翻訳記事:勝つ為に戦う(23)

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チェスプレイヤー:ハワード・スタントン(1810-74)

この人物を蛇と形容するのは公平を欠くと思われるかも知れない。何しろ彼はいくつもの偉大な業績を持ち、そもそも今日の標準チェス駒は彼が発注した「スタントン式」である。彼は29年間に渡って有名な絵入りロンドン新聞にチェスコラムを連載していた。世界で最初に電信チェスをやったのも彼だ。おまけに当時第一級のシェイクスピア研究者で注釈付き戯曲も出版していた。疑う余地なき重要さと影響力を備えた人士である。

だがその一方、「チェス世界王者」を自称してもいた。出版上の影響力を悪用して、今日ならばトラッシュトーク(相手を混乱させる舌戦)と呼ばれる様な手を使っていた。口頭と紙面の両方でだ。負けた相手には横柄で敵対的な態度を取った。有利になる為にあらゆる盤外戦術を駆使したと言われ、対戦相手を太陽の真正面に座らせた事さえあった! こうした水面下の戦いで最も有名なのが全米王者ポール・モーフィーとの論争である。自称世界王者に挑戦する者が現れると、スタントンは仕事を休んでまで地球の裏側には行けないと言って断った。ポール・モーフィーはこれを欧州への招待状と受け取った。相手のホームで負かしてやるべく遥々欧州に渡り、どうにかスタントンに会って戦いを挑んだ。ちなみにモーフィーはこれまで誰かに直接挑戦した事はほぼ皆無である。

スタントンはまたも釈明をこしらえて試合を先延ばしにした。モーフィーが強く要請するとスタントンは相手のオープニングを研究するのに1ヶ月欲しいと言い、モーフィーも合意した。だがそれでもスタントンは試合そのものには結局同意しなかった。スタントンはそれから出版の力を使い、モーフィーが約束の場に現れなかったとか、必要な掛け金を持って来なかったとか、厚顔無恥なる嘘を撒き散らした。良しにつけ悪しきにつけ、この手の人間はどんなゲームコミュニティにも現れる様である。そして常に誰かの怒りを爆発させるのだ。

 

ストリートファイタープレイヤー:ジェフ・シェイファー

シェイファーはストリートファイターコミュニティの中で常に論争に身を投じている。彼は論争すべき問題を発明する。ロスにいる他のプレイヤーがどれだけ強いか、特定のキャラクターが他のキャラクターにどれだけ優位かといった事だ。この手のダイヤグラムは毎週変わる。そしてシェイファーは常にあらゆる問題に対して狂ったスタンスを取る。誰もが彼を憎まずにはいられない。彼の攻撃はほとんどがロス以外のプレイヤーは下手だと「証明」する事に焦点があり、個人攻撃で炎上させるのを楽しんでいる。ある時など北カリフォルニアのプレイヤーを全く下手だと言い放ち、「霊安室に転がる事すらできないだろう」と凄まじい悪口を浴びせた。しかも霊安室の綴りが間違っていた。

プレイヤーとして見ればシェイファーは上手いが一頭地を抜くほどではない。彼の功績はただ黙って座っている事を不可能にした点にある。人々を激怒させ、遠征させ、練習させ、大会の参加へ駆り立てた。そのうちに彼はストリートファイター界を去った。奇妙に聞こえるかも知れないがこれはコミュニティにとっての損失だと私は思う。

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(22)

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マニアック

チェスプレイヤー:ダヴィド・ヤノフスキー(1868-1927)

このグランドマスターはチェスの一側面に取り憑かれていた。即ちビショップだ。

彼にはゲーム上のちょっとした悪癖があった。自分のビショップを大事にし過ぎるのは有名な弱点だった。しかもそれを誰よりも自信満々にやるのだ。ついでに彼は自分の容姿にも自信満々な伊達男だった。

-ヤノフスキーの友人、フランク・マーシャル

ヤノフスキーはビショップが大好きで、対戦相手もそれは重々承知していた。彼は様々な打ち手と盤面を編み出してビショップの力を最大に活かした。ひとつの側面に取り憑かれたプレイヤーにとって、その側面を誰よりもよく理解する事になるのは必然だ。大好きな部分に関しては世界最高のプレイヤーすら上回るのだ。ただし肝心の武器を失うと弱ってしまう。ヤノウスキーの対戦相手は、ビショップを守る為には他の駒を犠牲にしなくてはならない様な攻撃を仕掛ければいいと気づいた。そのうちアメリカではビショップを「ヤノフ」と呼ぶのが流行り始めた。

 

ストリートファイタープレイヤー、デイヴィッド・サーリン

そして著者である私自身の登場だ。私はオーティズの様な辛抱強さでも知られていたが、むしろ有名だったのは同じ技を繰り返し繰り返し出す事の方だ。まず100回でも繰り返し出せるような技を探し出す。お仕置きを恐れずにずっと出し続けられる技が見つかればこの上なく嬉しい。そういう技が存在するのはゲームデザインとしてどうかとも言えるが、それはプレイヤーである私にとってはどうでもいい事だ。「想定通りに」「楽しく」プレイする義務など負ってはいない。ヤノフスキーはビショップを使い続けてその駒が「ヤノフ」と呼ばれるに至ったが、私はストリートファイターでローズを使い続けた挙句に私自身が「屈中パン」と呼ばれるに至った。

理論上、もし特定の技を相手が止められなければ私は読み合いに付き合う必要が無い。自分の次の行動が読まれる心配もしなくていい。次に何をするかお互い承知だ!少なくともその技を出している限り負けないのであれば問題はないし、それを破れると証明する義務は相手にある。

私は操作が下手糞で反応が遅い事でも有名で、それを補う為にはタイミングを上手く読まねばならなかった。ストリートファイターアルファ2(ストZERO2の北米版)ではかなり活躍できた。いくつもの大会で優勝したし、ヴァイエとチョイを除けばアメリカのどんな選手にも安定して勝てた。ただ、他のゲームでは上級者のグループには入ったもののもっと強いプレイヤーの陰に隠れてしまった。

このプレイスタイルから学んだ教訓はこうだ。ひとつの側面を極めるだけでも相当上まで行けるが、頂点までは行けない。アルファ2の時ですらヴァイエやチョイとの頂上決戦では「同じ技をひたすら出す」作戦を放棄せざるを得なかった。別のキャラクターでオールラウンドな戦い方をする必要があったのだ。チョイの凄さに触れるにつけ、私は重点を他へ移して「すべてのボタンを使う」様になった。

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(21)

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アタッカー

チェスプレイヤー:フランク・マーシャル (1877-1944)

マーシャルはペトロシアンよりも古い時代、「ロマン派」に属する。他のロマン派と同じく、マーシャルは閃きの一手と熱い戦いに生きていた。彼は防御をほとんど捨てて乱戦に持ち込み、天才的な手を繰り出して勝利を掴んだ。苦境から脱する妙手のゆえに彼は「偉大なるペテン師」と呼ばれた。彼は勝利の為と同じくらい、観客とスリルの為にも戦った。1909年から1935年にかけてアメリカチャンピオンの座を維持した。

私はいつも自由奔放な局面を好み、相手を可能な限り早くチェックメイトにしたいと思う。攻撃は最大の防御なりという古い諺の通りさ。

—フランク・マーシャル

 

