翻訳記事:来るべき嵐

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GDC#20:来るべき嵐

2012/5/30 Soren Johnson
Game Developer誌2012年2月号に掲載された物の再掲

 

GDC2009でOnLiveが劇的に発表されて以来、業界はクラウドゲーミングに注目し続けて来た。時には懐疑的に、時には期待をかけて。このテクノロジーにはビジネスを一新する可能性がある。もしかしたら、消費者・ゲーム機メーカー・ゲームショップのトライアングルは永久に葬られてしまうかも知れない。

色々な利益がすぐに得られるのは明白だ。インストール無しで時間制限付きの体験版があれば、余計な作業無しにゲームをすぐ展示できる。1日、あるいは1時間いくらでスムーズに課金できればレンタルゲーム屋は必要が無くなり、もっと多くの金銭が直接ゲーム開発者に流れるだろう。同様に、ネット上でライセンスを所有する方式は中古ゲーム屋が同じディスクを複数回売る事を難しくし、消費者から開発者へ直接金銭が行く様にする。更に、オフラインバージョンを廃止して全てをクラウドに移行させれば、海賊版は事実上存在できなくなるだろう。

消費者にとっても、インターネットに接続する端末さえあればインストールしたりパッチを当てたりする手間無しに最先端のグラフィックスに触れられる様になる。常時接続環境が必要だが、どのみち既にシングルプレイ用も含めて多くのゲームがネット接続必須になっている。 実際、クラウドゲームの方が回線が途切れた時に上手く対処できるのだ。”Diablo III”のプレイ中に接続が切れるとプレイヤーはチェックポイントに戻される。一方OnLiveでは接続が切れる前の最後のフレームに戻れるのである。

消費者にとって最も重要なのは、クラウド化がゲームの価格体系を変えてしまう事だ。レンタルや中古も含めたゲームショップをみな中抜きしてしまえば、今まで60ドルで売っていたゲームを30ドルに値下げしても開発者は同じくらいの収益が得られる。これでようやくゲームという商品が常識的な値段になる。映画や書籍や音楽と同じぐらいの値段になれば世の中の主流に出て行けるだろう。60ドルのゲームと300ドルのゲーム機は普通の消費者には相当敷居が高い。

変化は開発者にも利益をもたらす可能性がある。例えば1日、1週間、1月といった単位で料金を払う新しいビジネスモデル(Netflixの様な全ゲーム解禁のオプションもあるだろうが)が出現し、デザインへのインセンティブを変えてしまうのだ。クラウドゲーミングの下では、装飾に凝った一本道のストーリーより、奥深いゲームプレイが有利になるだろう。”Left4Dead”や”StarCraft”の様な無限のリプレイ性を持ったダイナミックなゲームが、突如として”Call of Duty”や”Uncharted”といった映画もどきより儲かる様になるのだ。

 

ゲーム機の見直し

クラウドゲーミングは次世代ゲーム機に対しても重大な影響が予想される。クラウド経由でゲームを動かす機能は、ゲーム機メーカーに旨みのある商売をもたらすだろう。今までゲームショップやレンタル店がやっていた事を、自社のエコシステム内で代替できるのだ。おまけに、光学ドライブやHDDを外した廉価な「クラウド専用」ゲーム機を売る事もできる。

だがこの方向で進んで行くと、そもそもゲーム機は必要なのかという疑問が出て来る。OnLiveは既に”MicroConsole”という物を売っており、最新ゲーム機と同等のゲームがクラウド経由で遊べる。これと同様のテクノロジーがTV自体に組み込まれないとする理由は何も無い。ケーブルテレビ受信機でも衛星放送受信機でも構わない。そもそもゲーム機とは何ぞや? 必須の3要素はコントローラーと、画面と、ソファである。遠からず、この3つとクラウドへの接続環境さえあればいかなるゲームにも数秒でアクセスできるようになるだろう。

実際、クラウドサーバは最新ゲーム機を馬力の面で圧倒している。消費者に次世代ゲーム体験を届けるのが基本サービスなのだ。定期的に高性能の新型サーバが導入される事で、クラウドは「永久に」新しいままのゲーム機でいられる。ゲーム開発者はこれを歓迎すべきだろう。新しいゲーム機が出る度に起こる勃興と崩壊のサイクルがもはや繰り返されないのだから。

現世代のサイクルで言えば、今が一番開発者の儲かるべき時である。ところが実際には倒産しないのが精一杯だ。次世代へのアップグレードの際にその多くが消え去ってしまうだろう。消費者が新しいゲーム機に乗り換えるには数年かかり、そのギャップを無くしてくれる物は何であれ望ましい変化である。

つまりゲーム機メーカーにしてみれば、クラウド化は諸刃の剣というわけだ。一方ではゲームショップの呪縛から解き放ってくれる存在だが、もう一方ではゲーム機の存在価値を脅かす。後者への最大の対抗手段は顧客との密接で積極的な関係だろう。1つのゲーム機にこだわってはいけない。

この方面において、MicrosoftのLiveサービスはソニーや任天堂を遥かに凌駕している。多くのゲーマーはゲームスコアや、実績や、フレンドリストや、ダウンロードしたゲームを捨ててまで他のエコシステムに乗り換えようとは思わないだろう。更に積極策を打てばこの絆を更に強化できる。

クラウド用の小さな端末は殆ど何にでも載せられる。ゆえにどのゲーム機メーカーでも、OnLiveなりGaikaiなりを買収して次のシステムアップデートに組み込めば次世代機を始められる。その次には現行ゲーム機のクラウド版をタダ同然($100なり$50なり)で売る事ができる。これは市場をひっくり返すだろう。これが来るべき変化に備える方法である。次の世代のゲーム機は最後のゲーム機になると言われているが、それすら必ずしも必要ではない。

 

ゲームの見直し

しかしクラウドの可能性は業界への経済的影響よりももっと大きい。実際これはゲームを作る方法そのものを変革しうる。まず、クラウド化は多くの開発チームが抱える最大の問題を解決できる。方向転換のしやすい開発初期において、実際のプレイヤーからフィードバックを得られないという問題だ。ゲームプロジェクトは最初小回りの利くモーターボートとして始まり、やがてゆっくりと膨れ上がって鈍重な戦艦になる。こうなったらもう方向転換は難しい。

クラウド技術を用いれば、ゲームがプレイ可能になったらすぐにファンに公開する事が可能になる。技術的な問題やセキュリティ上の懸念は殆ど無い。プレイヤーが必要なのはブラウザとパスワード(あれば)だけ。ゲームを開発初期に公開してフィードバックと評判を得るのは、インディーズにとっては目新しい事ではない(というより、それがインディーズの競争における大きな強みなのだ)。一方大手は開発中のゲームの流出や前評判で躓くなどのリスクがあるため同じ事をするのが難しかった。

だがゲームプログラムやデータがサーバ上にしか存在しないとすれば、何も流出しようが無い。前評判に関しても、最大のリスクは悪いゲームをリリースしてしまう事であり、それに至る最も確実な道は開発チームに実際のプレイヤーという酸素を吸わせない事である。更に、クラウドの持つ柔軟性はテストプレイヤーを選ぶ無限の方法を提供してくれる。24時間限定パス、地域限定セッション、プレスリリース版、パッケージにアクセスコードを入れておく、などなどなど。

更に、クラウドでのテストプレイは従来の単純な統計や掲示板のコメントよりもっと多くの物をもたらしてくれる。クラウドサーバの出力はゲーム画面の映像そのものであり、そのゲームがプレイされた全ての瞬間を録画して開発者に見せる事が可能である。トリッキーなボスを皆がどうやって倒しているか知りたい? 色々なプレイヤーの録画映像を観ればいいだけだ。

そしてクラウド化がもたらす最大の変化は、クライアント/サーバ構造の終焉である。多くのオンラインゲームは小さなクライアントと、「実際の」計算を行うサーバ側ソフトウェアに分かれている。これはチートの蔓延を防ぐ為だ(ラフ・コスター氏の名言「クライアントソフトは敵の手にある」)。クラウド化した世界では、クライアントは最早クライアントと呼ぶのもおこがましい程の小さなソフトになっているだろう。それはただの入力機能付きビデオ再生ソフトだ。

このシステムの良い所は、もうクライアントという物を作ったり、セキュリティホールを塞いだり、P2Pの接続性を考えたり、クライアント側にどんな最小情報セットを送るかを最適化したりする事に労力を割かなくてすむ事だ。言い方を変えれば、ゲームにマルチプレイを追加するのは基本的に些細な仕事になる。

