ゲンスルーは何故あんなに強いのか

世のSRPGというジャンルはそもそもの初めから瑕疵を抱えている。プレイヤーは自分の兵士を戦場で自由に動かせるだけでなく、彼らを成長させる事もできる。つまり一つのゲームの中に二つのパートがあるのだ。そして困った事に、そのどちらかで成功すればするほどもう一方のゲームバランスが崩れるのである。

「ファイアーエムブレム 聖戦の系譜」は親から子への継承を主軸に据えている事もあり、慎重に案配すれば素晴らしい強さを持ったスーパーユニットを生み出す事ができた。そしてそれは敵とゲームバランスを諸共に葬り去った。ユニットを鍛えるパートで成功する事によって、ユニットを動かすパートの難易度が大幅に下がるのだ。上手なプレイヤーほど簡単な課題を与えられるという逆転現象がここに生ずる。

ここで漫画の世界を見てみよう。「ドラゴンボール」は強さのみが支配する空間だった。強大な敵を打ち倒す方法はただ一つ、それよりも強くなる事だけだ。だからこそ登場人物達は修行に打ち込む。これは成長パートのみのゲームに似ている。

「JOJOの奇妙な冒険」は対照的に、作戦を工夫する事で敵のトリックに対処する。主人公達の戦闘力が劇的に高まる事は無い。あくまで所与の戦力で戦い抜くわけだ。これは戦術パートのゲームに対応する。

ところが「HUNTERxHUNTER」はその両方の要素を持っている。主人公達は修行に励んで強くなる。同時に、戦術を工夫して格上の敵を倒そうとする。ゆえにこの作品の敵役は異常に強い。主人公が強くなった上に知恵も絞ってようやく倒せる水準である。そうでなければ話が成立しない。

成長と戦術の要素を持つゲームは、その両方で最大限に成功した場合とてつもなく強い敵が出て来なければ釣り合いが取れないのである。それゆえ構造的に難易度の問題を抱えてしまう。成長パートが単なる難度緩和装置になってしまうのはよくある事だ。

一つのゲームに主軸は一つ。大黒柱は一本にしよう。

単純と馬鹿の境界

スパ帝国で作るゲームは思考力を要求せねばならない。同じ手がいつも使えたり、最善策があまりに明らかだったりしてはいけない。

同時にゲームメカニクスは可能な限り単純でなくてはならない。単純な物を拡張するのは簡単だが、複雑な物を減量させるのは並大抵の仕事ではない。

この二つの要求はしばしば対立する。シンプルで要素数の少ないゲームは選択肢も限られる。少ない選択肢で思考力を要求し続けるのはかなり工夫が要る。

例えば狐めくりの場合だ。これは外れ札を押し付け合うゲームであり、譲渡されたカードを受け取るか拒むかの判断が最も熱い。ではここだけに焦点を当て、得点システムを無くしたらどうなるか。花嫁の1点を無くし、狐の枚数だけで最後の勝敗を決めたらどんなゲームになるだろうか?

ゲームとして成立しなくなる、というのが答えだ。花嫁に得点が無ければ、それを譲渡する事にはいかなるリスクも存在しない。「花嫁を引いたら全て押し付ける」というのが明白な最善策になるのである。この策を実行しているとき、プレイヤーは一切の思考を止めている。それは単純なゲームではなく馬鹿なゲームだ。

狐めくりはゲームとして成立するギリギリの複雑さしか持っていない。それ以上単純化するとバランスが崩壊するのである。この様に、ゲームバランスが成立する限界線がそれぞれのデザインコンセプトごとに存在する。そしてそれが単純なら単純な程、そのコンセプトは優れていると言えるのだ。

雨が雨漏りを見つける様に、ユーザはゲームデザインの瑕疵を必ず見つけて利用する。開発者はそれを塞ぐ為にパッチワークを追加する。その度に複雑さは増加する。単純な状態で成り立つコンセプトとは、水漏れを無くすのに必要なパッチワークが少ないデザインである。それはそれだけ完璧に近いという事だ。

ギミック倉庫 #2

ゲームギミックの案その2。

 

・格闘カードゲーム

打撃・投げ・ガードなどの選択肢が書かれたカードを同時に伏せて公開。複雑なジャンケンの関係になっており、結果によって体力や間合いが変化。1対1の殴り合いという仕組みがメックアリーナとダダ被りのため制作は後回し。

