iPadはファミコンの末裔

我が家のiPadは随分前からボードゲーム専用機と化している。”Le Havre”や”Risk”のiOS版は実に快適で、最早実物で同じ物をやろうとは決して思わぬ。カードやチップを使うと30分かかるセットアップが一瞬で済むというのは抗し難い魅力だ。ボードゲーム会には必ず持って行かねばならぬ。

かようにゲーム機と化したiPadであるが、そもそもこれとゲーム機とは最初から同じ製品カテゴリだったのではないか。iPadは簡易コンピュータである。PCに比べると入出力機構や処理性能がだいぶ削られている。その分安かったり手軽だったり仕様の種類が限られていてソフト開発の負担が少なかったりと様々な利点がある。

ATARI2600やファミコンも言うなれば簡易コンピュータである。コンピュータから機能の大部分を削ぎ落とし、本当にやりたい事だけを残したらそれがゲームだった。こう理解する方が物事の筋道が通る。ゲーム機というカテゴリは最初から存在せず、ただ簡易コンピュータという枠内で種々な製品が生まれ、それがゲーム専用機だったり電子手帳だったり携帯電話だったりしたのだろう。

してみると、第3世代iPadの発表でアップルが「うちの子はXbox360やPS3よりメモリ積んでますぜ」と自慢したのも当然である。それは競合製品なのだ。違いは「とにかくゲームがしたい」という機能の残し方をしたか、「ブラウズとメールと、あとゲーム」という残し方をしたかである。

同様にして3DSとiPhoneは競合しているし、Wii Uのデザインは競合製品の影響という文脈で捉えられる。広い意味ではどいつもこいつも同一カテゴリに入るのだ。となれば、あの馬鹿馬鹿しいほど流行り、日本と北米とを席巻したファミコンの当代に於けるカウンターパートはiOSデバイス達であろう。

ゲーム制作工程論

歩留まりの悪い工程は先に置くべし。これは非常に単純な議論である。ある製品を作るのに工程A・B・Cを通過する必要があるとする。それぞれの工程において良品が出る確率は80%・50%・20%である。このラインに100個の原料を流すと、出て来る完成品は8個である。これは工程ABCがどの順番で並んでいても変わらない。

しかし無駄になる半製品の数は工程の並べ方によって大きく変わる。もし工程をABCの順に並べたとすると、100個の原料のうち20個は工程Aで不良になる。40個は工程Bで不良になり、32個は工程Cで不良になる。つまり:

  • 工程Aを経た不良品:20個
  • 工程ABを経た不良品:40個
  • 工程ABCを経た不良品:32個
  • 完成品:8個

である。一方工程をCBAの順に並べた場合:

  • 工程Cを経た不良品:80個
  • 工程CBを経た不良品:10個
  • 工程CBAを経た不良品:2個
  • 完成品:8個

となる。後者の方が明らかに無駄な労力が少ないのだ。前者は8個の完成品を得るのにのべ220工程を必要とする。後者は130工程で済む。何故か。前者はたくさん手間をかけた半製品を捨てているからである。後者は手間をかける前に捨てている。

ゲーム制作でも全く同じ事だ。ゲームは大きく分けてテーマとメカニクスから出来ている。テーマとは車とか騎士とか、「何が出て来るか」である。メカニクスはそれが「どう動くか」である。そしてテーマ作成の工程は歩留まりが高く、メカニクス作成は低い。ゆえにメカニクスを先に作ると生産性が高いのだ。

メカニクスを更に分割すると、報奨系と誘引系になる。報奨系とは「何をすると勝つか」という報奨と懲罰のメカニクスである。誘引系とは「プレイヤーが何をするか」である。どちらもそれぞれ良品と不良品が生まれる。しかし報奨系の不良品は時間をかけて補修すれば良品になる。誘引系の不良は直し様が無い。つまり大きな意味での歩留まりは誘引系の方が低いのである。

そこで生産性の高いゲーム制作手順は次の様になる。まずプレイヤーどんな動作をするかという誘引系を作る。カードを重ねるとか並べるとか、ダイスを振るとか。ここで楽しい事が確認できたら次に進み、どう頭を使うかという報奨系を作る。例えばカードは同じ色を並べればよいのか違う色を並べるのか。この工程で良品が出て、始めてそれにテーマを乗せる。積み重ねているのは塔なのか座布団なのかアイスクリームなのか。それまでに作ったメカニクスを上手く説明する物を選んで来る。

筆者は面白いゲームを作る方法など知らぬ。作った物が一定確率で面白かったり面白くなかったりするだけである。唯一の有効な戦術は数を増やす事であり、その方策は不良半製品を早期に捨て去る事である。

