好きなものを仕事にする事について

Q.趣味を仕事にしたら人生楽しいか? A.ふつう


 

元々ゲームが好きで、趣味でボードゲームを作り始めて、売ってみたら存外好評でそれがそのまま仕事になって…という噛み砕いた身の上話をする機会が増えた。会社を作って士業の人とか取引相手と話さねばならなくなったからだ。大抵は「すごい」とか「羨ましい」とか「いい人生ですね」という感想を寄越すのだが、それは果たして実態を捉えているか?

現実はもう少し灰色である。まず生活の良し悪しと生業にしている活動を楽しんでいるかどうかは殆ど関係がない。仕事中に好きなものに触れていられるメリットは、好きなものに触れている間も仕事について考えねばならんデメリットで概ね相殺される。第一仕事としてやる以上、成果や生産性が全てであり何もかもその為に最適化せねばならん。遊びを作る仕事とて遊びでやってはおれん。

生活水準に直結するのはむしろ仕事が「どれぐらい苦痛でないか」である。仕事には必ず面倒臭い瞬間とか悩ましい局面とか歯を食いしばらねばならん戦いがある。それも山のようにある。峠を越えようとしたら上り坂とカーブにぶつかるぐらい当然の事である。そうした苦痛を「まあまあ堪えられる」程度と捉えるなら、それなりに向いた仕事である可能性は高い。

入稿の瞬間とか作ったゲームを楽しんでもらった瞬間にどれほど喜ぼうとそれは一瞬である。苦しみは延々と続く。凡庸な試作品をボツにし、スプレッドシートを睨み、外注先を急かし、カートン仕様について工場と話し、税関からの電話を受け、問屋から納品スケジュールを聞かれ、税金を払い……リストは無限に長くできる。

こうした作業がそれほど苦痛でない事によってボドゲ屋は我が生業として成立している。全く興味のない分野だろうと「苦痛でない」ならそれは向いた仕事である。どれほど夢に見た大好きな分野だろうと堪えられないほど辛い部分があるなら早晩破綻する。「好きなもので生きていこう」というのは割にトンチンカンな考えである。

ただしこれとは別に生活の中核だった趣味を仕事にするのは大きなメリットがある。仕事と人生が完全に一体化してワークライフバランスを考える必要が無くなるのだ。