同性交配の人口学的帰結

男同士で子供が作れたらどうなるかという思考実験


 

知り合いにサンドウィッチマンの両方に半分ずつ似ている男がいる。冗談で「2人の子供なのではないか」などと言っているが、もし本当に男同士で子供が作れたら何が起きるのだろうか? 暇に任せて計算してみた。

まず父親2人の生殖細胞を掛け合わせて受精卵を作ることが可能だと仮定しよう。本来ミトコンドリア遺伝子は母方からしか受け継がれないがそれもどうにか解決したとしよう。その他の生物的社会的諸問題も全て片付けて普通に男同士で子供を作る時代になったらどうなるか? 興味深いことに男性人口が段々減っていくのだ。

生殖細胞が作られる際は減数分裂によってX染色体とY染色体のどちらかが引き渡される。異性交配であれば母親はXX、父親はXYなので受精卵の組み合わせはXX(娘)かXY(息子)のどちらかである。

ところが父親が2人いる場合、どちらもXYを持っているためXX・XY・YYの3通りの組み合わせが生ずる。X染色体には生存に必須の情報が含まれているのでYY個体はまず死産になるか着床しない。よって生まれて来る子供はXX(娘)が1/3、XY(息子)が2/3である。すると遺伝子プールに占めるY染色体の割合が父親世代では1/2だったのに子供世代では1/3になる。男同士で交配すると1世代ごとにY染色体の割合が2/3に減るわけだ。

母親2人の交配であればこうした問題は起きない。親の染色体がXXとXXなので生まれて来るのは全てXX(娘)である。

もし世界が異性交配をすっかりやめて同性交配のみを行う様になったとすると、およそ55世代後に地球から最後の男がいなくなる。

 

並立ならば?

では異性交配と同性交配が並存する世界ならどうだろうか? 人類が交配相手の選択に際して性を一切考慮しなくなり、人口比率に応じてランダムに組み合わさると仮定しよう。これを次の様な単純な計算式に落とし込む:

第n世代の男性比率 = n-1世代の男性比率 x ((1-男性比率) + (男性比率*2/3))

するとこの場合でも男性人口は減り続けるが、そのペースはかなり緩やかだ。人口に占める男性の比率が減るに従って男同士の交配機会が少なくなるため、減少スピードが次第に0に近くなり、7000世代が経過してもなお数百万人を残す。

このお話の教訓は? 多分何もない。せいぜい稀な潜性遺伝子が淘汰圧を受けるには非常に長い時間が必要だという一般論を言い換えた程度だろう。

 

(´・ヮ・)<ほんと時間の無駄だな

采配の問題

単騎で強いタイプの指揮官は部下に無闇な期待をするという話


 

「未熟の不知」という有名な論文がある。被験者を集めてテストを受けさせると、成績の悪い被験者はだいたい自己評価が過大であり、下から2割ぐらいの連中でも自分は平均より上だと思っている。一方成績の良い被験者は自己評価は正確だが、他の被験者の成績を高く見積もりすぎる傾向があり、自分の相対順位を実際より低く予想する。これは今日ダニング・クルーガー効果と呼ばれあちこちで引用される。

日常の言葉で言い換えるとこうだ。できない者は鈍すぎて自分ができない事にすら気づかない。できる者は自分にできる事は誰にでもできると勝手に思い込んでいる。

こうした現象は人員を登用して仕事に割り当てる際にしばしば問題になる。本人が思っているよりも仕事ができないことはよくある。特にその登用を決める上役が個人戦闘力の高いタイプだと、そいつ自身ダニング・クルーガー効果に罹患しているため二重に判断が歪められる。そして上役というものは大方指揮能力の高さではなくその前段階での個人的能力のゆえにその地位に登って来ている。終末を告げるラッパは鳴りやまん。

こうした現象に対抗し、パフォーマンスに対する認知の歪みを矯正する方策を考えた。要約すると次の2つだ。

  • 自己申告はノイズである
  • 速度は優れた指標である

 