 

・読み合いによる戦闘解決

戦略ゲームにおける個別の戦闘を解決するギミック。攻撃側は3種類の戦術から1つを選んでカードを伏せる。防御側は野戦なら1つ、篭城戦なら2つ戦術を指定。伏せたカードが指定された戦術なら防御側の勝ち。外れていれば攻撃側の勝ち。戦術によって敗軍の受ける被害は異なる。突撃なら潰走、前進ならノックバック、側面攻撃なら混乱など。

 

・位置関係による修正

戦術級ウォーシムの戦闘力修正ギミック。近接攻撃を受けた際、攻撃者の反対側のヘクスに味方がいれば後詰め効果でプラス修正。敵の騎兵に隣接していると側面攻撃効果でマイナス修正。密集していると砲撃で受けるダメージが増加。

 

・攻守交代

野球のごとく裏表で攻守を交代するギミック。メックアリーナの将来のバージョンに組み込んでも良いかも知れない。

 

・多人数向けiMperium

陸軍優勢の効果はダイスの振り直しに。「最後に何かをした」「最初に何かを達成した」「最も多くの何かを持っている」といった賞によって枚数ボーナス。

 

・15分で終わるTRPG

キャラクターメイクや成長は無し。それぞれに役割カードを配り、課題カードを順にめくって各人が問題解決能力を出し合う。

知恵の試練場

スパ帝国は「考えれば良い結果が出る」ゲームを作ろうとしている。勝率を上げたければ全力で知恵を絞り、創造性を発揮するしか方法は無い。裏口も抜け道も無し。精神力を用いる重量挙げだ。それがデザインにどのように反映されるか以下に述べてみよう。

 

・常に正しい選択肢は無い

「毎回チャリオットを量産すれば勝てる」とか「ひたすら飛び道具を連発すれば勝てる」といったお手軽な定石は存在すべきでない。何故なら、そういった定石を覚えたり用いる事にはほとんど思考力を必要としないからだ。思考力を用いない手段によってゲームの勝敗や結果が改善されるべきではない。

 

・対戦条件は公平に

100メートル走は全ての競技者が同じスタートラインに立つ。ハンマー投げは全員が同じ場所から投げる。同様にして、スパ帝国製ゲームは対戦者の条件を出来るだけ公平にしている。例えばメックアリーナは機体の強さが大体同じだ。その様にしてこそゲームはマインドスポーツたり得る。公平なゲームに繰り返し勝つ事は優れた知性を担保する。100メートル走で金メダルを取る事が足の速さを担保するのと同じだ。世の中のアイテム課金ゲームは、金を払った競技者にだけ10メートル先からスタートさせる徒競走である。その様にして得られた金メダルはゴミだ。

 

・勝敗の恣意性を無くす

「ディプロマシー」や「汝は人狼なりや?」はスパ帝国からは生じ得ないゲームである。何故ならそれらは「誰を勝たせるか」という点で恣意性を帯びているからだ。イギリスがフランスを攻めるかドイツを攻めるか、村の中で誰を首くくりにするか、そうした判断には常に好悪の感情がつきまとう。スパ帝国は人の機嫌を損ねない才能ではなく、論理や確率を理解し応用する才能を褒賞する。2人用のゲームが多いのは、誰かを道連れに自爆する様な戦略を取らせない為である。

 

・数字は小さく

3000点のライフとか2500の戦闘力は良くない。10点のライフや8の戦闘力は良い。何故か?それは前者が無駄に記憶容量を占有するからだ。プレイヤーの思考力は創造的な決断に全て振り向けられるべきであり、退屈な計算や記憶によって負荷をかけるべきではない。何か数字を組み入れる場合は12以下、それが無理ならせめて20以下にする。

 

ゲームは実体経済に大きな貢献をなし得る。「優れた知性を選別する」という方法においてである。それに熟達している事が何らかの優れた形質を担保する様なゲームを作っている。

翻訳記事:基本プレイ無料に関して

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GDC#4:基本プレイ無料に関して

2009/3/1 Soren Johnson
Game Developer誌2008年11月号に掲載された物の再掲:

 