メックアリーナはどういうゲームか

1.使うロボットを選ぶ

( ・3・)<ザンギガイルごっこしよう!僕ガイルね (;´。 `;  )

 

2.射撃で装甲を削り合う

( ・3・)<チェーンガン!1-3-1-6で3発命中ね (;´。 `;  )アイエエエ

 

3.格闘で致命傷を与える

( ・3・)<ハンマー! スープレックスだコノヤロウ>(;´。 `;   )

 

4.アウト3つで撃墜

( ・3・)スカッ  (;´。 `;  )

(;・3・)… …(;´ヮ `;  )

(;・3・) ボディスラムで追撃!>(;´ヮ `;  )

 

爆発四散! 終了!

月刊スパ帝国8月号の付録である。

カジノとゲーム

20XX年。ある日本のSNS運営会社がオンラインカジノを開設した。会員は瞬く間に増え巨大な収益を上げるも、やがて社会問題化。当局の指導が入り株価は暴落した。

これは実話である。「ソーシャルゲーム」を僭称するオンラインカジノが日本には相当数ある。300円入れてスロットを回し、出て来た景品を他のプレイヤーに売る。パチンコ屋の三店方式と同じである。ゲームとは本質的に無関係だ。実際こうしたオンラインカジノの成長はゲーム業界の市場動向とは無関係に動いており、むしろパチンコ業界と競合している。

しかしこうしたカジノ企業もBlizzardという巨人の前では霞んで見える。Diablo 3のリアルマネーオークションハウスがこのほど開業した。プレイヤーは各種のアイテムを現金で相互に取引できる。売り上げはPaypalアカウントに引き出せる。運営元は成約と引き出しの際に手数料を徴収する。これが生まれた経緯はどうあれ、既に十全なカジノの機能を備えているのである。優れたアイテムを発見すれば高く売る事ができる。となればキャラクターの戦闘能力を高めたい。その為の先行投資として高価な装備品を買っておこう。「金を得る為に金を投じる」という発想がここでは可能である。そして賭場は客同士で金をやり取りするものであり、胴元は場代を抜くのが仕事である。

勿論オンラインゲーム界には遥か昔からRMTが存在し、それを運営元の管理下に置く形でRMAHが始まったのである。BlizzardがRMTを導入した訳ではない。有限かつ有用な物には値段が付く。時間を投じてアイテムを獲得するというシステムがある以上、プレイヤーがそれを売り買いするのは避け難い。

カジノはカジノとして節度を守って楽しめば良い。「ゲーム」として究極の回答はGuild Warsである。このゲームではPvPキャラクターを作ると最高の装備が無限に生成できる。有料装備品も見た目を変更するだけで強さには影響しない。勝敗を決めるのは技量だけで、キャラクターの強さは全て公平である。これなら売買対象物自体が最初から生じない。

創作は無報酬

例えば俳優の仕事を考えてみよう。俳優の第一の顧客は演出家である。演出家の指図に従って演技するのが彼の仕事である。彼が世の中に価値を提供するのは演技によってであるが、自分の報酬を得るのは指図に従う事によってである。好き勝手にやるならアマチュアとして過ごすだけだ。

建築家やSEの仕事はそれぞれ物を作る事だが、クライアントの要望を汲み取る事で初めて報酬が生ずる。アスリートはスポーツが仕事だが企業の広告塔となる事で報酬を得る。生産活動と報酬を得る道筋は必ずしも同じではない。

ゲーム作家はどこから報酬を得るのか?ゲーム制作によってでない事は確かである。筆者の報酬は材料を発注したり印刷所と交渉する所から生じている。ビジネスである。ゲーム作りだけをやっていても報酬は生じないが、ビジネスだけをやっていれば(例えば輸入雑貨屋)ある程度の報酬は生ずる。

作家が創作物を直接金に変換しようとすると恐ろしくレートが悪い。Gumroadもアメロードも印税生活の提供にはほど遠い。そこで営業をかけるとか、編集者と意思疎通をするとか、教室を開くとか小売りをするといったビジネスでもって生計を立てる事になる。経済のみの観点から言えば、創作はビジネスを助ける事によって間接的に報酬を生む。ビジネスは直接部門であり創作は間接部門である。経理部しか無い会社が収益を上げないのと同様、創作しかしない作家は無報酬である。

世の中には非常に大勢の無報酬作家がいる。そして少なからず優れた才能が含まれている。職業作家よりよほど優れた人もいる。それでも無報酬なのは、創作そのものが報酬を生み出す性質を持っていないからである。創作の支援を受けてビジネスをする事で初めて報酬が生ずる。