マルチプレイヤーゲームを一から書くのは大変な挑戦だ。サーバとクライアントの間で状態を同期させ、安全性、公平性、正確さを確保するのは並大抵の事ではない。クラウド化によって、クライアントソフトそのものが無くなりこれらの問題は消滅する。開発者は1つのマシンで走る1つのバージョンのゲームを書けばいい。ゲームはユーザーのアクションに従って反応する。これはまさにシングルプレイヤーゲームの作り方と同じだ。

この面でのメリットを得るには少し勇気が必要だ。完全なクラウドへの移行を必要とするからである。クライアントソフトの無いオンラインゲームを作るという事は、それがクラウド上でのみプレイできるという事を意味する。クラウドへの完全移行には色々なメリットがある。例えば海賊版の消滅だ。そして最大のメリットはネットワークプログラマが要らなくなる事だろう。

この変化から最大の利益を得るのは小規模なインディーズ開発元かも知れない。インディーズでMMOを作るというアイディアは、投じられる労力があまりに少ない為に笑い種でしかなかった。もしMojangがクラウド版の”Minecraft”を出していたらどうなっただろう? 自動でアップデートされ、あらゆるデバイスとブラウザからプレイでき、全ての世界が繋がれている…想像は膨らむ。クラウドゲーミングに関しての質問は今の所、「いつ」それが実現するかという所に絞られている。だがもっと重要な質問は、それが「何を」可能にするかだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=410

翻訳記事:フィードバックを得る

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GDC#19:フィードバックを得る

2012/2/1 Soren Johnson
Game Developer誌2011年11月号に掲載された物の再掲

 

「成功を企図し、失敗に備えよ。そして失敗からどう復帰するか考えておけ。我々の”AI WAR”バージョン1.0は成功したが大ヒットには至らなかった。細かいイライラが積もり積もって、皆プレイを止めてしまうのだ。ゲームが公開されると思いもよらなかった問題が次々に発覚する。その時、必ず時間を割いて問題の解決に当たらなくてはならない。そうすればファンは幸せになり、ゲームはもっと売れる。きちんとミスを認めて対処せよ。大変だがすぐに慣れる。私も最初は感情的に辛かったが、今では普通の事だ。辛いと気付きさえしない。それは単にフィードバックであり、的を射ているか判断して『やる』『やらない』『そのうち』の箱にそれぞれ放り込むだけだ」

-クリス・パーク、”AI WAR: Fleet Command”のデザイナー。”Three Moves Ahead”ポッドキャストその37より。

ゲームデザイナーは間違えるのが仕事である。アイディアは思った通りに動かない。面白いはずのメカニクスが実際には退屈だったりする。プレイヤーはゲームの「間違った」部分に時間を集中してしまう。本来あるべきはずのゲームは、プレイヤーと接触した瞬間から徐々に死んで行くのである。

更に、デザイナーは往々にして改善案の爆撃を受けるものだ。チームの仲間から、声高なファンから、善意の友達から、通りがかりの重役から。この大洪水を前にすると、本能的に自分のデザインを守ろうと思ってしまう。これらの改善案は乗り越えるべき試練であって、デザイナーたる己の道を行くのが正しいのだと。

しかしフィードバックを消化する過程はゲームデザインの根幹であり、最初のバージョンを作る過程と同じぐらい重要なのだ。ゲーマーは生きた存在であって、頭の中だけで勝手に判断できる対象ではない。それはプレイヤーの頭の中に住んでいて、同じゲームをそれぞれ違った風に遊ぶのだ。

ゆえにデザイナーは優れた説得者ではなく優れた聞き手であるべきだ。もし何らかの理由でプレイヤーにどう楽しめばいいかを説明せねばならないとしたら、何かが根本的に間違っている。実際、デザイナーは非常に謙虚にプレイヤーの言う事に耳を傾けなくてはならない。フィードバックこそ、デザイナーの頭の中にあるゲームと実際に遊べるゲームの間にある霧を取り払う唯一の手段なのだ。

結局の所、ゲームはそれ自体が説明になっていなくてはならない。デザイナーはアイディアを売り込むのに、自分の熱意とコミュニケーション能力に頼ってはならない。自分のゲームに入れ込んでいるデザイナーにとって、己を捨てて批判から学ぶのは苦しい挑戦だろう。だが我々はゲーム作りの手法にこだわるべきであって、最初のデザイン案に拘ってはいけない。

 

仲間の意見を聞く?

フィードバックを集めてそれを判断する能力は、今日のゲームデザイナーに欠かせない能力になっている。最初の、あるいは唯一のフィードバック元は開発チーム自身だろう。情熱を傾けているチームであれば、自分達のゲームを遊んでデザイナーにフィードバックを返す仕事を喜んでやるだろう。何が上手く行って、何が上手く行かないか。しかし、チームからのフィードバックには重大な限界がある。

まず、開発チームはそのゲームと何ヶ月、事によっては何年も付き合っている。平均的なプレイヤーのプレイ時間を遥かに上回る。開発過程でゲームに慣れ切った結果、ほとんど自動的にプレイできるようになり、メカニクスが非直感的だったりUIが分かりにくい事に全く気付かなくなってしまう。開発者はあっという間にゲームを客観的に見られなくなるのだ。そしてゲームを過大評価したり過小評価したりする。

もっと言えば、チームメンバーはそのゲームが好きだからそこにいるのではなく、それぞれの特殊技能によって雇われたのだ。3Dアニメなり、サウンド作成なり、ネットワーク最適化なり。新しいプレイヤーが体験するちょっとした楽しみを彼らは忘れてしまうかも知れない。もっと危険なのは、燃え尽きてゲームへの興味を失い、ファンコミュニティの声高な意見に反発を覚えるかも知れないという事だ。

 

ファンコミュニティを信じる?

ファンコミュニティもまた、溢れるほどのアイディアと提案のるつぼだったりする。”Civilization 3″の開発の時、最大手ファンサイトが「リスト」を提出して来た。読むだけで大変な20万語の大著で、最新作に何を期待するかが詳細に書かれていた。掲示板を漁るのは殆どのデザイナーにとって余りに大変だろう。よほど神経が太くなければ開発上の選択肢が全く無くなってしまう。

だがコミュニティに入るほどのプレイヤーは、誰よりもそのゲームをよく理解している。彼らにとってそのゲームは生活の一部である。彼らは何百時間もそのゲームを遊び、メカニクスとシステムについての知識を高め、開発者すら気付かなかった事にも気付きうる。

難しいのは、プレイヤーの言う事と実際にやる事がしばしば乖離している事だ。GDC2011の講演において、ベン・カズンはちょうどその様な状況について語った。舞台はF2PオンラインFPS、”Battlefield Heros”である。このゲームは十分な利益を出しておらず、課金システムが見直される事になった。無課金プレイヤーが貴重なアイテムを「レンタルする」のを難しくし、それらを直接現金で売るという仕組みである。

掲示板は大騒ぎになった。1週間のうちに4000以上のスレッドが立ち、この変更を非難した。多くの古参プレイヤーが引退を宣言した。状況を更に悪くしていたのが、カズン自身がかつて「武器を売る計画は無い」と公言していた事である。メディアは発現の矛盾を取り上げ、Kotakuに至っては「Battlefield Herosは終わった」という記事まで掲載した。

ところが数字は全く違う事を語る。アクティブユーザー数に有意な減少は見られず、収益は3倍に膨れ上がった。引退を宣言したプレイヤーが嘘をついていたのかどうかは判断が難しいが、それが平均的なプレイヤーを代弁していなかったのは確かである。カズンは更に詳しく調査した。すると掲示板を見ているのは全プレイヤーの20%であり、発言しているのはわずか2%であると分かった。

更にコミュニティ参加者はサイレントマジョリティに比べて課金率が高く(27%対2%)、1人あたりの月額課金額も高かった($110対$32)。つまり掲示板に書かれていた事はプレイヤーの総意を正しく反映していなかったわけだ。本音を語っていたのではなく、金を節約するためにゲームをやめると脅していただけかも知れない。

“Heros”の経験は統計の重要さを示している。統計はフィードバックに次ぐ情報源だ。プレイヤーが実際に何をしているか調べるのは、彼らの言う事に耳を傾けるのと同じ位重要である。もちろん統計にも限界はあり、数字を眺めるだけではなぜプレイヤーがゲームを止めてしまったのか知る事はできない。

