#34 ロンバルホールデム

2〜11人用ポーカーゲーム。「ロンバルディアの王冠」のカードを使う。全員が2枚ずつ手札を持ち、共用のコミュニティカード5枚と組み合わせて役を作る。最も強い役を持っていたプレイヤーが賭け金を総取り。最初にコインが16枚になったプレイヤーの勝ち。なおコインはサプライからも供給されるので、プレイヤーが持つコインの総数は増え続ける。

 

使う物

  • 「騎士」カード1〜11
  • 「貴族」カード2〜10
  • 「司教」カード4〜8
  • 「王子」カード4・6・8
  • コインチップ

 

始め方

  • 席順と最初のディーラー(カードを配る役)を決める。
  • 全員にコインを8枚ずつ配り、残りをサプライに置く。

 

遊び方

  • 28枚のカードをよく切る。
  • 各プレイヤーに2枚ずつ配る。これは本人だけが見る事のできる「ホールカード」である。
  • 山札から3枚めくり卓に置く。これは共用の「コミュニティカード」である。
  • サプライからコイン1枚を取ってポット(賭け金置き場)に入れる。
  • ディーラーの左のプレイヤーから順に、時計回りで1回ずつ手番を行う。できるアクションは以下の3種類:
    • コール:所持金からコインを1枚出してポットに入れ、ホールカードのうち1枚を選んで公開する。
    • ダブル:所持金からコインを2枚ポットに入れ、サプライからも1枚ポットに入れる。
    • フォールド:このラウンドを降りる。次のラウンドまでゲームに参加しない。
  • 全員がアクションを終えたら山札からもう2枚めくり、コミュニティカードに追加する。
  • フォールドしていないプレイヤー全員のホールカードを公開する。
  • それぞれホールカード2枚とコミュニティカード5枚の計7枚から自由に5枚を選び出してポーカーの役を作る。
  • 最も強い役を持っていたプレイヤーがポットにある賭け金を総取り。
  • ディーラーが左のプレイヤーに移って次のラウンドへ。
  • 誰かのコインが16枚になった時点で決着。
  • 所持金が足りなければいつでもサプライから借りてよい。

 

役の作り方

  • ポーカーと同じ。ストレートフラッシュ>フォーカード>フルハウス>フラッシュ>ストレート>スリーカード>ツーペア>ワンペア。
  • 王子3枚が揃った場合は「ロイヤル」として最強の手。
  • 王子2枚はオールマイティ1枚として使える。
    • 任意のスートの1〜11になる。司教の1など存在しないカードも可。
    • オールマイティ1枚を含めて5枚になる様に選び出す。つまり4枚+王子2枚の計6枚を使う事になる。
  • 役の強さが同じである場合、次の方法で勝者を1人にする:
    • ワンペア・スリーカード・フォーカードなら数字の大きい方が強い。
    • ツーペアは大きい方のペアの数字を比べ、同じなら小さい方を比べる。
    • フルハウスはスリーカード部分の数字を比べ、同じならペア部分を比べる。
    • ストレート・フラッシュ・ストレートフラッシュは最も大きい数字を比べる。
    • 役に含まれる数字も同じであれば、ホールカードのうち数字が大きい方同士を比べる。
    • 数字も同じであれば王子>司教>貴族>騎士の優先順位になる。

翻訳記事:勝つ為に戦う(17)

これは翻訳記事です

 

読み:心のスパイ

 明君と賢将に勝利と征服をもたらし、凡人に不可能な成功をさせるのは、予知である。予知は鬼神の働きでも、経験から導かれる物でも、計算によって得られる物でもない……敵情を知る事ができる手段は間諜だけだ。

-孫子兵法-

 

孫子はスパイを最も重視しており、他のどの人員よりも柔軟に報奨されるべきだと説く。何故ならスパイのもたらす予知は、戦争において他のどんな資源よりも価値があるからだ。敵がどこを攻めて来るか知っていれば、防備を広く分散させる必要は無い。敵がいつ油断するか知っていれば、攻撃して確実に勝利を得られる。敵将の癖を知っていればそれを利用できる。スパイによる予知はあたかも未来を見通すかの如くである。

 いつも一手先しか読まないが、いつもそれが正しい。

-第3代チェスチャンピオン、ホセ・ラウル・カパブランカ-

 

読み

対戦ゲームにおいて、相手の考えを知る以上に重要な事はほとんど無い。日本人はこれを「読み」と称している。相手が次にやる事を知っていれば、複雑な理論による意思決定は全て不要になる。孫子は相手の考えを読む事は霊的事象だと言うが、私自身は「常人には不可能な」読みをするプレイヤーを見た事がある。もしかしたらただ単に対戦相手の詳細を観察するのに優れていたのかも知れないが、どうもそれを遥かに超えている様に思える。ある1人のプレイヤーは超自然的と言ってもいい程に相手の考えを読む事に長けており、次に相手が何をするか知っていた。馬鹿げた言い分だと思うかも知れない。しかし信じて欲しい、日本の格闘ゲームプレイヤー、梅原大吾を見た者は皆そう言うのだ。潜めた声で、本当にそうかも知れないという風に。

話が横道に入るが、ゲームの「戦略性」は読みをどれだけ可能にし、報奨するかでほぼ決まると私は論じたい。馬鹿な例だが○×ゲームを考えてみよう。最初の1手は9種類しか無く、機能上異なるのは3種類だけだ。もし何らかの魔術で相手の次の手を予知したとしても全く意味がない。このゲームは相手が特定の手を打つ事を強制する非常に窮屈な代物であり、初心者だろうと予知の達人だろうと基本的に同じ棋譜を残す。「プレイの癖」や「性格」を発揮する予知は○×ゲームには存在しない。動いているのは単純なアルゴリズムだけであり読みの予知は入らない。

