Mech Arenaに世界観を付けてみよう

「かつて暮らしていた我々の創造主もまた、その創造主に似せて作られた」

「Fast-Acting Versatile Operational Trooper、あるいはF.A.V.O.T.」

「エネルギーとは知っている場所に量子がある事、情報とはどこに量子があるか知っている事だ」

「マクスウェルエンジン。記憶にして動力」

「信仰、それは人間がいると信じる事ではありません。人間がいると知る事です」

「例えばナイフが何の理由も無くそこに置かれている事はあり得ない…我々もまた理由と目的があって存在している」

「聖典の中では、『戦う』という動詞は今より実際的な意味合いで使われている」

「現下の大問題は鉄と血によってのみ解決される。ところで血とは?」

「銃に勝る武器が一つだけある。二挺の銃だ」

「有能だが命じられた事しかできない機械は弾除けにする他ない」

「機械は、物質と人間との間に架けられた一本の橋である」

「人は自らに似せて機械を作った。機械を作りたがる性質までも」

Great Little War Game 和訳

Great Little War Gameの簡単なレファレンス。

 

歩兵ユニット

Grunt/歩兵
気をつけ!基本ユニットにして弾除けである。

Bazooka/バズーカ兵
持ち運びバズーカ。強力な対車両歩兵。

Engineer/工兵
建物の占領に用いる。丸腰なので護衛を付けよう。

Grenadier/擲弾兵
車両と歩兵の両方に対して有効。障害物越しに攻撃できる。

Sniper/狙撃兵
完璧なる歩兵キラー。高地に配置して更に射程を延ばすべし。

Commando/コマンドー
究極の歩兵キラー。集中砲火でしか倒されない。

General/将軍

 

車両ユニット

Jeep/ジープ
歩兵を要所へ素早く運ぶのに用いる。

Supply Truck/補給車
戦場のユニットに弾薬と燃料を補給する。

Anti Air/対空砲
航空機を撃つ。他に何ができると思った?

Recon Tank/偵察戦車
速度に優れるが装甲はやや貧弱。

Battle Tank/戦車
主力戦車。結婚して子供を作りたいぐらい前線を愛している。

Behemoth/重戦車
こいつは存在してはいけなかった。相当の犠牲を払わなければ倒せない巨漢。

Artillery/自走砲
歩兵を死ぬほど憎んでおり、遠くから打ちのめさずにはいられない。注意:紙装甲。

MLRS/MLRS
自走・長射程・対車両・車両ユニット。説明文に中点を入れるのが好きらしい。

 

船舶ユニット

Ferry/輸送艦
海上版ジープ。海岸でしかユニットの積み降ろしができない。

Destroyer/駆逐艦
船舶ユニットに対して強いが、爆撃機に対しては脆弱。

Aegis/イージス艦
航空ユニットを攻撃できる唯一の船舶ユニット。

Cruiser/巡洋艦
地上のユニットに大ダメージを与えられるが、船舶ユニットには弱い。

 

航空ユニット

Sky Hook/輸送機
歩兵と車両を運搬できる。対空ユニットにご注意。

Fighter/戦闘機
究極の制空兵器。ただし航空ユニットしか攻撃できない。

Bomber/爆撃機
戦闘機の逆で、地上ユニットしか攻撃できない。っていうか、地上ユニットを攻撃できるんだよ!

翻訳記事:愛憎の曲がり角

これは翻訳記事です

GDC#14:愛憎の曲がり角

2010/11/4 Soren Johnson
Game Developer誌2010年9月号に掲載された物の再掲

 

2009年3月11日、戦略ゲームに関するポッドキャスト”Three Moves Ahead”にて、フリージャーナリストのトム・チック氏がこんな理論を発表した。今日それは「チック曲線」として知られている:

「私にとって”Empire: Total War”は愛憎の曲線であった。最初私はこれが気に入らなかった。つまり曲線の最下部である。どうして気に入らなかったかと言うと、マニュアルがあまりに酷かったからだ。ゲームを覚えたければ出来合いのキャンペーンをやるしか無かった。ポップアップヘルプも滅茶苦茶だった。私はこれが大嫌いだった。

