翻訳記事:シドのルール

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GDC#5:シドのルール

2009/3/1 Soren Johnson
Game Developer誌2009年1月号に掲載された物の再掲

 

多くのゲーム開発者は「良いゲームは面白い選択の連続である」というシドの格言を聞いた事があるだろう。実際、ダミオン・シューベルトが同じ雑誌でコラムを連載しているのだが、プレイヤーの選択に関する2008年10月の記事はこの格言で始まっている。だがシドはその他にもいくつかのゲームデザインに関するルールを編み出している。2000年から2007年にかけてFiraxis Gamesで働いていた時、彼がこれについて語るのを何度も耳にした。これらの知見は開発者にとってとても実践的な教えであり、論ずるに相応しいものと言えるだろう。

 

倍にするか半分に削れ

良いゲームが無から生まれる事は滅多に無い。だからこそ多くの開発者が反復的なデザイン方式を提唱するのだ。まず単純なプロトタイプを非常に早い段階で作り、繰り返し繰り返し手を加えて最終的に出荷できる製品に仕上げる。シドはこの過程を「面白探し」と呼んでおり、その成功率は開発ループを何回繰り返せるかにかかっている。アイディアを形にし、出来た物をテストし、フィードバックに基づいてそれを修正する。その繰り返しだ。サイクルの回数は有限であるため、小さな変更のために時間を無駄にする事はできない。ゲームプレイを修正する時は大きな変更を加えて、はっきりとした反応を呼び起こすべきだ。

あるユニットが弱過ぎたら、コストを5%減らすのでなく強さを倍にする。アップグレードの種類が多過ぎて混乱するのであれば、半分を取り除く。初代”Civilization”はゲームプレイのテンポが悪くなり、地べたを這う様になってしまった事がある。シドはマップサイズを半分にする事でこれを解決した。大事なのは新しい値が正しいかどうかではない。より多くのデザイン領域を囲い込む事が目標だ。

新しいゲームのデザイン空間を未踏破の世界として考えてみよう。地平線の向こうに何があるかはぼんやりとしか分からない。実験とテストをしてみなければ、どう予測しようと机上の空論でしかない。そして大きな変更を加える度に新たな土地が明らかになり、最終的な製品の着地点を決める判断材料が増える。

 

1つの良いゲームは2つの素晴らしいゲームに勝る

シドはこれを「コバート・アクションの法則」と呼んでいる。90年代初頭に彼が作り、あまり売れなかったスパイゲームの名前から取った物だ。

「失敗だったのは、2つのゲームを一緒にしてそれが喧嘩してしまった事だ。建物に侵入して手がかりを集めたりするアクションゲームと、謎の陰謀に巻き込まれて黒幕を捜すアドベンチャーゲームとが共存していた。どちらもそれぞれ良いゲームだったが、両方一緒にすると喧嘩してしまうのだ。解決すべき謎が出て来る。そして次にアクションパートに入ってひとしきり暴れ、建物から出て来る。ここで「それでどういう謎を解こうとしてたんだっけ?」となってしまう。”Covert Action”はストーリーとアクションの調和に失敗した。アクションパートがかなり激しく、1回のミッションに10分かそこらのプレイ時間がかかる。出て来た時には何が進行していたのかすっかり忘れてしまっているのだ」

言い換えれば、どちらのパートもそれぞれに面白いゲームだったが、両方を同時に存在させる事でゲーム体験が損なわれてしまったのだ。プレイヤーはどちらかに集中する事ができなかった。このルールはもっと大きな論点に繋がる。全てのデザイン上の決定は他との相互関係において良し悪しが決まり、それぞれメリットとデメリットを伴うトレードオフである。戦略ゲームを作るという決定は戦術ゲームを作らないという決定である。それ自体としては「面白そう」なアイディアも、プレイヤーを本来あるべき体験から逸らしてしまうのでは駄目だ。実際、このルールは何故Civシリーズが戦術的バトルシステムを導入しないかという理由である。

しかし、複数のゲームが調和のもとに共存できる場合もある。シドの”Pirates!”は戦闘、航海、ダンスなどのミニゲームを上手く組み合わせた集合体だ。ただしこれらのゲームプレイはそれぞれ非常に短い。長くて数分だ。ゆえに海賊として生きるというメタゲームへの集中を失わずに済む。各々の小さな課題は長い冒険の中の一歩である。例えばスペインの都市を全て略奪するとか、生き別れの家族を救い出すとか。

“X-Com”も複数のサブゲームを上手く組み合わせている。ターンベースの作戦級ウォーシムと、リアルタイムの戦略級資源管理ゲームである。”Pirates!”と同様、”X-Com”が上手く行くのは焦点を定めているからである。このゲームは軍隊を動かして異星人の侵略と戦うのが楽しいのだ。戦いはそれぞれ30分ほど。上位の戦略ゲームは各々の戦闘にどんな意味があるかを決める枠組みでしかない。資源管理を有利にするために戦うのではなく、戦いを有利にするために資源を管理しているわけだ。

 

資料収集はゲームが出来てから

歴代のベストセラー、「シムシティ」、”Grand Theft Auto”、”Civilization”、”Rollercoaster Tycoon”、「シムピープル」などは現実世界をテーマにしている。誰もが知っている物をゲームにする事で幅広い層に売り込めるのだ。しかし、現実の事象をゲームにするという試みは自然な、しかし危険な傾向を引き起こす。あらゆる細部と無駄な知識をゲームに詰め込み、開発者がそれについてどれだけ勉強したか示そうとするというものだ。こうなるとプレイヤーが最初から持っている知識だけではゲームができなくなり、現実世界のテーマが有益である理由自体が失われる。誰でも知っている通り、火薬は軍隊を強くし、警察署は犯罪を減らし、カージャックは違法である。シド曰く「プレイヤーが制作者と同じ本を読んでいる事を求めてはならない」のである。

ゲームには大きな教育効果を持ち得るが、多くの教育者達が考える様な方法によってではない。もちろん事実として間違っている事を入れるべきではないが、インタラクティブな体験の価値は単純なコンセプトの相互作用から生まれるのであり、データや数値を詰め込む事からではない。ナイル、ティグリス・ユーフラテス、インダスなど最初期の文明は川沿いに生じた。どのタイルが初期の農業において多くの食料を産出するかという単純なルールにより、”Civilization”はこれを非常に効果的に表現している。ゲームの中核部分が出来上がった後なら資料集めはとても有益だ。歴史シナリオー、フレーバーテキスト、詳細なグラフィックなどは細部を肉付けして深みを与えてくれる。新しいゲームを学ぶのは大仕事である。プレイヤーが最初から必要な知識を備えていると期待して、テーマの親しみやすさを放棄するべきではない。

