翻訳記事:勝つ為に戦う(2)

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概要

私がここにいるのは勝つ事を教えるためである。

「勝つ為に戦う」はあらゆる競技ゲームにおいて最も重要な、そして最も誤解されている概念である。皮肉な事に、これから述べる事を既に理解している人でなければ、それを信じる事はできないだろう。実際、もし本書を過去の私に送りつけたら、その私自身これを理解しかねるに違いない。恐らくこの概念は経験を通じて習得するしか無いのだろう。それでも私は、読者のうちにこの本から学んでくれる人がいる事を望んでいる。

 

人類は他者の経験から学ぶという独自の能力を持ちながら、それを嫌がる事においても一流である。

 

—ダグラス・アダムズ「これが見納め」

 

なぜゲームに勝つべきか

ゼロサム競技ゲームの偉大さとは、成功の度合いを計る客観的な基準を提供してくれる事だ。最強を目指すならば自己研鑽の長い道のりを歩まねばならない。その途上、より多く勝つ事ができる様になれば(つまり上級者を安定して倒せる様になれば)前に進んでいる事が分かる。そうでなければ進んでいない。人生の他の側面において、例えば家庭生活とか仕事の面で、物事が前進しているかどうか計測できるだろうか? 果たして自分は成長しているのか? これに答えるには、何が「ゲーム」に含まれて何がそうでないのか正確に知っていなくてはならない。職業人としての成功に含まれる要素とは何だろうか? これは答えるのが難しい。自前で基準を拵えてそれに答えたとしても、他の人々はその基準に同意せぬかも知れない。そうした意見を無視して全て自分で基準を作ったらどうなるか? 恐らく無意識に、自分が上手くやっている(もしくはやっていない)事にするため、手前勝手に成功の基準を作り上げるに違いない。これでは単なる前向きさのテストだ。

ゲームは人生とは違う。ゲームの本質とは全てのプレイヤーに合意されたルールの集合である。ルールに同意しなければ、そのゲームを遊んでいる事にはならない。ルールは何がゲームに含まれ、何が含まれないかを定義する。ルールはどの行動が合法でどの行動が違法かを定義する。ルールはどうすれば勝ちで、どうすれば負けで、どうすれば引き分けかを定義する。ゲームの定義を書き換えて負けを勝ちと言い募るインチキは存在しない。ゲームは再定義を必要としない。負けは負けである。

勝ちを求める道程を進むうち、ただ相手を倒すだけでは駄目だと気付く筈だ。長い目で見れば、常に自分を鍛える事を目指さなくてはならない。そうでなければいつか追い越される。戦いは自分と相手の間で起きている様に見えるが、勝つ為の最上の方法は相手を倒す事ではない。勝つ技法、ゲームの技法を手にし、それを卓上に提示する事だ。これらの技法は自分自身の中で磨かれる。そして戦いを通じてのみ表せる。

 

戦ってみるまで、どんな男かは分からんさ

—「マトリックス:リローデッド」のセラフ

 

本当に勝ちたいか?

先に進む前に、そもそも自分は本当に勝とうとしているかを考えてみよう。殆どの人は勝とうとしていると答えるが、勝ちたがる事と勝つ事は別物だと分かっていない。勝つ為には犠牲を要する。長期にわたる努力を要する。鍛錬と、時間を要する。誰もが最強になれるわけではないし、そうなるべきでもない。競技ゲームで優勝するだけが人生ではない。人生における関心が他にあるなら、この本を読み続けても不安になるだけだろう。ここで閉じてしまった方が良い。「勝ちたいな」という程度なのか、勝つ事を心から求め相応の犠牲を払う用意があるのか、よく考えよう。一流の料理人になる。良い母親になる。医者に、政治家に、音楽家になる。これらは皆崇高な目標だ。時間も努力も有限であり、それらを求めるならゲームに勝つといったつまらない問題に関わっている事はできないだろう。私は勝つ為に戦う事を勧めているのではない。そうしたい人にやり方を教えるだけだ。

ゲームを「楽しむため」に遊ぶという人もいる。この問題は本書では扱わない。私は勝つ為に戦う道のりの先にはカジュアルな「楽しみ」以上の物があると信じているが、そこを議論しても始まらない。「楽しみ」は主観的な問題だ。定義はできぬ。しかし「勝ち」は定義できる。これが我々の強みである。勝ちは明確で絶対なのだ。勝つ為に戦っている限り、完全に明瞭な目標と、客観的な成長の指標が得られる。料理の達人がいたとして、その分野で世界一だとどうしたら分かるだろうか? それを偏見無しに言える者がいるだろうか? 競技ゲームでは事情が違う。全ての対戦相手を安定して倒せるかどうか、それだけだ。

勝ちの原則は全てのゼロサム競技ゲームに適用される。どんなゲームであろうと、成長できる環境を作らねばならない。多くの対戦相手と戦って練習すべし。自らを縛り勝利を阻む自前のルールを取り払うべし。精神面を鍛え、相手の行動を読むべし。コミュニティに入って他のプレイヤーと交流すべし。チェスだろうと、テニスだろうと、Quakeだろうと、マリオカートだろうとストリートファイターだろうとポーカーだろうと、やる事は全て同じだ。

 

対話としてのゲーム

競技としてゲームを遊ぶのはどういう事だろうか。私にとっては討論の様なものだ。私は私の論点を押し、相手は別の論点を押す。「この一連の動きこそ最適手だ」と言うと、相手が反駁する。「これを計算に入れたら違うだろう?」現実の討論は非常に主観的なものだが、ゲームにおいては誰が勝者か完全に明らかだ。

本当の戦いはプレイヤーとプレイヤーの間で起きる。ゲームはその媒体、討論における言語である。ゲームに十分な深みがあれば複雑な思考を論ずる事もできる。熟練した論者は言葉のニュアンスやトリックを駆使して相手を罠にかけるが、言葉はあくまで彼の道具である。ひとたび討論のいろはを学べば他の言語にもそれを応用できる。討論の本質を学ばずに、言葉のニュアンスにばかりかまけてしまう事もあり得よう。熟練者同士の討論は相手を理解し、何を言わんとするか予測し、素早く反論を加える技を含んでいる。欺瞞や図々しさ、リスクを取ったり保守に回ったりするのもゲームのうちだ。討論のやり方(勝つ為の戦い方)を覚えれば、その後で種々な言語(ゲーム)を学ぶのは割合簡単である。

数節前にゲームの「楽しみ」については扱わないと宣言したが、ここで変化球にも慣れておいて貰いたい。優れた討論の「楽しみ」とは、少なくとも私にとっては、何らかの論点で相手を攻撃し、相手がそれに強烈な反撃を加え、そしてそれに耐え切った時である。もし相手を何十もの手段で自由に攻撃できるとしたら討論とは言えない。逆に開始早々相手に押し切られてしまったら、相手の技量を感じる事はできるだろうがこれまた討論とは言えない。双方が相手の論点に反駁し、意味のある討論を展開する事でのみ、本当に面白い勝負ができる。私はこれを「楽しみ」と呼ぶ。

原文:http://www.sirlin.net/ptw

翻訳記事:勝つ為に戦う(1)

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勝つ為に戦う:最強への道 David Sirlin著

 

序章

勝利者ならびに勝利者たらんとする者に贈る。

 

探せば見つかるわけではない。しかし探す者にしか見つけられない。

 

—スーフィズムの諺

 

想像してみよう。ゲームの世界には涅槃に至る雄大な山がある。その頂上には充実感と、楽しさと、卓越とがある。ほとんどの人はこの頂上には無関心だ。人生にもっと大事な問題があり、他に目指すべき頂上があるからだ。しかし少数ながら、この頂上に登れば非常に幸せになれる人もいる。この本はそうした人々に向けて書かれている。その中には既に頂上への道を歩んでおり、手助けを必要としない人もいる。だが大部分は知らずしてその道から外れている。山の麓には大きな谷間があり、彼らはそこで引っかかっている。そこは雑魚の棲む地だ。そこに留まる者は自ら作り上げた心理的な枷に囚われ、自分自身に余計なルールを課している。この谷を越えるのだ。その先にあるのはあるいは退屈な高原であり(駄目なゲームの場合)、あるいは天国の如き頂上である(奥深いゲームの場合)。前者はもっと良い山を登ろうと思える様になる。後者は幸せになる。「勝つ為に戦う」とは即ち、この心理的な枷を明らかにし、本当なら頂上で幸せになれるプレイヤーを谷間から解き放つ過程である。

この考えに不快感を示す人もいるが、それは誤解に基づくものだ。私は「勝つ為に戦う」事を全ての人に求めているわけではない。誰もがこの頂上に辿り着く必要は無いし、そもそも誰もがそこに行きたいと思うわけではない。人生には他にも多くの頂上がある。もしかしたらそちらの方がもっと良い場所かも知れない。だがこの頂上を目指して谷間で引っかかっている人々にとって、自分の位置を知り、より幸せな場所への行き方を知る事は有益である。

「勝つ為に戦う」という考えは現実の生活にも応用できるのか? 何年にも渡ってこの問いを受けて来た。まずは現実とゲームの大きな違いを指摘しておかなくてはならない。ゲームはルールによって明確に定義されている。現実はそうではない。極端な異常事態を探求する事は上級ゲーマーの常である。現実で同じ事をやれば社会的に受け入れられず、倫理にもとり、法にも触れる。競技ゲームは軍隊の倫理を求める。即断即決、有事に備え、勝てば全てが許される(ゲームのルールに沿っている限り)。現実の生活は市民の倫理を求める。親切、理解、公正、優しさである。

「勝つ為に戦う」は確かに現実生活に役立つ知見を含んでいる。しかしそれを語る前に、まずはいかに勝つかを論じよう。

原文:http://www.sirlin.net/ptw

翻訳記事:ゲームデザイナーになる方法

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GDC#23:ゲームデザイナーになる方法

2013/2/4 Soren Johnson
Game Developer誌2012年11月号に掲載された物の再掲

 

ゲーム業界に入る理由は色々ある。才能あるイラストレーター、プログラマ、作曲家にとって、ゲームの仕事は創造性を発揮できる場だ。あるいは単に、自分の好きな事を仕事にできるのが楽しいという人もいる。しかし多くの場合、業界に入る理由はただ一つ。ゲームデザイナーになる事だ。

言うまでもなく、ゲームデザイナーになる最も簡単な方法はゲームを作る事だ。優れたツールや配信チャンネルが今程充実している時は無い。これらは個人で素晴らしいゲームを作る助けになるだろう。Andreas Illigerは”Tiny Wings”を、Brendon Chungは”Atom Zombie Smasher”を、Vic Davisは”Armageddon Empires”を、Jonathan Makは”Everyday Shooter”を作った。誰もゲームデザイナーになるのに許可など取ってはいない。

とは言っても、誰もが個人でできる程の資質を、あるいは気力を備えているわけではない。残念ながら、大手のゲーム会社でゲームデザイナーとして仕事を始めるというのはほとんど神話である。この職は非常に経験を要する上、競争は極めて激しい。どの会社にもデザイナー志望の開発者は溢れている。ゆえに新入社員が雇われるのは、コードを書くとか絵を描くといった特定の技能のためである。

ゲームデザイナーの役割は自分で勝ち取らねばならない。そして勝ち取るのは仕事を通じてである。デザインに関われる位置を占めれば機会は自ずと現れる。私が初めてデザインの仕事を得たのは、Civilization 3チームからデザインとプログラミングの人員がいなくなった時にちょうど準備ができていたからである(当時Big Huge Gamesの立ち上げにより人員が流出した)。