ユニットXがユニットYより優先して作られる確率を調べるのはRTSのバランス調整に役立つが、2つのユニットが全く同じだけ魅力的である必要は無い。それは必ずしもゲームを面白くしない。統計は実データを要する客観的質問に答えるには最適だ。例えば最初に選ばれる難易度はどれが多いかなど。しかしゲームが実際に面白いかどうか知るには、プレイヤーの言う事に耳を傾け、プレイヤーがどう感じているかを見つけ出すしか無い。

 

信頼できる意見を見つけよう

どこからフィードバックを得ればいいのか? デザイナーにとっての難問である。声高なファンコミュニティは情報源として不確かなだけでなく、積極的に開発者をミスリードしようとする。最悪なのは開発者が掲示板を見ている事に気付かれると、それだけ欲しい物を手に入れる為の嘘が出て来るという事だ。MMOの開発者はこの手のプレイヤーに始終晒される。自分の使っているキャラクタークラスが弱過ぎると常に強弁するが、客観的な証拠は常にその真逆なのである。

この問題に対処するには、ファンからのフィードバックを得る手段を前々から用意しておくべきである。ファンにも色々いる。木でなく森を見て価値あるフィードバックを返せるのは、限られた一部のファンである。そういう意見がゲーム全体の健全さと面白さに貢献する。”Civilization 4″の開発の時、我々はその様な見識を持ったグループを育て、信頼できるフィードバックを貰っていた。

彼らは信頼できる情報源としての実績があった。Civ3をリリースした後、彼らには特別なプライベート掲示板が与えられ、開発チームと直接やり取りができた。このグループは我々の主たるフィードバック源であり、リリースの前後に渡ってどのアイディアが良くどのアイディアが悪いかについて確信を与えてくれた。彼らがいなければCiv4は非常に違った物になっていただろう。確実に悪い方に。

しかしこうしたグループは慎重に案配せねばならない。他の一般プレイヤーより偉いとか優れていると思わせてはいけない。この理由により、可能であればグループの存在自体を隠しておくべきである。またプレイヤーの代弁者を捜す事にも全力を尽くすべきであり、掲示板の外側から新しいメンバーを入れる事も検討するとよい。

 

早く聞け、しょっちゅう聞け

「クリネックス」テストも正確なフィードバックを得る手段である。テスターはリリース前のゲームに一度しか触れられない。これが名前の由来である。プレイヤーが最初にゲームに出会った時の反応は価値のある情報だ。UIの穴やゲームプレイの歪みに慣れてしまう前の反応である。Valveはこの種のテストを定期的に行っており、ゲームストアで適当なプレイヤーを捕まえてテストさせるのである。

しかし深く掘り下げるテストも同様に重要である。その為にはリリース前に継続してゲームに触れてもらわなくてはならない。そうしてゲームのシステムとメカニクスに対する探索と実験を行うのである。大手パブリッシャーは早い段階でのアクセスを与えるのが難しい場合がある。ゲームがクラックされて海賊版サイトに流れたり、秘密情報がライバルに渡る事を恐れるのである。

インディーズはこの部分で大きな優位がある。情報が漏洩する事よりも、無名で終わる事の方が彼らには恐ろしい。ゆえに最近のインディーズ(“Spelunky”、”Desktop Dungeons”、”The Wager”)の多くはゲームの初期バージョンを公表し、宣伝と同時にフィードバック集めを行っている。

“Frozen Synapse”、”Minecraft”、”Spy Party”など、アルファ版へのアクセス権を販売する事で収入を得ているゲームすら存在する。この選択肢により、開発者はゲームを立ち上げつつそれがどう遊ばれるか観察できる。インディーズが困難な戦いを勝ち抜くための重要な選択肢だ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=391

翻訳記事:ゲームの終わり?

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GDC#18:ゲームの終わり?

2011/8/7 Soren Johnson
Game Developer誌2011年5月号に掲載された物の再掲

 

2010年3月のGDCにおける講演で、ngcomoの創始者ネイル・ヤングは語った。欧米における基本プレイ無料(F2P)ゲームの出現は「(開発者にとって)業界始まって以来の重要な移行と好機」だと。その後、多くの開発者が次から次にこの移行を果たした。

6月、Turbineは利益の出ている月額制MMO”Lord of the Rings Online”をF2Pに変更すると発表した。同社のMMO、”Dungeon and Dragons Online”における同様の変更が成功し、収益が5倍になったのを受けてである。11月、EAは”Battlefield Play4Free”を発表。F2Pでクライアントダウンロード方式のFPSであり、”Battlefield 2″エンジンを基盤に作られている。同じく二次大戦を舞台にした”Battlefield Heros”の成功を上回ろうという目論見だ。今年2月、人気F2P戦略ゲーム”League of Legends”の開発元Riot Gamesが中国の巨大ゲーム企業Tencentに4億ドルで買収された。これによりF2P方式の巨大な収益可能性が明らかになったのである。

実際、人気シリーズでF2P化が検討されない物はほとんどない。F2Pの収益可能性はあまりに大きく、もはや無視できない存在だ。3月、バンクオブアメリカ・メリルリンチのコンファレンスにて、Activisionの最高財務責任者トーマス・ティップルは語った。恐ろしい事に、”Starcraft 2″は経済的に見ると割に合わないプロジェクトだったという。このゲームは非常によく売れ、総売上は2億5000万ドルを超える。にもかかわらず、継続的な収入をもたらさない事と開発費の高さから、これでも十分なリターンとは言えないのである。結局、Activisionの様な上場企業は最大の利益を生むプロジェクトに金を投じなくてはならない。そしてF2Pゲームの存在感はますます大きくなり、売り切り型ゲームはますます小さく見えて来る。

ネイル・ヤングのngmoco自体、会社の優先事項がどう変わったかという興味深い実例である。このスマートフォン向けゲーム会社の最初のヒット作はiPhoneの”Rolando”であり、黎明期の会社に大きな収入をもたらした。しかしすぐに気付いたのである。売り切りのゲームもそれなりに儲かるが、最も利益をもたらしているのはゲーム内購入付きのF2Pゲームであると。同社の王国建設ゲーム”We Rule”はリリースから1ヶ月も経たずに、最も収益の高い「無料」iOSゲームになった。

F2Pこそ唯一の成長戦略と信じ、ngmocoは売り切り型のゲームをどんどん開発中止にした。収益の約束された”Roland 3″すらもだ。F2Pに適するゲームが最優先だった。ヤングいわく「F2Pにできないゲームはリリースしない」そうである。この戦略は功を奏し、2010年に日本のDeNAがこの若い会社を4億ドルで買収するに至った。

 

新たなデザイン

今日のゲームデザイナーはこの類の命令を上司から始終聞かされる。しかし、F2Pに適する様にゲームをデザインするのはそう簡単な過程ではない。実際、売り切り型ゲームのデザインはこれよりずっと簡単な仕事だ。プレイヤーの体験を可能な限り楽しくするという一つの事に集中すれば良いのだから。これに対し、F2Pゲームはプレイヤーを引きつけて離さない程度に楽しく、かつ課金させる程度に出し惜しみしなくてはならない。

私の作ったフェイスブックゲームである”Dragon Age Legends”を含め、スタミナ方式は多くのゲームに採用された定番モデルである。この方式では戦いを始めるなど、様々な行動がそれぞれ一定のスタミナを消費する。スタミナを使い切ると回復するまでそれらの行動は不可能になる。回復量はふつう5分に1ポイントだ。

スタミナが満タンの場合、使い切るまでに4〜5回の戦闘が可能である。この時点でプレイヤーには2つの選択肢がある。スタミナが自然回復するまで2時間かそこら待つか、リアルマネーでスタミナ回復アイテムを買うかである。スタミナがある限り、無課金プレイヤーも完全なゲーム体験が得られるのだ(“Legends”の戦闘は課金によって変化しない)。しかしスタミナが切れたら辛抱強く待たなくてはならない。

売り切り型ゲームで故意にプレイヤーに辛抱を強いるメカニクスはまれである。というより、それは悪いデザインの証なのだ。F2Pは伝統的なゲームデザインの常識をひっくり返す。実際、これは開発者の間に不安をもたらしている。そもそもゲームを作ろうと思った理由、プレイヤーにできる限りの楽しみを提供したいという動機が危機に晒されているのではないか。独立系デザイナー/プログラマーのクリス・ヘッカーは自身の憂慮を語った:

「私がF2Pに感じている問題は、ビジネスモデルはそれを採用する事で何を犠牲にするのか滅多に語らないという事だ。アイテム課金はゲームデザインを歪める。良い悪いではなく、確実にゲームデザインを別の物にするのだ。アイテム課金の収益性があまりに高く、多くの会社が大型タイトルをこれに移行させるとしたら遺憾の極みだ。ゲームという芸術には探索すべきデザインの余地が大量にある。その多くはF2Pに向いていない。1回買い切りの「完全な」ゲームが失われてしまわない事を切に願う。私が頑固な年寄りだからではない(頑固な年寄りだけれども)。探索されるべきデザイン空間がまだたくさんあるからだ」

 

新たな希望

“League of Legends”は去年最も成功した戦略ゲームのひとつである。そしてヘッカーの、売り切り型ゲームによるデザイン空間の探索が失われてしまうのではという懸念が正しい事を証明するケーススタディだ。このゲームはF2Pを正しくデザインした例としてよく引き合いに出される。人気と商業的成功(4億ドルで買収された)に加え、批評家からも賞賛され”Game Developers Choice Online Awards”を受賞。そして一番重要なのは、このゲームのビジネスモデルがコアゲーマーに受け入れられた事である。ふつうコアゲーマーはアイテム課金を色眼鏡で見るものだ。

“League of Legends”は競技性の高いチーム対戦ゲームであり、一方の陣営に優位を与えるアイテム課金は欧米のゲーマーの大多数には全く受け入れ難い。そこでこのゲームは戦いに長い時間を投じたプレイヤーに報奨を与える仕組みになっている。

メタ経済においては二重通貨システムが採用されている。これはF2Pゲームにはよくある方式で、プレイによって得られる時間通貨(IP)とリアルマネーで買う現金通貨(RP)が並立する。プレイヤーの能力を高めるアイテム(ルーン)は時間通貨(IP)でのみ購入でき、IPを稼ぎ続ける様に強く誘引する。プレイヤーの外観を変える装飾アイテムは現金通貨(RP)でのみ購入できる。こちらは単に見栄の為の支出だ。

またRPで一時的なブーストを買う事もでき、IPを稼ぐ効率が向上する。この課金方式は時間か金かという質問をプレイヤーに投げかける。少し金を出して早くルーンを取れるようにしてもよいし、何試合か余計に戦う事で必要なIPを溜めてもよい。

しかし最も重要な課金はキャラクターの解禁である。”League of Legends”は”Warcraft 3″の人気Mod”Defense of the Ancients”が元になっているのだが、このModでは軍隊を動かせず1人のヒーローだけを動かす。そしてヒーローの組み合わせが奥深さを生み出すのだ。現在のバージョンでは103種類のヒーローがいる。LoLの方も同様の「チャンピオン」というのがいて、2012年3月現在72種類である。

しかし72種類が全ていつでも使えるわけではない。毎週10種類前後のローテーションが組まれ、その時その時で使えるチャンピオンが違うのである。このサイクルは、特定のチャンピオンを使い慣れたプレイヤーを慌てさせる。今や新たなチャンピオンの使い方を学ばねばならないのだ。新たなスキルと能力を楽しんでしまうプレイヤーもいるが、多くは使い慣れたチャンピオンで勝ち続けようとする。

そこでLoLはプレイヤーにチャンピオンを永久に解禁する選択肢を与える。IPでもRPでもこれは支払える。定番のスタミナ方式と同様、キャラクター解禁はプレイヤーが辛抱できない場合に課金する仕組みだ。数週間待ってまた使い慣れたチャンピオンの番になるのを待ってもよいし、数日間戦って解禁に必要なIPを貯めてもよいし、はたまた少し金を投じてお気に入りのチャンピオンを取り戻してもよい。このモデルはゲーマーと開発元の両方にとって上手く働いた。プレイヤーは素晴らしいゲームを無料でできるし、開発元はせっかちなプレイヤーのお陰で収益が得られる。

一方売り切り型ゲームはこういうデザインが不可能だ。プレイヤーの使えるキャラクターが週ごとにそれぞれ限定されているというのは無理である。実際、売り切り型戦略ゲーム”Command and Conquer 4″は何度もセッションをこなさなければユニット作成を解禁できない事で批判を受けている。LoLはチャンピオンをまとめて解禁すれば売り切り型モデルに移行できるだろうが、売り切り型モデルはそう簡単にF2Pに移行できるとは限らない。

例えば”StarCraft 2″はどうやったらF2Pゲームになれるのだろうか。このシリーズは無駄の無いエレガントなルールの塊であり、余計な要素や無駄な選択肢はデザインを曇らせるものとして排除されている。実際、続編でユニットが何種類か追加されたが、Blizzardはその分古いものを廃止してユニットの種類を各種族12個に保っている。また1との差別化の為に4つめの種族が必要であるとの声は聞かれない。

“StarCraft 2″はLoLのモデルを踏襲できるのか? 例えばテランは無料でプレイできるがザーグとプロトスは課金とか。この方式は全く駄目だろう。ビジネスとしても繰り返し購入する機会が限られているし、デザインとしても90%のプレイヤーがテランを使っているのではバランスが崩れてしまう。もっと積極的な策、例えば戦闘中にシージタンクが購入できるなどは公平な勝負というコンセプトに反するだろう。これは戦略ゲームの中核だ。

 

古い教訓

もしActivisionが”StarCraft 2″は経済的に割に合わない判断するなら、この種の精密で複雑なデザインは消え去ってしまうのだろうか? アイテム課金方式は欧米のビデオゲーム業界ではまだ新しい試みだが、アナログゲームの世界では以前からあった。”Magic: The Gathering”および他のTCGは90年代において少額課金モデルの力を見せつけた。プレイヤーは同じゲームの中で何年にも渡り、繰り返し物を買うのである。TCGメーカーは我々よりも先に、ビジネスとゲームデザインが渾然一体となる世界と渡り合っていたのである。

だがTCGの大成功(M:tGの売り上げは年間2億ドルで非TCGを遥かに上回る)にもかかわらず、売り切り型の「完全な」アナログゲームは死滅していない。実際、カードゲームとボードゲームの業界はかつて無いほどの多様性と革新に溢れている。

事実、去年最も成功した2つのカードゲームはM:tGのメカニクスを用いて売り切り型ゲームに仕上げ、商業的にも評判の面でも成功を収めた。「ドミニオン」はTCGのメタゲーム、デッキを作ってプレイする過程を伝統的なカードゲームの形式に落とし込んだ。「世界の七不思議」はTCGのドラフト方式をゲームにしたもので、カードをプレイする度に1枚ドラフトして来る。

これらの売り切り型ゲームはM:tGの影から生まれた物であり、少額課金型ゲームとの共存が可能だと証明している。実際、これらはM:tGのゲームプレイの一部を新たな層に広げたのだ。誰もが決して完結しないカードゲームの一部を買う事に乗り気なわけではない。多くのゲーマーはTCGをやるだけの財力が無いだろう。多くのゲーマーがF2Pゲームに課金する財力が無いのと同じ様に。

もし全てのゲームがアイテム課金に移行したら、そうでないゲーム体験を求めるプレイヤーが大勢取り残されるだろう。アイテム課金はゲームデザインを歪め、繰り返しの購入へとプレイヤーを駆り立てる。しかしそれによって大量のデザイン空間が埋めるべき空白として残される。それは小規模なパブリッシャーと開発元にとって大きな参入チャンスになるだろう。売り切り型ゲームは開発費を慎重に抑えれば十分利益を出せる。そしてその利益は大規模パブリッシャーがデザイン空間を放棄すればするほど高まるのである。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=372

翻訳記事:水はひび割れを見つける

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GDC#17:水はひび割れを見つける

2011/6/12 Soren Johnson
Game Developer誌2011年3月号に掲載された物の再掲

 

「リスクを最小にせよ、どの選択肢が良いか考えろ。ゲームはそう教える。ゲームとはこういうものだ。言い換えれば、ゲームの終着点は退屈であり楽しみではない。我々は楽しいゲームを作ろうとしているが、それは人間の脳に対する勝ち目の無い戦いだ。楽しみとは過程であり、終着点はルーチンワークだからだ」

– ラフ・コスター著「おもしろい」のゲームデザイン―楽しいゲームを作る理論

多くのプレイヤーはゲームを最適解探しのパズルとして遊ぶ。どうすれば最小のリスクで最大の報酬が得られるのか? どんな戦略が勝利を確実にするのか? プレイヤーはゲームからできるだけ楽しみを絞り出そうとする。

しかしゲームというのは非常に複雑で、リリースしてみるまでプレイヤーがどう攻略するか分からない。何千ものプレイヤーがそれぞれに挑み、攻略情報をオンラインで共有するとなれば。開発者自身、リリースされるまで自分の作ったゲームを理解していなかったりする。