 

読みレイヤー

良い対戦ゲームは「相手のする事を知っていれば対抗できる」仕組みが無くてはならない。ではもし、こちらが相手のする事を知っている事を相手が知っていたらどうなるか? 相手はこちらに対抗する術を持つはずだ。この時、相手はこちらより一段階上のレベル、または上の「読みレイヤー」にいるのである。こちらは相手のする事を知っている(読みレイヤー1)。しかし相手はこちらが知っている事を知っている(読みレイヤー2)。ではその事をこちらが知っていたらどうなるか(読みレイヤー3)? 相手の対抗手段への対抗手段が必要になる。そしてもし相手がその事を知っていたら……

収拾不能になる前に芽を摘んでおこう。読みレイヤーは3までで十分である。なぜなら読みレイヤー4はレイヤー0にループして戻って来るからだ。例えばこちらに非常に、非常に優れた技”m”があったとしよう。こちらはできるだけこの技を使いたい(ここでリスク/リターンの非対称性が出て来る。もし全ての技が同じくらい良ければそもそも読み合いの土台が砕け散ってしまう)。この「読みレイヤー0」はある技がどれほど優れているかを発見し、ひたすらそれを使う事だ。すると相手はそれに気付き、その技を高い頻度で出して来ると予測する(読みレイヤー1)。そこで対抗手段となる技”c1″を使う。こうしてこちらにmを使わせない様にする。こちらの動きは封じられた。そこでこちらはc1を使わせない為の対抗手段として、対抗手段への対抗手段、あるいは”c2″を使う。

すると相手は何に備えていいか分からなくなる。こちらはmを使うかも知れないしc2を使うかも知れない。面白い事に、こちらはmを使いたくとも、相手にc1を使わせない為にc2を見せて脅しておく必要が出て来る。そうしておけばmを通しやすくなるからだ。

相手にも新しい選択肢が必要だ。こちらはmとc2で揺さぶりをかけられるが、相手にはc1しか無い。相手にもc2への対抗手段として”c3″が要る。これで双方2つの技を持つ事になった。

こちら:mとc2 相手:c1とc3

となるとこちらにもc3への対抗手段が必要である。ゲーム開発者はここでc4に相当する技を作りたがるが、それは必要無い。mがc4の役目を果たす事もできるからだ。基本的に、こちらが元々の良い技ではなくて対抗手段の方を出すと相手が読んでいたら、こちらは元々の技を出せば裏をかける。ゲームがちゃんとその様に作られてさえいれば。原則として、読みレイヤーが3まであり、レイヤー4がレイヤー0にループして戻って来れば、手段と対抗手段の完全な選択肢のセットが出来上がる。

こう書くと実際よりもかなり難しく聞こえてしまうはずだ。そこで「バーチャファイター3」から実際の例を引いてみよう(ただしこれも更にややこしいのだが)。

 

バーチャファイター3に見る読みレイヤー3の例

例えばアキラがパイを転倒させたとしよう。パイは起き上がる際に上昇技(これらの技は最強の判定を持つ)を出す事もできるし、何もしない事もできる。もしアキラが起き上がりに合わせて攻撃を仕掛けて来たら、上昇技で全て跳ね返す事ができる。だがもしアキラ側がそれを読んでいたら、その場でガードして投げ技で反撃できる。パイは上昇技のキックを出し、アキラはそれを読んでガードした。読み合いの始まりだ。

アキラはダメージの最も大きい投げを使う事にした(これがアキラの”m”である)。この投げをかわす事はできないのだが、もし相手が投げを読んでいて投げ抜けコマンドを入力したら、ダメージ無しでそれを抜ける事ができる。投げの「発生」は確定だがパイにはそれを抜けるチャンスがあるのだ。実際、パイ側はこの場合に投げが確定している事を知っており(常識である)、アキラが最もダメージの大きい投げを繰り出すのは明々白々である。結局、この状況は何百回と現れ、何百ものアキラが全く同じ事をして来たのである。パイがこの場で投げ抜け(パイ側の”c1″)を入力するのは戦略というより習性と化している。考える事無く条件反射でそうしてしまうのだ。

アキラ側は何度も何度も投げを抜けられるのに疲れ果て、今度は少し搦め手を使う事にした。崩撃雲身双虎掌とか、鉄山靠とか、その他体当たりの様な遅い強力な打撃を使うのである。これらは全て”c2″のカテゴリに入る。なぜこの状況で遅い打撃が有効なのか? まず、パイが投げられていないのに投げ抜けコマンドを入力した場合、それは投げ抜けでなく投げモーションになる。その時点でアキラが投げの間合い外にいたり、他の理由で投げられない場合、この投げは投げスカリになる。パイは虚空を掴もうとして隙を晒すのだ。バーチャファイターにおける重要なルールとして、相手が技の発生または持続モーションになっている間は投げが成立しない。ゆえにアキラが大きな技を出した場合、持続モーションが終わって硬直モーションに入るまでは全く投げを受け付けないのだ。