チームには純粋なゲームプレイプログラマがいなかった。社長であるJeff Briggsはリードデザイナーとしての仕事に忙しかった。私は一度も公式にデザイナーとして任命された事は無いが、デザインに関する仕事は可能な限り全て引き受けた。プロジェクトが完成する頃には私の貢献は明らかになっていた。かくしてJeffは私を共同デザイナーとしてクレジットしてくれた。

つまり、ゲーム開発者として働いている人間にとっての大きな問いはこうだ。デザインの仕事に関わる機会が現れたら、どうやってそれを活かすべきか? 以下にいくつかの知見を述べる。

 

1.プログラミングを学ぶ

ゲームというカテゴリは非常に広い。文章、音楽、映像といったいくつもの要素を往々にして含む。ストーリーに重点を置いたゲームもある。純粋なアブストラクトゲームもある。しかしそれらは全てアルゴリズムを土台にしているという共通点がある。コードはゲームの言語である。そしてコードを書く方法を知っていれば非常に様々な役割を果たす事ができる。

誰かが敵の挙動スクリプトを書かなくてはならない? チームがシナリオエディタを必要としているが誰もそれを作る暇が無い? あるいはゲームにもっとランダムマップスクリプトが必要? シニアデザイナーにゲームのアイディアがあるが、プロトタイプを作るプログラマが足りない? これらの仕事は全て、デザインの仕事に至る梯子である。そしてそれができるのはプログラマだけだ。

 

2.UIやAIを作る

ゲーム開発の分野でありながら、「ゲームデザイン」と厳密には見なされていない2つの要素がある。UI(ユーザーインターフェース)とAIである。AIはゲーム世界において人間の操作しない要素の挙動を決める。これはゲームプレイ自体と切り離せないものであり、AIを作るにはデザイナーと毎日相談しなくてはならない。もしAIプログラマが常に良い仕事をし、更に信頼性を高める事を目指すなら、ゲームデザインは明らかな次の一歩だ。

この道筋はインターフェースの仕事においては更に明白である。UIはまさにユーザ体験の最前線だ。プレイヤーとやり取りができなければゲームメカニクスは無意味であり、UIこそその問題を解決する最も重要な道具である。即ち、UIデザインはゲームデザインの一部なのだ。「インターフェースからデザインへ」という道筋の良い所は、インターフェースの仕事をやりたがる開発者が非常に少ないという事だ。ベテランはインターフェースの仕事は若手にやらせれば良いと思っている。この偏見を利用して、皆が嫌う仕事に志願しよう。インターフェースデザインをやりたがる実力ある開発者は、どこのゲーム会社も探し求めている。

 

3.DLCに志願する

DLCもまた、ゲームデザイン職への良い道筋だ。小さいリリースならば競争は激しくないし、ゲーム本体のデザイナーは往々にして疲れ果てており、DLCが必要だと考える事さえ難しくなっている。ゆえにDLCはデザイナーの卵にとって、自分の力を示す素晴らしい機会なのだ。会社は自分の従業員が成長してデザイン職に相応しい力を付ける事を望んでいる。新たなデザイナーを外部から雇うのは大博打だからだ。DLCは小さなリスクで従業員を育てる素晴らしい機会なのだ。

拡張パックのデザインを担当するのもデザイナーの卵には利益が大きい。即ち、真っ白な所から面白さを作り出すという困難な事業に挑戦しなくて済む。これは新人デザイナーにとっては何もできなくなる程のプレッシャーだ。拡張パックなら、中核デザインの改良を続けつつ、大勢のプレイヤーが遊んで得られた知見を適用していける。多くのゲームは簡単に実現可能な改良点がいくつもぶら下がっているが、それが明らかになるのはリリースの後だ。これらの改良に集中せよ。プレイヤーはきっと良い反応を示してくれる。

 

4.フィードバックに集中する

ゲームデザインは才能と技能である。 Noah Falsteinによれば、ゲームデザイナーに占めるINTJ(内向・直感・思考・判断)タイプの人間は不釣り合いに多い。つまりゲームデザインの仕事に向いた性格とそうでない性格とがあるわけだ。しかし才能だけでは十分とは言えない。自分のデザイン技能を自発的に磨いていかなくてはならない。そしてそうする方法はただ一つ、デザインを実装してユーザからフィードバックを得る事だ。私がデザインについて本当に学び始めたと言えるのは、Civilization 3がリリースされ、プレイヤーはこうやって遊ぶだろうという当て込みが悉く外れた時である。

ゲームは自律アルゴリズムの塊ではない。デザイナーとプレイヤーの間に存在する、共通の体験こそがゲームである。ゲームは常に中立的なプレイヤーに晒されなくてはならない。さもなくばそれは机上の空論である。ゲームはリリース前に可能な限り多くのパブリックテストを行わなくてはならない。ゲームを晒せば晒すほどデザイナーの技能は高まる。デザイナーの卵は何とかしてこのフィードバックループを得る方法を見つけなくてはならない。簡単なモバイル用ゲームを出すとか、人気ゲームのModを作って皆からのフィードバックを得よう。その方が、リリースまで外部に晒される事の無い巨大プロジェクトで働くよりずっと有益だ。簡単なボードゲームを作るのでさえ、きちんとテスター集団を見つけてフィードバックを得られるなら技能を磨く助けになる。

 

5.謙虚であれ

今日のゲーム業界において、謙虚な性格は成功の鍵である。デザイナーは現実を受け入れなくてはならない。多くのアイディアを出してもその殆どは上手く行かないのだ。実際、ゲームデザイナーの仕事とは自分の考えやプライドに固執する事ではない。展望を選び、チームに任せる事だ。デザイナーは口上手な演説家でなく、謙虚な聞き手であるべきだ。もしデザイナーが懐疑的な聞き手に向かって、何故そのメカニクスが面白いか論じているとしたら、そのゲームには非常に大きな問題がある。確かにデザイナーは自信と自己主張の強さを備えていなくてはならない。そうでなければ誰も取り合わない。だが、謙虚さは物事をあるがままに見る目を与えてくれる。どうあって欲しいかという希望ではなく。

もちろんゲームデザイナーの卵にとって、この規則は二重に重要である。傲岸不遜で自分のアイディアに自信を持ち過ぎている様に見えれば、職に就く準備ができていないのは誰の目にも明らかだ。素晴らしいアイディアがあるのに誰にも相手にされないのは途轍もないストレスだ。しかしそれでも正しい態度を保ち続けるべし。誰かのアイディアが実装されたとしても、そのアイディアが勝ったとは思わないこと。それはテストされているだけなのだ。本当の仕事が始まるのはアイディアがプレイ可能な形になり、それが「皆の物」になった時だ。どのゲーム開発チームも実装し切れないほどの大量のアイディアを抱えている。開発者はその中で最高のアイディアを追求せねばならない。誰のアイディアだったかなど関係ない。実際、アイディアの出所は往々にして忘れ去られる。覚えているのは、それを正しい形に持っていくのに誰が時間を費やしたかである。

 

誰がデザイナーになるべきか?

最後に、デザイナーの卵に次の質問に答えてもらおう:ビデオゲームを作った事はあるか? シナリオは? Modは? ボードゲームやカードゲームは?

全ての質問に対して「否」と答えたら、そもそも自分がゲームデザイナーに向いているのかどうか考え直すべきである。画家は子供の頃から絵を描き始める。音楽家は小学生の頃から楽器を習う。作家は文章を書く。俳優は演じる。監督は監督する。若いデザイナーはゲームを作る。成功への情熱を抱いているならば、ゲーム作りは絶対にすべき事だ。したいと思う事ではない。本物のゲームデザイナーはゲーム作りを止める事などできないのだ。

ゲームを作るのと遊ぶのとは違う。ゲーム作りを楽しめる人の数は、ゲームで遊んで楽しめる人よりも遥かに少ない。ゲーム作りとは何年にも渡って1つのコンセプトを磨き続ける事であり、批判から学ぶ強さを要する仕事だ。本物のゲームデザイナーの証とは何か? それは適当な週末に彼がしている事を見れば分かる。空いた数時間を費やして最も好きな事をしていれば……即ち新しいゲームを作っていればそれが証だ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=455

Tournay ルール和訳

原文:http://boardgamegeek.com/filepage/70256/rules-eng

 

ゲームコンセプト

Tournayはカードゲームです。プレイヤーは町の富裕な家族となり、地区と市民を管理します。市民は3つの種類に分かれています:軍人(赤)、聖職者(白)、民間人(黄)です。

ゲームの活動カードはIからIIIのレベルと赤・白・黄の色によって9つのデッキに分かれています。プレイヤーは最初、それぞれの色の市民を2人ずつ持っています。市民を使って様々なアクションを実行できます:カードを引く、地区の建物を使う、イベントと戦う、お金を稼ぐ。また市民を広場に集めるというアクションもあり、これで再び市民を使用可能にします。

引いたカードはターンの最初に自分の地区(9マスの格子空間)に配置できます。レベルIとIIのカードは自分に色々な利益をもたらします。レベルIII(得点建物)はゲーム終了時に全てのプレイヤーに得点を与えます。建てた本人だけでなく、他のプレイヤーも含みます。

最終スコア計算で最も多くの得点を持っていたプレイヤーの勝利です!

 

内容物

  • 基本ルール用活動カード90枚
  • 拡張ルール用活動カード18枚(拡張ルールは最後に解説)
  • 広場カード4枚
  • プレイヤー得点マーカー4個(4色)
  • 開始プレイヤーマーカー1個
  • ゲームボード1枚(裏と表がそれぞれサプライと得点)
  • 市民コマ33個(黄11個、白11個、赤11個)
  • 1金コイン30枚
  • 5金コイン9個
  • 10金コイン10個
  • イベントカード15枚
  • ダメージチップ20枚
  • 灰色市民コマ20個
  • 早見表6枚

 

準備

  • A.ゲームボードを「サプライ」面を表にして置きます。ボード上の各色スペースにその色の市民コマを3個ずつ置きます。
  • B.活動カードをレベルと色によって分け、各10枚の9つの山を作ります。最初は基本ルール用のカードだけで遊びましょう。9つの山それぞれをよく切って、ゲームボードに近い方からIII→II→Iの順番で色ごとに並べます。
  • C.15枚のイベントカードをよく切って山を作り、ボードの反対側に置きます。この山の上から3枚をめくり、表向きで横に置きます。
  • D.各プレイヤーに6金分のコイン、広場カード1枚、広場カードと同じ色の得点マーカー1個を配り、それぞれ自分の前に置きます。黄・赤・白の市民コマを2つずつ配って広場カードの上に立たせます。ゲーム全体を通して、広場の上に立っているコマは使用可能な市民です。
  • E.残りのコイン、ダメージチップ、灰色市民コマはサプライ置き場にまとめます。
  • F.開始プレイヤーを決め、開始プレイヤーマーカーを置きます。これはゲーム終了時のみ参照します。

 

活動カード

  • 建物:プレイヤーは自分の地区にこれを置きます。同じ色の市民を置いて建物を使う事ができます。使う事で建物から利益を得られます。
  • 人物:プレイヤーは自分の地区にこれを置きます。同じ列や段のカードと相互作用します。人物カードに市民を置いて使う事はできません。
  • 得点建物:レベルIIIのカードです。ゲーム終了時に得点をもたらします。全ての得点建物はプレイヤー全員に得点を与えます。
  • タウンクライヤー:9つの山それぞれに1枚ずつ入っています。このカードを引くとイベントが発生します。