しかしこれをプレイし、覚えるにつれ、私は徐々にこれが気に入り始めた。つまり曲線を登って行ったのである。頂点に達した時私はこう思った。ヘイ、どういうゲームか分かったぞ、こいつはいい! しかしその後が問題だ。私はAIが極めて貧弱である事に気付いてしまった。やはりこれは駄目なゲームだと思った。そして曲線を下って行った。もう”Empire: Total War”に興味は無くしてしまった。

私がゲームをやると大体この曲線が現れる。ゲームシステムを全て覚えると、AIの良し悪しに関わらずその時点で興味を失ってしまう。そこで挑戦は終わってしまうのだ。覚えてしまったゲームは私にとっては終わったゲームと化す。そしてもう嫌になる。だが本当は、システムを覚えた所でようやく始まるべきなのだ」

ゲーマーなら誰しも同じ様な経験をした事があるだろう。面白いゲームシステムを学ぶ楽しみと、その後の下降線だ。

時には、単純なテクニックや裏技でゲーム全てのバランスが台無しになる事もある。だが多くの場合、元凶はゲームメカニクスを上手く扱えない貧弱なAIだ。ゲームデザイナーは色々な要素を詰め込むが、AIプログラマーがそれを実現できるとは限らないのである。前者の描いたゲームシステムが、現代のAIの手に余るという事もあるわけだ。

 

対称性の問題

全てのゲームにチック曲線が当てはまる訳ではない。そもそも「非対称」のゲームも多いのだ。「マリオ」、”Grand Theft Auto”、”World of Warcraft”、”Half-Life”などにおいて、AIは単なる障害物であり簡単に調整できる。問題はAIが人間と同じゲームをしなくてはならない場合である。

そうした「対称」なゲーム、つまり”StarCraft”、「ストリートファイター」、「パズルクエスト」、”Halo”などは独自の課題を抱えている。良いゲームメカニクスを作るだけでは不十分で、それがAIにちゃんと扱えなくてはならないのだ。そして困った事に、AIという条件を付けると多くの良いアイディアが没になってしまう。

AIが扱い切れない要素は色々ある。信じるか裏切るかの選択、長期投資、多正面戦争。さらに人間には見え透いた罠にもすぐ引っかかる。とりわけ裏切りの要素に関しては、シングルプレイ用「ディプロマシー」を作ろうという数々の試みでその難しさが示されている。誰が敵で、誰が味方で、誰が一応味方なのか。それを正しく読み取る能力がどうしても要る。

従って、対称ゲームを作る場合メカニクスの導入を慎重に考えなくてはならない。でないとチック曲線が生じてしまう。プレイを面白くするがAIに過負荷をかけるメカニクスは、ゲームを短期的には面白くするが、プレイヤーがその使い方を覚えてAIを出し抜ける様になってしまうと長期的な面白さを損なう事になる。

無論、対称ゲームは基本的に対戦用である。”Battlefield”シリーズや格闘ゲームがそうだ。これらはシングルプレイの寿命を縮めてでも、マルチプレイの深みを増す方向で作る事ができる。上級者はAIでなくマルチで遊ぶのであれば、核兵器をゲームに入れてもそれほど問題にはならない。

人間の頭脳は極めて柔軟で、新奇なメカニクスを簡単に習得できる。お陰で開発者は随分楽ができるのだ。”Team Fortress 2″の大規模バランス調整で全てのキャラクターが大幅に更新され、Demomanが剣と盾を使える様になったりしたが、人間はAIと違ってその扱い方が分からずおろおろしたりはしなかった。

 

AIのためのデザイン

しかし、対称かつシングルプレイ用のゲームは人間の都合だけでなくAIの都合も考えてデザインしなくてはならない。辛いだろうが、奇抜で創造性に富んだアイディアも、時にはAIの為に没にしなくてはならない。ゲーム開発はトレードオフの連続だ。AIを強くしておくのはチック曲線の下り坂を無くす為に重要な事だ。

そこで考えられるのが、最初のデザインの段階で問題の芽を摘んでおく方法だ。”Empire: Total War”の中で最も酷かったのが上陸攻撃のシステムである。AIは陸海軍を共同させて海を越えた相手を侵略する事がほとんどできなかった。賢いプレイヤーならすぐに気付いた筈だ。AIは海を越えて攻撃できない。ならば戦略バランスは簡単に手玉に取られてしまう。例えばイギリス軍は大した脅威ではないのではないか?