自己申告はノイズである

Perceived Ability

先の論文に示されている様に、自分自身の能力に対する認知は実際の成績と極めて緩い相関しかない。個人ごとのばらつきや、観測者期待効果による誘導や、上役との性格的合致が有能さとして誤認される傾向を考慮すると能力の自己申告は情報として無価値である。

日常の言葉で表現するならば、「絶対やってみせます!」と豪語する候補者と「できるか分かりませんが頑張ってみます」とはにかむ候補者の期待値は同じである。よって最初から自信の有無を聞かない方が息を無駄に吐かなくて済む。

誓言とか契約とか供託金とかを用いて嘘の申告にリスクを負わせたとしても正確な情報を引き出すのは不可能である。なぜなら能力の低い候補者は本当に自分はできると信じているからだ。

 

速度は優れた指標である

もう少しマシな能力計測手段を探す場合、一番良いのが速度である。つまり成果物を期日通りに、あるいは前倒しで持って来る傾向である。ギリギリ通用する水準を満たしていれば出来具合にはそこまで注意を払わなくてよい。大幅遅れで素晴らしいものを持って来る者より期日通りにほどほどのものを持って来る者の方が期待できる。

なぜか。第一に、速度の方がばらつきが少なく客観的に計測できるからだ。制作分野では特にそうだが、出来の良し悪しはどうしても主観に左右される。好みもあるし、要求仕様が上手く伝わったかどうかにも影響を受ける。単純に発注者が2つの色から1つを選択しただけでも認知が歪められてその色を好ましく感じるものだ。

速度の方は均質で無機質な時間によって容赦無く表される。調子の良し悪しはあるにせよ、リテイクを除けば品質ほどには偏差が大きくない。不可抗力による遅れも時にはあるが、5回連続で運悪く家に隕石が落ちる確率は低いのである程度の標本規模があれば信頼性の高い計測ができる。

次に、速度は他の全ての基盤になる。素早く手を動かせればリテイクも早い。多くのものを完成させれば成長も早い。次々に試みていれば偶々素晴らしい出来のものが生まれる可能性も高い。プロジェクト管理の観点からもリスクが低い。手が早いという事はとにかく素晴らしいのだ。この要素はしばしば過小評価されている。

 

まとめ

人員の能力を測るにあたって「できるか?」と聞くのは酸素の無駄である。「何月何日までにXを持ってこい」とクエストを提示した方がよい。

 

( ・3・)<明日までにぷにぅ饅頭の型作ってこい えぇ…(困惑)>(・q・ )

不完全情報ゲームデザインの基本定理

嘘つきゲームを作る時の問題


 

この頃ポーカーに凝っていてテキサスホールデムを随分遊んでいる。電車の中で暇があると古典と呼ばれる理論書を読んだり確率表を眺めたりして時間を潰す。アメリカの国民的ゲームと呼ばれるだけあって相当な量の研究がなされている。

しばらく遊んでいる内に気が付いたのだが、ポーカーはどうやら役を作るゲームではなくて誰が強い役を持っているかを当てるゲームらしい。自分が一番強いハンドを持っていると思ったら賭け金を膨らます。弱いと思ったら大人しくしている。ブラフをかけたり煙幕を張ったりも偶にはするが、そうした搦め手の頻度は最初思っていたよりずっと少ない。

卓の上でやり取りしているのは本当はカードでもチップでもなく情報である。見えているカードや他の人間の行動によって推察を行い、それに基づいて行動し、その行動がまた他の人間にとっての手がかりになる。

そこで興味深いのが”Harrington on Hold ‘em”で紹介されていた2つのプレイスタイルだ。「保守的」なスタイルはあまりブラフをかけず、弱いハンドはさっさと投げ捨てる。「攻撃的」なスタイルは相手が弱いと見たらどんどんブラフをかけるし幅広いハンドで参加する。保守的な方は確率論的により妥当だが相手に読まれやすい。攻撃的な方はリスクが大きいが相手から見ると非常に読みにくい。賭け金を釣り上げているのが真正な高いカードなのか、ブラフなのか、低いカードでポットに入ったら偶々モンスターハンドに化けたのか分からんのだ。

