月刊スパ帝国Vol.13の特集「ゲームが強くなる100の知恵」は非常に好評だった。そこで増補してKindleストアでも売ろうと試みたのだが、いざ登録する段になって彼らに独占配信権を与えないとまともな印税が支払われない事が明らかになり計画を放棄した。そのままお蔵入りにするのも忍びないので加筆分を掲載。なお記事内容は月刊スパ帝国Vol.21「ゲーム2.0」とリンクしている。
ゲームが強くなる100の知恵++
#101 自分自身を知る
ここから加筆分である。ゲーマーはそれぞれゲームにどんな体験を求め、そこから何を学ぼうとするかによって様々なタイプに分かれる。筆者はこれを民族と呼んでいる。例えば細かい数値管理を通じて複雑な手順の遂行をマスターする性向を持った人々は管理民族だ。民族には大きく分けて意思決定・研究・管理・軍人・操作・ロボット・消費者の7つがあり、ゲームに対するアプローチが根本的に違っている。
これは本来ゲームデザインの為の概念であるが、ゲーム攻略にも適用可能だ。自分がどんなタイプであるかを知れば、どんなアプローチを無意識に行っているか明らかになる。するとどんな要素を構造的に見落としているか発見しやすい。稽古事は「自分はどの様にして間違うか」を見つけるプロセスである。強くなる事を目指すなら自分自身を知ろう。
#102 意思決定民族
意思決定とは不完全な情報で決断を下す事である。ローグライクで強力な敵に出くわした時、逃げるのとアイテムを使うのとどちらが生き延びる確率が高いか? 射撃をすれば70%の確率で命中して敵を倒せるが、外れたら反撃で殺されるかも知れないという時に押すか退くか? こうした「正解が完全には分からない」判断が意思決定であり、それを好むのが意思決定民族である。戦略ゲーマーやボードゲーマーと大きくオーバーラップする。
意思決定民族はゲームが「公平」で「まとも」である事を当て込む癖がある。ゲームはどんな時も面白い意思決定の問題を呈示し、答えが分かり切った単純作業は存在しないと思いたがる。それゆえ退屈で卑怯な解法を構造的に見落とすのである。例えば2012年版XCOMは遮蔽に隠れて敵と撃ち合うゲームだが、実は最高難度でそれをするのは非常に危険だ。こちらが全身遮蔽に隠れていてさえ敵の攻撃は十分に致死的だからである。安全な解法は敵のレンジ外で塹壕に立て籠り、ひたすら時間をかけて1体ずつ狙撃するという物である。
言うまでもなく、この解法を適用すると戦場は反復作業に限りなく近くなる。前衛の兵士はひたすら伏せ、後衛の狙撃手は敵がひょっこり顔を出すまで無限に待ち続ける。それは意思決定民族が思い描くゲームとは少々異なっており、故にその解法を無意識の内に探索候補から外すのである。
*ちなみに2013年の拡張パックでAIが改善され、この種の塹壕戦は使えなくなった。
#103 研究民族
研究民族はゲーム世界のハッカーである。彼らはゲームの隠れた細部を調べ上げ、プレイヤーが見る事を想定していないデータに辿り着き、驚くべき解法を探し求める。開発者をアウトスマートする事こそゲームをする理由である。「お前は完璧なゲームを作ったと思っているのか? そうじゃない事をこれから証明してやるぜ」という具合なのだ。TASや凄まじい縛りプレイの挑戦者と概ねオーバーラップする。
この民族はゲーム世界をトゥルーマン・ショーの様な物だと当て込む。つまり一見もっともらしいシステムともっともらしい攻略定石が用意されているけれど、それらは全てハリボテであってよくよく検分すると継ぎ目が綻び、最後にはライトが落ちて来て世界の化けの皮が剥がれるのだ。この期待の故に目の前に差し出された明白な解法をしばしば拒絶してしまう。「相手が投げに来たら投げ抜けを入力して引き分けにしろ」といくら言われても、何か別の手段で裏をかけるとつい考える。
これはある意味で意思決定民族の裏返しである。意思決定民族がゲームを綻びの無い物と当て込むのとちょうど逆に、研究民族は何らかの綻びがある筈だと当て込む。「開発者が想定していなかった不思議な答え」を不釣り合いに好む性向が自分にあると知っておこう。裏技を見つけられないのは自分が無能だからではなくて、単にきちんと作られたゲームだからかも知れないのだ。
#104 管理民族
管理民族とは、多数のデータと複雑な手順をミス無く取り扱うゲーマーである。実際のところ、過去の「シミュレーション」ゲームの多くは管理民族向けに作られている。停電やら交通渋滞やら汚染やらを一々管理して適切な処理を与えるのも一種の才能だ。
管理民族はゲームが「法の支配」の下にあると当て込む。つまり「正しい手順」と「間違った手順」がどこか見えない就業規則書に網羅されており、それに従っている限り決して悪い結果が生じる事は無い。失業率が高ければ職場を増やす。渋滞が酷ければ公共交通機関を整備する。所与の状況に対して「正しい答え」は常に決まっており、何が正解か分からない状況を好む意思決定民族とはこの点で大きく違っている。