 

ゲームプレイ

時計回りに手番を行います。手番は2つのフェイズから構成され、次の順番で処理します。1.手札からカードを1枚出す(任意)、2.市民を置いてアクションを行う(強制)。

手札からカードを1枚出す(任意)

手札からカードを1枚出して自分の地区に置く事ができます。その際、カード左上に書かれているコストを支払います。新たに置くカードは既にあるカードの縦か横に隣接していなくてはなりません。最初に置くカードにこの制限はありません。地区は縦3マス・横3マスまでしか広がる事ができません。

  • 既に置いてあるカードに重ねて同じ色のカードを出す事もできます。
  • 違う色のカードの上に出す場合、元々あったカードは裏向きにして対応する山の一番下に置きます。
  • コマやチップの置かれたカードに新たなカードを重ねる事もできます。ダメージチップや灰色市民コマであればサプライ置き場に戻します。自分の市民であれば広場に戻します。
  • 同じ名前の得点建物(レベルIII)を複数建てる事はできません。レベルIやレベルIIであれば同じ名前が複数あっても構いません。

市民を置いてアクションを行う(強制)

アクションを実行するには同じ色の使用可能な市民コマが必要です。使えるのは:

  • 自分の広場にある使用可能な市民(広場の上に立っているコマ)。これは無料で使えます。
  • 対戦相手の広場にある使用可能な市民。使うにはその市民コマの持主に2金支払います。使ったらその市民は広場の横に倒して置きます。コマはそのまま持主の所に留まりますが、一時的に使用不能になります。1つのアクションで複数の対戦相手の市民を借りる事もできます。

次のアクションから1つ選びます:

  • 1.カードを1枚引く
  • 2.地区の建物を1つ使う
  • 3.イベントカードと戦う
  • 4.お金を稼ぐ
  • 5.市民を広場に集める

 

1.カードを1枚引く

市民コマ1つを使うと同じ色のレベル1カードを引けます。2つでレベルII、3つでレベルIIIのカードを引けます。使った市民は元々いた広場の横に倒して置きます。カードを引く際、次の2つから選べます。

  • 山の一番上に表向きのカードがあれば、それを引いてもよい。
  • 山の上から裏向きのカード2枚をめくり、1枚を選んで引きもう1枚を表向きで山の一番上に置く。

山の上に表向きのカードがある時に2番目を選ぶ事もできます。その場合、まず表向きのカードを裏向きにして山の一番下に置きます。山にカードが2枚しか無い場合、片方が表向きになっていてもなっていなくても、その両方をめくって片方を引き、もう片方を表向きで戻します。山にカードが1枚しか無ければそれを引きます。

イベントカードと城壁:

イベントカードは2つの機能があります。詳しくは後ほど説明します。2つの機能は:

  • イベントキューに置かれている時、誰かがタウンクライヤーを引いたらイベントを発生させます。これは利益になるものも害になるものもあります。
  • キューにあるイベントと戦う事もできます。この場合、イベントカードは手札に入り城壁となります。タウンクライヤーが出た時、城壁を建ててイベントの1つから影響を受けない様にできます。

タウンクライヤーを引いてイベントが発生する場合:

2枚の裏向きのカードをめくった時、どちらかがタウンクライヤーであれば、まずもう1枚カードを引いてどちらを手札に入れるか決めます。その後、

  • 1.タウンクライヤーカードを90°傾けて元々あった山の一番下に置きます。傾けて置く事で、その山からはもうタウンクライヤーが出ない事を示します。
  • 2.サプライ置き場から1金コインを取り、イベントキュー上のイベントカードそれぞれの上に1枚ずつ置きます。コインはカードの空いている丸の上に置きます。丸が全て埋まっている場合、それ以上コインは置きません。
  • 3.全てのプレイヤーはイベントキュー上にある全てのイベントカードから影響を受けます。各効果はカードの上に乗っているコイン1つにつき1回発動します。2.でコインを追加できたかどうかは無関係です。

各プレイヤーは手札から城壁カードを出す事で城壁を建設できます。その場合イベントを1つ選び、それから影響を受けなくなります(コインが何枚乗っていようとも)。城壁を建設するには、城壁カードを裏向きで自分の地区の横に置きます。これはゲーム終了時に得点+1になります。同時に発生したイベントに対して複数の城壁を建設し、複数のイベントを防ぐ事もできます。分かりやすくするため、出した城壁カードはプレイヤーごとに重ねておきましょう。

 

2.地区の建物を1つ使う

自分の地区にある空いている建物1つを選び、それに市民コマを乗せる事で建物を使えます。建物と市民は同じ色でなくてはなりません。他のプレイヤーの広場から市民を借りる場合、その市民は元々いた広場の横に倒して置き、灰色の市民コマをサプライ置き場から取って建物に置きます。建物の効果を表すアイコンは早見表で説明されています。

重要:

  • 使えるのは空いている建物だけです。市民/灰色市民/ダメージチップが乗っていない建物が空いていると見なされます。
  • 人物カードに市民コマを置く事はできません。人物カードは他のカードの行動を強化するだけです。

 

3.イベントと戦う

イベントキュー上にあり、コインが1枚以上乗っているカードと戦う事ができます。戦うコストは左上に書かれています。2人の対応する色の市民を使うものと、1人の市民に加えて身代金を支払うものとがあります。どちらの場合でも、使った市民は元々いた広場の横に倒して置きます(自分の市民を使ったら自分の広場、他のプレイヤーの市民を使ったらそのプレイヤーの広場)。身代金を払う場合はコインをサプライ置き場に移します。戦ったイベントカードは自分の手札になり、後で城壁として使う事ができます。イベントカード山から新たに1枚めくり、空いたキューに補充します。

重要: 

コインが乗っていないイベントカードと戦う事はできません。

 

4.お金を稼ぐ

どれか1色の市民を好きなだけ使い、1人につき2金得る事ができます。使えるのは自分の広場の市民だけです。使った市民は広場の横に倒して置きます。

 

5.市民を広場に集める

建物の上に置いたものも含め、自分の市民を全て広場の上に戻します。戻したコマは立てて置きます。ダメージチップと灰色市民コマはサプライ置き場に戻します。広場に使用可能な市民が残っていてもこのアクションを実行できます。

重要: 

手札上限は4枚です。手番終了時にそれより多くのカードがあった場合、超過分を裏向きにして捨て、対応する山の一番下に置きます。城壁カードも手札として数えます。手番の終わりに手札を減らす為に城壁を建設できます。この様にして建設された城壁はイベントの影響を防ぐ事がありません。

 

ゲーム終了

ゲーム終了には2つの条件があります:

  • 1.誰かが9マスの地区を完成させ、2つ以上の得点建物が見える状態で置かれている。
  • 2.プレイヤー数+1枚のタウンクライヤーがめくられた(4人なら5枚、3人なら4枚、2人なら3枚のタウンクライヤー)。

開始プレイヤーの手番開始時にどちらかが満たされているとゲームが終了処理が始まります:

  • 条件1.を2人以上のプレイヤーが満たしている
  • 条件1.と2.が同時に満たされている

各プレイヤーは最終手番を1回ずつ行います。その後全てのプレイヤーは手札から1枚カードを出す事ができます。全員が同時に、他のプレイヤーには見せない様にカードを選んで裏向きで地区に置き、同時に表に返します。そしてコストを支払い、それによって発動する人物カードの利益を得ます。更に手札に城壁カードがあれば全て建設できます。

そして得点計算を始めます。ゲームボードを裏返して得点面を表にし、それぞれプレイヤーマーカーをボードの横に置きます。

見える状態で置かれている得点建物はそれぞれ、全てのプレイヤーに得点を与えます。参照されている要素をいくつ持っているかに応じて、それを建てたプレイヤーは左側に書かれた得点を、それ以外のプレイヤーは右側に書かれた得点を獲得します。1枚ずつ順番にスコアを計算し、計算が済んだカードはダメージチップを置いてその旨表示します。

次に、各プレイヤーは自分の地区にあるカードの得点を集計します。得点はカード左上、コストのすぐ下に記載されています。上に他のカードが重なっているカードも得点集計します。最後に城壁1枚につき1点を獲得します。

重要:

  • 得点建物1つから得られる得点は12が上限です。
  • 同じ名前の得点建物は1回しか得点を集計しません。それを建てたプレイヤーは左側の得点を獲得し、それ以外のプレイヤーは右側の得点を獲得します。

 

上級ルール

長く戦略的なゲームを楽しみたい場合、以下のルールを適用します:

準備:

  • 各プレイヤーは各色の市民コマ1個ずつと9金を持って始めます。
  • 各色プレイヤー数+3個の市民コマをゲームボードに置きます(4人なら7個、3人なら6個、2人なら5個)。

ゲームプレイ:

6番目のアクションを追加します。

6.新たな市民の勧誘

市民1人を使い、5金を支払ってサプライ置き場から市民を獲得できます。使う市民と獲得する市民は同じ色でなくてはなりません。使った市民は広場の横に倒して置きます。獲得した市民は広場に立てて置きます。これはすぐに使用可能です。

 

拡張カード

カードの効果を十分理解したら、今度は拡張カードを入れて遊んでみましょう。入れ方は2通りあります:

  • このマークが1つ付いたカードを外し、それと同じ色・同じレベルでマークが2つ付いたカードを代わりに入れる
  • マークが1つ付いたカードと2つ付いたカードを共に山に入れて切り、ランダムに3枚取り除く

他にルールの変更はありません。拡張カードは早見表に記載がありません。詳細は以下の通りです。また拡張カードには矢印の無い人物カードが含まれますが、これは同じ段や列のカードと相互作用せず、プレイヤーに恒常的な利益をもたらすものです。

  • Bakery (II):自分の広場にある軍人コマ1個につき2金、または聖職者コマ1個につき2金。
  • Brewery (I):自分の広場にある市民コマ1個につき1金。
  • Inn (I):自分の広場にある民間人+軍人のペア1つにつき4金。
  • Senator (I/II):「市民を広場に集める」アクションごとに2/3金

  • Abbey (I/II):レベルI/IIの山3つからそれぞれ一番上のカードをめくり、その内2枚を自分の手札に加える。タウンクライヤーをめくった場合、先にイベントを処理してから新しいカードをめくる。
  • Monk (I/II):同じ段・列にある白カードを使った場合、聖職者コマをもう1個使って同じ段・列にある黄色のカードを使える。
  • Templar (I/II):Monkと同じだが、代わりに赤カードを使う。

  • Catapult (I):各対戦相手ごとに、空いている建物1つを選びダメージチップを置く。このカードに市民コマ(灰色でも可)が置かれている時にタウンクライヤーがめくれられた場合、城壁と同じ様にイベント1つを選んで防ぐ事ができる。
  • Courthouse (II):最も富裕なプレイヤーから4金を貰う。同率一位が複数いる場合、それぞれから3金を貰う。
  • Knight (I/II):同じ段・列に赤か灰色の市民コマを2つ置くごとに、イベントカード1枚と戦う事ができる。2つのコマ同士は同じ段・列に無くてもよい。戦うイベントカードは1個以上コインが置かれていなくてはならない。レベルIIのKnightは戦ったイベントカード上のコインを獲得できる。
  • Lordship (I):色を1つ選ぶ。各プレイヤーは自分の地区にあるその色の建物1つごとに1金を徴収される。
  • Mercenary (II):赤い市民コマで「お金を稼ぐ」アクションを実行した場合、コマ1つにつき2金でなく3金が得られる。
クレジット
  • Designers: Sébastien Dujardin, Xavier Georges, Alain Orban
  • Illustrations and Graphics: alexandre-roche.com
  • Editing of the rules: Sébastien Dujardin
  • English Translation: Nothan Morse