中国で恐ろしく熱いMMORPGビジネスモデルが登場した。その名は”ZT Online”。今や大人気だ。課金ユーザーは100万人を超え、四半期あたりの平均顧客単価は$40。開発元のGiant Interactiveは中国で最も儲かっているオンライン娯楽企業の1つである。アジアのゲームは大抵基本プレイ無料(F2P)だが、”ZT”もまた然り。加えて”ZT”は対戦プレイに重きを置いている。他のプレイヤーを倒してアイテムを奪えるのは勿論、弱いプレイヤーを身代金目的で誘拐する事すら可能だ。誘拐された方はその間ゲームができない。

“ZT”では装備品の入手方法も非常に限られている。まず、モンスターを倒してもドロップは一切無し。クエストをクリアしてもアイテム報酬は無し。その上全てのアイテムは完全にアカウントに固定されており、他のプレイヤーと取引して良い物を手に入れる事も不可能。ではどうするかと言うと、リアルマネーで運営から「宝箱」を買うのである。ぶっちゃけると装備品入りガチャポンである。宝箱に何か役に立つ物が入っている確率は低く、最高の装備を揃えるには何千も宝箱を開けねばならない。そしてその日一番多くの宝箱を開けたプレイヤーは特別ボーナスが貰える。つまりその日一番多く金をつぎ込んだプレイヤーが良いアイテムを手にするのだ。

欧米の人間には、”ZT Online”の金銭至上主義は受け入れ難いかも知れない。しかしこれが現在のゲーム開発の潮流における最先端なのだ。プレイヤーの欲望を刺激し、ゲームで有利になる為に金を使わせる。皮肉な事に、基本プレイ無料&アイテム課金モデルは元を辿れば海賊版の氾濫に原因がある。アジアでは海賊版が出回っているため製品パッケージをなかなか買ってもらえない。そこでNexonやNCsoftなどの韓国企業はサーバーベースのオンラインゲームを立ち上げ、海賊版に邪魔されない新たなビジネスモデルを確立したのだ。

最初は月額課金システムだった(世界初の100万人MMO、NCsoftの「リネージュ」も含む)が、韓国のゲーム業界は次第に基本プレイ無料モデルへ移行した。利益は小額の課金を細かく繰り返して得る。Nexonの「カートライダー」や「メイプルストーリー」がその例だ。こうしたオンラインゲームの顧客が1000万単位になるにつれ、韓国式モデルは欧米の開発元の注意を引く様になった。そして自前の基本プレイ無料ゲームをアジア市場に投入したのだ。EAの”FIFA Online”、Valveの”Counter-Strike Online”、THQの”Company of Heros Online”などである。

F2Pゲームの展望はこうだ。まず無料のゲームでプレイヤーを釣る。そして次第に夢中にさせ、金を使わせる。ただしそれをデザインするのは並大抵の事ではない。実際、F2P以前の時代が開発者にとってどれほど幸せだったか思い知る事だろう。製品パッケージなり、月額課金なりの定額の世界。そこでは開発者は1つの事に集中できた。とにかく面白く、魅力的なゲームプレイを作り出す事に。

しかしF2Pの世界は違う。新参プレイヤーを釣る為に無料部分は面白くなくてはならないが、しかし面白すぎてもいけない。欲求不満を起こさせて最終的に何らかの課金に結びつけねばならない。デザイン上の決定は全て、無料部分と課金部分のコンテンツのバランスを念頭に行われる。即ち、海賊版氾濫の真のコストとは、ゲームビジネスとゲームデザインの境界が曖昧になる事だ。ゲームが製品パッケージから継続サービスに変わるに連れ、経営上の判断とデザイン上の判断は切り離せなくなって来ている。勿論、過去にもそういう時代はあった。アーケードゲームの基本デザインはいかにプレイヤーから25セント玉をむしり取るかである。ならばF2Pゲームがこの同じ水域をどう渡ったかは示唆に富むだろう。

 

経営かデザインか?