元の話に戻ろう。アキラは投げを抜けられるのに疲れ、相手の投げへの対抗手段である遅い強力な打撃を出す事にした。ちなみにこのc2技もかなりのダメージを出す。次にこの状況になった時、パイはどうしていいか分からない。習慣は投げ抜けを入力しろと告げるが、もしそうすればアキラの遅い打撃を食らってしまう。そこでパイは通常のセオリーを離れて”c3″選択肢を選んだ。その場でガードするのだ。こうすればアキラの打撃でダメージを受ける事は無い。そしてどの技を出したかにもよるが、パイは大抵の場合その後に反撃ができる。

ではアキラがそれを読んでいたらどうするか? 実はc4は必要無い。最初にやろうとしていた投げ技(m)こそガードへの対抗手段だからだ。投げは相手を掴んでダメージを与える特殊な攻撃で、たとえ相手がガードしていても成立する。これは打撃を防ごうとガードしている相手に使うためにわざわざ作られているのだ。

まとめると、

アキラは投げと遅い打撃を持つ。
パイは投げ抜けとガードを持つ。

先に示した様に、プレイヤーは読みレイヤー3、4、あるいはもっと上まで考えるはずだ。投げ抜けは既に条件反射と化している。しかし狡猾な相手に対しては、通常の投げ抜けをするかガードするか逡巡せねばならない。アキラ側はたまに遅い打撃を混ぜて敵を攪乱し、投げ抜けを止めさせようとする。そこで再び元々の目標に戻る:投げを浴びせるのだ。

もう一つの非常に面白い現象は「ビギナーズラック」だ。初心者のアキラはこの状況で投げに行く。なぜならこれは投げ抜けを知らない他の初心者に対しては上手く決まるからだ。そして初心者アキラは中級者に対しては決して投げを決められない。中級者は常に投げ抜けをするからだ。ところが奇妙な事に、初心者はしばしば上級者に対して投げを決めてしまう。上級者はどういう読み合いが必要か知っており、時々は投げ抜けでなくガードをするからだ。無論、上級者はすぐに相手がただの初心者である事を悟り、全ての動きを読み切れる様になる。

読み合いの複雑さを示す為に一言添えておこう。上記のバーチャファイターの例はかなり簡略化したものだ。本当は例えば、パイはガードでなく速い打撃を出す事もできる。アキラにも遅い打撃以外のc2がある。「キックガードキャンセル」と呼ばれる技がそれだ。まずキックボタンを押し、硬直モーションに入るまで投げられない様にする。パイがこれを投げようとすれば投げスカリになる。そこでアキラがキックをキャンセルすればパイの晒した隙に攻撃を叩き込める。この時点で投げを出せるのは確定しており、結局最初と同じ状況に戻るわけだ。ここでの肝は、アキラがキックガードキャンセルから投げを繰り出した場合、パイは恐らくそれに反応する時間が無いという事だ。それは余りに速過ぎる。パイはまた新たな読みレイヤーに放り込まれる。パイはアキラが投げに来ると読んで投げ抜けを出し、それをキックガードキャンセルされ、再び次の読み合い(打撃か投げ抜けか)に入る。一瞬でもためらえばその時は既に投げられている。

ここで強調しておきたいのは、バーチャファイターは恐ろしく複雑であるにもかかわらず、プレイヤーの思考は先に述べた様なレイヤーに沿っているという事だ。読み合いの構造やリスク/リターンを知るのも重要だが、読みを極めたプレイヤーなら個々の状況における読み合いを制する事で一気に本質に迫れる。似た様な状況におけるセオリーに従うより遥かに強力だ。

 

原文:http://www.sirlin.net/ptw

翻訳記事:勝つ為に戦う(16)

これは翻訳記事です

 

敵の詳細を観察する

敵の詳細を慎重に観察し、将来の手を予測する材料を集めよ。この点に関して、孫子の戦争に関する助言はマイク・カロのポーカーに関する助言によく似ている。

「狂気の天才」マイク・カロはポーカー指導者であり、ポーカー作家であり、世界最高水準のポーカープレイヤーである。彼はコンピュータ分析も利用するが、同時に心理学とギャンブル哲学においても有名だ。カロの著作「ポーカーは語る」と孫子兵法を比べてみよう。

弱いは強い、強いは弱い:

敵が近くにいて静かであれば、それは地の利を恃んでいる。遠くにいて挑発をして来れば、それは相手を進ませようとしている。容易に近づける場所に陣地を置いていれば、それは囮である。

-孫子兵法-

 

ポーカーにおいて、手札が弱い時に強く振る舞うという誘惑は抗し難いものだ。逆、即ち強い時に弱い振りをするのも然り。

-マイク・カロ-

 

弱い振りをするのに夢中になっているプレイヤーは、往々にして強い手札を持っている。

-マイク・カロ-

 

突然の動き:

鳥が飛び立つのはその下に伏兵のいる証拠である。獣が驚くのは奇襲の前触れである。

-孫子兵法-

 

急に元気を取り戻して大金を賭けるプレイヤーに注意せよ。疲れ切ったプレイヤーを蘇らせ、再びギャンブルに向かわせるのは、往々にして目覚ましい手札である。

-マイク・カロ-

 

立ち上る煙:

塵が高く立ち上るのは(二輪)戦車の来る兆候である。塵が低く広がっていれば歩兵の兆候である。様々な方向に散るのは薪を集めている印である。少しの煙が往来するのは野営の印である。

-孫子兵法-

 

ブラフをかけているプレイヤーは内心不安であり、人目を引く様に煙草の煙を吐く事を躊躇する。覚えておこう、ブラフをかけている者はできるだけ注意を引いたり、コールを呼び込む様な行動を避けようとする。殆どのプレイヤーはブラフの際に透明な存在になりたがる。ゆったりと煙を吐き出すプレイヤーは、恐らくコールされる事を恐れていない。