“Civilization”開発チームで使っていた言い回しが「水はひび割れを見つける」というものだ。つまりプレイヤーの利用できるゲームデザイン上の穴があった場合、それが発見されて悪用されるのは絶対に不可避である。最大の危険は、プレイヤーがひとたび利用できる穴を見つけてしまうと、最早それを使わずにプレイする事が不可能になってしまうという事だ。得た知識は忘れたり無視する事はできない。知らなかった方が良いと思っていてもだ。

“Civilization 3″から例を挙げよう。「伐採」、すなわち植林による無限ハンマーだ。森林を伐採すると近くの都市に10ハンマーが入る。ところが森林は必要な技術さえあればまた植えられるのだ。

この2つのルールが組み合わさると、労働者が領内の全てのタイルで延々植林と伐採を繰り返すという図式が生まれる。そうして無限にハンマーが供給される。しかしながら、このプロセスは退屈だし全く頭を使わない。効率プレイの結果楽しみが失われてしまうのである。

 

タンクメイジと無限都市

効率プレイの大きな危険は、単一の最適戦略がそれ以外の戦略を全て無価値にしてしまう事だ。MMOでは「タンクメイジ」という言い方でこの状況を言い表す。UOにおける重装甲・高火力の魔法使いビルドが由来だ。

このビルドは盾(タンク)としても活躍したし、ダメージ要員(メイジ)でもあった。ほとんどのキャラクタービルドはこれに取って代わられてしまった。そしてほぼ全てのMMOが一度はこのタンクメイジ現象を経験している。プレイヤーが全ての状況に対処できる効率的なビルドを追い求めた結果である。

Civにもタンクメイジがある。開拓者スパムによる無限都市(ICS)はシリーズの最初からずっとつきまとっている課題だ。根本的な問題は、規模2の都市が50個あると規模20の都市が5個あるより強力だという事だ。さまざまなボーナスが都市ごとに与えられるからである。例えば、全ての都市は都市タイルからの産出を無償で得ている。つまり規模2の都市は2人の市民で3つのタイルを活用できるが(1人あたり1.5)、規模20の都市は21タイルしか活用できない(1人あたり1.05)。

困った事に、ICSは最高難易度を簡単にクリアできる一方、100個の都市を管理するのは悪夢である。この戦略なりそのマイルド版なりを採用するとゲームそのものを破壊してしまう。しかしそれでもプレイヤーはこの戦略を止める事ができないのだ。

それまでのシリーズで得られた知識を武器に、我々Civ4チームはICSを早い段階で打ち破った。総都市数によってどんどん高くなる都市管理費の導入である。これであまりに早い段階であまりに多くの都市を作る戦略は経済を破綻させるようになり、やっとのことでICSは葬られた。

なぜタンクメイジやICSを葬らねばならないか。単一の最適解が存在すると、それ以外の選択肢が全て不正解になってしまい、ゲームから選択の幅を無くしてしまうからである。ゲームデザインの狙い目は、ある選択肢がある状況では正しく、他の状況では正しくないというバランスである。そしてその中間の状況はグレーゾーンが広がっている。全ての状況で正解になる戦略が生まれると、ゲームはそのダイナミクスを失うのだ。

 

時間の価値

プレイヤーに選択肢が与えられた場合、リスクに応じた報酬が用意されているのが普通である。ノーリスクローリターンのプレイスタイルがあると、プレイヤーがその戦略へと引かれて行くのは不可避である。

言い換えると、プレイヤーは安全の見返りに時間を犠牲にする。そして時間の価値を低く見積もり過ぎた結果、ゲームで遊ぶ楽しみそのものを浸食してしまう。古いゲームから例を挙げよう。”Morrowind”のスキルシステムは同じ行動を繰り返す事で報酬が得られた。何時間も壁に向かって走り続ければ運動スキルが上がり、ひたすら飛び跳ね続ければ軽業スキルが上がった。多くのプレイヤーは僅かな報酬のために何時間も退屈な作業をするという誘惑に逆らえなかった。

似た様な例がCivにもある。食料・ハンマー・ビーカーのあふれ問題である。都市は毎ターン食料・ハンマー・ビーカーを生み出し、ボックスを徐々に埋めて行く。ボックスが一杯になると新しい市民・建物・ユニット・技術などが得られる。

例えば文明が20ビーカーを毎ターン産出し、筆記の技術はコスト100だとしよう。この技術は5ターンで研究が終わる。ところが、もし21ビーカーを産出していたとすると、5ターン後にボックスには105ビーカーが溜まっている事になる。そしてその場合、筆記の研究が終わった所で余りの5ビーカーは捨てられてしまうのだ。次にアルファベットを研究したとすると、ボックスはまた空の状態で始まる。プレイヤーはこれに素早く気付き、技術研究が終わりそうになると科学税率を弄ってビーカーが無駄にならない様に調節した。そうするとそれだけ金銭収入が増えるのである。

同様の仕組みが食料とハンマーにも存在した。結果、プレイヤーは毎ターン全ての都市をチェックしてあふれが無駄にならない様に市民配置を調節する事を求められた。このマイクロマネジメントはなかなか面白いゲーム内ゲームだが、開発者はプレイヤーにこういう事で時間を潰して欲しいと思ったわけではないのだ。我々Civ4チームはあふれを次に持ち越すシステムを導入して問題を解決した。

この戦略を採用したプレイヤーは、このゲームを「マイクロマネジメントのせいで重い」と評する。最早都市から最後の一滴まで絞り出すという誘惑に抗えないからだ。マルチプレイでは状況は更に悪くなる。マイクロマネジメントをしないプレイヤーは成長や建設のレースに負けてどんどん遅れてしまうのだ。

開発者はこういう遊び方をして欲しくはなかった。しかしゲームのルールがそれを奨励しているのである。繰り返すが、開発者自身も自分のゲームをちゃんと理解していなかったりするのだ。プレイヤーが自分の時間の価値を低く見積もるのは困った事態である。最初は小さな報酬が嬉しいが、時間の消費によって単位時間あたりの楽しさが徐々に減少し、最後にはゲームそのものが退屈な挽き臼と化してしまう。

 

良い穴もある?

しかし全ての穴をゲームから取り除こうとするのはやり過ぎである。ゲーム自体の文脈に合わせて適切に判断しよう。その穴は他のプレイスタイル全てを無価値にしてしまうか? それとも単に楽しい、普通と違ったプレイを可能にしているだけか? 稼ぎプレイはゲームを終わりの無い作業に変えているか? それとも少し助けのいるプレイヤーに近道を与えているだけか?

「スーパーマリオブラザーズ」の無限1UPを思い出そう。階段でカメを蹴り続けて延々残機を増やす。これは実際バグではなく、開発者が故意に入れたゲーム要素である。ちょっとしたテクニックと引き換えに、ゲームの進行に必要な残機をお手軽に手に入れる事ができた。ゲームの穴を見つけて利用するのは楽しい経験だ。プレイヤーは他には無い様な、上達の感覚を得られる。その穴がゲーム自体なり対戦相手なりを粉砕してしまわない限りは。

可能であれば、穴を利用するかしないかオプションで選べる様にしておくとよい。プレイヤー自身に委ねるのである。例えばセーブ/ロード機能のあるゲームは良い目を引く為にリロードされる事が非常に多い。箱を破壊するとランダムな戦利品が出て来るRPGの場合、最高の武器なり鎧なりが出るまで何度もリロードする事になる。

Civ3では乱数の種をセーブファイルに保存して、何度リロードしても戦闘の結果が同じになる様にした。悪い戦闘結果が出る度にリロードして時間を無駄にするという事は無くなり、ゲームのテンポが良くなった。

しかしファンコミュニティの反応は我々の期待とは違っていた。リロードを奨励されなくなった事を評価するプレイヤーもいたが、大部分は今まで使えたトリックが封じられた事に腹を立てていた。実際、何度繰り返しても同じ結果になるのを見て、ゲームがインチキをしていると怒るプレイヤーすらいた!