先に述べた2D MMORPG「メイプルストーリー」はゲーム内にリアルマネーショップが設置され、キャラクターの使うアイテムを購入できる様になっている。陰影とか青髪といった見た目を変えるだけのアイテムもあれば、ゲーム内で効果を発揮する消費アイテムもある。消費アイテムは24時間獲得経験値が2倍になるチケットとか、キャラクターのテレポート、パラメータの振り直しなどである。公平性確保のため、アイテムの効果は時間の節約のみに留まり、キャラクターを直接強化はしない。この区別は重要だ。課金にゲーム内での意味を持たせつつ、最高の装備が得られるかどうかとは無関係にする。ここが”ZT Online”と違う。

また別のF2Pビジネスモデルもある。ブラウザMMORPGの”RuneScape”は、基本プレイが無料。任意で課金もできるが、これはアイテムを買うのでなく月額課金である。課金すると追加のクエストやエリア、住宅の所有、特別スキルなどが解禁される。ここでもまた無料部分と有料部分の線引きがデザイン上の問題になる。無料部分は人を増やし、有料部分は収益をもたらすのだ。現状では6人に1人が課金しているとの事で、良好なバランスを保っていると言えよう。

「トラビアン」は成功したブラウザMMO戦略ゲームである。こちらは金を払ってゲーム内の一時ブーストが得られる様になっており、1週間の間木材の生産+25%とか攻撃力+10%とかである。この仕組みはプレイヤー間でも賛否が分かれる。高レベルの競争を勝ち抜くには課金が必須になっていると感じている様だ。また「トラビアンPlus」という課金機能もある。インターフェースが改善されてプレイ効率が高まるというものだ。マップの表示が広がったり、戦闘をシミュレートできたり、内政管理ツールやグラフ情報画面を使えたり、生産をキューに入れたりできる。

こういった機能はパッケージ入りの戦略ゲーム、例えば”Civilization 4″だったら最初から入っている。わざわざ最高のゲームを出し惜しみするのはいささか危険を伴うだろう。無料版のインターフェースを故意に使いにくくしておいたら、そのままプレイヤーに逃げられてしまう事もある。例えば「トラビアン」では、町は一度に1つのアップグレードしか建設できない。そしてアップグレードはせいぜい30分で終わるので、プレイヤーは日に何度も何度も町をチェックする羽目になる。そうでなければ競争に負ける。簡単な生産キュー方式を導入すれば問題は解決するのだが、開発元は金を払って「Plus」を購入したユーザーにのみそれを提供している。

この決断が正しいかどうかは何とも言い難いが、もっと重要な事は「誰が」この決断をしたかである。ゲームデザイナーか、それともビジネスマンか? いやそもそも両者の区別に意味はあるのか? ゲーム内の要素全てに値段が付けられているというのに? 収益と面白さのバランスを上手く取らなければ、F2Pゲームはユーザーから金を搾り取る欺瞞システム(ZT Online)になるか、碌に収益を上げられない実質無料ゲームになるかのどちらかである。だがどうしても迷ったら、面白いコンテンツを無料で開放する方に転ぶべし。強欲に任せて短期間の利益を追求すれば、結局はゲームが無料ではないという認識が広まり、布教してくれるファンを失ってしまう。

 

市場原理による解決

韓国のNexonは面白い解決策を持ち出して来た。2つの通貨を用意し、市場原理によってバランスを取るのである。「パズルパイレーツ」はJavaを用いたブラウザMMOで、金のあるプレイヤーと時間のあるプレイヤー、両方を満足させる仕組みになっている。一方の通貨はレアルといい、時間を費やしてパズルゲームを解く事で獲得できる。もう一方の通貨はダブルーンといい、リアルマネーを払って買う。ゲーム内では見た目の変更からキャラクター強化まで様々なアイテムが販売されているのだが、ほとんどは両方の通貨を代金として支払わねばならない。よってダブルーンを買えないプレイヤーは、金持ちのプレイヤーと交渉してレアルと交換してもらう事になる。一方金はあるが時間のないプレイヤーは逆の取引をする。そして両方の通貨は市場で自由に取引できる。こうすれば同じアイテムを様々な方法で買う事ができるわけだ。