 

 

追記・ルールの細かい挙動に関する情報

  • 最初に置くカードは9マスのどの場所か宣言しなくてよい。好きな方向に地区を拡張できる。
  • 場にあるカードを生贄にするカードを使って地区の列・段が減った場合、それと逆方向に再度拡張してもよい(全体が移動する)。3×3を超過しなければ何をしても構わない。
  • 効果の適用先が無い建物を使う事はできない。例えば空いている建物がどこにも無い状態で橋を使う事はできない。
  • 建物の効果が先、人物の効果が後。
  • 建物(例えば図書館)の効果でタウンクライヤーを引いた場合、まず建物の効果を解決し、次にイベントを解決し、最後に人物カードの効果を解決する。
  • 橋で他人の橋を使ってもよい。
  • 弩砲でイベントカードに乗せるコインはサプライから来る。
  • 他のカードの下にあるカードは「見えない(Invisible)」扱いになる。
  • 得点建物の集計に際しては自分の地区の見える建物だけを数える。
  • カードの得点に関しては自分の地区の見える建物と見えない建物の両方を数える。
  • レベルIIの砦はコインの乗っていないイベント「のみ」を対象にする。
  • 手札や場札を捨てる時は対応する山の一番下に入れる。
  • 対戦相手の建物を使っても人物カードの効果は発生しない。
  • 開始プレイヤーの手番が来た時にゲーム終了条件が満たされていたら、そのプレイヤーだけが「最終手番」を行う。その後全てのプレイヤーがそれぞれ1枚ずつカードを出せる(コストは通常通り支払う。色違いは通常通り下のカードを捨てる)
  • 他のカードの下にあるカードは何ら効果を持たず、終了時に特点をもたらすのみ。
  • 一度捨てたカードが再び山の上に来たらそれを取ってもよい。
  • イベントと戦う効果のあるカードを使ったらイベント自体のコストは支払わなくてよい。
  • 建物はダメージを受けても特点集計上は通常と変わらない。
  • ダメージを受けていても「見えている」まま。
  • イベントはコインの数と同じ回数だけ発動する。色を選ぶタイプのイベントはその都度選ぶ。
  • 人口を増やすカードはサプライにミープルがある限り使える。

翻訳記事:ボードゲームメカニクス48

これは翻訳記事です

原文:http://boardgamegeek.com/browse/boardgamemechanic

 

動作 : Acting

身振りやものまねを通じて他のプレイヤーとコミュニケーションを取るゲーム。”Charades“は恐らくその代表である。チームの1人が非言語コミュニケーションによって他のメンバーに手がかりを与え、答えを探させる。

 

アクションポイント : Action Point Allowance

ラウンドごとに各プレイヤーに決まった量のアクションポイントが割り当てられる。このポイントを消費して種々な行動ができる。残りポイントが無くなって行動を「買う」事ができなくなったら手番の終わり。この方式はプレイヤーに大きな行動選択の自由を与える。”Pandemic“はこのメカニクスを採用した一例である。プレイヤーには4のアクションポイントが与えられ、これを消費して移動・航空移動・特殊行動・特殊能力などを実行する。

BGGに載っているゲームの内で最も古いアクションポイント制の例は”Special Train“である(1948年)。

 

陣取り : Area Control / Area Influence

エリアごとに最も多くのユニットや影響力を持つプレイヤーがそのエリアの支配権を得る。競りゲームの下位分類とも言える。プレイヤーはエリアに駒を置く事で「競り値」をつり上げられるのだ。

El Grande“の場合、地域ごとに最多の騎士を持つプレイヤーがそこから点を得る。

最古の陣取りゲームは囲碁である。これは記録に残る最古のゲームの1つでもある。

 

囲い込み : Area Enclosure

盤上に駒を置いてできるだけ多くの領域を囲い込む。最古にして最も有名な囲い込みゲームは囲碁であるが、新しいゲームも数多く存在する。

囲い込みは陣取りとは異なり、プレイヤーがゲームを通じて盤上に領域を作り出す。陣取りは最初から存在する領域の支配権を巡って争うだけである。

 

エリア移動  Area Movement

ゲーム盤が「異なる大きさの」エリアに分割され、エリア同士が隣接していれば方向に関係なく行き来できる。”Risk“はエリア移動ゲームの古典である。

エリア移動は盤上の移動を処理する方式の1つである。他の一般的な方式はマス目移動と点移動である。しかしエリア移動は点移動の下位分類とも言える。各エリアを「点」、隣接関係を「線」と見なせば点移動と同じである。

 

エリア・インパルス : Area-Impulse

ターンが「インパルス」に分割され、交互にインパルスを実行する事でゲームが進行する。両者ともパスするか日没時のロールによってターンが終わる。インパルスごとにユニットをまとめて動かす事ができる。動かすユニットは同じエリアにいなくてはならず、それゆえエリア制が必要となる。エリアは移動や射程の制限だけでなくインパルス中に動かせるユニットを決める役割も持っている。同じユニットを再度動かすには次のターンになるまで待たなくてはならない。

 

競り : Auction / Bidding

何らかのアイテムが競りに掛けられ、金銭などで競り値を付けてそれを取り合う。これらのアイテムは新たな行動を可能にしたり、他の形でプレイヤーを有利にしてくれる。競りは順番に競り値を付け、誰が競り落とすかが決まるまでそれを繰り返すという形を取るのが普通である。また誰もそのアイテムに興味を示さない場合、値段が下がるルールを持っている場合が多い。大抵のゲームは1つの競りが終わったら次のアイテムを競りに掛け、アイテムが無くなるか勝利条件が満たされるまでそれを繰り返す。

例えば「電力会社」では最初は発電所を1つも持っていない。競りに勝たなくては発電を始められないのである。発電所を競り落とすとそれが自分の物になり、ターンごとの発電量を増やせる様になる。”Vegas Showdown”ではスロットマシンとかレストランなどの部屋を競り落とす。これを使ってホテルを建て、威信と価値を高める。競り勝ったプレイヤーは競り値を支払い、自分のホテルにそれを配置する。どちらの例でも競りは順繰りに行われ、パスをしてもよい。

 

賭け : Betting / Wagering

実際の、もしくはゲーム中の金銭を使ってゲーム中で起きる出来事に賭ける仕組み。この賭け自体がゲームの一部である。ポーカーがその代表例。

相場ゲームも賭けの一形態である。値上がりを期待して様々な商品をゲーム通貨で購入する。

 

イベントカード : Campaign / Battle Card Driven

ウォーゲームにおける近年の発明。プレイヤーは手札を使って行動しなくてはならない。核となる考え方は、1つの行動には1枚のカードを消費するという事である。戦いの結果を判定するのにカードを使うゲームはこの仕組みには分類されない。

こちらのGeekListではこの仕組みは手札管理の下位分類とされている。

 

カードドラフト : Card Drafting

共通のカードプールからカードを選んで手に入れる方式。得た物は即座に利益になったり、後で目的を達するための手札を構成したりする。”Ticket to Ride“は有名なドラフトゲームである。

山からカードを引くだけのゲームはドラフト方式には入らない。ドラフトは何らかの選択肢がある。”Ticket to Ride”ではランダムにカードを引いてもよいが、それしか出来なければこれはドラフトゲームには分類されない。

 

チットプル : Chit-Pull System

ウォーゲームの仕組みの一つ。戦場における同時行動や指揮命令の問題を解決する為に導入された。手番プレイヤーは「チット」を引いてどのユニットを動かすか決める。行動計画には特定の指揮官に属するユニットを動かす、特定種のユニットを動かす、ユニットを戦闘させるなどが含まれる。ジョセフ・ミランダはこの仕組みを自身のゲームで多用する事で知られる。

 

協力 : Co-operative Play

プレイヤー同士が協力してゲームに打ち勝つ。プレイヤー間に競争は全く無いか僅かである。決められた目標に達すればプレイヤーの勝ち、達さなければ全員の負け。

 

相場 : Commodity Speculation

賭けゲームの下位分類。ゲーム中の金銭を種々な商品に賭けて、それが値上がりするのを待つ。商品の価格はゲーム中に変わり続ける場合が多い。プレイヤーはその変動を利用して売買で儲ける。

相場ゲームの中にも投資ゲームと共謀ゲームがある。前者はプレイヤーが価格に間接的な影響力しか持たず、自分の利益を損なわずに他者を攻撃する事が難しい。後者は価格への影響力が直接的で、他のプレイヤーを助けたり同盟を組んだりできる。

 

クレヨン線路 : Crayon Rail System

ルート構築ゲームの下位分類。クレヨンや、他の後から消せる方法で線を引き、盤上に接続路を作る。最も有名なのはEmpire Builderで、システムの一部に採用されている。

 

デッキ構築 : Deck / Pool Building

ゲーム開始時に決まった内容のカード/駒のセットを持ち、ゲームを通じてそれを取り替えたり新たに加えたりする。多くのデッキ構築ゲームはプレイヤーに金銭が与えられており、デッキに入れるアイテムを購入できる様になっている。これらの新しい資源でプレイヤーのできる事が広がり、先の展開を動かす「エンジン」を構築できる。

この仕組みはゲーム中のデッキ構築を指しているのであり、ゲーム開始前にデッキをカスタマイズする種類のゲームは含まれていない。

 

ダイスロール : Dice Rolling

偶然性を生み出すためにダイスを振る仕組み。

 

マス目移動 : Grid Movement

盤上のマスを駒が色々な方向に移動する。マスは四角(チェスなど)や六角形(“Abalone”など)の場合が多い。

多くの駒が使われるゲーム(チェスやチェッカーなど)もあれば、駒が1つだけのゲーム(“Fresco”など)もある。

 

手札管理 : Hand Management

プレイヤーが手札を持ち、それを何らかの順番や組み合わせで繰り出す事で勝利に近づく仕組み。望ましい順番や組み合わせは様々で、盤上の状況や手札、対戦相手の出したカードなどによって変わる。手札管理とは即ち、手持ちのカードからその状況における最大の価値を引き出す事である。カードには複数の使い方がある場合が多く、最善手が簡単には分からない様になっている。

動作や器用さとは関係が無い。

 

ヘクス・カウンター制 : Hex-and-Counter

古典的なウォーゲームの仕組み。六角形の「ヘクス」に区切られた盤上にカウンターを置き、それらを6方向に動かせる。四角形のマスが4方向にしか動けないのと対照的である。

カウンターは一般に厚紙のチップであり、能力や兵種が印刷されている。

 

線引き : Line Drawing

何らかの形で線を引く要素を含む仕組み。

 

記憶 : Memory

プレイヤーがゲーム中に起きた事や情報を思い出さなくてはならない仕組み。

 

組み立てボード : Modular Board

タイルやカードを組み合わせて作った盤の上でゲームをする仕組み。

多くのゲームにおいて組み合わせ方はランダムであり、戦略や探索の可能性を広げている。

卓上の面積を節約する為に複数のボードを交代で使うものも含まれている。

 

紙と鉛筆 : Paper-and-Pencil

ゲーム中の出来事や数値を紙とペンで記録しておき、最後に集計して勝者を決める仕組み。

紙で得点を記録するだけのゲームはここに含まれない。

 