だから逆説的なことに、「攻撃的」なスタイルは相手に情報を与えないという観点から見れば防御的である。逆に「保守的」なスタイルは自分の行動の最適化という点で攻撃的である。

 

ゲームデザインへの応用

私の本業はゲームデザイナーなので(そうだったのか!)そちらに応用してみよう。不完全情報ゲームを遊ぶ時ではなく作る時の定理は次の様に導かれる。

  1. プレイヤーは非対称な情報を持つ
  2. 知り得ない情報についての正確な推察はプレイヤーを有利にする
  3. 正直な行動はプレイヤーを有利にする

1は基本的な前提である。明らかにされない情報があってもそれが全員に共通だと単に乱数を用いたゲームである。2はこれまた自明である。情報はゲーム内での戦略的優位性を生み出すが故に意味があるのであって、何にも影響しないなら最初から隠れた情報が存在しないのと同じだ。

3はしばしば軽視される極めて重要な点だ。プレイヤーは自分だけが知っている情報を正直に申告した方が嘘をつくより有利にならなくてはならない。そうでなければ卓に情報が流通しない。全員が常に嘘をついていたらそれは嘘ではなくランダムなノイズである。

不完全情報ゲームの奥行きを担保しているのは2と3の間のジレンマである。正直に行動すればするほど最適化され有利になるが、同時に他のプレイヤーに沢山の情報を投げ与えてしまう。”Harrington on Hold ‘em”で紹介されていた例は、AA(最上のハンド)で常に賭け金を釣り上げていたら、釣り上げなかった時はAAが入っていないことがばれてしまうという論考である。だから偶には逆の行動もして目をくらます。

所謂「正体隠匿」ジャンルの失敗作によく見られるのは3が十分に考慮されておらず、ランダムな振る舞いに基づいて裏切り者を探さねばならない代物である。これは大抵言いがかりと印象論に終始する。一緒に遊んで楽しい友達同士で言いがかりを付けるのは楽しいのだが、それはゲームが楽しいのでなく人間が楽しいだけである。

 

(´・ヮ・)<お前友達いたの? (・ε・ )

2018年の状況

早く言えば近況


この頃SNSやブログへの投稿がめっきり減ってブラックボックスと化しているのである程度の情報開示を行う。直近1年強の行動を要約すると

  1. 会社を作った
  2. 店を開いた
  3. ゲームを作っている

の3行である。

(´・ヮ・)<お前の人生4ヶ月に1行しか無いのな (・ε・ )

 

1.会社を作った

ゲーム工房スパ帝国はもと個人事業であったが、税務上・経営上の都合から法人に改組した。新たな組織名は株式会社キュリオシティである。スパ帝国という看板はボードゲーム開発のブランド名という形で残存している。

個人事業が実態そのままで法人成りした零細企業であり、外部から投資を募った訳でもなく、基本的にやっている事は前と変わらん。ただ士業の先生との付き合いが発生したり社長という肩書きで何となく箔が付いたりしただけである。

 

2.店を開いた

札幌のボードゲームカフェ「かくれがゲームカフェこにょっと。」を会社の一部門として経営している。ただし店に立っている訳ではなく裏方の仕事だけをしている。そして時々顔を出す。北海道随一のゲームスペースであるから遊びに来てたもれ。

 

3.ゲームを作っている

現在開発中のボードゲームは5作ある。それぞれ別ラインで外注が動いている。

  • ナショナルエコノミー・グローリー(ナコノミー新ブロック)
  • ヨーツン(デッキ構築)
  • 翡翠の商人(競り)
  • 花屋の一週間(競り)
  • ウォータイムエコノミー・リメイク版

プロジェクトが大規模化するに従ってアートワークなどの外注工程はどんどん長くなり、一方ルールを作るという自分自身の工程は手慣れて短縮されるため進行中の案件が溜まってゆく。何とかできる人間がいたら雇い入れる。

 

(  ) )おわり