これは翻訳記事です
GDC#22:デジタル・ミーツ・アナログ
2012/10/22 Soren Johnson
Game Developer誌2012年8月号に掲載された物の再掲
ビデオゲームとボードゲームが親戚だとすると、それはまるでヨーロッパの貴族階級の様なものだ。2つのフォーマットは相互に混ざり合い、間に引いた境界線はぼやけている。今や多くのデジタルゲームがボードゲームに似せて作られている。最近のモバイルゲーム、”Cabals”や”Hero Academy”を見てみよう。これらはデジタルゲームとしてのみ存在するのだが、どちらもボードゲームの外観を備えている。ターン制プレイ、駒になるデッキのシャッフル、タイルで区切られたゲーム盤、そして隠しデータの無い透明性を持ったルール。
他にも、主流のビデオゲームがボードゲームの要素を抽出して採用しているケースもある。例えば”Rage”におけるTCGメカニクスがそうだ。開発者は、プレイヤーがビデオゲームに馴染んでいるのと同じくらい、ボードゲームにも馴染んでいると期待したわけだ。カードやダイスを入れておけば、他のビデオゲームの習慣に従うのと同じくらいプレイヤーがデザインに親しめると。
同時に、デジタルとアナログの邂逅は後者をも変えつつある。とりわけiPadはボードゲーム業界に革命をもたらした。アナログゲームのデジタル移植がようやく上手く行く様になったからだ。iPadは多くの機能を備えている。高解像度のスクリーン、タッチ式インターフェース、そして(もしかしたら一番重要な)アプリ販売の強固なインフラ。ボードゲームのデジタル化に完璧な組み合わせだ。Days of Wonderの創業者エリック・オートモンは、このデバイスへの熱情をこう語った:
「iPadの美しさとは、それが存在する事を忘れてしまえる事だ。2人のプレイヤーの間にiPadを置くと、スクリーンがあまりに良く出来ているために、その下に電子機器があるという事をほとんど忘れてしまう。iPadの前に座って”Small World”をプレイしていると、それがiPadのゲームだという事はすぐに頭から抜け落ち、ただ”Small World”そのものに思えて来る。将来、あるゲームが「ボードゲーム」なのか「iPadゲーム」なのか、あるいは未来のデバイスのゲームなのかという質問は意味が無くなるだろう」
Days of Wonderの業績はモバイルによって急加速した。「乗車券」のiPhone版を発売した所、アナログ版の売れ行きが持続的に70%向上。同時にiPad版もトップ100アプリに常駐しており、$6.99という健全な値段で売れている。(iOS用ボードゲーム市場の健全さを表しているのがこの価格帯だ。99セントのゲームが氾濫する中で、「カタン」や”Samurai”は$4.99、「カルカソンヌ」に至っては発売後2年経っても$9.99という破格の値段で売れている!) 実際リリース以来、「乗車券」のデジタル版はアナログ版の販売を3:1で上回っている。そうなると疑問が出て来る。Days of Wondersはそもそもボードゲーム会社なのか、それともビデオゲーム会社なのか?
透明なゲーム
こうした成功により、デジタルボードゲームはビデオゲームデザインの議論においても無視できない存在になった。しかしボードゲームがますますデジタル化する中で、それはボードゲームとしての性質を残せるのだろうか? ボードゲームとは単に物理的コンポーネントを持ったゲームの事だろうか? 先に触れた”Cabals”や”Hero Academy”はデジタル版としてのみ存在する。これらはどうか? iOSの”Assassin’s Creed Recollections”はどうだろうか? これはリアルタイム版のM:tGだが、コンピュータがリアルタイムの相互作用を処理してくれなければ存在できないゲームだ。
物理的コンポーネントが必須でないとしたら、ボードゲームをボードゲームたらしめる物とは何だろう? なぜこのカテゴリに入るゲームとそうでないゲームがあるのか? 思うに、ボードゲームを定義する物は物理的コンポーネントではなく、完全なる透明性だ。ゲームの全てのルールが見える様になっているべきという哲学である。
この気付きは重要な含意を持つ。透明性が全てのボードゲームを繋ぐ糸だとしたら、透明性こそボードゲームが楽しい理由そのものという事になる。つまり、透明性はあらゆるゲームにおいて楽しさの源泉になり得るという事だ。それが自分のゲームにどんな役割を果たすか、開発者はよく理解しなくてはならない。
例えば、”Civilization”シリーズは本質的に巨大なボードゲームであり、計算と記録にコンピュータを使わなければプレイできないというだけである。ゲームメカニクスの大部分はプレイヤーに公開されており、都市が1ターンにどれだけの食料を産出するか、次の技術を開発するのに何ターンかかるかなど全て分かる。