マーシャルの奇手はまるで棋譜の誤植みたいだ。

—チェスプレイヤー、ウィリアム・ネイピア

 

マーシャルほど勝つ事だけでなくチェスそのものを楽しんだチャンピオンはいないだろう。彼は妙手のチャンスを逃すぐらいなら敗北を選んだろう。

—チェスグランドマスター、アンディ・ソルティス

 

ストリートファイタープレイヤー:アレックス・ヴァイエ

ヴァイエはあらゆる意味で「恐るべき」男だ。強く、自信に溢れ、体格もよい。ヴァイエの持ち味はその攻撃的なスタイルで、防戦一方の亀を攻め切ってプレッシャーで圧倒する。そのスタイルは誰にも真似できない。彼の技は彼がやった場合にしか上手く行かないのだ。彼は予測不可能な事を予測不可能なタイミングで行い対戦相手を困惑させる。そして反射神経とリスクを取りたがる傾向でも有名だ。一体何がいつ繰り出されるのか相手は決して分からない。次第に彼のボタンの押し方さえ恐ろしくなって来る。彼のプレイスタイルと物理的な存在感はゲームの決着のはるか前に相手を心理的に圧倒する。いや時には始まる前に。

だがここで、私がヴァイエの本当の秘密と思う物を明かそう:彼の苛烈な攻めと冒険はたいてい幻影なのだ。貶しているのではない、褒め言葉だ。オーティズが恥も外聞も無く逃げ回るのに対し、ヴァイエは果敢に攻めるかの如く見える。次々に技を繰り出し相手の周りを飛び回る。いかにも攻めている様だが、実は安全な所で込み入ったダンスを踊り相手を誘っているのだ。彼が多くのプレイヤーよりもリスクを取る傾向にあり、優れた反射神経を持っているのは間違いないが、リスクに見える物の多くはその実「織り込み済み」なのだ。何故なら彼は対戦相手が特定のタイミングで特定の行動をする様に追い込んでいるのだから。相手のする事がほとんど確実に分かっていれば、速い反射神経も過度のリスクも必要無いのである。

ヴァイエは狡猾に「偽の攻撃」と本当の攻撃を混ぜて繰り出す。本当のリスクを取る時もあれば、単に他のプレイヤーの悪い癖につけ込む時もある。彼が格闘ゲーム界でも最高クラスの「恐怖のオーラ」を纏っているのも納得だろう。

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翻訳記事:勝つ為に戦う(20)

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プレイスタイル:亀

あらゆるゲームコミュニティは、他のゲームコミュニティの歪像である。同じ様な性格と同じ様なプレイスタイルがどのゲームにおいても繰り返し現れる。チェスの歴史を紐解いてプレイヤーの性格を調べると、それがストリートファイターの世界と余りに似ている事に驚かされる。これから私はそれらの性格について語る。そして極めて賛否の分かれるだろう立場を取る。即ちある1つの性格が他の全ての性格に勝るという主張だ。上級プレイヤー層は様々なプレイスタイルの混合であるが、「真の」スタイルこそその中で頂点を占める。私自身はそのスタイルの持ち主ではないが努力はしている。もしかしたら読者の身近にもそういったプレイヤーがいるかも知れない。

 


チェスプレイヤー:チグラン・ペトロシアン (1929-84)

ペトロシアンはしばしば指し手が地味だと評される。彼は自分のポーン陣形に非常な注意を払い、滅多に弱点を露出しなかった。彼は相手の攻撃が始まる前にそれを止めようとした。

「ペトロシアンは主導権を握ると、蛇の如くじわじわと締め付けた。相手が喜んで投了するまで圧迫するのだ。旗色が互角ならマングースの如く全ての攻撃をいなしてしまった」—正直なチェスプレイヤー、ラリー・パー

私の村ではこの種のプレイヤーは違う動物に例えられる。亀だ。亀はリスクを取らず、不必要な動きは一切しない。ゆえに観客はたいてい亀が大嫌いだ。ペトロシアンは批判に応えてこう言った:

「私のチェスは用心深過ぎると考える人もいるが、問題はそこではない。私は好機を避けているのだ。好機に依って戦わんとするならトランプやルーレットをする方がいい。チェスはそれとは違う物なのだ」—チグラン・ペトロシアン

「もっと面白いチェスを見せてくれと言われる事もある。その場合私は負けるだろう」—チグラン・ペトロシアン

2つ目の返答は問題の核心を突いている。ペトロシアンを含むほぼ全ての亀プレイヤーは、単に与えられた状況で勝つ為に最善を尽くしているのだ。ペトロシアンはそれほど多くの大会で優勝しておらず、大抵は2位か3位だったが、それでも彼を打ち破る事はほとんど不可能だと思われていた。そして亀プレイヤーにも勝利の日は来る。1963年、チェス世界選手権でそれまでの王者ミハイル・ボトビニクを破ったのだ。

 

ストリートファイタープレイヤー:リッキー・オーティズ

オーティズは小さな変わり者だ。華奢で女性的、ヘアスタイルと髪の色を始終変えている。顔に光り物を付ける時もある。そしてペトロシアンと同様、「地味」なプレイスタイルで批判され、打ち破る事はとても難しいと考えられている。

私自身も大会における辛抱強さと相手を苛立たせる技術には定評があるが、オーティズはそれを遥かに上のレベルで行う。彼はほぼゼロリスクの試合をし、僅かな体力リードを得たら恥も外聞も無く逃げ回る(こうすれば相手は攻撃を当てられず、制限時間が来たら残り体力の多い方が勝つ)。彼の無限の辛抱強さはどんな真面目な対戦相手をも苛立たせ、残り時間に追われた無謀な逆転策へと駆り立てる。オーティズはぬめる魚の如く捕まえにくいのだ。

彼のもう1つの特技は「ちょうど都合のいい間合い」に留まり続ける事だ。自分の攻撃は有効で相手の攻撃は当たりにくいという距離である。苛立った相手から上手く攻撃を誘い、優れた反射神経ですかさずそれに反撃を浴びせる。そして体力リードを得たらますます逃げ、相手(と観客)をますます苛立たせるのだ。

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(19)

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冷静さ

冷静さとは、一瞬の内に起きる出来事の全ての瞬間を見る能力である。それにはしばしば時間の流れが遅くなったかの様な感覚が伴う。これが可能になるのは、その状況に十分に慣れて、脳が不必要な情報を全て遮断できる様になった時だ。そうなれば残るのは必要な手がかりだけである。

新しいゲームを始めたばかりで不慣れな内は、決定的瞬間は文字通り瞬く間に過ぎ去ってしまうだろう。最初はそもそも、その瞬間が重要で注意を要するという事に気付かないかも知れない。たとえ気付いても、その瞬間に起こりうる何百万もの可能性に圧倒され、全てを正しく認識する事は不可能だろう。それが変わるのは、その瞬間を迎える準備ができる様になった時である。決定的瞬間が来るのが分かり(なぜならその前に起きる事のパターンを既に知っているから)、その瞬間に起きうる事はほんの数種類だと分かり、待ち望む1つか2つの合図以外は全て無視できる様になる。