 

楽しむのはプレイヤー。開発者やコンピュータではない

ストーリーを基盤にしたゲームを作るのは楽しい。つい夢中になって、大げさな背景設定やら大量の固有名詞やら、珍しい子音やら「’」だらけの名前やらを詰め込んでしまう。また、複雑で精密なシミュレーションに基づくゲームは内部の計算式が隠されていると非常に分かりにくい。シドに言わせると、これらのゲームは開発者やコンピュータが楽しんでいるのであってプレイヤーが楽しんでいるのではないそうだ。

例えば”Civilization 4″の開発の際、試しに研究や生産物を指定できない代わりに大きな生産ボーナスが得られる政治体制というのを導入してみた。内部に隠されたシミュレーションモデルがあって、国民が何を生産したがるか決定しているのだ。このアルゴリズムを作るのは楽しかったし、ゲームを離れて興味深い議論ができた。だがプレイヤーは置いてけぼりである。楽しみをコンピュータがみんな持って行ってしまったからだ。そこでこの要素はカットされる事になった。

更に、ゲームに必要なのは意味のある選択肢だけではない。その選択が正しいと感じられる様なコミュニケーションも必要である。プレイヤーに選択肢を与えても、それがどういう結果になるのか理解できなければ楽しくない。RPGはしばしばこの部分で失敗している。例えばキャラクター作成時に職業やスキルを選ばされるが、そのゲームを1秒も遊んでいないのにその選択をしなくてはならないのである。戦闘システムが実際どうなっていてパラメータに何の意味があるか分からないのに、どうしたらバーバリアンと戦士とパラディンのどれが良いか選べるのだろうか? 選択肢が面白くなるためには、異なる結果を生むだけではなくちゃんと情報が与えられていなくてはならない。

シドは言う。プレイヤーは「常に王様」であるべきだと。我々開発者はプレイヤーの側に付いてなくてはならない。ゲーム世界におけるプレイヤーの役回りがどうなるか、その内部のメカニクスをプレイヤーがどう理解するか、常に慎重に考慮してデザイン上の決定を下すべきである。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=119

翻訳記事:なぜゲームを作るのか

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2007/9/27 Soren Johnson

Braidというサイトを運営するジョナサン・ブロウ氏が、最近オーストラリアのFreePlayカンファレンスで面白い事を言っていた。(動画) どうして我々ゲーム開発者は「何故ゲームを作るんだろう」と自分自身に問いかけないのか。出て来る疑問詞は「どうやって」ばかり。「どうやってゲーム業界に入ろう?」「どうやって販売元にこのゲームを見てもらおう?」という具合だと言う。面白い視点である。そして私は確信するのだが、殆どの開発者はこういう問いかけをした事が無い筈だ。

数ヶ月前、Spore開発チームの仲間であるクリス・ヘッカーが同じ様な質問を私にした。君のゲームデザインにはテーマがあるのか。何かプレイヤーに対して伝えたい考えや経験があるのか。私の答えは、同時にジョナサンの質問への答えでもある。即ち、私はプレイヤーに「常に正しい選択肢は無い」と感じて欲しいのだ。言い換えれば、プレイヤーには適応を試みて欲しい。与えられた環境を注視し、そこから成功への道を見つけ出すという事だ。Civ4で言えばこうである。首都のすぐ近くに大理石と石材があったら遺産建造に力を入れるだろう。ナポレオンとモンテスマがすぐ隣だったら、少なくとも一方とは仲良くした方が良いだろう。周囲がジャングルだらけなら鉄器に行こう。孤島スタートなら天文学に行こう。無論、こうした状況は複数まとまって押し寄せて来るので優先順位を付けねばならない。どの状況を利用し、どの状況を無視するべきか。

柔軟に適応する事は頑固でいる事よりも良い。自分の好きな戦略を環境に押し込むのでなく、環境に合わせて計画を立てるべきなのだ。ここを理解する事が重要だと私は信じている。何故か? それは私自身の哲学や世界観と結びついている。

もし20世紀を1つのテーマで表すとしたら、「イデオロギーの行き詰まりと失敗」だろう。マスメディアの発達により、かつては想像すらできなかった様々な方法で思想が人々に影響を与えるようになった。独善的な指導者が反対する者に絶対悪のレッテルを貼り、強者が弱者を恐怖で支配する。そんな事が思想によって正当化され、繰り返し繰り返し行われて来た。ナチスの強制収容所。ソ連の労働収容所。中国の文革。アメリカのマッカーシズム。20世紀は山ほどの思想で満ちあふれ、思想が冷酷な独裁者を誕生させた。認めたくない事だが、独裁者達はその思想を盲信する一般大衆の支持を受けて生まれたのだ。ヒトラーはまず選挙で権力の座に着いた。(「大衆は小さな嘘より大きな嘘に騙され易い」)スターリンには多数の擁護者が世界中にいた。(「一人の死は悲劇、百万の死は統計」)どちらも今では大量殺人者と見なされている。

私はイデオロギーというものを軽蔑している。この世にはただ1つの解決策があり、世界の問題はすべてそれで対応できるという考えに行き着いてしまうからだ。ただ1つしか解決策が無いという事は他は全て間違いだ。間違っている者は粛清だ。結局こうなってしまう。イデオロギーは思想を人々よりも重要な物としてしまう。これこそ恐怖と圧政の始まりだ。人々は思想などよりずっと大切だ。そうだ、人々は何よりも大切な、かけがえの無い存在なのだ。