-マイク・カロ-

 

外見からの手がかり:

兵士が槍に寄りかかっているのは空腹でぼんやりしているからである。水を汲みに出された兵がまず自分で飲むのは乾きに苦しんでいるからである。優位を取れるのに何もしないのは兵が疲れ切っているからである。

-孫子兵法-

 

良い服をまとったプレイヤーは保守的にプレイする傾向がある。しわくちゃのスーツに緩んだネクタイの男はギャンブルをする気分になっており、きちんと服を着ている場合よりも放縦なプレイをする可能性が高い。

-マイク・カロ-

 

秩序と混沌:

夜中に叫び声がするのは恐れているからである。恐怖で落ち着かなくなり、叫んで自分達を鼓舞しているのである。野営地内で騒乱が起きるのは指揮官の権威が弱いからである。旗が動くのは反乱である。士官が怒るのは疲れているからである。

-孫子兵法-

 

対戦相手の本性はチップの置き方から垣間見える。きちんとした置き方は慎重に手を選び、滅多にブラフをかけず、大きなギャンブルをしない傾向を示唆している。無論ゲーム中に気分が変わる事もあり、その場合はチップの置き方も雑になって来る。大きなチップの山の上に少し余剰が載っていたら、恐らくそれが儲け分である。

-マイク・カロ-

 

大胆な相手:

軍隊が馬に麦を与え、馬を殺して肉を食べ、炊事用具を火にかけていないのは、もう野営地に戻る気が無いという事であり、決死の戦いを挑む兆候である。(注:引用されている英訳が間違っている可能性あり。原文:「殺馬肉食者,軍無糧也。懸缶不返其舍者,窮寇也」)

-孫子兵法-

 

実際、幸運のお守りを付けていたり、迷信深い振る舞いをするプレイヤーは平均より賭け金を自由に扱う。

-マイク・カロ-

 

弱いは強い、強いは弱い、忘れるな:

言葉では謙り、備えが増しているのは進撃の兆しである。乱暴な言葉を使い、前に進もうとして来るのは撤退したがっている兆候である。軽戦車が出て両翼を固めるのは決戦の準備である。和を乞うが誓約が伴わないのは謀略である。走り回って隊伍を整えるのは決戦の時が近い印である。進む者と退く者がいるのは誘いである。

-孫子兵法-

 

相手に賭け金を積ませようとするのは勝てる手札と踏んでいるからである。賭けても安全だと相手に思わせる主立った方法は:(1)興味無さそうによそ見をする (2)パスする振りをする (3)チップに触れない である。

-マイク・カロ-

 

原文:http://www.sirlin.net/ptw

ロンバルディアの王冠 1人用ルール

ロンバルディアの王冠を1人で遊ぶルール。自動制御のAIと対戦する。

 

2人用ルールからの変更点

  • 貴族は2/3/4枚捨てて+1/+2/+3点になる
  • プレイヤーとAIで対戦する
  • 捨て札および双方の手札は全て公開
  • AIがドラフトするカードはプレイヤーが自由に決める
  • ドラフトはプレイヤーの手番の時だけ行う(AIの手番ではカードを引かない)
  • AIの手番では、AIは使えるカードを全て使う
    • 司教があれば全て公開する
    • 貴族が2枚以上あれば全て捨てて得点にする(5枚なら2枚と3枚の組み合わせと見なされ+3点)
    • 騎士の3枚組があれば捨てて攻撃する(6枚あれば2回攻撃する)
      • AIの攻撃が成功した場合、プレイヤーの手札に一番多いカードを捨てさせる
      • 同数であれば王子>司教>貴族>騎士の優先順位
    • 王子が3枚あれば公開して勝利する
    • 王子が2枚ある場合、AIの手番では司教としてのみ用いる(貴族として捨てたり騎士として攻撃はしない)
  • プレイヤーが騎士で攻撃した場合、AIは可能なら防御する
    • AIの手札に騎士1枚と王子2枚がある場合、王子2枚を騎士として使い防御する
  • プレイヤーの手番が終わった時、およびAIの手番が終わった時、AIの手札が5枚に満たなければ5枚まで山から補充する
  • AIに手札上限は無い
  • プレイヤーは通常通り手札7枚が上限

翻訳記事:選択が善ならざる時

これは翻訳記事です

GDC#25:選択が善ならざる時

2013/7/29 Soren Johnson
Game Developer誌2013年5月号に掲載された物の再掲

 

ビデオゲームの決定的性質は何よりもプレイヤーの選択である。相互作用こそゲームを映画や文学と分かつ物だ。批評家が”Dear Esther”などのデジタルコンテンツを「ゲームとは言えない」として非難するのは、往々にしてプレイヤーの選択が事実上存在しないという意味である。

しかし、選択という概念はいささかゲーム開発者によって理想化されており、「プレイヤーに介入させる」「著述をやめる」といったフレーズによって、選択の負の側面がしばしば開発において見過ごされている。それは開発者の盲点に入っているのだ。本当は、ゲームに選択を1つ加える度にトレードオフが起きているのである。

新しい選択肢が加わる事によってゲームはプレイヤーの介在度合いが高まり、同時に何か別の物を失う。そのコストは大きく分けて「過度の複雑さ」「過度の時間消費」「過度の反復」である。どれも度が過ぎれば選択の利益以上の不利益をもたらす。

 

過度の時間消費

仮にゲームを簡単な方程式で表すとすれば、[楽しさ = 意味のある選択 / プレイ時間]となるだろう。言い換えれば、同じ程度にプレイヤーの選択が介在するゲームが2つあれば、必要プレイ時間の少ない方が面白いという事である。そしてこの比較は容易ではない。新要素は意味のある選択を増やすが、果たしてそれはプレイ時間の増加に見合っているだろうか?