同盟 : Partnership

プレイヤー同士が同盟を組んだりチームで戦ったりする。多くの場合、同盟者はチームとして一緒に勝利できるか、同盟を尊重しない場合に罰が課せられる。

Fury of Dracula“は最初にチームが設定され、ゲーム終了までそれが続く。

Dune“は同盟の構築と破棄に関する細かいルールが定められている。

 

パターン構築 : Pattern Building

駒を特定のパターンで並べる事で様々な効果を得る仕組み。例えば盤上の2・4・6・8に駒を置くとアクションカードが手に入り後で使えるなど。

 

パターン認識 : Pattern Recognition

色や模様の書かれた駒を盤上に置く。置き方はランダムだったり、盤や他の駒との位置関係によって決まっていたりする。ゲーム中に駒が移動するので、プレイヤーは駒の並びパターンを見つけて点を取ったりゲームに勝ったりする。

 

届け物 : Pick-up and Deliver

盤上のどこかでアイテムや商品を拾い上げ、それを別の場所に持って行く。最初のアイテム配置はランダムだったり決まっていたりする。届け物をすると金銭が貰え、それで新たな行動ができる様になる場合が多い。殆どの場合、どこに物を届ければよいか決めるルールやメカニクスが存在している。

“Railroad Tycoon”の場合、プレイヤーは都市間に鉄道を敷設して商品を輸送する。商品コマには色が着いていて、同じ色の都市に届けると金銭が貰える仕組みになっている。

 

点移動 : Point to Point Movement

ゲーム盤に「都市」など駒の置ける場所が描いてあり、相互に線で繋がれている。駒の移動は線に沿って行わなければならない。隣同士の場所でも間に線が無ければ移動できない。

点移動ゲームは”Risk“の様に自由に出入りできるエリアは無く、チェスの様に四角いマス目も無く、”Tide of Iron“の様にヘックスで仕切られてもいない。駒が盤上を好きな方向に移動できるこれらのゲームとは異なり、駒をどこに置けるか、どこからどこへ移動できるかは恣意的に制限されている。これにより面白い戦略が生まれる事が多い。

点移動ゲームの例:”Nine Men’s Morris” “Kensington” “Friedrich

Friedrich“における点移動。

 

あと1枚! : Press Your Luck

ストップをかけるまで同じ行動を繰り返し、その度に得点や手番を失うリスクが増えて行く(場合もある)。リスク管理とリスク見積もりの両方を含んでおり、ゲームメカニクスによってリスクが決まり、他のプレイヤーがリスクをどう計算しているかを読む必要がある。運試しとも呼ばれる。

以下ブルーノ・フェイドゥッティによる解説:

2倍にするか終わりにするか、行くか止めるか、勝ち分を取るかそれを更に賭けるか。この仕組みは新しい物ではない。ブラックジャックなどのギャンブルゲームは意識的にこれを用いている。伝統的なダイスゲームにもそれは見られ、”Pass the Pigs”はその現代版でしかない。またTVのクイズ番組においても多くの例があり、勝者は勝ち分を確定して止める事も、それを更に賭けて次の問題に挑戦する事もできる。不正解なら今までの勝ちも全て失われる。”Scopone Scientifico”の様にいつまでも勝負を続ければいつかは必ず敗れる。この仕組みはボードゲームやカードゲームにおいても非常に有効で、興奮と緊張を生み出してくれる。そしてもう1枚カードを引いたりもう1個ダイスを振った時にしばしば悲劇が起きる。最も有名なのは恐らくSid Sacksonの”Can’t Stop”である。これは中々良く出来たダイスゲームで、皆で山登りをするのだが急ぎ過ぎるとずり落ちる。あるいはまた、全員で同じ船に乗っていて、それがいつ沈むか分からず、逃げ時を見極めねばならないとしたら? Aaron Weissblumの”Cloud Nine”はそういうゲームだ。そして私とAlan R. Moonによる”Diamant”もそうだ。

以下ライナー・クニツィアによる”Dice Games Properly Explained”の冒頭:

前に進み、成果の最大化を目指せ。ただし賭け金はどんどんつり上がる。一歩間違えばそれを全て失う。大きなリスクは大きな報酬を、あるいは悲惨な敗北をもたらす!

災厄は種々な形で現れる。進めば進むほど、リスクと報酬を慎重に見極めねばならぬ。ダイスで特定の目が出たり、合計が閾値を超えればドボンだ。災厄はもやの向こうに見えている…生きてそこから逃げ果せるか? 他にも選択肢がある限りダイスを振り続けられるゲームもある。いつ止めて勝ちを確定するべきか? 欲張り過ぎて運が尽きれば一巻の終わりだ。正しい判断を下し、しかも良い目を引かなくてはならない。

 

ジャンケン : Rock-Paper-Scissors

同時行動選択またはトリックテイキングの下位分類。

根本原理は強さの関係が順繰りになっている事である。それに従ってどの駒がどの駒に勝つか、あるいは取れるかが決まる。例えばAはBに勝ち、BはCに、CはAに勝つ。

ジャンケンでは鋏は紙を切り、紙は石を包み、石は鋏を打ち壊す。しかしゲームメカニクスは必ずしも三すくみでなくて良い。例えば:

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fe/Rock_Paper_Scissors_Lizard_Spock_en.svg/400px-Rock_Paper_Scissors_Lizard_Spock_en.svg.png

または

 

RPG : Role Playing
RPG要素を備えたボードゲームも存在する。キャラクターが徐々に強くなる、もしくはストーリーの要素がある。非対称ゲームの拡張形とも解釈できる。

 

すごろく : Roll / Spin and Move

ダイスを振るかルーレットを回してその数だけ駒を進める。

何も考える事の無いゲームという意味で否定的に使われる事もある用語だが、バックギャモンなどは戦術要素を含んでいる。

 

ルート構築 : Route / Network Building

点が線で結ばれるネットワークを扱う仕組み。駒は中立であったり誰かに属していたり、あるいは部分的に属していたりする。最も長いネットワークを作る事や新たなエリアに接続する事を目標とする。盤上の点をプレイヤーが結ぶ接続ゲームがこれに含まれるかは論議がある。

 

戦場の霧 : Secret Unit Deployment

非公開情報を含むゲーム。駒の情報(あるいは位置)は持ち主にしか分からない。ウォーゲームにおいて「戦場の霧」を再現する為によく使われる。

 

セット集め : Set Collection

プレイヤーに何らかのアイテムを揃えさせるメカニクス。例えば、”Bohnanza“では様々な種類の豆を集めて収穫する。”Ra“ではファラオやナイル川のマスを集める。

 

シミュレーション : Simulation

現実の事件や状況を模するゲーム。

 

同時行動選択 : Simultaneous Action Selection

プレイヤーは各々秘密に行動を決める。それを同時に公開し、ルールに従って行動が解決される。

 

歌唱 : Singing

知名度の高い曲を歌ったりハミングする事で何らかの目標を達成する。

 

株投資 : Stock Holding

相場ゲームの下位分類。何らかの商品を売り買いするのではなく、会社・商品・国家などの持ち分を取引する。

有名な例に”Acquire“がある。プレイヤーは会社の株を買い、それが買収されるまでに成長していれば利益を得る。”Imperial“ではヨーロッパ諸国の国債を買う。配当と勝利点が得られるほか、最大債権者であればその国の行動をコントロールできる。

 

物語作り : Storytelling

基本的なコンセプト、文字、絵などを与えられ、それを使って物語を作る。与えられたピースは物語に含まれていなくてはならない。

 

タイル配置 : Tile Placement

タイルを並べて勝利点を得る。得られる点は隣や近所のタイル、色などの非空間的属性、何か特定の形を作ったかどうか、タイル集合の大きさなどによって決まる。

“Carcassonne”はこのジャンルの古典である。プレイヤーはタイルをランダムに引き、他のタイルの隣に置く。そして置いたタイルに駒を乗せるチャンスがある。

 

時間消費 : Time Track

可変ターン構造のひとつ。最も時間軸上で遅れているプレイヤーが次のターンを行う。手番を行ってもまだ最後尾であれば、続けて次のターンができる。基本的な前提は、時間のかかる遅い行動を選ぶ事もできるが、時間のかからない行動によっても状況は変わりうるという事である。アクションポイント方式の下位分類であるという議論もある。時間消費システムでは1ターンでアクションポイントを使い切る必要が無いというだけの違いである。

いくつかのゲームにおいては、最後尾のポジションを失ったらその場ですぐにターン中の行動を止めなくてはならない。時間軸がループ状になっている場合、一方向にしか動けない事が多い。

 

取引 : Trading

プレイヤー同士でアイテムを交換できる。例えば”Bohnanza“では異なる種類の豆を交換できる。”The Settlers of Catan“では資源を交換する。

 

トリックテイキング : Trick-taking

カードゲームにおけるメカニクスのひとつ。

全てのプレイヤーが順繰りにカード(またはカードの組)を出し、表向きで卓に置く。出されたカード全体をトリックと称する。ルールに従い、誰か1人がトリックに勝ち全てのカードを取る。多くのゲームではトリックや得点カードを取るのが目標である。場合によってはわざとトリックを取らない様にもする。

トリックに勝つ最も一般的な方法は、最初に出されたのと同じスートで最も強いカードを出す事である。しかし多くの古典カードゲームでは「切り札」を採用しており、指定されたスートなど特定のカードが無敵になっている。どのスートが切り札になるかを競り合うラウンドが存在する場合もある。

多くのゲームに「マストフォロー」のルールがあり、トリックの最初に出されたのと同じスートのカードを出さなくてはならない。持っていなければ他のスートを出す。

 

可変順フェイズ : Variable Phase Order

ターンごとに進行手順が異なる場合があるというメカニクス。

“Puerto Rico”を例に挙げると、各ターンがそれぞれ違っている。誰が最初に役割を選ぶか、そしてどの役割を選ぶかによって、思ったより早く「建設」フェイズが来たりする。また他のゲームでは、場合によって望む行動が取れない事もある。

行動が限定され、固定ターン構造を持たないゲームの多くがこのメカニクスに分類可能である。なおターン順が変わるのは可変順フェイズではない。

 

非対称:Variable Player Powers

プレイヤーそれぞれに異なる能力や勝利法を与えるメカニクス。有名な例を以下に挙げる。

Ogre“では1人は単一の強力な駒を動かし、もう1人は沢山の弱い駒を動かす。総体としてはバランスが取れている。

Cosmic Encounter“では、プレイヤーはゲーム開始時に特殊能力を1つ割り当てられる。勝利条件は全員同じ(本星以外に5つの植民地を持つ)だが、各自の能力がそれぞれ異なった戦術を可能にする。

Here I Stand“では、プレイヤーはそれぞれ異なる勝利点方式を持った勢力を担当する。ある勢力は軍事侵攻に重点を置き、またある勢力は宗教的影響力に重点を置くなど。

Small World“や”Sunrise City“ではプレイヤーの持つ特殊能力がゲーム中に変化する。

 

投票 : Voting

特定の状況における結果を決める際に投票を求めるメカニクス。

 

ワーカープレイスメント : Worker Placement

行動の選択肢が全員に提示され、それをドラフト方式で取り合う。ドラフトは順繰りに行う。各行動ごとに1ラウンドに選ばれる回数に上限がある。

通常、各プレイヤーは決まった数の駒を行動の上に乗せてゆく。つまり「労働者を配置」してどの行動が既に取られたか示すのである。

例えば”Agricola”では、まず家族が2人から始まり、それを行動の上に乗せて資源を集めたり柵を作るなどの行動を取る。誰かが行動に駒を乗せたら、それは次のラウンドまで選ぶ事ができない。