我々はこの仕組みを使うか使わないかゲーム開始時のオプションで選べる様にした。リロードを繰り返して薄い目を取りたいプレイヤーは自由にそうすればいい。しかしデフォルトでは、ゲームはそうした作業を奨励しない。結局の所、プレイヤーがどんな体験をするかプレイヤー自身に選ばせれば間違いは無いのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=369

翻訳記事:筋を通さない

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GDC#16:筋を通さない

2011/2/7 Soren Johnson
Game Developer誌2010年12月号に掲載された物の再掲

素晴らしいゲームも時には設定が意味不明だったりする。例えばなぜ「パズルクエスト」のプレイヤーはトロルやゴブリンやスケルトンと”Bejeweled”の対戦版で戦わなくてはならないのか? 同様になぜ、「レイトン教授」シリーズの世界では物事の成否が謎解きパズルの上手い下手で決まるのか? 理屈などあったものではない。

ゲームのストーリーもこれとどっこいである。「マリオ」の公式ストーリーは不思議の国並に意味不明だ。配管工が煉瓦を殴って魔法のキノコを見つけ出し2倍の大きさになって姫君をさらった邪悪な亀と戦う。「メタルギアソリッド」シリーズの紆余曲折、とりわけリボルバー・オセロットの精神がリキッド・スネークの腕に憑依して云々はもう一切触れぬが吉だ。

しかしながらゲームにはそれ自体の文法があり、それはストーリーが意味を成しているかどうかよりも重要である。いやメカニクスが論理的にすっきりまとまっているかどうかより重要だ。伝統的な面クリア方式、残機制、復活などは開発者のビジョンを支える構造であり、現実世界を反映しているかどうかやテーマに沿っているかどうかは問題ではない。

例えばなぜチームFPSのプレイヤーは殺されても復活するのか? 死んだ者は生き返らないとプレイヤーは期待すべきではないか? 理由はゲームの敷居を低くしたいと開発者が望んだからである。死亡のペナルティを軽くすれば、ゲームは思い切ったプレイがしやすくなる。リスクを取ったり実験をする事を報奨しているのだ。

復活システムを持たないゲームにもちゃんと居場所はある。白眉は”Counter-Strike”だ。しかし開発者はリアルさの追求としてこうしたのではなく、ゲームプレイを違う物にしたかったのである。死んだら復活しないとなれば、プレイヤーは試合中により強い緊張を感じる。そして慎重さと正確さを報奨する。結果、復活のあるゲームとは違う位置を占める事になったわけだ。

 

ゲームに正直であれ

こうしたゲーム上の都合による構造がジャンルそのものに必須であったりもする。いわゆる普通のRTS、農民・本拠地の建物・ラッシュ/タートル/ブームの三すくみなどは実際の戦争をほとんど再現していない。テーマによく含まれるファンタジー要素を別にしてもだ。一体どんな戦争において、双方が兵舎や研究施設を戦場の真っ只中に建設するというのだ? なぜキャンペーンモードではシナリオをクリアするごとに技術の進歩が失われてしまうのだ?

「そのジャンルにはそれが必要だから」という答えに結局は行き着く。戦略ゲームはプレイヤーが難しい決断を迫られる事によって成立する。それぞれの選択肢がトレードオフなのだ。最もリアル志向のRTSでさえ経済インフラやら研究機関やらの道理に合わない要素が登場する。これらは戦略の深みを増すための重要なメカニクスである。

インフラ施設を戦場のどこかに建設するという事は、守るべき地点が生まれるという事なのだ。もしこれが無ければ軍隊は好き勝手に陣地を放棄してうろつき回れる事になってしまう。技術研究は短期利益と長期利益のトレードオフを作り出してプレイヤーに提示する。資源は科学研究に投じて長期的に強いユニットを得るべきなのか?それともユニットに投じて敵を攻撃し、初期のアドバンテージを得るべきか?

これらのトレードオフは非常に根本的な部分で意味を成している。プレイヤーは陣地を守らねばならない事や、適切な状況では長期投資が実る事を理解する。たとえゲームの世界観が支離滅裂でも、ゲームプレイそれ自体はきちんと成立する。労働者が激戦のすぐ向こうでせっせと作物を植えていたとしてもだ。

 

一貫性にこだわるな

実際、あまりにもゲーム世界観の一貫性にこだわるとゲーム自体を台無しにしてしまう。”StarCraft”の開発者はマルチプレイでテランとザーグが組んで他のテランと戦っても問題無いと判断した。一方”Company of Heros”では枢軸対連合の構図しか認められない。これはゲームのテーマからすれば明らかに意味のある決定だが、好きな仮想軍隊を他の仮想軍隊にぶつけてはいけないのだろうか?

「アサシンクリード」はかなり手の込んだやり方でゲーム構造を正当化している。ゲームは12世紀の中東を舞台にしたものとして宣伝されているが、枠組みのストーリーは21世紀が舞台で暗殺者の子孫が主人公だ。そして記憶再構成技術によって先祖の記憶を蘇らせるのである。

これはゲームデザイン上の構造を正当化する試みだ。面が分かれているのは異なる記憶の断片だからであり、キャラクターの死は偽の記憶である。暗殺者の動きがゲームコントローラーに制御されているのは、実際それが記憶の中の操り人形だからだ。

こうした理屈の裏付けは、果たしてゲーム構造を上手く説明する事で間口を広げているのだろうか? それとも無駄な枠組みでストーリー進行を込み入らせ、中世の暗殺者とプレイヤーとの距離を広げているだけだろうか? 少なくとも、一般的なゲーム機所有者はキャラクターをコントローラーで動かせと言われても別に驚かないと思う。

実際、黎明期のアーケードゲームは創造性の泉だった。ゲームは何か意味を成す物とは期待されていなかった。ドットを食べる「パックマン」、立方体を飛び移る「Qバート」、光線の上を走る「テンペスト」。グラフィックがより写実的になり、アーケード筐体はレース、格闘、STGなどにカテゴリ分けされる様になった。高解像度の環境で奇妙なアブストラクトゲームは流行らない。最近になってようやくモバイルやWebゲームで低解像度の環境が戻り、あの頃の熱狂的エネルギーが蘇って来たのだ。

 

自分の道を行け

珍しいゲームデザインの上に貼る紙としてストーリーを拵えるのも時には良い方法だ。「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」に登場する時間のダガーは時間を数秒だけ巻き戻す力を持っている。これはクイックセーブの仕組みをゲームの中核に組み込むエレガントな手法だ。「トーチライト」では主人公のペットが戦利品を売りに町まで走ってくれる。ゲームの世界観を損ねずに無駄な手数を省いたわけだ。

開発者は堂々と自分の道を行くべきである。メカニクスが作ろうとしているゲームにおいて意味を成しているならそれで良い。「風来のシレン」はローグライクゲームである。ローグライクの主人公は死んだらそれまでであり、そこまでの進行は失われる。繰り返し遊ぶのが前提であり、プレイヤースキルの向上だけがクリアへの道だ。

ところが「シレン」は非常に珍しい事に、強力な武器・防具を含む戦利品を保管しておける。ゲーム中のあちこちに保管場所があり、それはセッションが終わってもそのままなのだ。もしキャラクターが不運にして死んでしまっても、次のキャラクターの為にアイテムを残す事でクリアへの進行に貢献できる。

不思議なメカニクスである。世界は死によってほぼリセットされるが、一部はそのまま残る。ゲームに限らずこういう構成は珍しい。そしてストーリーは何ら理由を説明しようとしない。というより説明は不要なのだ。このゲームはゲーム自体に対して正直なのだから。開発者は取り返せない死という緊張と共に、RPG的成長要素も少し入れたかったのだろう。

“BioShock”もまた、不合理な要素への説明を放棄したゲームである。海底都市ラプチャーにばら撒かれた音声日記、あれは何なのだ? これらは主要登場人物の吹き込んだ短い話であり、この客観主義ディストピア世界のバックストーリーを説明してくれる。だが、一体どういう人種が、自分の考えをテープに吹き込んだ挙げ句それを分割し、何かのゴミの様に世界にばら撒こうと思うのだろうか?