創作は良い物である。人生を賭ける価値がある。ただし原則無報酬だ。生計を立てるにはビジネスが必要。この時代にあっては両方やらねばならぬ。

Diablo 3はカジュアルゲームである

Diabloシリーズの新作がこのほど発売された。見下ろし型の画面構成は前作そのまま。相変わらずやる事も同じ。ひたすら地獄の軍勢を見つけては殴り、死体から戦利品をはぎ取り、パワーアップしてまた戦う。

今の所ほんの数時間遊んだだけであるが、次の様な確信を既に持っている。このゲームはカジュアルだ。前作であるDiablo 2よりも、むしろiOS版クローンの”Dark Quest”に近い。何故か。徹底的にプレイヤーのストレスを軽減する方向で作られているからである。

そもそもゲームの楽しみは2つの源泉がある。「ストレスが無い事」と「ストレスを減らす事」である。前者は優れた操作性とか爽快感である。とにかく快適さがプレイヤーに与えられ、それを思う存分楽しめばよい。「ゲームは楽しいもの」という言説はこれに立脚している。

後者はそれとは違う。まずプレイヤーに大きなストレスが与えられ、知恵と工夫によってそれを軽減する。ストレスを軽減する過程自体を楽しむのである。この方向の傑作が初代Wizardryで、レベル1の冒険者は本当によく死ぬ。第1階層の敵に小突かれただけですぐ灰になる。それを忍びに忍んでレベルを上げ、魔法使いのMAHALITOで敵を一掃する。いわゆる「マゾゲー」というのは負荷の大きさを楽しんでいるわけではなく、負荷をプレイヤーの努力で減らせる事を楽しんでいるのである。狂った弾幕ゲームとか操作の難しい格闘ゲームもこれに類する。

カジュアルゲームとは快適さに楽しみの軸を置いたゲームであり、ハードコアゲームとは努力による負荷の軽減に楽しみの軸を置いたゲームである。これは何が楽しいのかという根本的な哲学の相違である。このゲームは絵が可愛いからカジュアルだとか、難易度が高いからハードコアだといった言説は皮相浅薄の極みである。

Diablo 3は驚く程快適である。まずプレイヤーが一切迷わない。フィールドで迷子になる事は無いし、次に何をしたらいいのかと困る事も無い。スキルの割り振りも少しずつ選択肢が提示され、無意味な選択肢や制限は一切無い。とにかくストレスが無いのだ。

これほど明確に「快適さ」を楽しみの中心に据えたゲームはリテールパッケージでは珍しい。むしろソーシャルゲームやモバイルゲームに多い構造である。即ちカジュアルなのだ。前作のDiablo 2はスキルの振り直しが一切許されておらず、しかもツリーの最初の方は罠としか思えない駄スキルが大量にあった。初見では必ず引っかかって途中でお陀仏になるのである。Diablo 3にそういう事はない。それは無論改善であるが、知識を獲得してキャラクター育成を成功させるという楽しみより、快適さを優先した印でもある。

Diablo 3は快適である。プレイヤーへの悪意が徹底的に排除されている。スキルポイントを間違えて振って全てが台無しになる事も無い。2つの武器のどちらが強力か悩む事も無い。誰でも歩ける平坦な道だ。それが徐々に坂道になるだけである。誰にでもお勧め。ただし超ハードコアゲーマーを除く。

工程表の5原則

ゲーム開発を通じて得た工程の並べ方に関する知見。

 

1.重要な工程は先に、些末な工程は後に

何事も失敗しうる。予想外の事故は起きる。プロジェクト全体の成否を決する工程を最初の方に持ってくれば、大量の労力と資源を注ぎ込んだ後で全てが無に帰す危険を多少減らせる。まず中核部分を作って駄目そうなら計画を畳むべし。

 

2.歩留まりの悪い工程は先に、確実な工程は後に

例えばラインに工程AとBがあったとする。Aに不良品は発生しない。Bは半分が不良になる。この場合、可能ならB→Aの順番で並べる。Bを後にすると仕掛品が無駄になる。

 

3.他に影響を与える工程は先に、影響を受ける工程は後に

アートアセットの仕様はメカニクスの要請に応じる形で決まる。逆にメカニクスがアートの都合で変更される事は稀である。影響を与える側の工程が済んでから影響を受ける側の工程を始めるべし。仕様が凍結されているのでやり直しが少なく済む。

 

