠い。そこで営業をかけるとか、編集者と意思疎通をするとか、教室を開くとか小売りをするといったビジネスでもって生計を立てる事になる。経済のみの観点から言えば、創作はビジネスを助ける事によって間接的に報酬を生む。ビジネスは直接部門であり創作は間接部門である。経理部しか無い会社が収益を上げないのと同様、創作しかしない作家は無報酬である。
世の中には非常に大勢の無報酬作家がいる。そして少なからず優れた才能が含まれている。職業作家よりよほど優れた人もいる。それでも無報酬なのは、創作そのものが報酬を生み出す性質を持っていないからである。創作の支援を受けてビジネスをする事で初めて報酬が生ずる。
創作は良い物である。人生を賭ける価値がある。ただし原則無報酬だ。生計を立てるにはビジネスが必要。この時代にあっては両方やらねばならぬ。
Tweetトスカーナの戦い 攻略編
トスカーナの戦いを10倍楽しむ攻略情報。この記事を読んで強くなろう。
プレイ動画はこちら(Youtube)
・入門ルール編
最初に覚えるべきは「揃えて渡す」テクニックだ。例えば最初に引いた5枚のカードが騎兵・騎兵・騎兵・槍兵・マスケット兵であれば騎兵3枚を相手に渡そう。そうすると相手は他の兵種を2枚引いて来ない限り騎兵を出すしか無い。つまり相手の役が読めるのである。
自分がマスケット兵を引いてしまったら裏目ではないかと思うかも知れない。しかし問題は選択肢の数である。相手に騎兵が3枚あると分かっていて自分にマスケット兵と槍兵の選択肢があれば、勝てる方を選べる。一方に選択肢がありもう一方に無い場合、選択肢のある方が常に有利である。悪くても引き分けになるのだから。
次に考える事は「何が山に多いか」である。有限の物をやり取りしている以上これは必然だ。例えば最初に引いた5枚が騎兵と槍兵ばかりなら、山にはマスケット兵が多く残っていると予測できる。となればマスケットに負ける槍兵を相手に渡すべきである。
・初級ルール編
初級ルールからは札の数字がダメージになる。そこで「小さい数字の札を渡す」事も考えねばならぬ。相手の手札が2や3ばかりなら負けても被害は小さい。
「将軍を2枚渡す」のも有効である。将軍は単独では役を形成せず、2枚役に付加する形でしか出せない。ゆえにダブると完全に無駄である。実質的に4枚の手札から選ばなくてはならないのと同じであり、かなり相手を困らせる事ができる。
更に高等テクニックとして「バリキの寸前で止める」というのもある。耐久力が9以下になると火力が2倍になる。そこで相手の残り耐久力が10や11になる様ダメージを調節し、そこから一撃で止めを刺す事を狙う。
・中級ルール編
ヴィクトリアの将軍は変幻自在。三すくみを入れ替えるというトリッキーな効果である。これが最大の威力を発揮するのは自力で将軍を引いて来た場合。例えば相手に槍兵を3枚渡したら騎兵3枚が来てしまったとする。ところがその後山札から将軍を引いた。この場合、騎兵・騎兵・将軍を出せばほぼ勝てる。相手は槍兵3枚が安定行動であり、将軍を引く小さな確率に賭けてマスケット兵や三色役を出すのはリスクが大きい。
ナポレオンは打撃点が命。相手の打撃点が小さく自分が大きい場合、将軍を使って勝利を得る事ができる。相手に小さい札を渡す事が他の指導者以上に重要だ。また将軍は必然的に2枚役になるため最大打撃力は13。3枚役に対しては少々分が悪い。
リンカーンの必殺技は三色役。3枚の数字がそのまま打撃点というのはズバ抜けた火力である。状況が許せば相手に将軍を渡すのも有効。撃たせて打ち取ればリターンは圧倒的。それゆえ相手は三色を恐れて将軍を死に札にしてしまう。
グスタフ・アドルフは最も卑怯で強い。将軍の効果は三色以外全てに勝つという凄まじさ。負けた場合の被ダメージが2倍になるというリスクはあるが、ヴィクトリアなど三色役が弱い指導者に対しては積極的に使える。
またグスタフの三色は無類の防御力を誇る。これを出して負けてもダメージは受けず、代わりに同量の「痛み」を受ける。これは言わばダメージの猶予。次のラウンドも負ければ痛みがダメージに変換されるが、勝ちか引き分けなら痛みはそのまま消滅。無かった事になってしまう。ラウンドが敗色濃厚の場合は三色で撤退すべし。なお連続で三色を出し続けて逃げる事は不可能。というのも、ダメージは受けないが負けた扱いになるので、前のラウンドに受けた痛みがダメージに変換されてしまうからである。
・上級ルール
上級ルールは読み合いが非常に重要。渡して来た3枚から相手の残り2枚を予測すべし。例えば槍兵の7を渡して来たら相手にもう槍は無い公算が大きい。渡す札はできるだけ小さい数字にしたいからだ。将軍を1枚渡して来たらもう1枚は山の中だろう。2枚あれば2枚渡すのが有効だからだ。無論、こうした計算の裏をかいて不合理な手を選択する事も作戦の内である。
基本的には相手に渡した3枚を残りの2枚で打ち取る形になるが、相手も当然それは予測している。確率と読みに精通した者だけが最後の勝利を手にするのだ。精進すべし!