格闘ゲーム「ギルティギアXX」から例を取ろう。私の使用キャラクターはチップだ。私は突進して行って連続攻撃を繰り出し、相手にガードさせる。恐らくはしゃがみガードだ。私はここにトリックを差し込んで、「中段」蹴りを繰り出す事ができる。これは立ちガードしなくてはならない。相手がチップとの対戦に慣れていなければ、こちらの攻撃は瞬く間に展開し、ただそれを終わるのを待つだけになるだろう。そして攻撃から抜け出すには何らかの判断をしなくてはならないという事にすら気付かないだろう。

では仮に、前もってこの中段蹴りを見せておいて、それがどういう物か説明したらどうだろうか? 中段を出す度に立ちガードせよと伝える。練習する。ガードできる様になる。そしていざ実戦になると、それでもやはり私は中段蹴りを当てる事ができる筈である。実戦の混沌の中で中段蹴りを正しく見極めるのはかなり難しいからだ。中段蹴りがいつ来るか分からないので備えておく事もできない。立ちガードそのものは反射神経が良ければ可能なのだが、格闘ゲームは(通説に反し)反射神経だけの問題ではない。反射神経が役に立つのは、次に何が起こるか分からないのに素早く反応しなくてはならない状況である。鋭い読みがあれば相手が次にやりそうな事を予測する基盤ができる。それが無い場合に反射神経に頼らなくてはならないのである。

ここで、中段蹴りをガードするための重要な手がかりを教えよう。実はこちらは好きな時にこの技を出せるわけではない。出し方は2つしか無いのだ。相手に向かって走って行った後、まず6P、斬撃、斬撃、重い斬撃という具合に連続技を出す。これは別に注意しなくてもよい。何が何やらよく見えなくてもそれで構わない。この時点でこちらができる事は非常に限られており、せいぜい裂掌からの連続攻撃ぐらいである。これは派手な炎を纏ったパンチで始まる。そしてその後、中段蹴りを繰り出すチャンスが来る。あるいはそうせずに下段蹴りを出すという選択肢もある。下段蹴りの後にはもう1回中段蹴りのチャンスがある。こちらが中段蹴りを出せるタイミングはこの2つだけなのだ。

これを知っていれば、次に同じ状況になった時に冷静さを保っていられる。こちらは走って行ってパンチか何かを繰り出すが、別にこれは吟味する必要が無い。ただしその後にはたいてい裂掌が来る。それが来たら、立ちガードするかしゃがみガードするかを決めるタイミングである。よし、裂掌が来た。予定通りだ。中段蹴りが来る最初のタイミングだ。実戦上の都合に照らすと、こちらの選択肢は2つしかない。多くの可能性に圧倒される必要は全く無い。次に来るただ1つの瞬間にだけ集中すればよい。それを待つのだ。画面上の無関係な情報は全て遮断せよ。体力バーは忘れよう。スーパーゲージも忘れよう。SEも忘れよう。キャラクターや背景の美麗なグラフィックも忘れよう。見る必要があるのは中段蹴りの始動モーションだけだ。練習するうちに、この状況は慣れ親しんだ物になり、無駄な情報を遮断する能力が発達するに連れて中段蹴りを食らう事など想像すらできなくなる。その瞬間はあたかもスローモーションの様に流れ、相手がそんな蹴りを当てようとしている事が可笑しく感じられる。一方、初心者にとっては同じ瞬間が一条の閃光の様に過ぎ去り、何が起きているか全く分からないのである。

喩え話をしよう。ある人物の声を聞いたら手を叩く事に決めたとする。そして30人がめいめい勝手に話している部屋に入る。数秒ごとに新しい人物が話し始める。その全てが不協和音であり、聞き取る事などできるわけがない。ではここで、同じ任務を別の部屋でやってみよう。今度はその部屋は完全に無音であり、中に入るのは目的の人物だけである。その1人が静寂を破って話し始める。「簡単じゃないか、誰がこんな任務に失敗するんだ?」と思い、少しも困難なくすぐに手を叩く。これが上級プレイヤーの見ている1/60秒の世界である。完璧な集中によって不必要な全ての情報を遮断し、重要な手がかりだけを残しているのだ。

 

「バーチャファイター3」から別の例を挙げよう。ジェフリーが「大カウンター」(相手の技を潰すタイミング)でローキックを当てると確実に投げを決める事ができる。キックの当たりが大カウンターでなかった場合は確実には投げられない。プレイヤー達にどうやってそれを判断しているか聞いたところ、彼らは「大カウンターの音を聞いたら投げコマンドを入力しろ」と言った。最初は冗談を言っているのだと思った。実戦の混沌の中でその音だけを聞き分けるのは至難の業である。しかし練習するうちに、キックボタンを押した後、全てがスローモーションになってその音を待ち構える事ができる様になったのだ。その音を聞いた時には既に準備ができており、投げコマンドを入力するのは馬鹿馬鹿しいほど簡単になった。

ただし気をつけよう。もしそうした瞬間を見る事ができ、対戦相手の誰もができないとしたら、対戦は非常に有利になる。トリックは毎回通用する。そしてそのトリックは優れているのだと勘違いする。そしてある日同等の冷静さを持った強敵に出会い、向こうはこう思うのだ:「何だこいつは? こんな見え見えのトリックに引っかかると思っているのか?」ここに至って今度は自分が馬鹿に思えるだろう。そしてトリックはもちろん通用しない。

だが話はここで終わらず、まだその上がある。上級者と対戦したら「冷静さによるトリック」はもう一切通用しないのだろうか? 基本的に通用しない、ゆえに全く新しい戦略を考えなくてはならない、と以前私は思っていた。だが気付いたのだ。あるプレイヤーは間違いなく最強なのに、時々セオリーから全く外れた行動をしていた(彼の名はアレックス・ヴァイエ。後の章でもまた登場する)。行動Bが優れていると誰もが知っている状況で彼は行動Aを選ぶ。あるいは、まともなプレイヤーなら誰でも見破れる様な見え見えのタイミングでトリックを繰り出す。それは時間の無駄の筈である。ところが彼はそれを当てて、しかも勝ってしまうのだ。何故だろう?

ヴァイエに言わせれば、対戦相手はいつでも一定の認識能力を持っているわけではない。ヴァイエは相手を苛立たせたり混乱させる為にあらゆる手を尽くし、その認識能力を減衰させる。もしゲーム中に恐ろしく変な事が起きれば、相手はその瞬間に囚われて「なんじゃありゃ?」と思い、一時的に目の前の事が見えなくなる。その時こそ、いつもなら見え見えの攻撃が当たってしまうのである。ヴァイエは相手の集中力を失わせ、時間がスローダウンする感覚を奪い去るのである。

興味深い事に、セオリーから外れる行動はヴァイエにとっては非常に効果的なのだ。彼は本来なら当たらない様な攻撃を上手く差し込むだけでなく、それを可能にする為に敵を惑わせる。非常識な行動で敵を混乱させる。もし彼の行動を棋譜の上で吟味したら、「この行動は危険だ、この行動は無意味だ、この一連の動きは全く非効率で別のコンボの方が常にダメージが大きい」という風に批評できるだろう。彼の選択はしばしば非論理的で非最適である。しかしゲームの達人は彼であり、学ばねばならないのは私の方である。誰よりも冷静に状況を見据える達人と対戦する事になったら、セオリーから外れて相手を惑わす事はますます重要になる。相手の目に「砂」をぶつけるのである。普段は見える瞬間が見えなくなったら、本当は通用しない数多くの戦術を差し込むチャンスだ。

 

闇の如く知り難くあれ。雷の如く素早く動け。
—孫子兵法

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(18)