この問題は珍しい物ではない。輸送ユニットが登場するゲームはほぼ常にAIがそこで躓く。陸軍と輸送艦を同時に同じ場所に集結させ、更に護衛の艦隊も付けるとなればなかなか難しい仕事である。

Big Huge Gamesの歴史RTS、”Rise of Nations”はこれに対し大雑把ながら有効な解決策を呈示した。陸軍は岸に差し掛かると船に変身して水上を渡るのである。そして目的地に着いたら元の陸軍に戻る。輸送艦は作る必要も管理する必要も無くなった。

開発者のブライアン・レイノルズは、この単純な一撃で昔から続くAIの問題を取り除いた。水マップは上級者にとっても面白い物となった。このデザインは輸送艦を作る必要を無くした事で「リアルさ」を犠牲にしたとも言えるが、ゲームの製品寿命を大きく延ばす事に成功している。

また、AIの補強とゲームの改善を同時にできる様なシステムも数多く存在する。輸送艦を作る必要がなくなったのはプレイヤーにとっても悪くない。Civ3とCiv4ではユニット維持費を文明単位に変え、生産あふれが持ち越される様にした。どちらもAIの資源管理を助けると同時に、多くのプレイヤーからマイクロマネジメントの負担を取り除いている。

 

難しい決断

開発者にとって最大の決断は、明らかに面白かったりゲームのテーマから言って必須な要素を単純化したり削ぎ落とさねばならない場合である。時には、いくつかの要素を人間プレイヤー専用にする事で問題から逃げる事もできる。Civ1の核兵器は人間専用でAIは使えなかった。シドはその理由をこう説明する。この超兵器は長いゲームの終盤になって登場する。プレイヤーはそれまでやって来たゲームを核で台無しにしようとは思っていない。ただ最後に狂った宴を楽しみたいだけなのだ。

付け加えると、AIが使えない要素を入れた分AIチートを導入してバランスを取るというのは良い解決策ではない。あまりに多くの人間専用要素を入れると、もはや対称ゲームでなく非対称ゲームになってしまう。そうすると戦略バランス自体がまた変わる。

“Empire: Total War”の例で行くと、AIが上陸攻撃を上手く扱えない事が分かった途端ゲーム自体が別物になってしまう。もはやプレイヤーは沿岸領土を守る必要など無いではないか。地続きの同盟国は島国よりも重要ではなかろうか。AIをハメて成功の見込みの無い侵略に資源を浪費させる事も可能ではないか。最も重要な事は、プレイヤーが女王陛下ではなく、AIの穴を突こうとするゲーマーになってしまう事だ。これこそチック曲線の下り坂である。

究極的には、開発者は難しい決断をしなくてはならない。素晴らしいメカニクスを諦めるか、製品寿命を犠牲にするか。製品寿命を延ばす方法はゲームバランス以外にも色々ある。色々なシナリオを作るとか、コンテンツ生成システムとか、Modを強力にサポートするとか、追加コンテンツを開発するとか。

しかし、繰り返し遊べるゲームを作るには、やはり戦略自体の深みと強いAIが必要だ。数度の楽しみの為に製品寿命を犠牲にすれば、結局はデザインの根本を切り崩す事になってしまう。チック氏の言う様に、「プレイヤーがゲームを覚えた時こそ始まり」であるべきだ。ゲームを覚える過程は確かに楽しいが、試験が存在しないのに試験勉強をするというのは気が進まないだろう。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=287

翻訳記事:ソーシャルゲーム革命

これは翻訳記事です

GDC#13:ソーシャルゲーム革命

2010/9/14 Soren Johnson
Game Developer誌2010年6/7月号に掲載された物の再掲

 

最近の記憶を辿ると、今年のGDCの話題は最新ゲーム機でもなく、また次世代機でもなかった。業界の目を釘付けにしているのは、近年におけるフェイスブックゲームの爆発的流行である。実際、ソーシャルネットワークの寵児であるZyngaの”FarmVille”は、8200万人の月間アクティブユーザーを抱えている。そしてそれは僅か9ヶ月の内に達成されたのだ。

“FarmVille”の規模は並外れている。3月に頭打ちになるまで、このゲームのユーザー数はWoWの総ユーザーと同じ数だけ「毎月」増え続けていた。間違いなく”FarmVille”はオンラインゲームの中で初めて、世界人口の1%が遊んでいる作品となった。