こうして全てのコンテンツが課金と無課金両方のプレイヤーに開放され、「トラビアン」に起きた問題は解決された。実際の所、時間のあるプレイヤーが取引でダブルーンを手に入れたとすると、その相手の金持ちプレイヤーは「スポンサー」になっている。どんな形であれ、ダブルーンが消費されればそれだけ運営の収益になるのだから。自由市場の働きにより両プレイヤーのバランスは保たれる。もし時間のあるプレイヤーが多くなり過ぎれば、レアルの相場は暴落し、少しの金を使うだけで大きな優位が得られるぞとプレイヤーを誘う。二重通貨市場の見えざる手により、デザイナーは皆が遊び続けてくれる面白いゲームを作る事に集中できる。

Giant Interactiveも、金持ちから搾り取る”ZT Online”の限界に気付き始めている様で、月額課金版ZTが開発されている。ガチャポンを無くして金持ちプレイヤーと張り合えない低所得層を引きつけようとしているのだ。また”Giant Online”というのも発表された。中所得層向けのゲームで、課金要素はあるが限界値が設けられている。

こうした開発努力は喜ばしい。F2Pゲームには大いに明るい展望がある。箱入りのゲームと違い、時間のある人無い人、経済的余裕のある人無い人全てを引きつけられる。また実験的な作品も作りやすいだろう。箱入りゲームと違い、前払いで「内容を信じて買う」事をしてもらう必要が無いからだ。とは言え、F2Pゲームの開発者はデザインだけをしていれば良いわけではない。人気と利益を得るには、ゲームデザインとビジネスモデルの合致が不可欠である。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=115

翻訳記事:ゲーム内経済

これは翻訳記事です

GDC#3:ゲーム内経済

2009/1/23 Soren Johnson
Game Developer誌2008年9月号に掲載された物の再掲:

 

ゲームにおける経済システムのデザインは昔から厄介だった。面白く、かつきちんと機能する経済システムを作るのは容易ではない。実際にプレイしてから見通しの甘さが発覚したゲームは数多ある。例えば、初期の「ウルティマオンライン」は経済システムが恐ろしく混沌としていた。ザック・ブース・シンプソンは1999年に「ウルティマオンライン」を分析し、初期の主要な問題を詳しく論じた。

  • 生産システムはアイテムを作れば作るほど儲かる仕組みになっていたため、大量・過剰生産が引き起こされた。
  • 量産したアイテムをNPCに売ると、その度に通貨が発行された。結果、通貨供給によるハイパーインフレが生じた。
  • ベンダーに自分で使うアイテムを持たせ、市価を遥かに上回る値段を設定しておく事で倉庫代わりになった。
  • 倉庫にアイテムを貯め込める様になった事で、流通するアイテムが足りなくなり自己完結経済が成立しなくなった。
  • プレイヤーがカルテル(その1つはライバルゲーム会社によるものだった)を組んで魔法の秘薬を買い占めた。結果、普通のプレイヤーは呪文を唱えられなくなった。

MMO経済の歴史はここから始まり今も続いている。”World of Warcraft”のオークションハウスはゲーム内経済の中でも、いやゲーム全体の中でも活気のある場所だ。多くのプレイヤーが市場での取引に夢中になり、良い影響を及ぼしている。”EVE Online”の開発元であるCCPなどは、本職の経済学者を雇ってゲーム内経済における資源の流れと相場の変動を分析させた。実際、市場の相場がゲームに及ぼす影響を理解する能力は開発に欠かせないものである。

 

市場はゲームバランスを調整するか?

市場原理を使ってゲームバランスを調整しようとする試みはよくある。例えば”Rise of Nations”では、騎士とか弓兵といったユニットを購入する度に、同じ種類のユニットのコストが上昇する仕組みだった。供給増による価格上昇の再現である。これにより、軍事力を最大にするには様々なユニットを組み合わせる必要があった。選択肢の価値が変動する事でゲームの状況は次々に変化する。いつも決まった必勝法という物が無くなり、リプレイ性が向上するわけだ。

しかしやり過ぎは禁物だ。市場原理に任せきりにしているとゲームが崩壊する恐れがある。2006年、Valveは”Counter-Strike: Source”に奇妙な実験経済を導入した。「武器価格変動制」の実装である。週ごとに世界全体での需要量に基づいて武器と装備の価格が更新されると開発者は説明した。ある武器を買う人が多ければ価格は上がり、他の武器は価格が下がる。