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勝負の秋

ゲームにはしばしば「決定的瞬間」が訪れる。試合の勝敗が決まる、あるいは試合の流れを大きく変える瞬間である。小さな優位を慎重に保ったまま試合の90%を過ごしたとしても、決定的瞬間はそれを吹き飛ばし、試合を不確定にし、運命を変えうる。

青天井のポーカーで小さな勝負を10回繰り返したとしよう。その後に相手が大きな賭けを挑んで来たら、それにどう応対するかで全てが決まる。格闘ゲームでじっくりとリードを築いたとしても、1回の判断ミスで大きな隙を晒し、大コンボを食らって再び互角に戻される事もある。チェスで慎重に陣形を築き上げても、1回の妙手で防御を外されチェックメイトを取られれば終わりである。StarCraftで20分かけて大軍を築いたとしても、決定的な数秒間によそ見をしていれば、敵のテンプラーに全てを吹き飛ばされてしまう。

この章を「兵法」セクションの終わりの方に持って来たのは、今までに論じた多くの問題と絡むからだ。試合の勝敗が1度か2度の決定的瞬間で決まるなら、相手を騙すのは遥かに強力になる。その瞬間が来るまで敵から隠れ続けるのも手だろう。操作練習と精神力も重要な問題になる。特定の技を出せる様になったとしても、肝心な時に練習と同じ様にできるだろうか? 決定的な瞬間は集中力が摩耗するゲーム後半、あるいは何試合もくぐり抜けた後のトーナメント終盤に発生する。集中力と体力を消耗した状態で、決定的な瞬間に精神力を保てるだろうか? 試合の帰趨を決する瞬間に敵がどう出るか、観察によって見抜けるだろうか? その瞬間に敵がする事を読んで勝利を手にできるだろうか?

不利な時こそ決定的瞬間を作り出し、それを利用せねばならない。そして有利な時はそれを防ぎ、避けなくてはならない。勝っている時に最もしてはならないのは、読み間違えればリードを失う状況に陥る事だ。安全な状況を作ってリードを守り、相手を僅かな逆転の目に賭けて大きなリスクを取る様に仕向けるべし。

例えば格闘ゲームの「転倒」を考えてみよう。殆どの格闘ゲームでは、転倒すると起き上がるまでしばらく無敵になる。この無敵時間にもかかわらず、転倒させた側は常に有利だ。何故なら相手が起き上がる最初の瞬間に、自分のコントロールする読み合いを押し付ける事ができるからである。起き上がりに攻撃を重ねて上下段のガードで選択を迫ったり、ストリートファイターなら「めくり」で左右のガードを選択させたりできる。あるいはまた何もせず、相手がリバーサル技を出して来るのを待ち構える事もできる。状況を支配しているのは転倒させた側であり、それ故に有利である。ただしこれはあくまで読み合いであり、転倒した側が読み勝ったり幸運を得て反撃に成功し、そのままコンボなり超必殺技なりを決める事もある。殆どの場合、可能なら成功に賭けて読み合いを押し付けるべきだ。押し付ける側にはデメリットよりメリットが多いからである。しかし勝っている時はどうだろうか? 最も攻撃的なプレイヤーであっても、攻撃的プレイとは安全な攻めとリスク計算である事を知っている。ラウンドの開始時点において、決定的瞬間を作るのはリードを得たり敵を震え上がらせる為に有効である。既に大きくリードして勝っていたら話は違う。もちろんリスクを計算してもなお賭けた方が良いとか、読みの神が相手のする事を正しく告げてくれるという場合もあるだろうが、普通はリスクを取らない方がいい。後ろに下がっていれば100%の確率で敵の望む決定的瞬間を避けられる。

「状況作り」の技とは決定的瞬間を作り上げる技である。決定的瞬間が迫っており、それが望ましくないのであれば、あらゆる手を講じてその状況を防止せよ。読み合いに付き合っては駄目だ。ストリートファイターでは、決定的瞬間は相手が凄まじい攻撃を繰り出した直後、自分が動ける様になった瞬間に訪れる。多くのプレイヤーはこの状況にフラストレーションを感じ、見え見えの馬鹿な行動をしてしまう。そして相手はそれを待ち構えているのだ。最初の瞬間は避けよう。動ける様になったその瞬間に技を出すのはありふれた、予見可能な行動である。これは確かに教科書通りだが、相手はその瞬間を待ち構える事ができる。その瞬間に何か技を出す事を相手は知っている。代わりに例えば、2秒間待ったらどうなるだろうか? 格闘ゲームにおける2秒は沢山の瞬間である。最初の瞬間に攻撃しなければ、その次の瞬間だろうか? あるいはその次の瞬間だろうか? 何もしないという選択は状況を仕切り直しに持ち込み、決定的瞬間を曖昧にする。相手にしてみれば、ノーヒントで瞬間的な動作(ブロッキングや超必殺技)を出すのは非常に難しい。相手は予見可能な瞬間に頼っているのだ。勝っている時には、その様な瞬間を与えてはならない。

逆に負けているときは、相手を戦いに引きずり出して接触しなくてはならない。そしてできれば混沌とした状況を作り出し、劣勢を覆すチャンスを手にするべきである。ウォーゲームならば「火攻め」によって相手を防御地点から燻り出して交戦するという事だ。その戦いには負けるかも知れないが、少なくともチャンスはある。ポーカーなら「オールイン」で全てのチップを賭けて相手を脅かす。こちらが良い手を持っている危険を押して相手はそれに乗って来るだろうか? ここで読み間違えれば試合の流れは大きく変わってしまうのだ。

剣を鞘に納めたまま勝つのは常に最上だが、決定的瞬間の活用は今までに紹介した多くの概念の結晶である。欺きから読みに至るまで、全ての勝敗は決定的瞬間にこそ集約される。

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(17)

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読み:心のスパイ

 明君と賢将に勝利と征服をもたらし、凡人に不可能な成功をさせるのは、予知である。予知は鬼神の働きでも、経験から導かれる物でも、計算によって得られる物でもない……敵情を知る事ができる手段は間諜だけだ。

-孫子兵法-

 

孫子はスパイを最も重視しており、他のどの人員よりも柔軟に報奨されるべきだと説く。何故ならスパイのもたらす予知は、戦争において他のどんな資源よりも価値があるからだ。敵がどこを攻めて来るか知っていれば、防備を広く分散させる必要は無い。敵がいつ油断するか知っていれば、攻撃して確実に勝利を得られる。敵将の癖を知っていればそれを利用できる。スパイによる予知はあたかも未来を見通すかの如くである。

 いつも一手先しか読まないが、いつもそれが正しい。

-第3代チェスチャンピオン、ホセ・ラウル・カパブランカ-

 

読み

対戦ゲームにおいて、相手の考えを知る以上に重要な事はほとんど無い。日本人はこれを「読み」と称している。相手が次にやる事を知っていれば、複雑な理論による意思決定は全て不要になる。孫子は相手の考えを読む事は霊的事象だと言うが、私自身は「常人には不可能な」読みをするプレイヤーを見た事がある。もしかしたらただ単に対戦相手の詳細を観察するのに優れていたのかも知れないが、どうもそれを遥かに超えている様に思える。ある1人のプレイヤーは超自然的と言ってもいい程に相手の考えを読む事に長けており、次に相手が何をするか知っていた。馬鹿げた言い分だと思うかも知れない。しかし信じて欲しい、日本の格闘ゲームプレイヤー、梅原大吾を見た者は皆そう言うのだ。潜めた声で、本当にそうかも知れないという風に。