Civ4がこの問題に正面からぶつかって行ったとは考えていない。しかし私のこの人生哲学は、ゲームの深層部分に確かに潜んでいる。例えば政治体制システムを見てみよう。民主主義や共産主義といった大まかなレッテルしか無かった以前のCivシリーズとは違い、Civ4では自分の好きな政治をカスタマイズできる。国有化経済と言論の自由を組み合わせる事もできる。警察国家と自由市場も可。極端な話、奴隷制と普通選挙を合わせる事さえ許されている。イデオロギーはレッテル貼りが大好きだ。そうやって反対者を非人間的な何かに変えてぼやかしてしまう。冷戦期の両陣営は「共産主義者」「資本主義者」という言葉を好き勝手に使い、自分達と相手とは違うのだと主張した。しかしアメリカ政府はこの1世紀、徐々に共産主義的な政策を採用して来たのだ。アメリカ。社会保障と、医療保険と、福祉と、最低賃金と、労働組合を持ったこの国が、ベトナムを共産主義から守る為に戦った? もし1907年にタイムスリップして、典型的な反共・反労組の事業家を2007年のアメリカに連れて来たらどうだろうか? 彼は今のアメリカを見て、最終的に共産主義が勝った物と思うのではないか? レッテルは人々を分離し支配する道具だ。その向こうにある社会の現実を見る事を、私はこの政治体制システムを通じて伝えたかった。ラシュモア山の解禁技術がファシズムなのはミスではない。自然の山に国家指導者の巨大な像を彫るのはファシストのやる事だ。たとえアメリカがファシズムの国でないとしても。我々が自分達を民主主義者とか資本主義者と定義したとしても、それでアメリカが世界に害を撒いている事が咎められなくなるわけではない。我々の政策が人々を、現実に存在する人々を傷つけているとすれば。

もちろん、頑固な考え方を変えさせるのがゲームを作る唯一の理由ではない。しかしジョナサンの質問に対してこれ以上の回答は思い浮かばない。もし今後私の理想の戦略ゲームを拵えるとしたら、この哲学はデザインの中心にはっきりと現れている筈だ。やる事にはちゃんと理由がある。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=57

以前Civ4 Wikiに投稿した物の再掲。

翻訳記事:ゼロサムを超えて

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GDC#21:ゼロサムを超えて

2012/7/24 Soren Johnson
Game Developer誌2012年4月号に掲載された物の再掲

 

ゼロサムゲームとは誰かの得が誰かの損になるゲームである。損と得は釣り合っている。例えばポーカーで賭け金を勝ち取る様な具合だ。厳密なゲーム理論の定義から言えば、多くの競争ゲームは実際にはゼロサムではない。例えばアメリカンフットボールでフィールドゴールを決めても、相手から3点を奪って来るわけではない。

しかしもう少し緩く定義すると、「ゼロサム」方式とは相手を困らせるのと自分を助けるのが等価であるという意味になる。”StarCraft”の様な典型的なRTSでは、ラッシュ戦術はブーム戦術と同じくらい有用だ。前者は敵の経済を速やかに破壊する事を目的とし、後者は自分の経済を建設する事を目的としている。相手の最初のユニットをすぐに倒してしまえれば、自分の軍隊の研究がどこまで進むかはそれほど問題ではなくなる。

つまり相手を妨害するのと自分を強めるのと、両方の戦術を同等に報奨するゲームはゼロサム方式である。多くのチームスポーツ(バスケット、サッカー、アメフトなどなど)はこの性質を持っている。防御によって相手の得点を阻むのは、攻撃によって得点を狙うのと同様に重要だ。

競争型のゲームはこの土壌にしっかりと根を張っている。格闘ゲームでは自分の体力を守るのも相手の体力を削るのも両方大事である。戦略ゲームは自分の計画を通すと同時に相手の計画を潰さなくてはならない。FPSはできるだけ多くの敵を殺すと同時に、フラグやチェックポイントなどの目標も達成しなくてはならない。

実際、競争ゲームをデザインするとなるとゼロサム方式がデフォルトになっている様だ。しかし、そればかりが増殖した結果様々な問題が起きている。ゼロサム方式というのは本当の所、せいぜい良くて必要悪でしかない。そして悪ければ、多くの潜在顧客を引き離してしまう間違ったアプローチなのだ。

 

ゼロサムの問題点

ゼロサム方式の問題点は、誰かがババを引かなくてはならない事だ。「ストリートファイター」で凄まじいコンボを食らう。”Age of Empire”で建物を粉々に破壊される。”Team Fortress”で何度も何度も死んではリスポーンする。誰かの楽しみは他の誰かの痛みなのだ。

本当は誰かの痛みなど必要ない。プレイヤー間の相互作用の頻度と大きさを決めるのはゲームのルールである。つまりプレイヤー同士がどのように関わり合うか、決めるのはデザイナーの裁量である。実際、相互作用が全く無くとも競争ゲームは成立する。ゴルフやボウリングの様な並列型スポーツを考えてみよう。あるいはハイスコアを競うオンラインゲーム、”Bejeweled Blitz”や”Burnout Paradise”を。

最も重要な区別は、プレイヤーがプレイ中に進捗を失うか、それとも以後の進捗を阻まれるだけかという点だ。前者の場合、ゲームメカニクスにはゼロサムの感覚がある。自分の進捗を失うのはたいてい苦痛であるし、往々にして負けに至る道でもある。一方「乗車券」や「カタン」に代表されるドイツゲームの大きな特徴は、そうした直接的でゼロサムな対立を避けていることだ。進捗を破壊しない、限定された間接的な相互作用が人気を呼んでいる。

例えば「アグリコラ」や「ケイラス」の様なワーカープレイスメントゲームの場合、プレイヤーがそれぞれ能力を選ぶ事でターンが進行する。誰かが選んだ物はもう選べない。そこで誰が良い役回りにありつくかという競争が生まれる訳だ。もし対戦相手が食料を欲していると分かったら、自分で食料生産の仕事を選ぶことで相手にダメージを与えられる。だがこれは”Age of Empires”で敵の農地を焼いて農民を殺すのとは質的に異なっているのだ。

前者の場合、進捗の遅れは一時的な物である。後者の場合、感情的にも苦痛だし再起のチャンスはほとんどない。実際、「アグリコラ」の様なゲームで他のプレイヤーの邪魔ばかりしていると自分の墓穴を掘ってしまう。アクションは貴重であり、機会費用は大きい。逆にRTSで早期に敵を痛めつける事には殆どデメリットが無い。敵の経済を一掃してしまえば、それだけ自分の経済を大きくする時間が稼げるのだ。