良く知られた例は”Agricola””Caylus” “Stone Age” “Pillars of the Earth” “Tribune” “Dominant Species”などがある。初期の実験作としては”Way Out West” “Bus” “Keydom”など(異論もあるが)。

翻訳記事:デジタル・ミーツ・アナログ

これは翻訳記事です

GDC#22:デジタル・ミーツ・アナログ

2012/10/22 Soren Johnson
Game Developer誌2012年8月号に掲載された物の再掲

 

ビデオゲームとボードゲームが親戚だとすると、それはまるでヨーロッパの貴族階級の様なものだ。2つのフォーマットは相互に混ざり合い、間に引いた境界線はぼやけている。今や多くのデジタルゲームがボードゲームに似せて作られている。最近のモバイルゲーム、”Cabals”や”Hero Academy”を見てみよう。これらはデジタルゲームとしてのみ存在するのだが、どちらもボードゲームの外観を備えている。ターン制プレイ、駒になるデッキのシャッフル、タイルで区切られたゲーム盤、そして隠しデータの無い透明性を持ったルール。

他にも、主流のビデオゲームがボードゲームの要素を抽出して採用しているケースもある。例えば”Rage”におけるTCGメカニクスがそうだ。開発者は、プレイヤーがビデオゲームに馴染んでいるのと同じくらい、ボードゲームにも馴染んでいると期待したわけだ。カードやダイスを入れておけば、他のビデオゲームの習慣に従うのと同じくらいプレイヤーがデザインに親しめると。

同時に、デジタルとアナログの邂逅は後者をも変えつつある。とりわけiPadはボードゲーム業界に革命をもたらした。アナログゲームのデジタル移植がようやく上手く行く様になったからだ。iPadは多くの機能を備えている。高解像度のスクリーン、タッチ式インターフェース、そして(もしかしたら一番重要な)アプリ販売の強固なインフラ。ボードゲームのデジタル化に完璧な組み合わせだ。Days of Wonderの創業者エリック・オートモンは、このデバイスへの熱情をこう語った:

「iPadの美しさとは、それが存在する事を忘れてしまえる事だ。2人のプレイヤーの間にiPadを置くと、スクリーンがあまりに良く出来ているために、その下に電子機器があるという事をほとんど忘れてしまう。iPadの前に座って”Small World”をプレイしていると、それがiPadのゲームだという事はすぐに頭から抜け落ち、ただ”Small World”そのものに思えて来る。将来、あるゲームが「ボードゲーム」なのか「iPadゲーム」なのか、あるいは未来のデバイスのゲームなのかという質問は意味が無くなるだろう」

Days of Wonderの業績はモバイルによって急加速した。「乗車券」のiPhone版を発売した所、アナログ版の売れ行きが持続的に70%向上。同時にiPad版もトップ100アプリに常駐しており、$6.99という健全な値段で売れている。(iOS用ボードゲーム市場の健全さを表しているのがこの価格帯だ。99セントのゲームが氾濫する中で、「カタン」や”Samurai”は$4.99、「カルカソンヌ」に至っては発売後2年経っても$9.99という破格の値段で売れている!) 実際リリース以来、「乗車券」のデジタル版はアナログ版の販売を3:1で上回っている。そうなると疑問が出て来る。Days of Wondersはそもそもボードゲーム会社なのか、それともビデオゲーム会社なのか?

 

透明なゲーム

こうした成功により、デジタルボードゲームはビデオゲームデザインの議論においても無視できない存在になった。しかしボードゲームがますますデジタル化する中で、それはボードゲームとしての性質を残せるのだろうか? ボードゲームとは単に物理的コンポーネントを持ったゲームの事だろうか? 先に触れた”Cabals”や”Hero Academy”はデジタル版としてのみ存在する。これらはどうか? iOSの”Assassin’s Creed Recollections”はどうだろうか? これはリアルタイム版のM:tGだが、コンピュータがリアルタイムの相互作用を処理してくれなければ存在できないゲームだ。

物理的コンポーネントが必須でないとしたら、ボードゲームをボードゲームたらしめる物とは何だろう? なぜこのカテゴリに入るゲームとそうでないゲームがあるのか? 思うに、ボードゲームを定義する物は物理的コンポーネントではなく、完全なる透明性だ。ゲームの全てのルールが見える様になっているべきという哲学である。

この気付きは重要な含意を持つ。透明性が全てのボードゲームを繋ぐ糸だとしたら、透明性こそボードゲームが楽しい理由そのものという事になる。つまり、透明性はあらゆるゲームにおいて楽しさの源泉になり得るという事だ。それが自分のゲームにどんな役割を果たすか、開発者はよく理解しなくてはならない。

例えば、”Civilization”シリーズは本質的に巨大なボードゲームであり、計算と記録にコンピュータを使わなければプレイできないというだけである。ゲームメカニクスの大部分はプレイヤーに公開されており、都市が1ターンにどれだけの食料を産出するか、次の技術を開発するのに何ターンかかるかなど全て分かる。

あまり透明でない部分のひとつが戦闘システムだ。プレイヤーにとってはブラックボックスであるため、状況によっては戦車が槍兵に負ける事を心配しなくてはならない。Civ4はこの問題の解決に向けて一歩踏み出した。戦いの前に実際の勝率を表示する様にしたのだ。Civ5は更に一歩進み、予想ダメージをグラフィカルに表示する様になった。

これらの戦闘システムは、平均的プレイヤーにとってはやはりよく分からない代物だろう(言うまでもなく、ハードコアプレイヤーはリバースエンジニアリングで計算式を突き止めた)。しかし、それでもこうした改善は、戦闘結果を明らかにする事で透明性を指向しているのである。歴代開発チームは透明性がCivシリーズの重要な美徳だと分かっていた。これらの変更はファンに喜ばれた。

 

デジタルがアナログを打ち負かす時

デジタルとアナログの融合で面白いのは、デジタル化によって大幅に改善されたボードゲームが存在する事だ。まずデジタル化すればセットアップも記録作業もいらない。これによりゲーム時間は大幅に短くなり、今までに無い環境でも遊べる様になった。今や”Memoir ’44″がコーヒーショップで、他の客をぎょっとさせる事無しに遊べるのだ。

ボードゲームを何十回、何百回と遊べる様になると、ゲーム体験そのものが変わって来る。巨大な歴史シミュレーションカードゲーム”1960″は実物なら数回しか遊べないが、Web版なら1ゲームが1時間で終わる。1ゲームの短さとゲーム回数の多さは敗北の痛みを減らしてくれる。そうすればもっと実験的な戦略を試す事も可能になる。月に1回の遊ぶ機会を犠牲にしなくて済む訳だ。

しかし、こうした頻繁なプレイは新たな挑戦ももたらす。ゲームバランス上の問題はかつてない程素早く見つかる。2011年に出たマーティン・ワレスの”A Few Acres of Snow”はフレンチ・インディアン戦争を題材にしたウォーゲームだが、修正の必要な箇所が見つかり悪評を得てしまった。イギリス側に”Halifax Hammer”と呼ばれる支配戦略が存在したのだ。このゲームはWeb上で無料で遊べたため、リリース後すぐにこの戦略が生まれてしまった。水がひび割れを見つけるのはかくも早くなったのだ。

デジタルボードゲームには他にも利点がある。非同期プレイだ。ボードゲームをやろうとすると同じ場所に長時間、中断を挟まずに集まらなくてはならない。非同期プレイはこの問題を迂回する方策だ。プレイヤーはそれぞれ好きなペースでゲームを進める。プログラムは次のプレイヤーが手番を行うまで待ってくれる。

iOSゲームの”Ascension”は非同期フォーマットを正しく採用して成功した例だ。ゲーム自体は「ドミニオン」の焼き直しだが、Appストアにおいて多大な成功を収めた。変わった遊び方としてではなく、ゲームの中核要素として非同期プレイが実装され、複数のゲームを同時に進行させておく事が簡単にできる。全てのボードゲームが非同期プレイに適する(ターンごとに多くの決定を下せる)訳ではないが、適しているゲームはモバイルの世界に新たな可能性を求めるべきだろう。

 

分析する楽しみ

非同期プレイにせよシングルプレイにせよ、デジタル化はボードゲームにつきものの待ち時間を無くしてくれる。「ケイラス」や「プエルトリコ」など、全ての情報が公開されランダム性が少し入るというゲームがドイツにはよくある。これを効率主義のプレイヤーと一緒に遊ぶと大変だ。最適手を確信するまで延々時間をかけ、ゲームの進行そのものを大幅に遅らせてしまう。だが、手番の遅いプレイヤーを待つ事は苦痛だが、だからといって最適手を探す事自体がつまらない訳ではない。

はやく手番を終えろというプレッシャーの下で最適手を探すのは面白くないだろう。しかし複雑な状況において正しい手を探すのは、この種のゲームの面白さの源泉である。知っての通り、最適手探しはシングルプレイヤーゲームにおける熱い戦いでもある!

実物のボードゲームで遊んでいる場合、ゲーム進行を滞らせたくないが慌てて間違った手を選びたくもないという問題が出て来る。非同期プレイとシングルプレイはこの問題を解決し、プレイヤーに好きなだけ時間を与えている。iPad版「プエルトリコ」は1人で好きなペースで全ての決定を下せる様になり、エレガントなゲームとして輝いている。実際、近年の協力型ボードゲーム「パンデミック」や「ゴーストストーリー」の人気を見るに、ボードゲームの魂を持ったソリティア型ビデオゲームには十分な市場があるのではないか。

新たな知見により、物理的コンポーネントとボードゲームの本質とを分離する事の価値が明らかになって来た。ボードゲームの本質とは完全なる透明性である。そしてそれはほとんど全てのゲームジャンルや形式において美徳となるものだ。”Triple Town”のタイルの組み合わせ、「プラント vs. ゾンビ」における敵の決まった挙動、”Cut the Rope”における分かりやすい物理法則。これらはボードゲームとは似ても似つかないが、どれも透明性という美徳を備えているのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=446

翻訳記事:シドのルール

これは翻訳記事です

GDC#5:シドのルール

2009/3/1 Soren Johnson
Game Developer誌2009年1月号に掲載された物の再掲

 

多くのゲーム開発者は「良いゲームは面白い選択の連続である」というシドの格言を聞いた事があるだろう。実際、ダミオン・シューベルトが同じ雑誌でコラムを連載しているのだが、プレイヤーの選択に関する2008年10月の記事はこの格言で始まっている。だがシドはその他にもいくつかのゲームデザインに関するルールを編み出している。2000年から2007年にかけてFiraxis Gamesで働いていた時、彼がこれについて語るのを何度も耳にした。これらの知見は開発者にとってとても実践的な教えであり、論ずるに相応しいものと言えるだろう。

 

倍にするか半分に削れ

良いゲームが無から生まれる事は滅多に無い。だからこそ多くの開発者が反復的なデザイン方式を提唱するのだ。まず単純なプロトタイプを非常に早い段階で作り、繰り返し繰り返し手を加えて最終的に出荷できる製品に仕上げる。シドはこの過程を「面白探し」と呼んでおり、その成功率は開発ループを何回繰り返せるかにかかっている。アイディアを形にし、出来た物をテストし、フィードバックに基づいてそれを修正する。その繰り返しだ。サイクルの回数は有限であるため、小さな変更のために時間を無駄にする事はできない。ゲームプレイを修正する時は大きな変更を加えて、はっきりとした反応を呼び起こすべきだ。