ゲーム開発者の多くはこうしたソーシャルゲームの勃興に複雑な思いを抱いている。ユーザー数の多さは世界的なゲーム人口の広がりを示しているが、これらゲームの多くは単純で、面白い意思決定よりも時間の投資に重きを置いている。また悪名高い手法もいくつか存在する。個人情報に基づく広告によるマネタイズや、ウォールへのスパム、ゲーム内ピラミッド構造によるユーザーの増殖などだ。

それでもフェイスブックゲームはこの業界におけるブレイクスルーの象徴だ。ソーシャルネットワークは巨大な市場へのアクセスを可能にし、プレイヤーと開発者の両方に様々なメリットをもたらす。

  • 本物の社交:ゲームは今や実際の友達との間で遊ばれる。マルチプレイヤーゲームにつきものの問題、友達がいなければ楽しくなく、始めた時は友達がいないという現象はもう起こらない。
  • 継続非同期プレイ:友達と一緒に遊ぶ時間を見つけるのはなかなか難しい。とりわけ社会人ゲーマーにとってはそうだ。非同期プレイがこれを解決する。今やプレイヤーは自分のペースで、よく知っている友達と一緒に遊べる。たまたま同時にオンラインになった見知らぬ人と付き合わなくてもいい。
  • 基本プレイ無料:新規プレイヤーが輪に加わるのに60ドルも払う必要は無くなった。消費者は他の友達も同じゲームを買うのでない限り、なかなかマルチプレイヤーゲームを買おうとはしないものだ。基本プレイ無料システムはこの摩擦を解消した。
  • 統計に基づくデザイン:ゲームは開発者の情熱によって無から作り出される。そして店売りのゲームであれば、ただ1回しか発売の時が無い。その1回で成功しなくてはならないのだ。信頼できるデータとフィードバックにより素早く、反復的に開発を進められるというのは魅力的だ。

フェイスブックゲームが持つこれら4つのメリットを存分に活用できれば、一頭地を抜く助けとなろう。そこで筆者はZyngaのシニアデザイナーであるポール・ステファノクと、製品管理ディレクターであるスーチー・チェンに取材を試み、この新しい領域での経験を語ってもらう事にした。

 

ソーシャル第一、ゲーム第二

Zyngaのチーフデザイナー、ブライアン・レイノルズはよくこう指摘する。成功するソーシャルゲームはソーシャルである事が第一、ゲームである事は第二だと。しかしだからと言って、ゲームとして面白くならないわけではない。チェンは次の様に説明する:

「コーンを植えるか葡萄を植えるか、鶏を買うか果樹を買うか、こうした決断が面白くなる状況も存在する。他のプレイヤーに贈り物をして交流できるようにしておくのは良い考えだ。そして贈り物自体が有限だったりコストがかかれば、それが面白い意思決定として持ち上がって来る。技量を磨いて課題に挑戦する場はちゃんとある。しかしソーシャルゲームにおける技量と課題は、明確な懲罰や競争を伴っていなくてもいい。ここが従来のゲームとは違う。”FarmVille”において美しい農園を作るのは技量の要る事だ。そして隣の農園よりも美しくとなれば、やりがいのある課題である」

実際の友達と一緒の環境でゲームをするとなれば、色々な感情が持ち上がって来る。自尊心、責務、感謝、欲望、そして恥。”FarmVille”では作物を収穫せずに放っておくと枯れてしまう。これはプレイヤーに恥の感情を起こさせ、ソーシャルな圧力によって農園へと向かわせる仕組みだ。もし農園が枯れたイチゴで一杯だったら、それを見た友達は何と思うだろう?

作物が枯れるメカニクスを真似しているゲームは多いが、そのソーシャルな働きをきちんと理解していない場合がある。例えば協力型ソーシャルゲーム”Ponzi”では、何か仕事をこなした時の報酬は時間内に受け取らないとゼロになってしまう。このメカニクスはプレイヤーにちょくちょく戻って来る様に促すが、報酬を取り損ねても他のプレイヤーにはそれが見えないため、ソーシャルな圧力が欠落している。ここが”FarmVille”と違う所だ。

 