だが困った事に、一部の武器に人気が集中しバランスが調整し切れなくなった。例えば強力なデザートイーグルの相場は$16,000まで急騰し、やや性能の劣るグロックは$1まで暴落した。グロックをそこら中に捨て散らかすプレイヤーまで出る始末である。ゲーム内経済は現実の経済とは違う。価格を上げれば全てが調整される訳ではないのだ。プレイヤーは楽しみたいのであって、一番面白い選択肢の価格がどんどん上がって買えなくなってしまったら、単に別のゲームに移るだけかも知れない。現実世界でガソリン価格が急騰して生活が「楽しくなく」なっているが、現実世界は1つしか無いので他に移る事はできない。だがゲームは1つではない。

そもそも完璧なバランスというもの自体が疑わしい。じゃんけんの焼き直しが求められている訳ではないのだ。じゃんけんは全ての選択肢の価値が同じであり、ランダムに手を出すのが最上の戦略である。ゲームはきちんと理由があって動くべきであり、ただ市場に任せるのではいけない。人気の武器を値上げするだけでは、プレイヤーは不利益を被ったと感じかねない。そうするのはバランスの悪さがゲーム自体を崩壊させている場合だけにしよう。

 

ゲーム自体に市場を組み込む

市場原理を利用するもっと適切な方法がある。ゲーム自体に透明性の高いシステムとして組み込むのだ。ボードゲーム界は自由市場を組み込んだゲームの成功例が多い。ドイツ式ゲームの「プエルトリコ」と「ヴィンチ」はそれぞれ、人気の無い職業や技術への助成金を徐々に増やすシステムを備えている。前者の場合、誰も職人をやりたがらなければターン毎に1ゴールドの「助成金」が加算され、その職業を選んだプレイヤーへの報酬になる。助成金が積み増されるに連れその魅力は抗し難くなる。こうしてどの職業もいつかは選ばれる。

プエルトリコにも「明らかに良い戦略」や「明らかに悪い戦略」があるが、それはターン毎に変化する。このため、自動調整システムはゲームを楽しくする方向に働いている。好きな戦略に拘泥すると罰を受けるのでなく、他者がやりたがらない戦略を選ぶと報酬が得られる仕組みだからだ。あるいはもっと重要な事は、仕組みがあらかじめきちんと説明されている点かも知れない。これなら誰も不公平と感じないだろう。

市場原理を最も上手く使って資源と価格のシステムを作ったのは、恐らく「パワーグリッド」だろう。これもドイツ式ボードゲームだ。プレイヤーは発電所を稼働させるために様々な資源を中央市場で購入する。資源の価格はだんだん高くなる直線状の並びで表される。毎ターン、X個の資源が市場に追加され、Y個の資源がプレイヤーに購入されて取り去られる。在庫量の変動に応じて価格も上下する。価格マスのどこまでが在庫で埋まっているかで決まる訳だ。

需給に基づく市場システムをきちんと説明しておく事で、市場自体が新たな戦場ともなる。さながらウォーゲームにおけるヘックスの如し。石炭を買えるだけ買って相場を上げれば、次の番のプレイヤーにはとても手が届かなくなってしまう。そうするとターン終了時に発電所が止まる。これは「パワーグリッド」における最悪の事態だ。真の自由市場において、価格は武器として用いられる。軍事ゲームにおける剣や矢の如し。

 

自由貿易の利益

同様に、最近の戦略ゲームは資源を自由市場で売買できる物が多い。”Sins of a Solar Empire”や”Age of Empires”シリーズである。売買は世界市場の相場に影響を及ぼす。
こうした市場は面白い「欲望の試練」となる。金銭が必要で資源を売りたい、あるいは特定の資源が必要で買いたい、しかしそうすると他のプレイヤーが市場価格の変動を利用できてしまう。”Age of Kings”で木材を買い過ぎると、対戦相手は木材の販売で金銭需要を全て賄えてしまう。

残念ながら、こういった市場システムは大体いつも同じ展開になる。全てのプレイヤーが必要を大幅に上回る資源を手にすると、相場は底に張り付いて動かなくなる。問題の根っこはゲームマップが経済的に公平にできている事だ。”Age of Kings”では全てのプレイヤーの開始地点近くに十分な金と石と木がある事が保証されている。資源がランダムに配置されていれば市場にはもっと動きが出て面白くなったろうが、そうするとゲーム全体としての肝心な軍事バランスが犠牲になりかねない。相手が馬で攻めて来ているのに木が皆無で槍兵を作れなかったらどうする?