あまり透明でない部分のひとつが戦闘システムだ。プレイヤーにとってはブラックボックスであるため、状況によっては戦車が槍兵に負ける事を心配しなくてはならない。Civ4はこの問題の解決に向けて一歩踏み出した。戦いの前に実際の勝率を表示する様にしたのだ。Civ5は更に一歩進み、予想ダメージをグラフィカルに表示する様になった。
これらの戦闘システムは、平均的プレイヤーにとってはやはりよく分からない代物だろう(言うまでもなく、ハードコアプレイヤーはリバースエンジニアリングで計算式を突き止めた)。しかし、それでもこうした改善は、戦闘結果を明らかにする事で透明性を指向しているのである。歴代開発チームは透明性がCivシリーズの重要な美徳だと分かっていた。これらの変更はファンに喜ばれた。
デジタルがアナログを打ち負かす時
デジタルとアナログの融合で面白いのは、デジタル化によって大幅に改善されたボードゲームが存在する事だ。まずデジタル化すればセットアップも記録作業もいらない。これによりゲーム時間は大幅に短くなり、今までに無い環境でも遊べる様になった。今や”Memoir ’44″がコーヒーショップで、他の客をぎょっとさせる事無しに遊べるのだ。
ボードゲームを何十回、何百回と遊べる様になると、ゲーム体験そのものが変わって来る。巨大な歴史シミュレーションカードゲーム”1960″は実物なら数回しか遊べないが、Web版なら1ゲームが1時間で終わる。1ゲームの短さとゲーム回数の多さは敗北の痛みを減らしてくれる。そうすればもっと実験的な戦略を試す事も可能になる。月に1回の遊ぶ機会を犠牲にしなくて済む訳だ。
しかし、こうした頻繁なプレイは新たな挑戦ももたらす。ゲームバランス上の問題はかつてない程素早く見つかる。2011年に出たマーティン・ワレスの”A Few Acres of Snow”はフレンチ・インディアン戦争を題材にしたウォーゲームだが、修正の必要な箇所が見つかり悪評を得てしまった。イギリス側に”Halifax Hammer”と呼ばれる支配戦略が存在したのだ。このゲームはWeb上で無料で遊べたため、リリース後すぐにこの戦略が生まれてしまった。水がひび割れを見つけるのはかくも早くなったのだ。
デジタルボードゲームには他にも利点がある。非同期プレイだ。ボードゲームをやろうとすると同じ場所に長時間、中断を挟まずに集まらなくてはならない。非同期プレイはこの問題を迂回する方策だ。プレイヤーはそれぞれ好きなペースでゲームを進める。プログラムは次のプレイヤーが手番を行うまで待ってくれる。
iOSゲームの”Ascension”は非同期フォーマットを正しく採用して成功した例だ。ゲーム自体は「ドミニオン」の焼き直しだが、Appストアにおいて多大な成功を収めた。変わった遊び方としてではなく、ゲームの中核要素として非同期プレイが実装され、複数のゲームを同時に進行させておく事が簡単にできる。全てのボードゲームが非同期プレイに適する(ターンごとに多くの決定を下せる)訳ではないが、適しているゲームはモバイルの世界に新たな可能性を求めるべきだろう。
分析する楽しみ
非同期プレイにせよシングルプレイにせよ、デジタル化はボードゲームにつきものの待ち時間を無くしてくれる。「ケイラス」や「プエルトリコ」など、全ての情報が公開されランダム性が少し入るというゲームがドイツにはよくある。これを効率主義のプレイヤーと一緒に遊ぶと大変だ。最適手を確信するまで延々時間をかけ、ゲームの進行そのものを大幅に遅らせてしまう。だが、手番の遅いプレイヤーを待つ事は苦痛だが、だからといって最適手を探す事自体がつまらない訳ではない。
はやく手番を終えろというプレッシャーの下で最適手を探すのは面白くないだろう。しかし複雑な状況において正しい手を探すのは、この種のゲームの面白さの源泉である。知っての通り、最適手探しはシングルプレイヤーゲームにおける熱い戦いでもある!
実物のボードゲームで遊んでいる場合、ゲーム進行を滞らせたくないが慌てて間違った手を選びたくもないという問題が出て来る。非同期プレイとシングルプレイはこの問題を解決し、プレイヤーに好きなだけ時間を与えている。iPad版「プエルトリコ」は1人で好きなペースで全ての決定を下せる様になり、エレガントなゲームとして輝いている。実際、近年の協力型ボードゲーム「パンデミック」や「ゴーストストーリー」の人気を見るに、ボードゲームの魂を持ったソリティア型ビデオゲームには十分な市場があるのではないか。
新たな知見により、物理的コンポーネントとボードゲームの本質とを分離する事の価値が明らかになって来た。ボードゲームの本質とは完全なる透明性である。そしてそれはほとんど全てのゲームジャンルや形式において美徳となるものだ。”Triple Town”のタイルの組み合わせ、「プラント vs. ゾンビ」における敵の決まった挙動、”Cut the Rope”における分かりやすい物理法則。これらはボードゲームとは似ても似つかないが、どれも透明性という美徳を備えているのだ。
原文:http://www.designer-notes.com/?p=446
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