あるユニットが弱過ぎたら、コストを5%減らすのでなく強さを倍にする。アップグレードの種類が多過ぎて混乱するのであれば、半分を取り除く。初代”Civilization”はゲームプレイのテンポが悪くなり、地べたを這う様になってしまった事がある。シドはマップサイズを半分にする事でこれを解決した。大事なのは新しい値が正しいかどうかではない。より多くのデザイン領域を囲い込む事が目標だ。

新しいゲームのデザイン空間を未踏破の世界として考えてみよう。地平線の向こうに何があるかはぼんやりとしか分からない。実験とテストをしてみなければ、どう予測しようと机上の空論でしかない。そして大きな変更を加える度に新たな土地が明らかになり、最終的な製品の着地点を決める判断材料が増える。

 

1つの良いゲームは2つの素晴らしいゲームに勝る

シドはこれを「コバート・アクションの法則」と呼んでいる。90年代初頭に彼が作り、あまり売れなかったスパイゲームの名前から取った物だ。

「失敗だったのは、2つのゲームを一緒にしてそれが喧嘩してしまった事だ。建物に侵入して手がかりを集めたりするアクションゲームと、謎の陰謀に巻き込まれて黒幕を捜すアドベンチャーゲームとが共存していた。どちらもそれぞれ良いゲームだったが、両方一緒にすると喧嘩してしまうのだ。解決すべき謎が出て来る。そして次にアクションパートに入ってひとしきり暴れ、建物から出て来る。ここで「それでどういう謎を解こうとしてたんだっけ?」となってしまう。”Covert Action”はストーリーとアクションの調和に失敗した。アクションパートがかなり激しく、1回のミッションに10分かそこらのプレイ時間がかかる。出て来た時には何が進行していたのかすっかり忘れてしまっているのだ」

言い換えれば、どちらのパートもそれぞれに面白いゲームだったが、両方を同時に存在させる事でゲーム体験が損なわれてしまったのだ。プレイヤーはどちらかに集中する事ができなかった。このルールはもっと大きな論点に繋がる。全てのデザイン上の決定は他との相互関係において良し悪しが決まり、それぞれメリットとデメリットを伴うトレードオフである。戦略ゲームを作るという決定は戦術ゲームを作らないという決定である。それ自体としては「面白そう」なアイディアも、プレイヤーを本来あるべき体験から逸らしてしまうのでは駄目だ。実際、このルールは何故Civシリーズが戦術的バトルシステムを導入しないかという理由である。

しかし、複数のゲームが調和のもとに共存できる場合もある。シドの”Pirates!”は戦闘、航海、ダンスなどのミニゲームを上手く組み合わせた集合体だ。ただしこれらのゲームプレイはそれぞれ非常に短い。長くて数分だ。ゆえに海賊として生きるというメタゲームへの集中を失わずに済む。各々の小さな課題は長い冒険の中の一歩である。例えばスペインの都市を全て略奪するとか、生き別れの家族を救い出すとか。

“X-Com”も複数のサブゲームを上手く組み合わせている。ターンベースの作戦級ウォーシムと、リアルタイムの戦略級資源管理ゲームである。”Pirates!”と同様、”X-Com”が上手く行くのは焦点を定めているからである。このゲームは軍隊を動かして異星人の侵略と戦うのが楽しいのだ。戦いはそれぞれ30分ほど。上位の戦略ゲームは各々の戦闘にどんな意味があるかを決める枠組みでしかない。資源管理を有利にするために戦うのではなく、戦いを有利にするために資源を管理しているわけだ。

 

資料収集はゲームが出来てから

歴代のベストセラー、「シムシティ」、”Grand Theft Auto”、”Civilization”、”Rollercoaster Tycoon”、「シムピープル」などは現実世界をテーマにしている。誰もが知っている物をゲームにする事で幅広い層に売り込めるのだ。しかし、現実の事象をゲームにするという試みは自然な、しかし危険な傾向を引き起こす。あらゆる細部と無駄な知識をゲームに詰め込み、開発者がそれについてどれだけ勉強したか示そうとするというものだ。こうなるとプレイヤーが最初から持っている知識だけではゲームができなくなり、現実世界のテーマが有益である理由自体が失われる。誰でも知っている通り、火薬は軍隊を強くし、警察署は犯罪を減らし、カージャックは違法である。シド曰く「プレイヤーが制作者と同じ本を読んでいる事を求めてはならない」のである。

ゲームには大きな教育効果を持ち得るが、多くの教育者達が考える様な方法によってではない。もちろん事実として間違っている事を入れるべきではないが、インタラクティブな体験の価値は単純なコンセプトの相互作用から生まれるのであり、データや数値を詰め込む事からではない。ナイル、ティグリス・ユーフラテス、インダスなど最初期の文明は川沿いに生じた。どのタイルが初期の農業において多くの食料を産出するかという単純なルールにより、”Civilization”はこれを非常に効果的に表現している。ゲームの中核部分が出来上がった後なら資料集めはとても有益だ。歴史シナリオー、フレーバーテキスト、詳細なグラフィックなどは細部を肉付けして深みを与えてくれる。新しいゲームを学ぶのは大仕事である。プレイヤーが最初から必要な知識を備えていると期待して、テーマの親しみやすさを放棄するべきではない。

 

楽しむのはプレイヤー。開発者やコンピュータではない

ストーリーを基盤にしたゲームを作るのは楽しい。つい夢中になって、大げさな背景設定やら大量の固有名詞やら、珍しい子音やら「’」だらけの名前やらを詰め込んでしまう。また、複雑で精密なシミュレーションに基づくゲームは内部の計算式が隠されていると非常に分かりにくい。シドに言わせると、これらのゲームは開発者やコンピュータが楽しんでいるのであってプレイヤーが楽しんでいるのではないそうだ。

例えば”Civilization 4″の開発の際、試しに研究や生産物を指定できない代わりに大きな生産ボーナスが得られる政治体制というのを導入してみた。内部に隠されたシミュレーションモデルがあって、国民が何を生産したがるか決定しているのだ。このアルゴリズムを作るのは楽しかったし、ゲームを離れて興味深い議論ができた。だがプレイヤーは置いてけぼりである。楽しみをコンピュータがみんな持って行ってしまったからだ。そこでこの要素はカットされる事になった。

更に、ゲームに必要なのは意味のある選択肢だけではない。その選択が正しいと感じられる様なコミュニケーションも必要である。プレイヤーに選択肢を与えても、それがどういう結果になるのか理解できなければ楽しくない。RPGはしばしばこの部分で失敗している。例えばキャラクター作成時に職業やスキルを選ばされるが、そのゲームを1秒も遊んでいないのにその選択をしなくてはならないのである。戦闘システムが実際どうなっていてパラメータに何の意味があるか分からないのに、どうしたらバーバリアンと戦士とパラディンのどれが良いか選べるのだろうか? 選択肢が面白くなるためには、異なる結果を生むだけではなくちゃんと情報が与えられていなくてはならない。

シドは言う。プレイヤーは「常に王様」であるべきだと。我々開発者はプレイヤーの側に付いてなくてはならない。ゲーム世界におけるプレイヤーの役回りがどうなるか、その内部のメカニクスをプレイヤーがどう理解するか、常に慎重に考慮してデザイン上の決定を下すべきである。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=119

翻訳記事:なぜゲームを作るのか

これは翻訳記事です

2007/9/27 Soren Johnson

Braidというサイトを運営するジョナサン・ブロウ氏が、最近オーストラリアのFreePlayカンファレンスで面白い事を言っていた。(動画) どうして我々ゲーム開発者は「何故ゲームを作るんだろう」と自分自身に問いかけないのか。出て来る疑問詞は「どうやって」ばかり。「どうやってゲーム業界に入ろう?」「どうやって販売元にこのゲームを見てもらおう?」という具合だと言う。面白い視点である。そして私は確信するのだが、殆どの開発者はこういう問いかけをした事が無い筈だ。

数ヶ月前、Spore開発チームの仲間であるクリス・ヘッカーが同じ様な質問を私にした。君のゲームデザインにはテーマがあるのか。何かプレイヤーに対して伝えたい考えや経験があるのか。私の答えは、同時にジョナサンの質問への答えでもある。即ち、私はプレイヤーに「常に正しい選択肢は無い」と感じて欲しいのだ。言い換えれば、プレイヤーには適応を試みて欲しい。与えられた環境を注視し、そこから成功への道を見つけ出すという事だ。Civ4で言えばこうである。首都のすぐ近くに大理石と石材があったら遺産建造に力を入れるだろう。ナポレオンとモンテスマがすぐ隣だったら、少なくとも一方とは仲良くした方が良いだろう。周囲がジャングルだらけなら鉄器に行こう。孤島スタートなら天文学に行こう。無論、こうした状況は複数まとまって押し寄せて来るので優先順位を付けねばならない。どの状況を利用し、どの状況を無視するべきか。

柔軟に適応する事は頑固でいる事よりも良い。自分の好きな戦略を環境に押し込むのでなく、環境に合わせて計画を立てるべきなのだ。ここを理解する事が重要だと私は信じている。何故か? それは私自身の哲学や世界観と結びついている。

もし20世紀を1つのテーマで表すとしたら、「イデオロギーの行き詰まりと失敗」だろう。マスメディアの発達により、かつては想像すらできなかった様々な方法で思想が人々に影響を与えるようになった。独善的な指導者が反対する者に絶対悪のレッテルを貼り、強者が弱者を恐怖で支配する。そんな事が思想によって正当化され、繰り返し繰り返し行われて来た。ナチスの強制収容所。ソ連の労働収容所。中国の文革。アメリカのマッカーシズム。20世紀は山ほどの思想で満ちあふれ、思想が冷酷な独裁者を誕生させた。認めたくない事だが、独裁者達はその思想を盲信する一般大衆の支持を受けて生まれたのだ。ヒトラーはまず選挙で権力の座に着いた。(「大衆は小さな嘘より大きな嘘に騙され易い」)スターリンには多数の擁護者が世界中にいた。(「一人の死は悲劇、百万の死は統計」)どちらも今では大量殺人者と見なされている。

私はイデオロギーというものを軽蔑している。この世にはただ1つの解決策があり、世界の問題はすべてそれで対応できるという考えに行き着いてしまうからだ。ただ1つしか解決策が無いという事は他は全て間違いだ。間違っている者は粛清だ。結局こうなってしまう。イデオロギーは思想を人々よりも重要な物としてしまう。これこそ恐怖と圧政の始まりだ。人々は思想などよりずっと大切だ。そうだ、人々は何よりも大切な、かけがえの無い存在なのだ。