例として、”Dice Wars”と”Risk”はどちらも似た様な領域征服ゲームであり、この問題に違った答えを出している。どちらのゲームもプレイヤー同士がダイスを振って戦い、勝者は次のターンにより多くの軍隊を手に入れる。Riskの場合、軍隊をどこに置くかはプレイヤーが自由に決める。状況に応じて意味のある選択をするのだ。ところがDice Warsの場合、軍隊はゲームによってランダムに配置される。それによってプレイ時間が短縮される。

どちらのデザインが正しいのか? 答えは主観的にならざるを得ない。適切な問いは、プレイヤーが時間をかけて軍隊を配置する事によって戦術がもっと意味のある物になるのか、なるとすればどの程度改善するのかである。結局のところ、Riskのプレイヤーはより意図的な戦略を採用できるが、それは軍隊配置フェイズで消費する時間に見合っているのだろうか?

答えはプレイヤー層によって異なるだろう。Dice WarsはカジュアルなFlashゲームであり、Riskは伝統的なボードゲームだ。だが開発者は自分の決断がどういう影響をもたらすか理解していなくてはならない。Riskの軍隊配置は時々ルーチンワークと化すし、Dice Warsで意外な配置に対処するのは新しい種類の楽しみだ。結局の所、Riskはプレイ時間を延ばす要素に関してきちんとそのコストを正当化する必要がある。

 

過度の複雑さ

時間というコストの他に、プレイヤーに与えられる選択肢はそれぞれ複雑さを増し、認識力に負荷をかける。これもバランスを取らなくてはならない。多くの選択肢があればそれだけ悩む。5つの技術からどれを研究するか選ぶのと、50の技術から選ぶのは大分違う。プレイヤーは自分が選んだ選択肢だけでなく選ばなかった選択肢についても知ろうとする。否定すべき選択肢の数が増えれば、それだけ悩む理由も増える。

ゲームはその種類ごとに適切な選択肢の数がある。ゲームを管理可能な範囲に収めつつ、プレイヤーを圧倒しない適度な面白い意思決定を用意する。BlizzardのRTSは種族ごとのユニットの数がずっと一定だ。”StarCraft”も、”Warcraft 3″も、”StarCraft 2″も平均して1種族あたり12ユニットである。StarCraft 2に関しては、新しいユニットを追加した分だけ古い物を削除したと開発チームが明言している。

実際、RTSというジャンル自体がその子孫に人気を奪われつつある。”League of Legends”や”Dota 2″に代表されるMOBA(マルチプレイ・オンラインバトルアリーナ)ジャンルである。元々これはWarcraft 3のMODで”Defense of the Ancients”という名前が付いていた。通常のRTSと違い、プレイヤーは軍隊全てを操作するのでなくヒーロー1人だけを動かす。

この変更によりプレイヤー層は大幅に広がった。複雑さが大きく減少し、それによって認識力への負荷が軽くなったのである。プレイヤーはRTSの様に鉱山や兵舎や農民や兵士の集合を全て管理するのでなく、自分のキャラクター1人の事だけを考えればいい。考えてみよう、カメラが戦場全域を移動するのでなくヒーローだけを追い続けるとしたらどれだけインターフェースが簡素になるだろうか。それによって注意力の配分というストレスの多い作業をしなくて済む様になる。

もちろん、この変更はRTSから多くの意味ある選択を奪ってしまう。プレイヤーはどんな建物を作るか、どの技術を研究するか、どのユニットを作ってどこに送るか決める事ができない。これらの選択は全て抽象化されるか自動化される。ここでもまた、適切な問いはこうだ。失われた選択肢と、それがあった場合のRTSの複雑さは果たして見合っているだろうか?

MOBAゲームの成功が示しているのは、RTSによって開かれた戦争のスリルと迫力をプレイヤーは楽しんでいるものの、全ての要素を操作するという認識力の試練は必ずしも楽しんでいなかったという事だ。同様に、全てのユニットを操作しないRTS “Gratuitous Space Battles”の開発者のクリフ・ハリス氏も同様の点を指摘する。「GBSはプレイヤーが300隻の宇宙船を操作できるとは期待しない。そんな事は無理だ。それは最初から選択肢から外す。賛否はあるが、10万人以上のプレイヤーがこれを購入する程度に楽しんでいる以上、この考え方をするのは私だけではあるまい」

 

過度の反復

これは少し意外かも知れないが、ゲームの自由度が高過ぎると単なる反復作業と化す恐れがある。よくある例は、非常に広範だが基本的には条件の変わらない選択をセッションごとにさせるという物だ。プレイヤーは往々にしてお気に入りの選択の組み合わせを開発し、そこから抜け出す事をやめる。

プレイヤーが様々な環境に適応しなくてはならない場合、こうした選択肢の集合は上手く行く事もある。Civilizationシリーズにおけるランダム生成マップはプレイヤーが色々な道順でテクノロジーツリーの進める様に求める。しかし、ほとんどのゲームは選択肢を減らす方が全体としての多様性が恐らく増すだろう。