話が横道に入るが、ゲームの「戦略性」は読みをどれだけ可能にし、報奨するかでほぼ決まると私は論じたい。馬鹿な例だが○×ゲームを考えてみよう。最初の1手は9種類しか無く、機能上異なるのは3種類だけだ。もし何らかの魔術で相手の次の手を予知したとしても全く意味がない。このゲームは相手が特定の手を打つ事を強制する非常に窮屈な代物であり、初心者だろうと予知の達人だろうと基本的に同じ棋譜を残す。「プレイの癖」や「性格」を発揮する予知は○×ゲームには存在しない。動いているのは単純なアルゴリズムだけであり読みの予知は入らない。

 

読みレイヤー

良い対戦ゲームは「相手のする事を知っていれば対抗できる」仕組みが無くてはならない。ではもし、こちらが相手のする事を知っている事を相手が知っていたらどうなるか? 相手はこちらに対抗する術を持つはずだ。この時、相手はこちらより一段階上のレベル、または上の「読みレイヤー」にいるのである。こちらは相手のする事を知っている(読みレイヤー1)。しかし相手はこちらが知っている事を知っている(読みレイヤー2)。ではその事をこちらが知っていたらどうなるか(読みレイヤー3)? 相手の対抗手段への対抗手段が必要になる。そしてもし相手がその事を知っていたら……

収拾不能になる前に芽を摘んでおこう。読みレイヤーは3までで十分である。なぜなら読みレイヤー4はレイヤー0にループして戻って来るからだ。例えばこちらに非常に、非常に優れた技”m”があったとしよう。こちらはできるだけこの技を使いたい(ここでリスク/リターンの非対称性が出て来る。もし全ての技が同じくらい良ければそもそも読み合いの土台が砕け散ってしまう)。この「読みレイヤー0」はある技がどれほど優れているかを発見し、ひたすらそれを使う事だ。すると相手はそれに気付き、その技を高い頻度で出して来ると予測する(読みレイヤー1)。そこで対抗手段となる技”c1″を使う。こうしてこちらにmを使わせない様にする。こちらの動きは封じられた。そこでこちらはc1を使わせない為の対抗手段として、対抗手段への対抗手段、あるいは”c2″を使う。

すると相手は何に備えていいか分からなくなる。こちらはmを使うかも知れないしc2を使うかも知れない。面白い事に、こちらはmを使いたくとも、相手にc1を使わせない為にc2を見せて脅しておく必要が出て来る。そうしておけばmを通しやすくなるからだ。

相手にも新しい選択肢が必要だ。こちらはmとc2で揺さぶりをかけられるが、相手にはc1しか無い。相手にもc2への対抗手段として”c3″が要る。これで双方2つの技を持つ事になった。

こちら:mとc2 相手:c1とc3

となるとこちらにもc3への対抗手段が必要である。ゲーム開発者はここでc4に相当する技を作りたがるが、それは必要無い。mがc4の役目を果たす事もできるからだ。基本的に、こちらが元々の良い技ではなくて対抗手段の方を出すと相手が読んでいたら、こちらは元々の技を出せば裏をかける。ゲームがちゃんとその様に作られてさえいれば。原則として、読みレイヤーが3まであり、レイヤー4がレイヤー0にループして戻って来れば、手段と対抗手段の完全な選択肢のセットが出来上がる。

こう書くと実際よりもかなり難しく聞こえてしまうはずだ。そこで「バーチャファイター3」から実際の例を引いてみよう(ただしこれも更にややこしいのだが)。

 

バーチャファイター3に見る読みレイヤー3の例

例えばアキラがパイを転倒させたとしよう。パイは起き上がる際に上昇技(これらの技は最強の判定を持つ)を出す事もできるし、何もしない事もできる。もしアキラが起き上がりに合わせて攻撃を仕掛けて来たら、上昇技で全て跳ね返す事ができる。だがもしアキラ側がそれを読んでいたら、その場でガードして投げ技で反撃できる。パイは上昇技のキックを出し、アキラはそれを読んでガードした。読み合いの始まりだ。

アキラはダメージの最も大きい投げを使う事にした(これがアキラの”m”である)。この投げをかわす事はできないのだが、もし相手が投げを読んでいて投げ抜けコマンドを入力したら、ダメージ無しでそれを抜ける事ができる。投げの「発生」は確定だがパイにはそれを抜けるチャンスがあるのだ。実際、パイ側はこの場合に投げが確定している事を知っており(常識である)、アキラが最もダメージの大きい投げを繰り出すのは明々白々である。結局、この状況は何百回と現れ、何百ものアキラが全く同じ事をして来たのである。パイがこの場で投げ抜け(パイ側の”c1″)を入力するのは戦略というより習性と化している。考える事無く条件反射でそうしてしまうのだ。

アキラ側は何度も何度も投げを抜けられるのに疲れ果て、今度は少し搦め手を使う事にした。崩撃雲身双虎掌とか、鉄山靠とか、その他体当たりの様な遅い強力な打撃を使うのである。これらは全て”c2″のカテゴリに入る。なぜこの状況で遅い打撃が有効なのか? まず、パイが投げられていないのに投げ抜けコマンドを入力した場合、それは投げ抜けでなく投げモーションになる。その時点でアキラが投げの間合い外にいたり、他の理由で投げられない場合、この投げは投げスカリになる。パイは虚空を掴もうとして隙を晒すのだ。バーチャファイターにおける重要なルールとして、相手が技の発生または持続モーションになっている間は投げが成立しない。ゆえにアキラが大きな技を出した場合、持続モーションが終わって硬直モーションに入るまでは全く投げを受け付けないのだ。

元の話に戻ろう。アキラは投げを抜けられるのに疲れ、相手の投げへの対抗手段である遅い強力な打撃を出す事にした。ちなみにこのc2技もかなりのダメージを出す。次にこの状況になった時、パイはどうしていいか分からない。習慣は投げ抜けを入力しろと告げるが、もしそうすればアキラの遅い打撃を食らってしまう。そこでパイは通常のセオリーを離れて”c3″選択肢を選んだ。その場でガードするのだ。こうすればアキラの打撃でダメージを受ける事は無い。そしてどの技を出したかにもよるが、パイは大抵の場合その後に反撃ができる。

ではアキラがそれを読んでいたらどうするか? 実はc4は必要無い。最初にやろうとしていた投げ技(m)こそガードへの対抗手段だからだ。投げは相手を掴んでダメージを与える特殊な攻撃で、たとえ相手がガードしていても成立する。これは打撃を防ごうとガードしている相手に使うためにわざわざ作られているのだ。

まとめると、

アキラは投げと遅い打撃を持つ。
パイは投げ抜けとガードを持つ。

先に示した様に、プレイヤーは読みレイヤー3、4、あるいはもっと上まで考えるはずだ。投げ抜けは既に条件反射と化している。しかし狡猾な相手に対しては、通常の投げ抜けをするかガードするか逡巡せねばならない。アキラ側はたまに遅い打撃を混ぜて敵を攪乱し、投げ抜けを止めさせようとする。そこで再び元々の目標に戻る:投げを浴びせるのだ。