ゲームの核心部分に市場を組み込んでいるゲームならこういう制限は無い。多くの経営ゲームでは1つの資源に特化するのが通常の戦略だ。よって自由市場システムはゲームにおける競争の面白い部分になる。最高の例は80年代の”M.U.L.E.”だろう。4人のプレイヤーが新世界の経済覇権を賭けて戦うゲームだ。資源は食料・エネルギー・鉱石・宝石の4種類だけだが、量産の方が効率が良いため特化が奨励される。4種類全ての資源を自前で生産できる事は稀なので、結局他のプレイヤーから資源を買わなくてはならないのだ。

この資源売買のシステムが傑作だった。買い手は画面下部に並べられる。売り手は画面上部。買い手が上昇すると買値が上がる。売り手が下降すると売値が下がる。画面中央で両者が出会うと売買が成立する。ここでもまた、仕組みがきちんと説明されている。プレイヤーの在庫と市場価格は全て公開されている。
自分から売買価格を妥協して取引を成立させる事もできるし、他のプレイヤーが先に折れてくれるのを期待する事もできる。実に分かり易い。誰かが建物の稼働にどうしてもエネルギーを必要としていたり、労働者を養うのに食料が必要だったりすれば、足元を見て財布の中身を根こそぎ引きずり出そうという事になる。こういう状況だと、最早価格が下がるのは他のプレイヤーが先に売り手になって利益をさらうのではないかと警戒した時だけである! “M.U.L.E.”によって掘り下げられた仕組みは深く豊かである。敵を経済的に追いつめるのは粉砕するより楽しかったりもするのだ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=114

翻訳記事:2D対3D

これは翻訳記事です

GDC#2:2D対3D

2008/11/18 Soren Johnson
Game Developer誌2008年7月/8月号に掲載された物の再掲:

 

業界黎明期のゲーム、”Pong”、”Asteroids”、「スペースインベーダー」などは当然ながら2Dゲームであった。初期のゲームで3Dを備えていた物もわずかにあった。線画ベースの戦車シミュレーター、”Battlezone”などだ。しかし3Dはあくまで変わり種に過ぎず、ゲームの本流にはならなかった。全てが変わったのは1992年の事である。id Softwareの”Wolfenstein 3D”の登場により、3Dグラフィックはゲーム開発の最先端として広まった。それ以来、あらゆる物が2Dから3Dへの移行に巻き込まれた。マリオもゼルダも、パックマンすらも3Dにやって来た。

現在ではほぼ移行は完了したと言っていい。そろそろ問うてみようではないか。このプロセスで何を学んだか。何が3Dの長所なのか? 何を目的としているのか? 2Dの方が優れている場合は何だろうか? 今なら開発者も、競争圧力に屈して3Dへ流れるのでなく、ゲームごとに最適なグラフィック環境を選ぶ事ができそうだ。

 

カメラの問題

3Dゲームとカメラには長い格闘の歴史がある。一人称視点のゲームに関しては問題は無いが、他のジャンルも3D化しているのである。プレイヤーにゲーム自体のやり方も教えつつ、カメラの操作も同時に教えるというのは難事である。ここで2Dの強みが出て来る。カメラがそもそも存在しなければ、カメラの使い方を教える苦労は無い。実際、3Dゲームもカメラワークの裁量をプレイヤーに与えなくなって来ているのが最近の潮流だ。

「スーパーマリオ64」は3Dジャンプアクションの最初の成功例である。しかしやはり、プレイヤーはマリオを適切に映す為にカメラコントロールに労力を割かねばならなかった。アクションゲームはより親切なカメラシステムを研究し続けており、自動的に最適なアングルへ調整する様になって来ている。
しかし、こういう手法はどうしてもある点で無理が出る。キャラクターが部屋の角に張り付いたり、水平の出っ張りの下に隠れたりすると処理に困る。この根深い問題への解答として、「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」では2つの静止カメラがメインカメラとは別に用意された。そしていつでも視点を切り替えられる。”God of War”ではさらに一歩進んで、各シーンごとに固定カメラが1つ置かれている形になった。映画を作る様にして面を作る形である。「スーパーマリオギャラクシー」ではカメラ操作が一切無くなり、周囲が見える上からの視点に自動で調整される様になった。”World of Warcraft”などのアバター型ゲームは、移動中に視点を調整できないようにしている。これによりキャラクターがカメラに向かって走って来る事態は避けられた。