Civ4がこの問題に正面からぶつかって行ったとは考えていない。しかし私のこの人生哲学は、ゲームの深層部分に確かに潜んでいる。例えば政治体制システムを見てみよう。民主主義や共産主義といった大まかなレッテルしか無かった以前のCivシリーズとは違い、Civ4では自分の好きな政治をカスタマイズできる。国有化経済と言論の自由を組み合わせる事もできる。警察国家と自由市場も可。極端な話、奴隷制と普通選挙を合わせる事さえ許されている。イデオロギーはレッテル貼りが大好きだ。そうやって反対者を非人間的な何かに変えてぼやかしてしまう。冷戦期の両陣営は「共産主義者」「資本主義者」という言葉を好き勝手に使い、自分達と相手とは違うのだと主張した。しかしアメリカ政府はこの1世紀、徐々に共産主義的な政策を採用して来たのだ。アメリカ。社会保障と、医療保険と、福祉と、最低賃金と、労働組合を持ったこの国が、ベトナムを共産主義から守る為に戦った? もし1907年にタイムスリップして、典型的な反共・反労組の事業家を2007年のアメリカに連れて来たらどうだろうか? 彼は今のアメリカを見て、最終的に共産主義が勝った物と思うのではないか? レッテルは人々を分離し支配する道具だ。その向こうにある社会の現実を見る事を、私はこの政治体制システムを通じて伝えたかった。ラシュモア山の解禁技術がファシズムなのはミスではない。自然の山に国家指導者の巨大な像を彫るのはファシストのやる事だ。たとえアメリカがファシズムの国でないとしても。我々が自分達を民主主義者とか資本主義者と定義したとしても、それでアメリカが世界に害を撒いている事が咎められなくなるわけではない。我々の政策が人々を、現実に存在する人々を傷つけているとすれば。

もちろん、頑固な考え方を変えさせるのがゲームを作る唯一の理由ではない。しかしジョナサンの質問に対してこれ以上の回答は思い浮かばない。もし今後私の理想の戦略ゲームを拵えるとしたら、この哲学はデザインの中心にはっきりと現れている筈だ。やる事にはちゃんと理由がある。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=57

以前Civ4 Wikiに投稿した物の再掲。

翻訳記事:ゼロサムを超えて

これは翻訳記事です

GDC#21:ゼロサムを超えて

2012/7/24 Soren Johnson
Game Developer誌2012年4月号に掲載された物の再掲

 

ゼロサムゲームとは誰かの得が誰かの損になるゲームである。損と得は釣り合っている。例えばポーカーで賭け金を勝ち取る様な具合だ。厳密なゲーム理論の定義から言えば、多くの競争ゲームは実際にはゼロサムではない。例えばアメリカンフットボールでフィールドゴールを決めても、相手から3点を奪って来るわけではない。

しかしもう少し緩く定義すると、「ゼロサム」方式とは相手を困らせるのと自分を助けるのが等価であるという意味になる。”StarCraft”の様な典型的なRTSでは、ラッシュ戦術はブーム戦術と同じくらい有用だ。前者は敵の経済を速やかに破壊する事を目的とし、後者は自分の経済を建設する事を目的としている。相手の最初のユニットをすぐに倒してしまえれば、自分の軍隊の研究がどこまで進むかはそれほど問題ではなくなる。

つまり相手を妨害するのと自分を強めるのと、両方の戦術を同等に報奨するゲームはゼロサム方式である。多くのチームスポーツ(バスケット、サッカー、アメフトなどなど)はこの性質を持っている。防御によって相手の得点を阻むのは、攻撃によって得点を狙うのと同様に重要だ。

競争型のゲームはこの土壌にしっかりと根を張っている。格闘ゲームでは自分の体力を守るのも相手の体力を削るのも両方大事である。戦略ゲームは自分の計画を通すと同時に相手の計画を潰さなくてはならない。FPSはできるだけ多くの敵を殺すと同時に、フラグやチェックポイントなどの目標も達成しなくてはならない。

実際、競争ゲームをデザインするとなるとゼロサム方式がデフォルトになっている様だ。しかし、そればかりが増殖した結果様々な問題が起きている。ゼロサム方式というのは本当の所、せいぜい良くて必要悪でしかない。そして悪ければ、多くの潜在顧客を引き離してしまう間違ったアプローチなのだ。

 

ゼロサムの問題点

ゼロサム方式の問題点は、誰かがババを引かなくてはならない事だ。「ストリートファイター」で凄まじいコンボを食らう。”Age of Empire”で建物を粉々に破壊される。”Team Fortress”で何度も何度も死んではリスポーンする。誰かの楽しみは他の誰かの痛みなのだ。

本当は誰かの痛みなど必要ない。プレイヤー間の相互作用の頻度と大きさを決めるのはゲームのルールである。つまりプレイヤー同士がどのように関わり合うか、決めるのはデザイナーの裁量である。実際、相互作用が全く無くとも競争ゲームは成立する。ゴルフやボウリングの様な並列型スポーツを考えてみよう。あるいはハイスコアを競うオンラインゲーム、”Bejeweled Blitz”や”Burnout Paradise”を。

最も重要な区別は、プレイヤーがプレイ中に進捗を失うか、それとも以後の進捗を阻まれるだけかという点だ。前者の場合、ゲームメカニクスにはゼロサムの感覚がある。自分の進捗を失うのはたいてい苦痛であるし、往々にして負けに至る道でもある。一方「乗車券」や「カタン」に代表されるドイツゲームの大きな特徴は、そうした直接的でゼロサムな対立を避けていることだ。進捗を破壊しない、限定された間接的な相互作用が人気を呼んでいる。

例えば「アグリコラ」や「ケイラス」の様なワーカープレイスメントゲームの場合、プレイヤーがそれぞれ能力を選ぶ事でターンが進行する。誰かが選んだ物はもう選べない。そこで誰が良い役回りにありつくかという競争が生まれる訳だ。もし対戦相手が食料を欲していると分かったら、自分で食料生産の仕事を選ぶことで相手にダメージを与えられる。だがこれは”Age of Empires”で敵の農地を焼いて農民を殺すのとは質的に異なっているのだ。

前者の場合、進捗の遅れは一時的な物である。後者の場合、感情的にも苦痛だし再起のチャンスはほとんどない。実際、「アグリコラ」の様なゲームで他のプレイヤーの邪魔ばかりしていると自分の墓穴を掘ってしまう。アクションは貴重であり、機会費用は大きい。逆にRTSで早期に敵を痛めつける事には殆どデメリットが無い。敵の経済を一掃してしまえば、それだけ自分の経済を大きくする時間が稼げるのだ。

RTSは早期攻撃を報奨する。そうでない様に調整するのは恐ろしく困難だ。そして実際、RTSはゼロサム方式の呪いに苦しんでいる。そのせいでラッシュが有利になってしまうのだ。多くのプレイヤーが「早期戦争無し」のハウスルールを作ってわざわざゲームを再調整している。破壊的な侵略を防止して、終盤に向けての建設ができるようにしている訳だ。

更に、RTSの試合は爆煙でなくすすり泣きで幕を閉じる。勝利条件が敵の全滅であるため、試合の途中で勝敗が明らかになってしまうのだ。「乗車券」の場合、プレイヤーは駒が切れる前に路線を完成させようと競争する。その間試合の熱気はずっと上り坂だ。これに対し、”StarCraft”の熱気は上り坂と下り坂で出来た山になる。そして不幸な事に、下り坂の方は敗者にとってただの苦痛でしかない。

しかし、ゼロサム方式はRTSが必ずかかる風土病という訳ではない。”Annoseries”、”Railroad Tycoon”、”M.U.L.E.”などの経済ゲームを考えてみよう。これらの最終目標は富の獲得だ。誰が一番速く成長するかの競争であり、他のプレイヤーを邪魔する事を報奨しなくとも、いやそもそも可能にしなくてもゲームが成立するのだ。

戦争RTSでも直接的でない競争原理は採用できる。”Warcraft 3″はクリープを導入した。これはマップ中央部分に生息する中立キャラクターで、プレイヤーはこれを倒して戦利品と経験値を得る事ができる。次世代RTSはこれをもう一歩進めてクリープを倒すだけのゲームにできるのではないか?

 

マイナスを無くす

ゼロサム問題を解決するため、多くの競争型ゲームが取り入れているのが相互作用の制限である。プレイヤー同士が影響を及ぼし合える状況を限定するのだ。例えば「マリオカート」の場合、特定の場所で甲羅を手に入れるまでは攻撃ができない。そして手に入れる場合も、最強の甲羅はどん尻にいる時しか出て来ないのだ。ハードコアなRTSの世界でさえ、まず兵舎を建て、兵隊を作り、それを所定の位置まで動かしてようやく攻撃ができる。

このように、相互作用の制限はゼロサム方式の嫌な部分を取り除く強力な道具である。同じ様なテーマとルールを持ったゲームでも、どんな相互作用が可能かによって全く違う感触になる。例えば「トラビアン」と”Empires & Allies”は似た様な非同期戦略ゲームであり、どちらもプレイ期間は数ヶ月に渡り、リアルタイムで軍を編成して敵を攻撃する。しかしこの2つの間には大きな違いがある。他のプレイヤーの都市に攻め込んだ時の挙動である。

「トラビアン」における侵略は厳密なゼロサムである。攻撃者が資源を奪ったら被害者はその分だけ資源を失う。一方”Empires & Allies”の場合、一方が得をしてももう一方は損をしない。攻撃者の戦利品は無から出て来るのである。更に「トラビアン」では死んだユニットはゲームから取り除かれるが、”Empires”の方は防御側のユニットが死んでもそのまま生き返る。

“Empires”は戦闘というものに対するプレイヤーの常識を密かに裏切っている。勝利が存在するためには敗北が必要であるという常識を。だがこのデザインのお陰でゲームの敷居は低くなり、感情的にも消耗しなくなった。一方トラビアンは伝統的な方式を採用し、一方の得は一方の損である。その結果、このゲームは怒り狂ったプレイヤーだらけの酷い空間になってしまった。

デザイナーは本能的に戦いイコールゼロサムと考えてしまう。しかしこの先入観のせいでゲームの敷居を上げてしまっているのだ。プレイヤーがゲーム中に経験する感情は現実のものだ。ゆえに誰かの苦しみを必要とするメカニクスを導入するのは慎重にすべきである。

 

プラスを加える

目がくらむほどシンプルな解決策もある。ボードゲームの「七不思議」では、プレイヤー同士が様々な軸で競争する。科学、政治、建物、富、軍隊における得点を競う。この様なゲームに軍事要素を入れるとなると、まず思いつくのは軍隊を作って他のプレイヤーのユニットなり建物なり資源なりを攻撃する方式だろう。だが七不思議は全く違う答えを出した。

ゲームは3つの時代に分かれている。そしてそれぞれの時代ごとに、最大の軍事力を持っていたプレイヤーに得点が与えられる。配分される得点の合計はプラスであり、戦いに勝てば得をするが負けてもそれほど損にはならない。ゆえに軍事戦略が他のプレイヤーを死滅させる事にはならず、適切にバランスが取られているのである。強力な軍隊があっても対戦相手が科学で勝つのを止める事はできない。軍事的勝利は敗者から進捗を奪わないのである。

実際、物事がプラスになるやり方はゲームデザインの他の面にも良い影響を及ぼす。例えば「パズルクエスト」の場合、全ての戦闘が必ずプラスの結果になるので手動セーブシステムが無い。戦闘中にアイテムを失う事は無く、戦えば必ず少量のゴールドと経験値が手に入る。プレイヤーは勝とうと負けようと必ず戦闘前より良い状態になっており、それゆえゲームにはセーブスロットが1つしか無く自動でセーブされる。これは伝統的な、負ければ何かを失うデザインではハードコアになってしまうだろう。このシステムのお陰でセーブ/ロードが不要になり、それだけ敷居が下がり、ゲームはより広い層に訴求できる様になった。

とは言えゼロサム方式はやはり強力な道具である。プレイヤーの非常に原始的な感情を呼び起こす事ができるからだ。時にはプレイヤー同士で破壊し合う事もゲームには必要だろう。だが全ての争いがゼロサムである必要は無い。ゼロサムには大きなデメリットも存在するのだから。勝者が栄えるために敗者が苦しむ必要は無いのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=438