もう一つの非常に面白い現象は「ビギナーズラック」だ。初心者のアキラはこの状況で投げに行く。なぜならこれは投げ抜けを知らない他の初心者に対しては上手く決まるからだ。そして初心者アキラは中級者に対しては決して投げを決められない。中級者は常に投げ抜けをするからだ。ところが奇妙な事に、初心者はしばしば上級者に対して投げを決めてしまう。上級者はどういう読み合いが必要か知っており、時々は投げ抜けでなくガードをするからだ。無論、上級者はすぐに相手がただの初心者である事を悟り、全ての動きを読み切れる様になる。

読み合いの複雑さを示す為に一言添えておこう。上記のバーチャファイターの例はかなり簡略化したものだ。本当は例えば、パイはガードでなく速い打撃を出す事もできる。アキラにも遅い打撃以外のc2がある。「キックガードキャンセル」と呼ばれる技がそれだ。まずキックボタンを押し、硬直モーションに入るまで投げられない様にする。パイがこれを投げようとすれば投げスカリになる。そこでアキラがキックをキャンセルすればパイの晒した隙に攻撃を叩き込める。この時点で投げを出せるのは確定しており、結局最初と同じ状況に戻るわけだ。ここでの肝は、アキラがキックガードキャンセルから投げを繰り出した場合、パイは恐らくそれに反応する時間が無いという事だ。それは余りに速過ぎる。パイはまた新たな読みレイヤーに放り込まれる。パイはアキラが投げに来ると読んで投げ抜けを出し、それをキックガードキャンセルされ、再び次の読み合い(打撃か投げ抜けか)に入る。一瞬でもためらえばその時は既に投げられている。

ここで強調しておきたいのは、バーチャファイターは恐ろしく複雑であるにもかかわらず、プレイヤーの思考は先に述べた様なレイヤーに沿っているという事だ。読み合いの構造やリスク/リターンを知るのも重要だが、読みを極めたプレイヤーなら個々の状況における読み合いを制する事で一気に本質に迫れる。似た様な状況におけるセオリーに従うより遥かに強力だ。

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(16)

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敵の詳細を観察する

敵の詳細を慎重に観察し、将来の手を予測する材料を集めよ。この点に関して、孫子の戦争に関する助言はマイク・カロのポーカーに関する助言によく似ている。

「狂気の天才」マイク・カロはポーカー指導者であり、ポーカー作家であり、世界最高水準のポーカープレイヤーである。彼はコンピュータ分析も利用するが、同時に心理学とギャンブル哲学においても有名だ。カロの著作「ポーカーは語る」と孫子兵法を比べてみよう。

弱いは強い、強いは弱い:

敵が近くにいて静かであれば、それは地の利を恃んでいる。遠くにいて挑発をして来れば、それは相手を進ませようとしている。容易に近づける場所に陣地を置いていれば、それは囮である。

-孫子兵法-

 

ポーカーにおいて、手札が弱い時に強く振る舞うという誘惑は抗し難いものだ。逆、即ち強い時に弱い振りをするのも然り。

-マイク・カロ-

 

弱い振りをするのに夢中になっているプレイヤーは、往々にして強い手札を持っている。

-マイク・カロ-

 

突然の動き:

鳥が飛び立つのはその下に伏兵のいる証拠である。獣が驚くのは奇襲の前触れである。

-孫子兵法-

 

急に元気を取り戻して大金を賭けるプレイヤーに注意せよ。疲れ切ったプレイヤーを蘇らせ、再びギャンブルに向かわせるのは、往々にして目覚ましい手札である。

-マイク・カロ-

 

立ち上る煙:

塵が高く立ち上るのは(二輪)戦車の来る兆候である。塵が低く広がっていれば歩兵の兆候である。様々な方向に散るのは薪を集めている印である。少しの煙が往来するのは野営の印である。

-孫子兵法-

 

ブラフをかけているプレイヤーは内心不安であり、人目を引く様に煙草の煙を吐く事を躊躇する。覚えておこう、ブラフをかけている者はできるだけ注意を引いたり、コールを呼び込む様な行動を避けようとする。殆どのプレイヤーはブラフの際に透明な存在になりたがる。ゆったりと煙を吐き出すプレイヤーは、恐らくコールされる事を恐れていない。

-マイク・カロ-

 

外見からの手がかり:

兵士が槍に寄りかかっているのは空腹でぼんやりしているからである。水を汲みに出された兵がまず自分で飲むのは乾きに苦しんでいるからである。優位を取れるのに何もしないのは兵が疲れ切っているからである。

-孫子兵法-

 

良い服をまとったプレイヤーは保守的にプレイする傾向がある。しわくちゃのスーツに緩んだネクタイの男はギャンブルをする気分になっており、きちんと服を着ている場合よりも放縦なプレイをする可能性が高い。

-マイク・カロ-

 

秩序と混沌:

夜中に叫び声がするのは恐れているからである。恐怖で落ち着かなくなり、叫んで自分達を鼓舞しているのである。野営地内で騒乱が起きるのは指揮官の権威が弱いからである。旗が動くのは反乱である。士官が怒るのは疲れているからである。

-孫子兵法-

 

対戦相手の本性はチップの置き方から垣間見える。きちんとした置き方は慎重に手を選び、滅多にブラフをかけず、大きなギャンブルをしない傾向を示唆している。無論ゲーム中に気分が変わる事もあり、その場合はチップの置き方も雑になって来る。大きなチップの山の上に少し余剰が載っていたら、恐らくそれが儲け分である。

-マイク・カロ-

 

大胆な相手:

軍隊が馬に麦を与え、馬を殺して肉を食べ、炊事用具を火にかけていないのは、もう野営地に戻る気が無いという事であり、決死の戦いを挑む兆候である。(注:引用されている英訳が間違っている可能性あり。原文:「殺馬肉食者,軍無糧也。懸缶不返其舍者,窮寇也」)

-孫子兵法-

 

実際、幸運のお守りを付けていたり、迷信深い振る舞いをするプレイヤーは平均より賭け金を自由に扱う。

-マイク・カロ-

 

弱いは強い、強いは弱い、忘れるな:

言葉では謙り、備えが増しているのは進撃の兆しである。乱暴な言葉を使い、前に進もうとして来るのは撤退したがっている兆候である。軽戦車が出て両翼を固めるのは決戦の準備である。和を乞うが誓約が伴わないのは謀略である。走り回って隊伍を整えるのは決戦の時が近い印である。進む者と退く者がいるのは誘いである。

-孫子兵法-

 

相手に賭け金を積ませようとするのは勝てる手札と踏んでいるからである。賭けても安全だと相手に思わせる主立った方法は:(1)興味無さそうによそ見をする (2)パスする振りをする (3)チップに触れない である。

-マイク・カロ-

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(15)

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分断と征服

 

Zileasという男

私は格闘ゲームの世界で育って来たが、どのゲームも大体同じ様なコミュニティを持っているはずである。RTS界にはZileas(本名トム・カドウェル)という男がいるのだが、彼は言わば平行世界の私である。ちなみに彼はMITにおける私の後輩であるが直接会った事は無い。我々はそれぞれのゲームで有名になり互いの存在を知った。そして今ではどちらもゲーム業界にいる。