RTSは早期攻撃を報奨する。そうでない様に調整するのは恐ろしく困難だ。そして実際、RTSはゼロサム方式の呪いに苦しんでいる。そのせいでラッシュが有利になってしまうのだ。多くのプレイヤーが「早期戦争無し」のハウスルールを作ってわざわざゲームを再調整している。破壊的な侵略を防止して、終盤に向けての建設ができるようにしている訳だ。

更に、RTSの試合は爆煙でなくすすり泣きで幕を閉じる。勝利条件が敵の全滅であるため、試合の途中で勝敗が明らかになってしまうのだ。「乗車券」の場合、プレイヤーは駒が切れる前に路線を完成させようと競争する。その間試合の熱気はずっと上り坂だ。これに対し、”StarCraft”の熱気は上り坂と下り坂で出来た山になる。そして不幸な事に、下り坂の方は敗者にとってただの苦痛でしかない。

しかし、ゼロサム方式はRTSが必ずかかる風土病という訳ではない。”Annoseries”、”Railroad Tycoon”、”M.U.L.E.”などの経済ゲームを考えてみよう。これらの最終目標は富の獲得だ。誰が一番速く成長するかの競争であり、他のプレイヤーを邪魔する事を報奨しなくとも、いやそもそも可能にしなくてもゲームが成立するのだ。

戦争RTSでも直接的でない競争原理は採用できる。”Warcraft 3″はクリープを導入した。これはマップ中央部分に生息する中立キャラクターで、プレイヤーはこれを倒して戦利品と経験値を得る事ができる。次世代RTSはこれをもう一歩進めてクリープを倒すだけのゲームにできるのではないか?

 

マイナスを無くす

ゼロサム問題を解決するため、多くの競争型ゲームが取り入れているのが相互作用の制限である。プレイヤー同士が影響を及ぼし合える状況を限定するのだ。例えば「マリオカート」の場合、特定の場所で甲羅を手に入れるまでは攻撃ができない。そして手に入れる場合も、最強の甲羅はどん尻にいる時しか出て来ないのだ。ハードコアなRTSの世界でさえ、まず兵舎を建て、兵隊を作り、それを所定の位置まで動かしてようやく攻撃ができる。

このように、相互作用の制限はゼロサム方式の嫌な部分を取り除く強力な道具である。同じ様なテーマとルールを持ったゲームでも、どんな相互作用が可能かによって全く違う感触になる。例えば「トラビアン」と”Empires & Allies”は似た様な非同期戦略ゲームであり、どちらもプレイ期間は数ヶ月に渡り、リアルタイムで軍を編成して敵を攻撃する。しかしこの2つの間には大きな違いがある。他のプレイヤーの都市に攻め込んだ時の挙動である。

「トラビアン」における侵略は厳密なゼロサムである。攻撃者が資源を奪ったら被害者はその分だけ資源を失う。一方”Empires & Allies”の場合、一方が得をしてももう一方は損をしない。攻撃者の戦利品は無から出て来るのである。更に「トラビアン」では死んだユニットはゲームから取り除かれるが、”Empires”の方は防御側のユニットが死んでもそのまま生き返る。

“Empires”は戦闘というものに対するプレイヤーの常識を密かに裏切っている。勝利が存在するためには敗北が必要であるという常識を。だがこのデザインのお陰でゲームの敷居は低くなり、感情的にも消耗しなくなった。一方トラビアンは伝統的な方式を採用し、一方の得は一方の損である。その結果、このゲームは怒り狂ったプレイヤーだらけの酷い空間になってしまった。

デザイナーは本能的に戦いイコールゼロサムと考えてしまう。しかしこの先入観のせいでゲームの敷居を上げてしまっているのだ。プレイヤーがゲーム中に経験する感情は現実のものだ。ゆえに誰かの苦しみを必要とするメカニクスを導入するのは慎重にすべきである。

 

プラスを加える

目がくらむほどシンプルな解決策もある。ボードゲームの「七不思議」では、プレイヤー同士が様々な軸で競争する。科学、政治、建物、富、軍隊における得点を競う。この様なゲームに軍事要素を入れるとなると、まず思いつくのは軍隊を作って他のプレイヤーのユニットなり建物なり資源なりを攻撃する方式だろう。だが七不思議は全く違う答えを出した。

ゲームは3つの時代に分かれている。そしてそれぞれの時代ごとに、最大の軍事力を持っていたプレイヤーに得点が与えられる。配分される得点の合計はプラスであり、戦いに勝てば得をするが負けてもそれほど損にはならない。ゆえに軍事戦略が他のプレイヤーを死滅させる事にはならず、適切にバランスが取られているのである。強力な軍隊があっても対戦相手が科学で勝つのを止める事はできない。軍事的勝利は敗者から進捗を奪わないのである。

実際、物事がプラスになるやり方はゲームデザインの他の面にも良い影響を及ぼす。例えば「パズルクエスト」の場合、全ての戦闘が必ずプラスの結果になるので手動セーブシステムが無い。戦闘中にアイテムを失う事は無く、戦えば必ず少量のゴールドと経験値が手に入る。プレイヤーは勝とうと負けようと必ず戦闘前より良い状態になっており、それゆえゲームにはセーブスロットが1つしか無く自動でセーブされる。これは伝統的な、負ければ何かを失うデザインではハードコアになってしまうだろう。このシステムのお陰でセーブ/ロードが不要になり、それだけ敷居が下がり、ゲームはより広い層に訴求できる様になった。

とは言えゼロサム方式はやはり強力な道具である。プレイヤーの非常に原始的な感情を呼び起こす事ができるからだ。時にはプレイヤー同士で破壊し合う事もゲームには必要だろう。だが全ての争いがゼロサムである必要は無い。ゼロサムには大きなデメリットも存在するのだから。勝者が栄えるために敗者が苦しむ必要は無いのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=438

#26 カラコレ

2〜多人数用カードゲーム。色を集めて得点を競う。同じ色を沢山集めるほど点が高い。また多く捨てられている色も点が高い。

 

使う物

  • 5色のカード各7枚
  • ワイルドカード2枚

始め方

  • くじ引きで順番を決める。
  • 37枚のカードをよく切って山を積む。
  • 5枚ずつカードを配って手札にする。

 

進め方

  • 番が来たら山から1枚引き、1枚捨てる。
  • 捨て札は色ごとにまとめておく。
  • どれかの色が4枚捨てられたらゲーム終了。
  • ワイルドカードはどの色としても捨てる事ができる。
  • 山から引く代わりに、前のプレイヤーが捨てた札を貰って自分の手札に加える事ができる。ただしその直後に4枚目になるカードを捨ててゲームを終わらせなくてはならない。
  • 4枚目が捨てられたらゲーム終了。それを拾う事はできない。