例えばXCOMで敵と撃ち合いになったら遮蔽に隠れるのは正解、道路の真ん中に突っ立っているのは不正解である。だから隠れた。なのに敵の弾が当たるなんてルール違反じゃないか! という具合だ。あるいは無防備な敵に上手く接近した。命中率は95%だ。なのに自分の弾が外れるとこれまた不公平だと感じるのである。
残念ながら歪んでいるのは乱数表でなくゲーマー自身の期待である。管理民族は「定石に則っている限り悪い結果は生じない」という世界を無意識に当て込む。ゆえに95%を100%と容易に混同するのである。
#105 軍人民族
軍人民族とは反射と操作精度を極限まで高め、人間戦闘マシンへと昇華して行くゲーマーである。強くなり続ける事は彼らの目標だ。ゆえに「強さで全てが決まるシンプルな世界」を無意識に当て込む。
ゲームデザイナーのデイヴィッド・サーリンはある時、格闘ゲームの対戦で相手に5回連続で投げを浴びせた。すると相手は抗議した。おいおいそれしか出来ないのか? 興味深いのは、その対戦相手がプレイ自体は上手かったという事である。彼は軍人民族の陥穽にはまっていたのだ。操作のテクニックとか、相手の技に反応する精度といった戦闘マシンとしての技能を磨くと「戦闘力」が上がる。試合前に両選手の戦闘力を計測すればどちらが勝つか分かる……という様な根拠の無い当て込みだ。
勝負を決めるのはそれだけではない。駆け引きや互いの考えの噛み合わせも関わって来る。格闘ゲーマーはしばしば、自分より少し弱い相手には安定して勝てるけれども、もう一回り弱い相手には思わぬ黒星を貰う事がある。実力が違い過ぎると考えを読む事ができなくなり、連続して裏をかかれる事がよくあるのだ。強さを追求する者の落とし穴とは、自分が「強さ」と定義する以外の要素を過小評価する事である。
#106 ロボット民族
ロボット民族は機械の指示に従って反復作業をこなすゲーマーである。実のところ、この民族は本書で扱う戦略ゲームとはいささか居住地が離れている。戦略ゲームは複雑な問題に対して自分で解法を考えるゲームである。ロボット民族は村や農場の経営といった、するべき事が分かっていて機械の指示に従えばよい作業を楽しむ。
ロボット民族の当て込みは「報酬」である。つまり一定の時間を投下したらそれに見合った成果が得られると考える。これはしばしば、ゲームの練習において障害になる。上級者の指導の下に自分のリプレイを見て改善点を探しながら練習するプレイヤーと、ひたすらコンソールの前で時間を潰すプレイヤーでは上達の速度に大きな差がある。上手くなるというのは時間を生贄に捧げて技量を神から下賜される過程ではない。自分がどう間違っているか、どの様に下手かをひとつひとつ発見して直してゆく創造的な作業である。
#107 消費者民族
消費者民族は広義の買い物を楽しむゲーマーである。MMORPGでレベル90まで到達したい。その為には時間なり金なりを投じなくてはならない。では何を買ってどの狩り場でレベルを上げるのが最も効率良く欲しい物を手に入れる道筋なのだろうか……とあれこれ思案する事に喜びを見出す人々である。
これも戦略ゲームとはだいぶ居住地が離れている。消費者民族はしばしばアイテム課金制ゲームに逗留しているが、これは戦略ゲームと非常に相性が悪い。恣意的に難易度を上下させられると戦略のバランスそのものが崩壊するからだ。
消費者民族の当て込み、というより世界観は「コストと欲しい物」の二分法である。例えば格闘ゲームのコンボを練習するのであれば、練習時間がコストでそれによって得られる勝率が欲しい物である。これはしばしば過程を楽しむ障害になる。練習を「本当のゲーム体験を始める前のコスト」と見なしてできるだけ圧縮しようと考えると、結局苦行の長さに飽き果てて放り出す事になる。上手いプレイヤーの多くは練習過程も含めて楽しんでいる。「すぐ勝てるキャラはいますか?」と聞くのは一番不毛だ。
#108 操作民族
操作民族は固定の集団というより、ゲーマーになりたての未分化細胞である。彼らの目標は機器の操作に習熟する事だ。子供や若年層と比較的オーバーラップしている。アクションゲームとかカジュアルゲームが主な居住地だ。
未分化ゆえ悪い習慣や構造的な当て込みを指摘するのは困難である。彼らに伝えるべき何かがあるとしたら、ゲームは非常に範囲の広い物で、ちょっと足を伸ばせば非常に様々な世界が広がっているという事だ。箱庭を眺めたり、1/60秒単位の駆け引きをしたり、味方のうち誰が一番死んでも構わないか決断するのもゲームの楽しみである。ボタンの押し方を覚えただけで「卒業」してしまうのは勿体ないぞ!
#109 交流しよう
これが本当の最後だ。他のゲーマー、とりわけ他民族のゲーマーと交流してみよう。自分がどんなゲーマーでどんなアプローチを採っているか、他の人々と比較するとよく分かる。筆者は研究の得意なゲーマーと出会うまで、自分が無意識に「ゲームを壊す」解法を避けている事に気付かなかった。自分自身を相対化し、どんな存在であるか知る事は、遠回りだが確実にゲームが強くなる道である。という所でゲームファンのみんな、また次の本までご機嫌よう。
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