Zileasは敵を分断して征服する事や、火力を集中する事について色々書き残している。まさに孫子と同じである。

ZileasはStarCraftについて論じ、孫子は実際の戦争を論じているが、RTSというのは実際の戦いを(一応)模した物である。ゆえに両方の達人が同じ様な考察に至ったのも驚くには当たらない。興味深いのは、孫子は大規模なマクロ管理の観点から、Zileasは小規模なミクロ管理の観点からそれを書いている事だ。皮肉な事に、ZileasはまさにそれによってStarCraft界で名声を獲得した。マクロ管理を重視する「守旧派」と一線を画し、ミクロ管理による分断と火力の集中を重視する「革新派」アプローチを確立したのである。何が皮肉か分かるだろうか? 守旧派も革新派もその実、孫子兵法に見られる同一の考え方をそれぞれに適用した物なのである。

孫子はマクロな観点において、双方の兵力を勘案していつ攻めるかを論じている:

戦いの鉄則。敵の10倍の兵力があればこれを囲む。5倍あれば攻める。2倍あれば部隊を2つに分けて挟み撃ちにする。そして前に対応すれば後ろから、後ろに対応すれば前から潰す。兵力が同等なら敵を誘い出すもよし。やや不利なら敵を避ける。大きく不利なら逃げる。寡兵でも頑強な戦いはできようが、最後には衆兵に捕われる。

Zileasはマクロな観点において、どんな場合に(StarCraftの)敗北が起きるか論じている:

キルレシオ(彼我損耗比)に双方の生産力比をかけ算して、答えが1を下回っていれば敗北に向かっている。相手の生産力が伸びつつあり、自分は停滞していて、かつ先の値が1に近ければやはり敗北に向かっている。キルレシオというのは双方の死んだユニットの数ではなくて、死んだ資源の量で考える。ユニットの生産コスト、維持コスト、施設の建設コストなどである。

このZileasの言葉はいささか不思議かも知れないが、20回かそこら読む内にはStarCraftの深い見識が得られよう!

 

兵力の不均衡

孫子の主たる論点の1つは、敵より多くの兵で攻めるという事である。仮に敵軍が自軍と同等の規模と戦力を持っていたとしても、部分部分に注目する事でそれは可能になる。敵が広大な帝国の1ヶ所だけを守っていて、かつこちらがそれを知っていたら、帝国の残りの部分は全く無防備である。自軍の一部分を割くだけでも無防備な拠点を次々に落とせるだろう。逆に多くの拠点を相手が同時に守っていたら、個々の部隊はそれだけ小さくなる。相手が10ヶ所ある拠点を全て均等に守っており、こちらが全軍の半分を1ヶ所に集中させて攻めたら、それだけで戦力比は5対1になる! こちらは火力を一点に集中させ、相手は分散し弱まっているのである。

こうした戦術の成否はいかに自軍を隠し、敵軍を偵察できるかにかかっている。隠蔽と偵察無しには孫子の「分断と征服」方式は実現しない。

こちらがどの拠点を攻めるかは事前に知られていてはならない。どこを攻めるか分からなければ、相手はいくつもの拠点で同時に守りを固めなくてはならない。即ち戦力が分散され、どこを攻めようとこちらの戦力が上回るという事になる。

戦力が減るのは複数の攻撃可能性に備えるからである。戦力の優位は相手に分散守備を強制する事によって生まれる。敵がいつどこから来るか分かっていれば、広く散らばった部隊を集結させてそれに備える事ができる。しかしいつ来るかもどこから来るかも分からなければ、左翼は右翼の救援に行けず、右翼もまた左翼を助けられない。前方は後方を助けられず、後方も前方を助けられない。

そこで孫子は自軍の位置と意図を秘密にせよと説く。そして敵軍の位置と意図を探り当てろと説く。そうする事によって、こちらは敵の弱点に火力を集中できる。その為に防備をおろそかにしたとしても、敵がこちらの弱点を知らなければ攻めようが無い。敵の分散した部隊はこちらの集中した部隊に対してなす術なく打ち破られるのである。

 

StarCraft「守旧派」アプローチ

孫子のアプローチはZileasが言う所の「守旧派」である。守旧派のStarCraftプレイヤーは強力な経済の建設を目指し、それによって敵を上回る量のユニットを作ろうとする。敵に10倍すれば囲み、5倍すれば攻めよ。まさにこの考えである。個々の局地戦は重要でないと彼らは考える。重要なのは大きな機動戦力を作り上げ、敵の弱点を突ける様にする事だ。

彼らの殆どはStarCraftの前作、Warcraft 2から来ている。Warcraftのインターフェースでは個々のユニットを操作して戦いを管理してもそれほど益は無かった。Warcraftのユニットは全体に均質で、StarCraftのTemplarとReaverに見られる様な50:1の損耗比は存在しなかった。勝つ為には全体の管理こそが重要だった。大きな軍隊を作り、敵を分断し、自分の戦力を集中する。

 

Starcraft「革新派」アプローチ

そこにZileasがやって来た。彼はミクロな戦闘管理と個々の局地戦がどれほどStarCraftにおいて重要かを指摘した。そして分断と征服を非常に小さなスケールで行うという新しい考えを広めた。

教練その1。Shiftキーでキューを入れて火力を集中すべし。仮に敵と遭遇し、双方ともMarineが10体ずつだったとしよう。普通ならユニットは専らランダムに撃ち合い、戦闘の終盤になってようやくユニットが死に始める。ところが上級者は全てのユニットを選択し、敵の1体に向けて集中砲火を浴びせる。そしてShiftキーで次の命令を出しておき、その次のユニットにまた集中砲火できる様にする。この繰り返しだ。10体の集中砲火によって敵の1体はすぐに死に、その分だけ敵部隊の火力は減る。Shiftキーで命令を出しておいたのですぐに次の1体に集中砲火し、それも倒したら次の1体、その次の1体と続く。相手は火力を分散しているのに対しこちらは集中している。このテクニックをこちらだけが使っていれば、戦闘が終わる頃にこちらは4体生き残り、敵は全滅しているだろう。

教練その2。陣形を使って火力を集中せよ。2つの部隊が交戦し、戦力はどちらもMarine10体ずつだとしよう。この場合陣形が全てを決める事がある。一方のプレイヤーは長蛇の列で行進し、もう一方は横一列の陣形でそれを迎え撃ったら、横陣は縦陣の先頭ユニットに集中砲火を浴びせられる。それを倒したら2番目。また倒したら3番目。行列の最後のユニットが戦場に着く頃には、他のユニットは皆死んでいる。横陣より更に良いのは「浅い弧」である。弓なりの陣形で最大の火力集中を可能にするのである。

教練その3。狭い場所を塞いで敵を分断すべし。大軍が狭い道(自然地形なり人工物で塞がれているなり)を通らねばならない場合、必然的にそれは分断される。通って来るユニットを待ち構えて1つずつ撃破すればよい。

教練はまだ沢山あるが、要点は個々の戦いにおいて火力を集中するという事である。Zileasの最も象徴的な火力集中戦術は”Doom Drop”だ。

Zileasはプロトス使いである。プロトスはユニットの数は少ないが個々の攻撃力が高い。つまり何もしない内から既に火力が集中されているのである。いわゆるDoom Dropとは、輸送機(他のユニットを運ぶ飛行機)4隻程度を用意し、Reaver、Templar、Archonなどの強力なユニットをそれに詰め込む。場合によっては戦闘機の護衛を付ける。この超戦力、即ち集中した火力を素早く一点に投入すればほぼどんな拠点も落ちる。Archon1体、Reaver3体、Zealot4体、Templar3体が突如として本拠地の真ん中に出現したら、それだけでもう対処のしようが無い。応戦しようにも味方の位置取りが悪過ぎる。