非同期という発明

ソーシャル要素以外にも、フェイスブックゲームは様々な興味深いデザインの宝庫だ。とりわけ、非同期プレイは非常に未開拓なデザイン領域と言える。例を挙げると、フェイスブックゲームには2種類の代表的なメカニクスがある。エネルギー方式と収穫方式だ。エネルギー方式の下では、アクションの1つ1つがエネルギーを消費する。そして回復は実時間に基づいている。プレイヤーはある時点でエネルギーの回復を待たなくてはならなくなる。一方収穫方式では行動を起こすのはいつでも自由だが、その結果を得るまでしばらく待たなくてはならない。”FarmVille”でイチゴを植えたら、4時間後に戻って来て収穫するのである。ステファノクはそれぞれのメリットとデメリットをこう説明する:

「先に進みたがるプレイヤーにとって、エネルギー方式は自然なアプローチだ。”Mafia Wars”は最適な例である。一方、収穫方式、つまり「後で戻って来る」システムはよりソフトである。こちらは”FarmVille”などのゲームに適している。競争の要素は少なく、社交や自分の庭いじりに集中するゲームだからだ。要するにゲーム次第という事である。どちらも成功しうるし、両方を組み合わせる事すら可能である。”FarmVille”のトラクターの燃料はエネルギー方式だ」

エネルギー方式にはアイテム課金と結びつけやすいという利点もある。例えばエネルギーパックを買えばエネルギーを即座に回復してゲームを継続できるとか。これに対し収穫方式は、プレイヤーが自分の生活リズムに合わせてプレイ時間を決める事ができる。そのままオンラインでいるつもりなら15分で収穫する作物を植えてすぐに戻ってくればいい。食事や睡眠で離れるなら2時間や8時間の作物が最適だ。

 

一般向けの題材

ソーシャルゲームとハードコアゲームの大きな違いの一つはテーマである。店売りのゲームではファンタジー、SF、レース、WWII、ゾンビといったニッチな題材がしばしば扱われるのに対し、ソーシャルゲームはもっと一般的な題材を取る。フェイスブックの上位10ゲームは農園、レストラン、ペット、水槽などだ。こうした違いはなぜ生まれるのか? それはゲーム機やハイエンドPCを持たない一般人に向けているからだ。そしてニッチな題材でコアなファンを捕まえるという事も無い。

様々な意味で、フェイスブックゲームはこの業界初の「ゲーム版TV」である。サイト内でゲームからゲームへ安全に切り替える事ができ、様式に統一性があり、敷居は低く、友達と一緒に遊べる。そしてプレイヤーが自分の達成を告知したり招待状を送り合えるという点で、これは既にTVを超えている。一人一人が社会的影響力を持てるのだ。

一般向けになる事で変化するのは流通方式やテーマだけではない。基礎となるメカニクスも変化する。ステファノクは”Rise of Nations”などのRTSからソーシャルゲームへ移行する際に、様々な事を脇に置いておく必要があったと言う。

「重大な点の一つは、ゼロサムな競争についての意識を改める事だった。RTSから来た人間にとって、ゲームの競技としての側面は大きなものだった。プレイヤー達が建設や探索をしたがっている事には気付いていたものの、それが競争に勝つというゴールに支えられていなくてはならぬと思いこんでいたのだ。だが違った。従来型ゲームの競争的側面は多くの人にとってデメリットだった。競争が悪いとか、ソーシャルゲームで競争に支えられた仕組みを実現できないと言っている訳ではない。そうではなくて、世の中には沢山の、思っていたより遥かに沢山の、競争を望まないプレイヤーがいるのだ」

ゼロサムな競争はハードコアゲームの開発者が当然の前提と思っている要素である。だが協力型ゲームもここ数年人気を増しており、”Left4Dead”やWoWの自動グループ機能からもそれが分かる。競争型プレイは通常、一方の側が勝利しもう一方が粉砕される。だがソーシャルゲームは、破壊的でなくとも競争的になれるのだ。その答えは並列競争にある。誰が先に自分の経営するレストランを大きく発展させるか、といった競争である。

 

デザイナーとは誰の事か?