 

得点計算

  • 手札の各カードは、場に捨てられている同じ色のカードの数だけ得点になる。例えば赤のカードが3枚捨てられていれば赤1枚につき+3点。
  • 手札の中で最も多いカードの枚数の2乗が得点に加算される。例えば同色カードを3枚持っていれば+9点、4枚なら+16点、5枚なら+25点。
  • ワイルドカードは得点にならない。
  • 最多得点者の勝ち。
  • 同率一位が複数いた場合、ゲームを終了させたプレイヤーの勝ち。
  • 例えばAとBが同率一位でCがゲームを終了させた場合Cの優勝になる。

 

バージョン2

  • 最多枚数によるボーナスは1,3,6,10,15
  • 捨て札が4枚になった色は1枚につき-1点。

 

バージョン3

  • 色札各9枚、ワイルド4枚
  • 捨て札を拾うルールを廃止。
  • 枚数によるボーナスは3枚で+3、4枚で+7、5枚で+12

すとすてカードゲーム製品版

月刊スパ帝国6月号の付録「すとすてカードゲーム試作版」が完成! 調整と改良を経て更に遊びやすく、面白くなったぞ! 七つの文明の特殊能力! 何にでも化ける革命! 資源と手札を読み、相手の裏をかいて偉大な王国を建造せよ!

マニュアル(PDF)

なおカードサイズは59x92mmで、ユーロサイズスリーブに収まるぞ!

( ・3・)人 <絶版! 将来仕様を改訂した上で普及版として出す予定です!

#24 ロンバルディアの王冠

リードデザイナー:やがもん

2人用カードゲーム。同種のカードを揃えて得点を稼げ!

 

ストーリー

偉大な王が死に、王国は跡目を巡って分裂状態になった! 三人の正当な継承者は流浪の身になっている。家臣団を引き入れ、流浪の王子を救い出して権力の座を手にせよ!

 

内容物

  • 王子カード3枚
  • 騎士カード11枚
  • 貴族カード9枚
  • 司教カード5枚
  • 前衛的スコアカウンター

 

始め方

  • 2人で遊びます。
  • 王子と司教を1枚ずつ取り出してくじ引きをします。王子を引いたら先に手番を行います。
  • 王子2枚と司教1枚を捨て札にします。
    • 捨て札は全て裏向きです。例外はありません。
  • 残りの25枚をよく切って山を積みます。
  • 5枚ずつ配って手札にします。
  • 挨拶をして試合開始!

 

勝利条件

  • カードを使って勝利点を獲得し、先に10点になったら勝ち!

 

遊び方

  • 手番の来たプレイヤーは山から3枚引き、自分だけで見ます。
    • ここから1枚選んで自分の手札にします。
    • 残り2枚を相手に渡します。
    • 相手は2枚の内から1枚選んで手札に加え、残り1枚を捨てます。
  • 手番のプレイヤーは自分の手札を使うことができます。
    • 回数に制限はありません。
  • それが終わったらターン終了を宣言します。この時手番プレイヤーは手札が8枚以上あったら半分(端数切り捨て)を選んで捨てます。
  • 相手の番になります。どちらかが勝利条件を満たすまで交互に手番を繰り返します。
  • カードを引こうとした時に山札が1枚も無かったら、捨て札を切り直して山を積みます。

 

カード一覧

  • 王子:
    • 3枚の王子を公開すると勝利。
    • 2枚の王子は司教/騎士/貴族1枚として使える。
  • 司教:
    • 司教を3枚公開すると+1点。
    • 司教を4枚公開すると+2点。
  • 騎士:
    • 騎士を3枚捨てると攻撃。相手の手札を見てそこから1種類を全て捨て、捨てた枚数だけ点を奪う。
    • 攻撃を受けた時騎士を2枚捨てればそれを防げる。
  • 貴族:2枚捨てて+2点。

 

疑問の解消

  • 同じ司教は1回の手番で1回だけ公開できます。
  • 公開した司教は手番の終わりに手札に戻ります。
  • 手札が8枚を超えた時に捨てるカードは公開する必要がありません。
  • 王子2枚を司教として公開した後、騎士/貴族として捨てられます。
  • 騎士で攻撃を成功させても、相手の勝利点が0なら点を奪う事はできません。 点はどんな場合も0未満にならず、 あなたが獲得するのは実際に減らした分だけです。

翻訳記事:来るべき嵐

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GDC#20:来るべき嵐

2012/5/30 Soren Johnson
Game Developer誌2012年2月号に掲載された物の再掲

 

GDC2009でOnLiveが劇的に発表されて以来、業界はクラウドゲーミングに注目し続けて来た。時には懐疑的に、時には期待をかけて。このテクノロジーにはビジネスを一新する可能性がある。もしかしたら、消費者・ゲーム機メーカー・ゲームショップのトライアングルは永久に葬られてしまうかも知れない。

色々な利益がすぐに得られるのは明白だ。インストール無しで時間制限付きの体験版があれば、余計な作業無しにゲームをすぐ展示できる。1日、あるいは1時間いくらでスムーズに課金できればレンタルゲーム屋は必要が無くなり、もっと多くの金銭が直接ゲーム開発者に流れるだろう。同様に、ネット上でライセンスを所有する方式は中古ゲーム屋が同じディスクを複数回売る事を難しくし、消費者から開発者へ直接金銭が行く様にする。更に、オフラインバージョンを廃止して全てをクラウドに移行させれば、海賊版は事実上存在できなくなるだろう。

消費者にとっても、インターネットに接続する端末さえあればインストールしたりパッチを当てたりする手間無しに最先端のグラフィックスに触れられる様になる。常時接続環境が必要だが、どのみち既にシングルプレイ用も含めて多くのゲームがネット接続必須になっている。 実際、クラウドゲームの方が回線が途切れた時に上手く対処できるのだ。”Diablo III”のプレイ中に接続が切れるとプレイヤーはチェックポイントに戻される。一方OnLiveでは接続が切れる前の最後のフレームに戻れるのである。