そしてプレイヤーは散らばった音声日記の破片をほぼ順番通りに発見し、退屈なカットシーン無しに開発者の考えた物語を拝聴できる。滅茶苦茶だ。とは言え、それでも開発者が間違った選択をしたとは言えないだろう。確かにエレガントな方法ではないが、延々何も操作できずに映画を見せられるよりはマシだ。

 

完璧なテーマ

筋を通さない事の大きなメリットは、メカニクスに合わせて適当なテーマを自由に選べる事だ。タワーディフェンス系ゲームは元々”StarCraft”や”WarCraft 3″のユーザー生成シナリオだった。

これらのプラットフォームの限界により、このジャンルには独特な慣習が生まれた。一切動かない防御施設と動ける「クリープ」の戦い。物語によってこれが正当化される事はまれである。なぜ防御側は動いてはならないのか? なぜクリープ共は遅くて馬鹿なのか? 適切なテーマさえあれば説明できるのだろうが。

実はそれをやってのけたゲームがある。まるで虚空から取り出した様なアイディアで、開発者は相当図太いのだろう。どんな生物なら成長し、かつ動けないか? 植物だ! 足を引きずりながら考え無しに列を成して直進して来るものとは何だ? ゾンビだ! となれば自然な答えとして、この両者を戦わせるという流れになる。

「プラント vs. ゾンビ」はタワーディフェンスに乗せる完璧なテーマだ。常識に完全に合致する。何故突然変異植物でゾンビと戦わなくてはならないのかという点に目をつぶりさえすれば。重要な点は、タワーディフェンスというジャンルに馴染みの無い人であっても、何が起きるかタイトルを見ただけで直感的に理解できる事だ。開発者が筋を通すのを諦めなかったお陰である。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=310

翻訳記事:筋を通す

これは翻訳記事です

GDC#15:筋を通す

2011/2/4 Soren Johnson
Game Developer誌2010年11月号に掲載された物の再掲

 

まず次の文章をじっくり読んでみよう。

「手順自体は極めて簡単である。まず対象物をいくつかのグループに分ける。もちろん、扱う量によっては全てをまとめて1つにしても構わない。設備の不足によって他の場所に移動しなくてはならない場合、それが次のステップになる。そうでない場合はこれで準備完了。重要なのは大量にやり過ぎない事だ。一度にやる量が多過ぎるより少な過ぎる方がましである。短期的にはこれは重要に思えないだろうが、物事はすぐに複雑になってしまう。ミスの代償も大きい。最初は手順全体が複雑に思えるだろうが、慣れれば生活の一部と化すだろう」

この文章の意味が分かっただろうか? それとも無意味な文字列にしか見えないだろうか? 恐らく後者だろう。この文章は文脈というものを全く欠いているからだ。ではもう一度同じ文章を読んでみよう。ただし次の言葉を頭に入れておいてくれ:「洗濯」

これでもう読み取れるものは違って来る。そして何か意味を持つ様になる。この文章はただの洗濯の手引きだ。実際この文脈が確立すると、もうこの文章を洗濯物の事を考えずに読む事は不可能であろう。

 

スキーマ理論

この情報はスキーマ理論の例である。スキーマ理論は我々の脳がどの様に世界をカテゴリ分けするかを説明するものだ。短く言うと、スキーマとは知覚の枠組みであり、特定のテーマに基づいて新しい情報を処理・分類するのである。

例えば犬についてのスキーマはその身体(四つ足・体毛・尻尾)、挙動(吠える・涎を垂らす・追いかける)、更には犬種(コリー・スパニエル・プードル)などの情報を含んでいる。また犬のスキーマはその上位スキーマの性質も含んでいる。例えば哺乳類(温血・背骨・出産)やペット(飼いならされている・忠実・トイレのしつけ)など。実際に犬を前にするとこれらのスキーマが様々な情報を与えてくれる。そしてその動物がどう振る舞うか予測できるのである。

しかしスキーマは活性化されなければ働かない。先の文章は「洗い物」という単語で正しいスキーマが呼び起こされるまで意味不明だった。スキーマが無ければ文章は何にもならない。物事を効果的に人に伝えようとする作家にとっては重要な知見である。

 

ゲームとスキーマ

ゲームデザイナーも効果的に人に伝えるべき物を持っている。プレイヤーが学ぶルールとメカニクスである。この教育プロセスはゲーム開発における最大の試練のひとつである。多くのゲームが面白いシステムを持ちながら、プレイヤーに遊び方を伝えるのに失敗して消えて行った。問題解決の為には様々な道具がある。適切なペースでのチュートリアル、ポップアップヘルプ、使いやすいUI。だが最も簡単な道は、プレイヤーが既に持っているスキーマを活用し、ゲームの骨格であるメカニクスと合致させることだ。

例えば、ボードゲームの「アグリコラ」はプレイヤーが持っている農業のスキーマを利用して複雑な経済メカニクスを理解させている。耕すのと種を撒くのと刈り取るのとパンを焼くのと、どれが先でどれが後かプレイヤーはちゃんと知っている。こうして資源・土地・施設・行動の複雑な相互作用を簡単に学べるものにしている。かくして、ゲームのテーマに課せられた重要な使命が明らかになる。即ちプレイヤーにメカニクスを理解させ、覚えやすくする事だ。そしてそれは何故テーマとメカニクスが合致すべきかという理由のひとつでもある。

スキーマの力を示す別の例を挙げよう。ボードゲームの「コロレット」と「ズーロレット」である。どちらも骨組みのメカニクスは同じで、カードを集めるが種類が多過ぎるとペナルティを受ける。例えばコロレットではプレイヤーは7色のカードを集めるが、最も多い3色だけが得点になり、4色目以降はマイナスになる。

ズーロレットもメカニクス自体は同じだが、こちらは色を集めるのでなく動物を集め、種類ごとに檻に入れる。この違いによってゲームに強力なテーマが加わった。プレイヤーの動物園に関するスキーマを活用し、得点システムを上手く正当化しているのだ。コロレットでは「3色を超えた分はマイナスになる」とそのまま覚えなくてはならない。一方ズーロレットは盤を見れば、各プレイヤーに3つの檻しか無い事がすぐ分かる。それ以上の動物は檻が足りずに展示できないのだ。違う種類の動物は別の檻に入れるというプレイヤーの知識を利用して、ゲームを学びやすくしているわけである。

もっと突っ込んだ話もすると、テーマによってスキーマを活性化させやすかったり難しかったりする。とりわけ、歴史ものと現代ものはSFやファンタジーよりも多くのスキーマに共鳴する。”Age of Empire”の騎士と射手が何をするかはすぐ察しがつくが、”StarCraft”のミュータリスクとダークテンプラーはそうは行かない。実際、ファンタジーゲームのほとんどは確立されたテンプレートをなぞっている(エルフ、ゴブリン、ドワーフ)。プレイヤーにはそれが馴染みある世界である。ここからはみ出た作品、例えばコーハン〜不滅の王国〜はペルシア神話を基盤にしたファンタジーであるが、そういった物は往々にして失敗する。プレイヤーが既に持っているトールキン世界の知識を利用できないからだ。

 

リアルさ vs. ゲーム性

スキーマをゲームシステムを覗く窓として活用すると、リアルさについての問題が出て来る。何故ならその場合、ルールがプレイヤーの期待に沿っていないといけないからである。もし野球のゲームで4アウトまであったら、そもそも野球のスキーマを使った事自体が無駄、それどころか邪魔になってしまう。プレイヤーは本当の野球のルールと始終混同してしまうだろう。

ゆえにリアルさは重要である。そして開発者の大事な道具である。しかし「リアルさ」という言葉はかなり悪い意味で取られてしまっているのが現状だ。例えばゲーム上の些細な歴史的事実の誤りを指摘するユーザーは重箱小僧呼ばわりされる。実際、シド・マイヤーの「楽しさとリアルさが衝突する場合、楽しさが優先だ」という言葉は有名である。

しかしそれが間違いになる場合もしばしばある。ゲームを覚えやすくするリアルさはゲームをより面白くするのであって、面白さを損なうわけではない。問題は開発者がプレイヤーにありとあらゆる知識を求めた場合である。プレイヤーはゲームを始める前から十分な知識を持っていると仮定すると、それだけ間口を狭めてしまう。二次大戦のゲームでドイツのパンツァー戦車に史実通りの性能が付与されていたとしよう。そこまでは良い。しかしプレイヤーが皆パンツァーの性能を熟知していると過程し、ゲーム内でその情報をきちんと与えなかったとすると問題である。

更に、広まっている逸話は史実よりも重要である。重要なのはプレイヤーのスキーマがゲームを始める前にどう組まれているかだ。史実についての何らかの誤解が広まっているとしたら、それを直そうとするより与してしまった方がいい(ゲームが教育目的でない限りは)。

例えばシド・マイヤーの”Pirates!”は真面目な歴史資料に基づいているわけではなく、ハリウッドの海賊映画をゲームにしたものである。その結果全ての海賊には生き別れの妹がいてスペイン人に捕まっており、全ての酒場にはそれぞれ謎めいた旅人がいて宝の地図の切れ端を持っている。同様にウィル・ライトの「シムピープル」も実際の生活ではなく、定番のホームドラマをゲームにしたものである。

 