“Atom Zombie Smasher”の場合を考えてみよう。プレイヤーは街からゾンビを一掃するのに3つまでの武器(狙撃銃とか迫撃砲とか道の封鎖)を使える。しかしこれらの武器はミッションごとに8つの中からランダムに選ばれる。つまりプレイヤーは街とゾンビの配置だけでなく、武器の組み合わせという環境にも適応しなくてはならない。お気に入りの組み合わせにずっと頼る事はできず、意外な組み合わせがどうやったら上手く行くのかを発見せねばならない。これによりゲームプレイは毎回違った物になる。

似た例で”FTL”の場合、乗組員や武器や強化パーツはゲームごとに違った物が現れる。店で売っている物はランダムに変わるのだ。よってこれは完璧な単一の戦略を見つけるゲームではなく、手に入る物を組み合わせて最適な道筋を探すゲームになっている。簡単に言うと、Atom Zombie SmasherとFTLの多様なゲームプレイは選択肢を減らした結果なのだ。

これと全く逆に、厖大なカスタマイズの選択肢を持つゲームは大抵の場合いくつかの最適な組み合わせに収斂する。柔軟なシステムが結局台無しになるのだ。「アルファケンタウリ」にはデザインワークショップという物があり、プレイヤーが数値や能力を組み合わせて自由にユニットを設計できた。しかしすぐに最も有効な組み合わせが明らかになり、この要素はゲームの中心から外れてしまった。

然るに、プレイヤーに余りに多くのコントロールを与える、つまり選択肢や介入の余地が多過ぎると、ゲームのリプレイ性が下がってしまう場合があるのだ。実際、”Diablo”は習得するスキルを選べなければ今より面白くなるだろうか? ゲームは確実に別物になるだろう。意図した方向に進められないのは熟練者を遠ざけるだろうが、ゲームプレイの多様性が増える事によって別の層に訴えられるだろう。スキル割り振りがランダムであれば、ツリーのうち本来行かなかった筈の部分も探索する事になる。重要な点は、プレイヤーの選択の減少が必ずしもゲームを悪くしないという事だ。

究極的にはゲームデザインはトレードオフの連続である。そして開発者が認識すべき事は、プレイヤーの選択それ自体も他とバランスを取るべき一要素に過ぎないという点だ。プレイヤーの介入はゲームの中核的な強みだが、必ずしも他の全ての要素に無条件で優先するわけではない。即ち簡潔さ、洗練、多様性である。

 

原文:http://www.designer-notes.com/?p=609

#33 4X

帝国建設ゲーム風紙上パズル。1人用。「内政」「研究」「征服」を駆使して規定ターン内に領土を広げる。面クリア方式でそれぞれ地形と勝利条件が設定されている。

cover

  • 内政:1ターン消費。領有している地域全ての内政レベルを1つ上げる。
  • 征服:1ターン消費。領地に隣接する地域を1つ占領する。隣接領地のうちどれかの「生産力(工場マーク)」が対象の「防御力(盾マーク)」と同じか上回っている必要がある。
  • 地域を征服すると、それに隣接する全ての地域の防御力が1段階増加。
  • 研究:技術を1つ選んで研究。必要コストを領地全ての「研究力(ビーカー)」で割った数だけターンを消費。

12面

 

月刊スパ帝国Vol.17に収録。

11/4 ゲームマーケット2013秋 (東京) 参戦情報

アナログゲーム即売会「ゲームマーケット」に出展します。

  • 名称:ゲームマーケット2013秋
  • 開催日:2013年11月4日(月祝)
  • 会場:東京ビッグサイト(東京国際展示場) 西3ホール
  • 開催時間:10:00〜17:00
  • 入場料:当日販売1000円/事前販売1200円(カタログ付き、税込予価)
  • ※保護者同伴の場合、小学生以下無料
  • 421「スパ帝国」

月刊スパ帝国12、2〜10月号、ロンバルディアの王冠を頒布予定。

追記:ころころシアム追加キャラパイロット版を配布。持っている/買ってくれた人にサービスで渡します。

map
クリックで拡大

ゲームマーケット運営サイト

月刊スパ帝国 Vol.17

ゲーム付きミニ雑誌「月刊スパ帝国」Vol.17の紹介


Vol.17は帝国建設パズル「4X」全20面を掲載。内政・研究・征服を駆使して銀河に版図を広げよう! 今号は大真面目な考察記事も多数掲載。読み物目当ての人も存分に楽しめるぞ!

cover

内容:

  • 64ページ+表紙のオフセット誌
    • 1人用帝国建設パズル「4X」
    • デザインノート
    • Papers, Pleaseプレイ日記「ぐう凡入管報告書」
    • ゲームレビューコーナー(Papers, Please・アリスインナイトメア・カーマゲドンTDR2000・FEZ・Cookie Clicker・ロッカレイル・Wolfenstein 3D・禁断の島・Rock of Ages)
    • ライトゲーマー論批判
    • キングメーカー問題
    • フリーフォーオール問題
    • 揮発性リソースの考察
    • ゲームの金に関して

 

フリーフォーオール問題

恣意的な掩護=キングメーカーと並ぶ問題が、「恣意的な妨害」である。例えば古典ボードゲーム「RISK」がそうだ。これは世界征服ゲームで、各自が地球上に陣地を持ち、隣接していれば誰でも好きな相手を攻める事ができる。当然ながら対人戦は「こっち来んな」「あっちを攻めようぜ」という外交場になるわけだ。

「ディプロマシー」の様に外交プロセスそのものがゲームの中核であればそれは問題ではなくデザインである。しかし戦略の技量を競うゲームにおいてそれは瑕疵である。AとBが攻撃と報復を繰り返している間にCが力を蓄えて勝利をかっさらう。BがCを攻めたせいでAの勝利が決まる。これはいささか理不尽である。