4.変更しやすい工程は先に、変更しにくい工程は後に

一度やり終えた部分に後から修正を加える事はしばしば起きる。しかも開発が進んで初めて修正の必要が発覚する。変更しにくい工程を最初にやってしまうと、後から修正点が見つかる度に大仕事だ。

 

5.必要期間の予測不能な工程は最初に

何事も思ったより時間がかかる。半日仕事の筈が1月を要する事もある。これに上限は無く、「いつまでも完了しない」、つまり制作が放棄される事もしばしば起きる。その場合前工程分の労力が無駄になる。長時間の後に完了したとしても、その間に仕掛品が陳腐化している。

手慰みの報酬

前回のコラムではゲームの本質である誘引について述べた。今回はもう一つの柱である報奨について考察しよう。

ゲームは動作とそれに対する誘引および報奨の総体である。ゲームはまず動作によって表される。「撃つ」ゲームだったり「跳ねる」ゲームだったり「揃える」ゲームだったりする。撃つゲームには撃ちたくなるゾンビが登場し、撃てば撃つほどスコアや札束が手に入る。揃えるゲームは揃えたくなる絵柄の札や牌を使い、揃え方によって点を取る。

動作と誘引と報奨が完璧に一致している時、ユーザ体験は黄金のピラミッドを成す。何かを撃つゲームを買ったら撃ちたくなる物が出て来て、その上報奨まで得られるとなれば。

報奨系はゲームメカニクスそれ自体と密着している。「ゲームバランスが悪い」というのは報奨系が崩れているという事である。例えば戦略ゲームで戦闘機が異様に強いとすれば、それはひたすら戦闘機だけを生産する事を報奨している。しかし戦略ゲームは慎重に計画を練って資源を配分する遊びである。故に報奨系はそうした深謀遠慮に報いるべきであり、頭を使わない連続クリックに良い結果を与えてはいけない。「動作」と「報奨」の不一致こそゲームバランスの穴である。

プレイヤーは報奨系の命令に逆らう事ができない。戦闘機だけを作る事が勝利への最短経路であれば、それがどれほど退屈であってもプレイヤーはそうし続ける。そしてしばらくの後にゲーム自体を止める。

報奨系は楽しい行動を報奨しなくてはならない。ゲーム自体が依って立つ行動、ゲームが誘引する行動をである。最も楽しい行動が最も報われるのが良いゲームバランスである。

楽しい仕事、辛い仕事

だいぶ以前、祖母の家にインターネット回線を引いた時の事である。祖母は様々な情報ページを廻り、大いに感心し、そしてこう言った。「誰がこれを入れてるの?」

一瞬答えに窮してしまった。確かに言われてみればどこの暇人だ?読み手から金を徴収するでもなく、経費まで自腹でせっせとWeb空間に情報を上げている。しかもそういう暇人が何百万と存在するとは。

 

それから何年か経った。筆者は炒飯作りに凝り始めた。作って食べる所までは良いが、その後の洗い物があまり楽しくない。中華鍋についたコゲを金たわしでこするのは楽しいが、皿をスポンジでなで回すのは楽しくない。

 

それからまたしばらく経った。Unity 3Dという玩具を手にした筆者はこんな物を作った。

http://spa-game.com/Unity3D/Coin.html

ただコインを積むだけの遊びである。得点もゴールも無くゲームとすら言えぬ。だが何故か楽しいのである。一体楽しさとは何ぞや。何が人間をPCに向かわせShiftキーを叩かせるのか。

 

「誘引」という仮説が上記の疑問を全て解決する。コインは積む事を求めている。ホモサピエンスはコインを見ると積みたくなる。「コイン」が「積む事」を誘引するのである。

人間は様々な問題解決手段を持っている。知識や技能、道具などである。そしてそれに対応した問題が提示されると適用したくなるのだ。ねじ回しを持っていればねじを回したくなる。鋏を持っていて点線の付いた紙があれば切りたくなる。縦長のブロックがあれば縦穴に入れたくなる。問題が手段を誘引するのだ。

中華鍋と金たわしは完璧な調和を成している。ゆえに後者で前者をこするのは楽しい。鍋がたわしを誘引するのだ。皿とスポンジはそれほど調和しておらず、誘引力が弱いので楽しくない。皿をなで回して泡だらけにする事には必然性が無い。本能が非効率を察知しているのだ。

Wikiという仕組みの偉大さはその機能ゆえではない。書く事を誘引する所にある。「まだ書かれていない項目」は埋めるべき空白として提示される。データの誤りや漏れも修正を誘引する。Wikiは書く事を誘引するが故に、無償で大量の記事を集める事ができるのだ。そしてWebそれ自体もまた、何かを公開せよと誘引している。