TweetDiablo 3はカジュアルゲームである
Diabloシリーズの新作がこのほど発売された。見下ろし型の画面構成は前作そのまま。相変わらずやる事も同じ。ひたすら地獄の軍勢を見つけては殴り、死体から戦利品をはぎ取り、パワーアップしてまた戦う。
今の所ほんの数時間遊んだだけであるが、次の様な確信を既に持っている。このゲームはカジュアルだ。前作であるDiablo 2よりも、むしろiOS版クローンの”Dark Quest”に近い。何故か。徹底的にプレイヤーのストレスを軽減する方向で作られているからである。
そもそもゲームの楽しみは2つの源泉がある。「ストレスが無い事」と「ストレスを減らす事」である。前者は優れた操作性とか爽快感である。とにかく快適さがプレイヤーに与えられ、それを思う存分楽しめばよい。「ゲームは楽しいもの」という言説はこれに立脚している。
後者はそれとは違う。まずプレイヤーに大きなストレスが与えられ、知恵と工夫によってそれを軽減する。ストレスを軽減する過程自体を楽しむのである。この方向の傑作が初代Wizardryで、レベル1の冒険者は本当によく死ぬ。第1階層の敵に小突かれただけですぐ灰になる。それを忍びに忍んでレベルを上げ、魔法使いのMAHALITOで敵を一掃する。いわゆる「マゾゲー」というのは負荷の大きさを楽しんでいるわけではなく、負荷をプレイヤーの努力で減らせる事を楽しんでいるのである。狂った弾幕ゲームとか操作の難しい格闘ゲームもこれに類する。
カジュアルゲームとは快適さに楽しみの軸を置いたゲームであり、ハードコアゲームとは努力による負荷の軽減に楽しみの軸を置いたゲームである。これは何が楽しいのかという根本的な哲学の相違である。このゲームは絵が可愛いからカジュアルだとか、難易度が高いからハードコアだといった言説は皮相浅薄の極みである。
Diablo 3は驚く程快適である。まずプレイヤーが一切迷わない。フィールドで迷子になる事は無いし、次に何をしたらいいのかと困る事も無い。スキルの割り振りも少しずつ選択肢が提示され、無意味な選択肢や制限は一切無い。とにかくストレスが無いのだ。
これほど明確に「快適さ」を楽しみの中心に据えたゲームはリテールパッケージでは珍しい。むしろソーシャルゲームやモバイルゲームに多い構造である。即ちカジュアルなのだ。前作のDiablo 2はスキルの振り直しが一切許されておらず、しかもツリーの最初の方は罠としか思えない駄スキルが大量にあった。初見では必ず引っかかって途中でお陀仏になるのである。Diablo 3にそういう事はない。それは無論改善であるが、知識を獲得してキャラクター育成を成功させるという楽しみより、快適さを優先した印でもある。
Diablo 3は快適である。プレイヤーへの悪意が徹底的に排除されている。スキルポイントを間違えて振って全てが台無しになる事も無い。2つの武器のどちらが強力か悩む事も無い。誰でも歩ける平坦な道だ。それが徐々に坂道になるだけである。誰にでもお勧め。ただし超ハードコアゲーマーを除く。
Tweetトスカーナの戦い
「デルタ」という開発コードで呼ばれていた作品に正式名称が付いた。「トスカーナの戦い」である。時代はルネサンスから啓蒙主義時代のどこか(大らか)。イタリアの一地方を巡ってビスマルク・ナポレオン・リンカーン・ヴィクトリア女王・グスタフ=アドルフが大喧嘩するストーリーである。
マニュアル(PDF)
プレイ風景
これに伴いカテゴリ名も「トスカーナの戦い」に変更。発売中!
( ・3・)人 <絶版! 将来復活するかもです!
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