消費者にとって最も重要なのは、クラウド化がゲームの価格体系を変えてしまう事だ。レンタルや中古も含めたゲームショップをみな中抜きしてしまえば、今まで60ドルで売っていたゲームを30ドルに値下げしても開発者は同じくらいの収益が得られる。これでようやくゲームという商品が常識的な値段になる。映画や書籍や音楽と同じぐらいの値段になれば世の中の主流に出て行けるだろう。60ドルのゲームと300ドルのゲーム機は普通の消費者には相当敷居が高い。

変化は開発者にも利益をもたらす可能性がある。例えば1日、1週間、1月といった単位で料金を払う新しいビジネスモデル(Netflixの様な全ゲーム解禁のオプションもあるだろうが)が出現し、デザインへのインセンティブを変えてしまうのだ。クラウドゲーミングの下では、装飾に凝った一本道のストーリーより、奥深いゲームプレイが有利になるだろう。”Left4Dead”や”StarCraft”の様な無限のリプレイ性を持ったダイナミックなゲームが、突如として”Call of Duty”や”Uncharted”といった映画もどきより儲かる様になるのだ。

 

ゲーム機の見直し

クラウドゲーミングは次世代ゲーム機に対しても重大な影響が予想される。クラウド経由でゲームを動かす機能は、ゲーム機メーカーに旨みのある商売をもたらすだろう。今までゲームショップやレンタル店がやっていた事を、自社のエコシステム内で代替できるのだ。おまけに、光学ドライブやHDDを外した廉価な「クラウド専用」ゲーム機を売る事もできる。

だがこの方向で進んで行くと、そもそもゲーム機は必要なのかという疑問が出て来る。OnLiveは既に”MicroConsole”という物を売っており、最新ゲーム機と同等のゲームがクラウド経由で遊べる。これと同様のテクノロジーがTV自体に組み込まれないとする理由は何も無い。ケーブルテレビ受信機でも衛星放送受信機でも構わない。そもそもゲーム機とは何ぞや? 必須の3要素はコントローラーと、画面と、ソファである。遠からず、この3つとクラウドへの接続環境さえあればいかなるゲームにも数秒でアクセスできるようになるだろう。

実際、クラウドサーバは最新ゲーム機を馬力の面で圧倒している。消費者に次世代ゲーム体験を届けるのが基本サービスなのだ。定期的に高性能の新型サーバが導入される事で、クラウドは「永久に」新しいままのゲーム機でいられる。ゲーム開発者はこれを歓迎すべきだろう。新しいゲーム機が出る度に起こる勃興と崩壊のサイクルがもはや繰り返されないのだから。

現世代のサイクルで言えば、今が一番開発者の儲かるべき時である。ところが実際には倒産しないのが精一杯だ。次世代へのアップグレードの際にその多くが消え去ってしまうだろう。消費者が新しいゲーム機に乗り換えるには数年かかり、そのギャップを無くしてくれる物は何であれ望ましい変化である。

つまりゲーム機メーカーにしてみれば、クラウド化は諸刃の剣というわけだ。一方ではゲームショップの呪縛から解き放ってくれる存在だが、もう一方ではゲーム機の存在価値を脅かす。後者への最大の対抗手段は顧客との密接で積極的な関係だろう。1つのゲーム機にこだわってはいけない。

この方面において、MicrosoftのLiveサービスはソニーや任天堂を遥かに凌駕している。多くのゲーマーはゲームスコアや、実績や、フレンドリストや、ダウンロードしたゲームを捨ててまで他のエコシステムに乗り換えようとは思わないだろう。更に積極策を打てばこの絆を更に強化できる。

クラウド用の小さな端末は殆ど何にでも載せられる。ゆえにどのゲーム機メーカーでも、OnLiveなりGaikaiなりを買収して次のシステムアップデートに組み込めば次世代機を始められる。その次には現行ゲーム機のクラウド版をタダ同然($100なり$50なり)で売る事ができる。これは市場をひっくり返すだろう。これが来るべき変化に備える方法である。次の世代のゲーム機は最後のゲーム機になると言われているが、それすら必ずしも必要ではない。

 

ゲームの見直し

しかしクラウドの可能性は業界への経済的影響よりももっと大きい。実際これはゲームを作る方法そのものを変革しうる。まず、クラウド化は多くの開発チームが抱える最大の問題を解決できる。方向転換のしやすい開発初期において、実際のプレイヤーからフィードバックを得られないという問題だ。ゲームプロジェクトは最初小回りの利くモーターボートとして始まり、やがてゆっくりと膨れ上がって鈍重な戦艦になる。こうなったらもう方向転換は難しい。

クラウド技術を用いれば、ゲームがプレイ可能になったらすぐにファンに公開する事が可能になる。技術的な問題やセキュリティ上の懸念は殆ど無い。プレイヤーが必要なのはブラウザとパスワード(あれば)だけ。ゲームを開発初期に公開してフィードバックと評判を得るのは、インディーズにとっては目新しい事ではない(というより、それがインディーズの競争における大きな強みなのだ)。一方大手は開発中のゲームの流出や前評判で躓くなどのリスクがあるため同じ事をするのが難しかった。

だがゲームプログラムやデータがサーバ上にしか存在しないとすれば、何も流出しようが無い。前評判に関しても、最大のリスクは悪いゲームをリリースしてしまう事であり、それに至る最も確実な道は開発チームに実際のプレイヤーという酸素を吸わせない事である。更に、クラウドの持つ柔軟性はテストプレイヤーを選ぶ無限の方法を提供してくれる。24時間限定パス、地域限定セッション、プレスリリース版、パッケージにアクセスコードを入れておく、などなどなど。

更に、クラウドでのテストプレイは従来の単純な統計や掲示板のコメントよりもっと多くの物をもたらしてくれる。クラウドサーバの出力はゲーム画面の映像そのものであり、そのゲームがプレイされた全ての瞬間を録画して開発者に見せる事が可能である。トリッキーなボスを皆がどうやって倒しているか知りたい? 色々なプレイヤーの録画映像を観ればいいだけだ。

そしてクラウド化がもたらす最大の変化は、クライアント/サーバ構造の終焉である。多くのオンラインゲームは小さなクライアントと、「実際の」計算を行うサーバ側ソフトウェアに分かれている。これはチートの蔓延を防ぐ為だ(ラフ・コスター氏の名言「クライアントソフトは敵の手にある」)。クラウド化した世界では、クライアントは最早クライアントと呼ぶのもおこがましい程の小さなソフトになっているだろう。それはただの入力機能付きビデオ再生ソフトだ。