 

動機付けの本質は報酬ではない。誰かの役に立つ事でもない。問題と問題解決手段がピッタリ噛み合っている事だ。調和こそ働きかけを引き寄せる物である。誘引される仕事は楽しく、そうでない仕事は辛い。ゲームの楽しさもまた、「解決すべき問題」としてプレイヤーを誘引する所にある。

ゲームの代金とは

iOSアプリ市場において、有料アドオン付き無料アプリは有料アプリより遥かに収益が高いという話が以下に紹介されている。

http://www.sirlin.net/blog/2012/3/6/gdc-2012-the-day-before-day-1.html

ゲームに金を払う方法は色々ある。店に行ってパッケージを買うのも楽しいが、他の方法も考察してみよう。

 

1.遊ぶ度に払う

ビデオゲームの誉れ高き伝統はアーケード筐体である。コインを1つ入れると1回遊べる。実にシンプルだ。この方式の良い所は、顧客の受ける利益と支払う金額とが釣り合うという点だ。沢山遊べば沢山払う。少し遊べば少し払う。とんでもなく駄目なゲームに当たっても、損はコイン1個である。短所は遊ぶ度に少額の決済が必要になる所だ。ゆえに買い手と売り手が金銭をやり取りできる場所でしか成立しない。

 

2.ずっと遊ぶ権利を買う

パッケージ入りのゲームはこのパターンである。店に行って、1回代金を支払い、その後はずっと遊べる。この方式なら何度も決済をしなくて良い。インターネットの力を借りずとも、買い手と売り手が遠く離れた場所に存在できる。接触するのは最初の1回だけで宜しい。

問題はいかさまに弱い点である。この方式だと買い手が中身を知る前に決済を終えるため、ゴミの塊をそれらしい箱に入れて売ってしまう事が可能になる。そして実際そうなった。現在は情報の流通が増えて問題が緩和されたとは言え、基本的にはレモン市場である。

 

3.一定期間遊ぶ権利を買う

1と2の中間形態である。いわゆる月額課金。本来はオンラインゲームのサーバ経費として徴収されたのだが、後にゲーム自体の代金もここに含められる場合が増えた。ただ、複数の月額課金を同時に維持すると無駄に金がかかる。

 

4.もっと遊ぶ為に払う

Great Little War Gameを制覇した?では追加マップをどうぞ。85円です。追加のミッションやキャラクターに代金を払うDLCはあちこちで見られる。体験版もある意味ではこのカテゴリに入る。体験版はステージ2までしか遊べないとしたら、ステージ3以降が有料コンテンツになっているのと同じ事である。

 

5.ゲロを片付ける為に払う

こんなゲームセンターを考えてみよう。コインを入れる必要は無く、無料で好きなだけ台を利用できる。ただし椅子にはゲロがぶちまけてあり座ると尻が濡れる。店に金を払うと乾いた椅子と取り替えてくれる。

馬鹿馬鹿しいと思うかも知れないが、オンラインゲームやモバイルアプリでは似た様な事が起きている。アバターの移動速度が耐えられない程遅く、金を払うとようやくまともに歩き出す。インターフェイスに必須の機能が無く、金を払うと使いやすい版に変わる。画面の3分の1を広告が埋めており、金を払うと消えてくれる。

問題点は明白だ。我々はゲロまみれの椅子に座って「ああ、良い椅子とゲームだね!ゲロが無ければもっと素敵に違いない、金を払うよ!」と言うのだろうか?

 

6.勝つ為に払う

いわゆる「500円で宝箱を開けると0.2%の確率でレア素材ゼニウムが出ます!それを合成すると0.008%の確率で名刀銭金丸+69が出来上がります!」の類。魔剣を手に入れたら貧乏なプレイヤーをバッサバッサと斬るのである。これは要するに全てのプレイヤーから勝率を少しずつ税金として徴収し、専売公社を通じて売っているのと同じだ。「裕福なプレイヤーに負ける」「金を払う」という2通りの支払い形態があるので様々なニーズに応えられる。ゲームの競技性を腐らせるのが問題点。

 

これ以外にも蒐集物を揃えるとか、友達からの社会的圧力に応えるとか、色々な理由で支払いをする事がある。しかしそれらはゲームの本質からはやや離れてしまうのでここでは論じない。どの方式にせよゲーム体験に対して支払いをしているのは同じだが、それをどの様に計量するかが異なるのである。

 

( ・3・)<まあ誰かからプレゼントして貰うのが一番楽しいんですけどね