「パズルストライク」はかなり攻撃的にこの問題を解決している。プレイヤーは他のどのプレイヤーでも自由に選んで攻撃できるし、誰から誰の攻撃でも自由に横から打ち消せる。攻撃を受けるとそのプレイヤーの場にジェムが積み重なり、一定量を超えると負けになる。その時点でゲーム終了だ。

面白いのは、この時最もジェムの少ないプレイヤーが単独勝利するというルールである。つまりABCが共謀してDを集中攻撃したとしても、Aのジェムが最も少なければBとCは負けてしまうのだ。従ってその状態でDに致死的攻撃が浴びせられたら、自分が勝つ可能性を残すためにそれを横から打ち消さなくてはならない。

つまり各自が勝利を目指した場合、必ずどこかで同盟が破綻して新たな陣営が組まれるのだ。そして新たな協力関係もまた一時的であり、「誰かを負けさせない」物であっても「誰かを負かす」あるいは「誰かを勝たせる」物にはならない。

「テラミスティカ」もこの問題の解決策をゲームの中核に持っている。これはボード上に家や交易所を建てる開拓ゲームである。「カタン」がそうだった様に、この種のゲームは空いている場所が有利だ。同じ地域に他のプレイヤーと共生していると開拓の余地が減る。自分のいる所に他のプレイヤーは来て欲しくない。これまた「こっち来んな」「あっち行け」の大合唱である。

ところがテラミスティカの場合、他のプレイヤーと隣接している事によるボーナスが存在する。誰かが隣接地域に建物を作ると「マナ」という特殊資源が手に入るし、他のプレイヤーに隣接している家は交易所へのアップグレードコストが安くなる。

更に、入植できる土地はプレイヤーごとに異なる。あるプレイヤーは沼地にしか入植できず、またあるプレイヤーは山岳にしか入植できない。この2つの仕組みによって「誰かの近くに入植して妨害する」という行為は非常にやりにくくなっている。

恣意的な妨害はゲームバランスの爆弾であり、人間関係にも悪影響を及ぼす。先進的なゲームはこれをできるだけ取り除く様に作られている。

 

続きは雑誌で読もう。1部¥950+送料。注文はストアから。

 

*訂正

10面の答えは正しくは4.内政 5.征服です。

翻訳記事:ゲームに物語は必要か?

これは翻訳記事です

GDC#24:ゲームに物語は必要か?

2013/5/13 Soren Johnson
Game Developer誌2013年2月号に掲載された物の再掲

 

物語とゲームの結婚はなかなか上手く行かない物である。大昔から、ゲーム開発者は自前で物語を書き、プレイヤーに決まった開始地点と決まった道筋と決まった終着点を与えて来た。その一方、決まった物語が無いために人気を博すゲームもあった。ゲーム体験とは物語を紡ぐ過程であり、開発者の自作ノベルに従う過程ではないのである。

全ての根底にあるのはドグマの対立だ。プレイヤーの選択が物事を決めるとしたら、開発者の考えた物語の入り込む余地はあるのだろうか? ゲームをゲームたらしめる物が相互作用であるならば、開発者のねじ込む筋書きはプレイヤーから主役の座を奪ってしまうのではないか? 言い換えれば、「ネタバレ」のあるゲームは本当のゲームと言えるのか?

誤解の無い様に言っておくが、「テトリス」などのアブストラクトゲームを除きほとんどのゲームは物語を活用している。面白い背景設定、特有の雰囲気、印象深いキャラクター、魅力的な会話、劇的な戦いなどなど。最高のゲームには他のメディアに負けない優れたキャラクターがいる。”Portal”のGLaDOSや”BioShock”のRaptureを思い浮かべてみよう。

しかしながら、文字通りの「物語」、即ち何がどの順番で起きるかの筋書きはゲームの相互作用性と調和させるのが難しい。書籍や映画の筋書きは作品の中核であり、他の要素はそれを支える為にあるが、ゲームの場合はそれと事情が違う。

海賊の時代を舞台にしたゲーム”Pirates!”を見てみよう。シド・マイヤーはこのゲームを作る際、単一の海賊物語を書いて筋書きと結末を決めるのでなく、海賊ものにありがちな小さな話を大量に散りばめた。プレイヤーは何をするか自由に選択できる。生き別れの妹を助けたり、邪悪なスペイン人と決闘したり、反乱を生き延びたり、宝を探したり、脱獄したり、市長の娘を口説いたり。ゲームの終わりにはプレイヤーの海賊人生における重要な出来事を振り返り、人生の浮き沈みを物語にまとめる。こうして出来上がった物語は決められた筋書きに比べると出来が悪いかも知れないが、プレイヤーにとってはかけがえの無い自分だけの物語だ。

だが全てのゲームが動的なストーリー生成に適しているわけではない。決まった背景の方が適するテーマやメカニクスもある。勇者は邪悪な魔法使いを倒すべきだし、兵士には敵が必要だし、配管工はお姫様を助け出さなくてはならぬ。この場合の解法は薄く味付けをする事だ。物語を直接伝えるのでなく示唆する。筋書きという考えを離れ、プレイヤーに世界を探索させる。そして最後にプレイヤーの頭の中で物語が組み上がる様にするのだ。