このシステムの良い所は、もうクライアントという物を作ったり、セキュリティホールを塞いだり、P2Pの接続性を考えたり、クライアント側にどんな最小情報セットを送るかを最適化したりする事に労力を割かなくてすむ事だ。言い方を変えれば、ゲームにマルチプレイを追加するのは基本的に些細な仕事になる。

マルチプレイヤーゲームを一から書くのは大変な挑戦だ。サーバとクライアントの間で状態を同期させ、安全性、公平性、正確さを確保するのは並大抵の事ではない。クラウド化によって、クライアントソフトそのものが無くなりこれらの問題は消滅する。開発者は1つのマシンで走る1つのバージョンのゲームを書けばいい。ゲームはユーザーのアクションに従って反応する。これはまさにシングルプレイヤーゲームの作り方と同じだ。

この面でのメリットを得るには少し勇気が必要だ。完全なクラウドへの移行を必要とするからである。クライアントソフトの無いオンラインゲームを作るという事は、それがクラウド上でのみプレイできるという事を意味する。クラウドへの完全移行には色々なメリットがある。例えば海賊版の消滅だ。そして最大のメリットはネットワークプログラマが要らなくなる事だろう。

この変化から最大の利益を得るのは小規模なインディーズ開発元かも知れない。インディーズでMMOを作るというアイディアは、投じられる労力があまりに少ない為に笑い種でしかなかった。もしMojangがクラウド版の”Minecraft”を出していたらどうなっただろう? 自動でアップデートされ、あらゆるデバイスとブラウザからプレイでき、全ての世界が繋がれている…想像は膨らむ。クラウドゲーミングに関しての質問は今の所、「いつ」それが実現するかという所に絞られている。だがもっと重要な質問は、それが「何を」可能にするかだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=410

翻訳記事:フィードバックを得る

これは翻訳記事です

GDC#19:フィードバックを得る

2012/2/1 Soren Johnson
Game Developer誌2011年11月号に掲載された物の再掲

 

「成功を企図し、失敗に備えよ。そして失敗からどう復帰するか考えておけ。我々の”AI WAR”バージョン1.0は成功したが大ヒットには至らなかった。細かいイライラが積もり積もって、皆プレイを止めてしまうのだ。ゲームが公開されると思いもよらなかった問題が次々に発覚する。その時、必ず時間を割いて問題の解決に当たらなくてはならない。そうすればファンは幸せになり、ゲームはもっと売れる。きちんとミスを認めて対処せよ。大変だがすぐに慣れる。私も最初は感情的に辛かったが、今では普通の事だ。辛いと気付きさえしない。それは単にフィードバックであり、的を射ているか判断して『やる』『やらない』『そのうち』の箱にそれぞれ放り込むだけだ」

-クリス・パーク、”AI WAR: Fleet Command”のデザイナー。”Three Moves Ahead”ポッドキャストその37より。

ゲームデザイナーは間違えるのが仕事である。アイディアは思った通りに動かない。面白いはずのメカニクスが実際には退屈だったりする。プレイヤーはゲームの「間違った」部分に時間を集中してしまう。本来あるべきはずのゲームは、プレイヤーと接触した瞬間から徐々に死んで行くのである。

更に、デザイナーは往々にして改善案の爆撃を受けるものだ。チームの仲間から、声高なファンから、善意の友達から、通りがかりの重役から。この大洪水を前にすると、本能的に自分のデザインを守ろうと思ってしまう。これらの改善案は乗り越えるべき試練であって、デザイナーたる己の道を行くのが正しいのだと。

しかしフィードバックを消化する過程はゲームデザインの根幹であり、最初のバージョンを作る過程と同じぐらい重要なのだ。ゲーマーは生きた存在であって、頭の中だけで勝手に判断できる対象ではない。それはプレイヤーの頭の中に住んでいて、同じゲームをそれぞれ違った風に遊ぶのだ。

ゆえにデザイナーは優れた説得者ではなく優れた聞き手であるべきだ。もし何らかの理由でプレイヤーにどう楽しめばいいかを説明せねばならないとしたら、何かが根本的に間違っている。実際、デザイナーは非常に謙虚にプレイヤーの言う事に耳を傾けなくてはならない。フィードバックこそ、デザイナーの頭の中にあるゲームと実際に遊べるゲームの間にある霧を取り払う唯一の手段なのだ。

結局の所、ゲームはそれ自体が説明になっていなくてはならない。デザイナーはアイディアを売り込むのに、自分の熱意とコミュニケーション能力に頼ってはならない。自分のゲームに入れ込んでいるデザイナーにとって、己を捨てて批判から学ぶのは苦しい挑戦だろう。だが我々はゲーム作りの手法にこだわるべきであって、最初のデザイン案に拘ってはいけない。

 

仲間の意見を聞く?

フィードバックを集めてそれを判断する能力は、今日のゲームデザイナーに欠かせない能力になっている。最初の、あるいは唯一のフィードバック元は開発チーム自身だろう。情熱を傾けているチームであれば、自分達のゲームを遊んでデザイナーにフィードバックを返す仕事を喜んでやるだろう。何が上手く行って、何が上手く行かないか。しかし、チームからのフィードバックには重大な限界がある。

まず、開発チームはそのゲームと何ヶ月、事によっては何年も付き合っている。平均的なプレイヤーのプレイ時間を遥かに上回る。開発過程でゲームに慣れ切った結果、ほとんど自動的にプレイできるようになり、メカニクスが非直感的だったりUIが分かりにくい事に全く気付かなくなってしまう。開発者はあっという間にゲームを客観的に見られなくなるのだ。そしてゲームを過大評価したり過小評価したりする。

もっと言えば、チームメンバーはそのゲームが好きだからそこにいるのではなく、それぞれの特殊技能によって雇われたのだ。3Dアニメなり、サウンド作成なり、ネットワーク最適化なり。新しいプレイヤーが体験するちょっとした楽しみを彼らは忘れてしまうかも知れない。もっと危険なのは、燃え尽きてゲームへの興味を失い、ファンコミュニティの声高な意見に反発を覚えるかも知れないという事だ。

 

ファンコミュニティを信じる?