これの強化版もある。投入したユニットの幻影を作り出して敵の攻撃を吸収するのである。輸送機を4つも敵陣に突入させるのはそう簡単ではない。道中に敵の対空砲があったら撃ち落とされてしまうからである。そこで例えば輸送機4体に戦闘機5体を同行させると、ターゲットが増えて敵の砲撃が分散される。そこで更に10体の戦闘機の幻影を同行させればもっと良い。幻影は攻撃力を持たないが、敵の攻撃を引きつけて本物を守ってくれる。幻影は敵を欺き、その対空攻撃力を分断するのである。

 

ミクロとマクロ

ではなぜ「分断と征服」を大きなレベルでもやらないのだろうか? 戦闘レベルの集中と戦略レベルの集中はどちらか片方を選ばなくてはならないのだろうか? StarCraftにおいてその答えはイエスである。本当に。人間の注意力は有限であって、Doom Dropを仕掛けるのも大規模な経済を建設するのも相応にそれを消費するからだ。

 

第三の資源:集中力

Zileasは語る:

資源というと、殆どのプレイヤーは鉱物とガスを思い浮かべる。勿論それはゲームの中核であるが、同時に集中力という要素も考えなくてはならない。ここでは集中力をプレイヤーが何らかの作業に集中できる時間として定義する。新拠点の建設は多くの集中力を要する作業である。とりわけプロトスにとってはそうだ。軍事攻撃も動揺に多くの集中力を要し、また多くの集中力を投ずればそれだけ効果が増す。偵察すら集中力を要する。優れたプレイヤーと頂点に立つプレイヤーの大きな違いは、いつ戦いにかかり切りになる必要があるかを知っている事だ。そして相手もまた有限の集中力をやりくりしているという認識だ。集中力の消費を最小限に抑えるテクニックは色々ある。ホットキーを使うとかキューに命令を入れるとか。しかしそれでも、全ての行動は何らかの形で集中力を消費する。そしてStarCraftが上手くなれば、それだけ多くの集中力を持った相手と対戦する事になるはずだ。集中力という資源が充分にあれば、それを活かして複数箇所に同時に攻撃を仕掛け、敵を圧倒するという手も使える。そして残念ながら、集中力はほぼ生まれつきの才能によって決まる。多くのゲームをこなせばゆっくりと成長するが、それでも持つ者と持たざる者は厳然と存在する。これは言わば短距離走の能力に近い。長距離走者には訓練すればなれるが、短距離走者には才能の壁が立ちはだかる。ゆっくりと成長させる事はできても個々人の限界がある。もし私と同等の技能と、より優れた才能を持つプレイヤーがいれば、頂点の座は間違いなく奪われてしまうだろう。

集中力を鍛える最も良い方法は2対1や3対1で戦う事だ。つまり複数の対戦相手と同時に戦う。私は3対1でも大抵勝てる。2対1ならほぼ負けは無い。そしてそれが可能な理由は、単純にマルチタスクが得意だからである。また2対2のチーム戦というのも興味深い。双方の陣営とも通常の2倍の集中力を使えるのである。正確には「ほぼ」2倍である。チームメイトと意思疎通をしなくてはならないからだ。

プレイヤーが大小どちらの管理に集中力を投ずべきかは、個々のゲームとプレイスタイルによって変わる。そしてどちらの場合でも原則は同じだ。火力を集中し、敵を分断せよ。

 

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翻訳記事:勝つ為に戦う(14)

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火攻め

故に火を以て攻を佐くる者は明なり。水を以て攻を佐くる者は強なり。水は以て絶つべきも、以て奪うべからず。

—孫子兵法

孫子は敵に対して火を用いる事を述べているのだが、同時にそれは根源的な戦術の知見でもある。同時に複数の攻撃を仕掛けるのである。敵の建物に火を付けて、出て来た所を待ち伏せる事もできる。野営地の片側に火をかけて、反対側から攻める事もできる。これも結局は待ち伏せである。どう用いるにせよ、火は基本的に攻め手側が用いる追加の攻撃力である。火は説得も買収も効かないし無視するわけにも行かない。火は無慈悲である。敵を攻撃し追い散らすという点では兵隊と同じ働きをするが、火は一度付けてしまえば人力を要さない。そして兵士の犠牲を伴わずに敵の兵舎の中へ入り込んで行ける。

火は付ければ勝手に燃え広がるため、同じ人数でより多くの攻撃ができる。火は敵を阻むため、1つの部隊を分散させる事なく2方向から挟み撃ちにできる。ここでの教訓は、2つの攻撃を同時に浴びせると有効性が跳ね上がるという事である。

多くのゲームにこの概念が登場する。格闘ゲームの飛び道具(波動拳など)は基本的に独立した攻撃主体である。飛び道具を一旦生成したら、キャラクターはそれから自由に動いて攻撃できる。その間も飛び道具は自分の仕事をしているのであり、2つの攻撃を同時に浴びせるのと同じ事になる。格闘ゲーム「マーヴル VS. カプコン2」はその極端な例であり、飛び道具とキャラクターに加えて「アシストキャラクター」を呼び出して攻撃させる事ができる。メインキャラクターとアシストキャラクターによる同時攻撃は様々な恐るべき固め技を可能にしている。相手のアシストキャラクターが既に死んでいて同時攻撃ができず、こちらは可能という場合、その優位は計り知れないものになる。

チェスの基本戦術である「フォーク」と「ピン」も同時攻撃という点では似ている。フォークとは1つの駒で相手の複数の駒を同時に攻撃する「両取り」である。例えばこちらのナイトが相手のビショップを取る事もルークを取る事もできるとする。相手はこのナイトを取らない限り、2つの駒を同時に守る事はできないのである。ビショップを逃がせばルークを失う。ルークを逃がせばビショップを失う。

ピンは相手の1つの駒を攻撃する。ただしその駒が逃げたらその後ろの駒が攻撃に晒されるのである。例えばこちらのルークが数マス先にいる相手のビショップを脅かしているとしよう。この状態で相手の番になった。ところがビショップの後ろには相手のキングがいる! もしビショップがルークの攻撃から逃れようとすれば、今度はキングに危害が及ぶのである(ちなみにこれはルール上許されない。自分からキングを危険に晒してはいけない)。この場合ビショップは「キングに釘付けにされている」のである。ルークは1つの駒を攻撃しているだけに見えるが、その実2つの駒を同時に脅かしているのだ。ターン制ゲームは往々にして、1手で2つの攻撃を仕掛けられる手を探して差し込むという戦いになる。

孫子兵法の火の項目をより直接的に適用できるのは、FPS「カウンターストライク」の手榴弾と閃光弾であろう。これらは投げてから爆発するまでに数秒の間があるので、相手が手榴弾なり閃光弾なりに対処せねばならないまさにその時に、こちらは自由に動いて攻撃できるのである。タイミング良く手榴弾を投げる事ができれば、5人のチームでも10人のチームより強力な攻撃を仕掛ける事ができる。「火攻め」、あるいは手榴弾・飛び道具・チェスの駒などによる同時攻撃は大きな優位をもたらすのである。

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