“ローリングストーンズ曰く、歌詞は判読不能の寸前が一番印象的である” – ポール・エヴァンズ、ローリングストーンズアルバムガイド

実際、ゲームにおける物語の役割は音楽における歌詞の役割に似ている。歌詞は文脈、雰囲気、背景のかけらである。聴衆には想像の余地が残される。わざと聞き取れない部分を作って意味を曖昧にしている事もある。果たして小説で同じ事をするだろうか? それに外国語の曲が好きな人もいる。一体どれだけの人が外国語の本をわざわざ読むだろうか? 歌詞の意味は最重要ではない。優れた曲は解釈の余地を残しておく。同じ様に、ゲームの物語もプレイヤーに自由を残すべきなのだ。

2Dパズルアクション”LIMBO”はその雰囲気、モノクロの色調、ミニマルな音楽で知られている。このゲームの物語は、少年が妹を捜すという原始的な冒険を軸に展開し、謎を残して終わる。どうして少年は暗い神秘的な森で妹を捜しているのか? どうして蜘蛛の化物に追われているのか? 襲いかかって来る子供は誰なのか? “LIMBO”は完全に一本道のゲームだが、普通の会話によって答えが与えられないため、物語はプレイヤー自身が紡がなくてはならない。

ミニRTS”Atom Zombie Smasher”もこれに似ている。このゲームでは色とりどりの兵隊が架空の南米都市でゾンビの大群と戦う。調味料になるのが数々のヨタ記事(「エスポージトは決勝ゴールを決め、数分後に生きたまま食われた」)で、市民達が災厄にどう立ち向かったかが描かれている。エンディングは狂った物語の傑作だ。サイボーグ化したプレシデンテとAK47のなる木を背景に、アイゼンハワー大統領が「軍産複合体」についての有名な演説を行うのである。

重要なのは、これがいわゆる普通の物語を用いずに魅力的な世界観を成立させている事だ。ヨタ記事はキャンペーンの間にランダムに出て来る。プレイヤーは隙間を想像で埋める。制作者のブレンドン・チャンはこう指摘する。「情報のかけらを集めて組み合わせるのは楽しいし、ゲームがプレイヤーを信じているという事も伝わる」。一般層には少し取っ付きにくいかも知れないが、”Atom Zombie Smasher”は結果として生き生きした開放的な世界を作り上げた。それは筋書きの決まった普通のシューティングゲームや、会話で膨れ上がったRPGとは比べるべくも無い。固定の筋書きはプレイヤーの介入を妨げる敵なのだ。

“祈りは神に影響を与えるためでなく、祈祷者自身を変えるためにある” – セーレン・キュルケゴール

ビデオゲームと物語を組み合わせると相互作用のある物語への道が開ける。物語の中でプレイヤーが大きな決断をするという物だが、これこそ最もじれったい要素だ。現実にできるのは最初から用意された分岐のどれかを選ぶ事だけだからである。複数のエンディングがあるとしても、結果の数はあくまで有限である。相互作用は結果の程度を変えるだけであって種類を変えるわけではない。

開発コストが上がるに連れ、プレイヤーが目にしないかも知れない要素を作る余裕は無くなって来た。よってプレイヤーがどういう選択をしようと物語は要所要所で同じ所を通る。”Knights of the Old Republic”はその例証だ。プレイヤーは善か悪の道を選べるが、どちらを選んでも終着点は同じである。悪の親玉ダース・マラックを倒すのだ。善の道なら彼を阻止するため、悪の道なら取って代わるため。倫理面で全く異なる選択をしてもマラックの死は変わらないのである。

こうした固定の筋書きはプレイヤーとゲームを乖離させる。RPGに何十時間も費やしたが物語を全く覚えていないという事がしばしば起きるのは、それがプレイヤー自身の利益や選択に全く関わって来ないからだ。最終的には物語がゲーム上でどういう意味を持つかを抜き出して、それを皆で回し読みするという事態になる(「これを達成するとゲームにどういう影響があるの?」)。物語の中核は大抵の場合登場人物の決断である。ゲームの中核はプレイヤーの決断である。ゆえにゲームを意味ある物にするのはプレイヤーの決断でなくてはならない。果たしてゲームは決まった物語とプレイヤーの選択を両立できるのだろうか?

アクションRPG”Bastion”はこの問題に正面から取り組んだ。ゲーム世界は「大災厄」によって砕け散っている。ゲームが進むと、災厄を引き起こした武器がどうして作られたのか、それが使われた時何が起きたのかをプレイヤーは知る。そして最後に、プレイヤーは決断を迫られる。時間を遡って大災厄を防ぐか、生き残りを集めて新天地へ移るかである。

この決断が面白いのは、その次に起きる事である。というか何も起きないのだ。ゲームはそのまま終わり、プレイヤーの選択を反映した一枚絵が表示されるだけである。プレイヤーが実際に介入できるという嘘を開発者はつかなかった。この決断は純粋に人生観の問題である。人生の大きな過ちを取り消すか、それとも新たな人生を踏み出して前に進むか?

“Bastion”ではプレイヤーは自分の選択を通じて己自身を知る事になる。開発チームの誰かがこうと決めた結果を見るのではない。”The Walking Dead”では、プレイヤーは自分の選択と他のプレイヤーの選択を見比べる事ができる。これはプレイヤーの性格に光を当て、どの選択が多数派に属し、どれが少数派に属するかを呈示する。

筋書きだけを中心にしたゲームは、ゲームにとって最も重要なのはプレイヤーだという事を忘れている。どれほど重厚で力があろうと、ゲームに物語を入れるという事はその本質を損なう危険を伴うのだ。ゲームはプレイヤーに自由を残さなくてはならない。ルール、メカニクス、システム、そして物語において。

 

原文:http://www.designer-notes.com/?p=459