ソーシャルゲームが従来のゲームと大きく異なる最後の要素は、統計を用いたプレイ分析と絶え間ない改良である。毎週、時には毎日の。新しいデザインを対照実験できる様になったのは開発における大きな進歩だ。チェンは例を挙げる:

「私がSerious Business(ソーシャルゲーム会社。後にZyngaが買収)を経営していた時、フェイスブックはアプリケーションによる「お知らせ」を許可した。そこで我々は長いお知らせと短いお知らせ、どちらが有効か調べてみた。私は大した差は無いだろうと思っていた。短い方は簡潔だが、長い方は物理的に大きいので気付かれやすいのではないか。様々なコピーを用意して、30日間の対照実験を行った。そして結果は、短ければ短い程有効というものだった。コピーの短さとクリック率には奇麗な比例関係が成り立っていた。その差は最大300%にも達した。数行のコピーを書くだけでこれほどの差が付くとは」

今やリアルタイムでフィードバックが得られ、開発上の決定を下せる環境にある。そうなると、デザイナーの役割は一体どうなるのだろう?デザイナーは今なおゲームの「作者」なのか、それとも違う役割になるのか。コミュニティとゲーム会社の間で流れ込んで来るデータを眺めて暮らすのか。実際、レイノルズはZyngaにおける「チーフデザイナー」はそこまで重要な存在ではないと認める。ステファノクは自身の仕事における統計の役割に付いて次の様に語る:

「統計こそ望む全てだ。少なくとも、デザイナーが部屋に座ってプレイヤーはどのボタンを押すだろうと悩んでいる姿を見る度に、こういう物があればと願って来た。手を伸ばせば答えがあるとしたら、どうしてデザイナーはそこに座っていなくてはならないのだ? プレイヤーがどう遊ぶかを知る事はゲームデザインの創造性を止めはしない。住人がどう暮らすかを知る事が建築の創造性を止めないのと同じだ。これは新しい道だ。知識は制約を知る助けとなる。そして制約は良いデザインの材料だ。私はゲームの作者なのかって? それはまあ、フィクションかノンフィクションかによりますな?」

このモデルではデザイナー=作者という概念は通用しないかも知れない。しかし傑作を作る方法は、依然として「手を汚して」プレイヤーと真剣に向き合い、どのアイディアが上手く働き、どのアイディアが駄目かを見つけ出す事である。ソーシャルゲームの開発はこのルールを新たな地平へ延長したものに過ぎない。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=254

無への生贄

我々が暮らす物質空間の周りは無の空間が取り巻いている。新たに生まれる命はそこからやって来る。死んだものはそこへ帰る。自然の恵み、運命の巡り合わせ、突然やって来る閃きなどは全て無の世界からの贈り物である。

贈られた者は贈らなくてはならない。贈った者は贈られなくてはならない。ゆえに物質界は無の空間に反対贈与をするべく義務づけられている。贈与のやり方は様々だ。生贄を捧げたり、祈ったり、香を焚いたり、聖堂を建てたり。

芸術もその一つだ。芸術の本質は生命エネルギーの贈与である。物質界のエネルギーを投じ、物質界に直接役立たない物を産する。それは無の世界への贈与に他ならない。芸術家が報酬を得るのは作品への対価でなく、「贈与した者は贈与される」という原則に基づいて贈与を受けているのである。

歌も詩も演劇も、全ては天への捧げ物だ。それを産するために投じられたのは命の輝きであって、まさに生贄と同じである。そしてゲームはオリンポスの神々の暇つぶしとして供されるのだ。ぜひとも良作を捧げたい。

カタンで勝つには

「カタンの開拓者」に勝つコツは、競争の少ない分野に注力する事だ。このゲームは突き詰めると戦略が2種類になる。一つはレンガと木材の供給を確保し、早い段階で開拓地を増やして道路賞を狙う「村戦略」。もう一つは鉄を押さえて開拓地を町にアップグレードし、カードを積極的に引いて騎士賞を狙う「町戦略」である。

例えば3人が村戦略を採用し、残る1人が町戦略ならば最後の一人が大抵の場合勝利を収める。多くのプレイヤーが同じ戦略を採用していると資源や賞の取り合いが激しくなり厳しい戦いを強いられる。ブルーオーシャンを泳ぐのが勝利への近道というわけだ。

全体的なバランスとして町戦略の方が少し有利であり、村:町の人数が2:2に分かれたら町戦略を採用した2人のどちらかが勝つ。村戦略で勝つには他の3人が町戦略を採用していないと駄目だ。

町戦略こそ最も重要だ。鉄と小麦と羊を押さえて早期にアップグレードを狙う。中盤で1つ開拓し、町3つ・得点2枚・騎士賞で10点になる。そしてこの戦略を支える鉄資源こそカタン島における黄金なのだ。