ファンコミュニティもまた、溢れるほどのアイディアと提案のるつぼだったりする。”Civilization 3″の開発の時、最大手ファンサイトが「リスト」を提出して来た。読むだけで大変な20万語の大著で、最新作に何を期待するかが詳細に書かれていた。掲示板を漁るのは殆どのデザイナーにとって余りに大変だろう。よほど神経が太くなければ開発上の選択肢が全く無くなってしまう。

だがコミュニティに入るほどのプレイヤーは、誰よりもそのゲームをよく理解している。彼らにとってそのゲームは生活の一部である。彼らは何百時間もそのゲームを遊び、メカニクスとシステムについての知識を高め、開発者すら気付かなかった事にも気付きうる。

難しいのは、プレイヤーの言う事と実際にやる事がしばしば乖離している事だ。GDC2011の講演において、ベン・カズンはちょうどその様な状況について語った。舞台はF2PオンラインFPS、”Battlefield Heros”である。このゲームは十分な利益を出しておらず、課金システムが見直される事になった。無課金プレイヤーが貴重なアイテムを「レンタルする」のを難しくし、それらを直接現金で売るという仕組みである。

掲示板は大騒ぎになった。1週間のうちに4000以上のスレッドが立ち、この変更を非難した。多くの古参プレイヤーが引退を宣言した。状況を更に悪くしていたのが、カズン自身がかつて「武器を売る計画は無い」と公言していた事である。メディアは発現の矛盾を取り上げ、Kotakuに至っては「Battlefield Herosは終わった」という記事まで掲載した。

ところが数字は全く違う事を語る。アクティブユーザー数に有意な減少は見られず、収益は3倍に膨れ上がった。引退を宣言したプレイヤーが嘘をついていたのかどうかは判断が難しいが、それが平均的なプレイヤーを代弁していなかったのは確かである。カズンは更に詳しく調査した。すると掲示板を見ているのは全プレイヤーの20%であり、発言しているのはわずか2%であると分かった。

更にコミュニティ参加者はサイレントマジョリティに比べて課金率が高く(27%対2%)、1人あたりの月額課金額も高かった($110対$32)。つまり掲示板に書かれていた事はプレイヤーの総意を正しく反映していなかったわけだ。本音を語っていたのではなく、金を節約するためにゲームをやめると脅していただけかも知れない。

“Heros”の経験は統計の重要さを示している。統計はフィードバックに次ぐ情報源だ。プレイヤーが実際に何をしているか調べるのは、彼らの言う事に耳を傾けるのと同じ位重要である。もちろん統計にも限界はあり、数字を眺めるだけではなぜプレイヤーがゲームを止めてしまったのか知る事はできない。

ユニットXがユニットYより優先して作られる確率を調べるのはRTSのバランス調整に役立つが、2つのユニットが全く同じだけ魅力的である必要は無い。それは必ずしもゲームを面白くしない。統計は実データを要する客観的質問に答えるには最適だ。例えば最初に選ばれる難易度はどれが多いかなど。しかしゲームが実際に面白いかどうか知るには、プレイヤーの言う事に耳を傾け、プレイヤーがどう感じているかを見つけ出すしか無い。

 

信頼できる意見を見つけよう

どこからフィードバックを得ればいいのか? デザイナーにとっての難問である。声高なファンコミュニティは情報源として不確かなだけでなく、積極的に開発者をミスリードしようとする。最悪なのは開発者が掲示板を見ている事に気付かれると、それだけ欲しい物を手に入れる為の嘘が出て来るという事だ。MMOの開発者はこの手のプレイヤーに始終晒される。自分の使っているキャラクタークラスが弱過ぎると常に強弁するが、客観的な証拠は常にその真逆なのである。

この問題に対処するには、ファンからのフィードバックを得る手段を前々から用意しておくべきである。ファンにも色々いる。木でなく森を見て価値あるフィードバックを返せるのは、限られた一部のファンである。そういう意見がゲーム全体の健全さと面白さに貢献する。”Civilization 4″の開発の時、我々はその様な見識を持ったグループを育て、信頼できるフィードバックを貰っていた。

彼らは信頼できる情報源としての実績があった。Civ3をリリースした後、彼らには特別なプライベート掲示板が与えられ、開発チームと直接やり取りができた。このグループは我々の主たるフィードバック源であり、リリースの前後に渡ってどのアイディアが良くどのアイディアが悪いかについて確信を与えてくれた。彼らがいなければCiv4は非常に違った物になっていただろう。確実に悪い方に。

しかしこうしたグループは慎重に案配せねばならない。他の一般プレイヤーより偉いとか優れていると思わせてはいけない。この理由により、可能であればグループの存在自体を隠しておくべきである。またプレイヤーの代弁者を捜す事にも全力を尽くすべきであり、掲示板の外側から新しいメンバーを入れる事も検討するとよい。

 

早く聞け、しょっちゅう聞け

「クリネックス」テストも正確なフィードバックを得る手段である。テスターはリリース前のゲームに一度しか触れられない。これが名前の由来である。プレイヤーが最初にゲームに出会った時の反応は価値のある情報だ。UIの穴やゲームプレイの歪みに慣れてしまう前の反応である。Valveはこの種のテストを定期的に行っており、ゲームストアで適当なプレイヤーを捕まえてテストさせるのである。

しかし深く掘り下げるテストも同様に重要である。その為にはリリース前に継続してゲームに触れてもらわなくてはならない。そうしてゲームのシステムとメカニクスに対する探索と実験を行うのである。大手パブリッシャーは早い段階でのアクセスを与えるのが難しい場合がある。ゲームがクラックされて海賊版サイトに流れたり、秘密情報がライバルに渡る事を恐れるのである。

インディーズはこの部分で大きな優位がある。情報が漏洩する事よりも、無名で終わる事の方が彼らには恐ろしい。ゆえに最近のインディーズ(“Spelunky”、”Desktop Dungeons”、”The Wager”)の多くはゲームの初期バージョンを公表し、宣伝と同時にフィードバック集めを行っている。

“Frozen Synapse”、”Minecraft”、”Spy Party”など、アルファ版へのアクセス権を販売する事で収入を得ているゲームすら存在する。この選択肢により、開発者はゲームを立ち上げつつそれがどう遊ばれるか観察できる。インディーズが困難な戦いを勝ち抜くための重要な選択肢だ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=391