ジャンルによるスキーマ

スキーマは何もゲーム外に限らない。古参ゲーマーはゲームはどういうものかというスキーマを持っており、開発者がそれに沿っている事を期待する。とりわけ、それぞれのジャンルのゲームが「どうあるべき」かというスキーマだ。FPSなり2Dアクションなり格闘なりローグライクなりについてそれぞれスキーマがある。

知らない犬に出会った人が犬についてのスキーマから知識を引っ張り出す様に、知らないRTSを買ってみる人はそれぞれに持っているRTSについてのスキーマから中身を予測する。プレイヤーは神の視点を持ち、複数のユニットを動かし、農民ベースの経済を回し、軍事と技術の為に建物を揃え、ブーム/タートル/ラッシュの三すくみがある、などなど。

テンプレート通りの要素を余りに多く無視すると、知る人ぞ知る作品になるのがせいぜいで(“Majesty”、”Sacrifice”、”Dragonshard”)、商業的に成功するのはほぼ不可能だ。60ドルのゲームを買うとなれば消費者も慎重になる。買う前に中身が分かっている方が安心だ。そのジャンルのスキーマにぴったり合う方がいい。こういう具合で、ジャンルのスキーマはゲーム産業における新しい試みをかなり阻んでいる。

こうしたジャンルの制限を乗り越える最良の方法は、もっと別の強力なスキーマを与える事だろう。例えば「ニンテンドッグス」は既存の売れ筋ゲームジャンルに合致しないが、犬の世話をするというテーマ自体が消費者のスキーマを呼び起こし、何ができるか想像させる。結果このゲームは大ヒットした。プレイヤーは犬がどういうものか知っている。それを利用して売り込んだわけだ。

 

筋を通す

ゲーマーの中には未知の領域へ飛び込む事を恐れないという人種もある。掟破りのゲーム「ドワーフフォートレス」や「ドミニオン」である。しかし大部分のプレイヤーはどんなゲームか理解しなければコントローラーに触りもしない。スキーマによる取っ掛かりは必要なのだ。ゲームのテーマにせよ、ジャンルの常識にせよ。

後者はコアゲーマーに売れるだろう。しかしながら、ゲームの客層を広げる事ができるのは前者である。Wiiは当代においてそれを証明した。コントローラーの使いやすさに加え、ヒットタイトルの多くは分かりやすいテーマで消費者の持つスキーマと期待に訴えかけた。”Wii Fit”、「マリオ&ソニック」のオリンピックシリーズ、「ジャストダンス」、更には賛否の分かれる”Carnival Games”さえも。宇宙海兵隊や邪悪な魔法使いのゲームではこうは行かない。

そしてよく響くテーマを見つけ出したとしても、まだ道のりの半分でしかない。ゲームのメカニクスがテーマにぴったり合っていなくてはならないのだ。旧来の「リアルさよりゲーム性」という見解は今や開発者のドグマと化し、楽しさの追求と称してテーマとメカニクスを簡単に遊離させてしまう様になった。新しいゲームを始めるのは信じて飛び込む過程である。ゲームがきちんと筋を通していると期待するのはプレイヤーの正当な権利だ。

(洗濯スキーマはHow to Play Podcastより)

原文:http://www.designer-notes.com/?p=302

翻訳記事:プレミアムからフリーミアムへ

原文:http://www.sirlin.net/blog/2012/3/6/gdc-2012-the-day-before-day-1.html

プレミアムからフリーミアムへ:マネタイズ手法の変遷

Appy Entertainmentのポール・オコナー氏はアプリのマネタイズ手法をいかに変遷させたかを語った。元々は料金を払ってダウンロードする有料アプリの方式だったのを、アプリ自体は無料にしてゲーム内購入をたくさん入れる形に変えたのだ。

ポールはフリーミアム方式を擁護する議論として次の様な引用をした。1920年代の大恐慌で株を空売りして儲けた投資家の言葉である。「市場は決して間違わない。意見は間違う事がある」ポールの論理というのはつまり、市場はフリーミアムの方が儲かるとはっきり言っているのだから、我々は皆そうすべきだというものだ。面白いが酷い議論である。第一に、これは「勝つ為にプレイする」類の論法である。これを実生活に当てはめようとすると、そもそも勝利とは何ぞやという問題が噴出する。人生の目的が出来る限り多く金を稼ぐ事ならこの論法に問題は無い。しかしそれが人生の目的だとするなら、コカインを売りさばくのも儲かると市場は言っている。顧客はコカインが大好きだ。確かにそれを売るのは難しいだろう。だが海外でのコカイン販売事業に投資するとしたらどうか?

それはともかく、ポールが我々に言っているのはフリーミアムに関してもう議論の余地は無いという事だ。彼の見せた統計によれば、75%以上のiOSアプリはこの方式で収益を出しており、選択肢はこの波に乗るか非合理でいるかしか無い。フリーミアムか死か。GDCでは似た様な意見を何度も聞いた。彼らは今この時代こそゲーム作りに最高の時代だと主張する。デジタル配信とフリーミアム収益モデルによって成功への道が史上最も平坦になっていると。

ポールはAppy Entertiainment社のゲーム”Trucks and Skulls”がいかにフリーミアム化したかを説明した。彼らは新しいゲームをリリースするのでなく、既存のゲームに大幅なアップデートを加えたのだ。ゲームが持つ勢いやプレイヤーベース、アプリランキングを放棄したくなかったからだ。また彼らは既存のプレイヤーの機嫌を損ねない事に非常に注意を払った。変更によって既存プレイヤーが失う物はなにもない。コインとそれで買える物、そしてコインを稼ぐ手段を追加しただけである。

どんな活動によってコインを得られるかに関してだが、これはプレイヤーの好きな事が良いそうである。例えばプレイヤーはハイスコアを競ったり、ステージごとに技量を評価されたり、100以上あるステージ全てで最高評価を目指したりするのが好きである。これらをそのままコイン報酬に繋げてやればよい。またこの変更の後、全てのプレイヤーに少量のコインが配られた。ストアを試しに使ってみる様に誘ったのである。

ゲーム内の優位を金で買えるのかどうか、ポールは言及しなかった。おそらく買えるのだろう。その場合競技ゲームとしては腐る事になる。実際どうなのかは知らないが。追加のトラックを買ったりはできる様で、それは問題無さそうである。

ポールの話で最も狂っていた点は、この変更に抗議した人が誰もいなかったという主張だ。彼は変更に不満を持つ人がいるのではないかと心配していたが、新バージョンはより良いゲームになったそうである。彼はゲームを良くしようとしたのでなく収益を増やそうとしたのだが、コイン報酬システムがゲーム体験を強化してプレイヤーを熱中させる結果になったとの事だ。Facebook/Twitter/その他のコミュニティをチェックして苦情が来ていないか調べたところ、文字通り苦情はゼロだったという。このお話にひとつ問題があるとすれば、それは全く不可能だという点だ。そもそもゲームに何らかの変更を加えて誰も苦情を言わないという事態があり得ないのは自明である。本当に真面目な話、そうである。とにもかくにも、フリーミアムは大人気だ。彼らの収益は劇的に向上したそうである。ダウンロード回数は9倍に、収益は5倍になった。

ポールによれば消耗アイテムを入れておかなかったのは失敗だという。フリーミアム方式で行くなら1人のプレイヤーが支出できる上限額は青天井にしておかなくてはならない。Trucks and Skullsは何もかも全て買ったとしても比較的低い金額で終わってしまう。消耗アイテムの欠如はフリーミアムの世界では大失態と見なされるわけだ。フリーミアムか死か。それがテーマだ。

イモータルアリーナ ルール調整

  • 「技あり」は後取制に。取った時点で相手の技ありが無くなる。
  • 最後の兵糧を銀行から取ると、その時点で兵糧の多いプレイヤーに技ありが与えられ、双方とも兵糧が2つになる。
  • 味方全てが生存し、かつ後列にいる状態が発生すると全て中列に移動する。
  • 前のターンに動かした/足止めを受けている駒も追加の兵糧を1つ払えば動かせる。
  • 騎兵の重装甲は「ダメージ1の時に致死攻撃の打ち消しコストが0」に変更。
  • 砲兵の砲撃は打ち消されなかった場合対象を1歩後ろに下げる。
  • 全てのユニットの蘇生は1歩前進/後退が義務になった。蘇生対象は移動した先の列にいなければならない。
  • 前列から前進/突撃したり後列から後退する事はできない。
  • 手番には必ず駒を動かさなくてはならない。全てが足止めを受けていれば兵糧を払って動かす。