戦略ゲームにおいてもカメラは進歩している。他のジャンルと同様、カメラ調整の自由度を減らす方向だ。少なくとも初心者には弄らせない。3Dを採用したRTSの一つ、”Star Wars: Force Commander”はカメラ操作が自由すぎて不評だった。軍を見る為の視点調整がいちいち面倒だったのだ。”Warcraft 3″は3Dを正しく採用した最初のRTSと言えよう。成功の肝は視点調整の自由を大幅に減らした事だ。ズームはほぼ不可能で、代わりにカメラ位置が下がって行く形になる。カメラの回転は余り使わないキー操作でのみ可能だ。リードデザイナー、ロブ・パルドは開発の経緯をこう語る。
「3D化するにあたり、カメラ操作の要素はかなり少なくした。視点が低い位置にあると、視界がTPSに近くなる。これでマップのあちこちを見ようとするとどこがどこだか分からなくなるし、視点が一方向だけを向いているせいでユニットを選択するのも難しくなる。戦場全体を見渡せないのだ。戦略ゲームとして面白くするため、結局昔ながらの等軸視点にカメラを持って来た。ようやくそれで作業が始まった」

 

2Dも色々

2Dゲームも様々な種類がある。よくあるパターンは2つ。ボードゲームの様な昔ながらの「見下ろし」2Dと、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の様な「横視点」2Dである。他に等軸視点というのもあり、視点を固定した3Dを2Dで模すものだ。3Dへの移行が本格化する前、多くのゲームが見下ろし2Dから等軸2Dに流れて行った。例えば初代”Civilization”は昔ながらの見下ろし2Dだったが、Civ2は45度視点の等軸2Dになった。この手法は確かにそれなりにリアルだが、ゲーム性がいささか犠牲になった。つまりマスとマスの距離がつかみにくい。東西方向のピクセル数が南北方向の2倍になっているからだ。この問題を解決するため、Civ4は3DグラフィックながらCiv1と同じ真っすぐな見下ろし視点を採用した。タイルは斜めになっていない。こうすればマスが分かり易くなり、戦略上の決定も下しやすくなる。

「ファミコンウォーズ」の系譜、”Advance Wars: Days of Ruin”を見てみよう。視点は伝統的な真っすぐの見下ろしだ。プレイヤーは四角のマスに集中できる。ユニット画象はいつものデフォルメ体型で、グラフィックの都合に合わせてある。このシリーズから影響を受けたのが、DSの”Age of Empires: The Age of Kings”である。こちらは同じ様なゲームシステムながら、斜めの等軸視点を採用している。しかしこれが上手く行っているかというと怪しい。マスの区切りが分かりにくいし、ユニットの画像がマスをはみ出しているせいでユニット同士が重なり合ってしまい、選択するのが一々面倒なのだ。マス目を使うゲームは真っすぐな見下ろし視点の方が良さそうである。

 

グラフィックはゲーム性にあらず

3Dグラフィックと3Dゲームは別物だ。例えばSFテーマのRTS、”Homeworld”と”Sins of a Solar Empire”は似た様な3Dエンジンを使って広大な宇宙空間の戦闘を表現している。しかしゲーム性は異なる。”Homeworld”は本当の3Dゲームであり、X軸Y軸Z軸を自由に移動できる。一方”Sins”は2D平面上のゲームであり、高さの概念は無い。その気になれば2Dエンジンでも実装できる。3Dを用いたのはあくまでズームが自由になるとか宇宙が広大に見えるといった副次的な理由からである。ゲーム性が2Dなので”Sins”はあまり操作が複雑にならずに済んだ。一方”Homeworld”はユニットに移動命令を出すのに三次元で位置を指定せねばならず、2〜3クリックが必要になる。

3Dグラフィックと2Dゲームシステムのハイブリッドはよく見かける。「大乱闘スマッシュブラザーズX」は横視点の二次元空間を3Dグラフィックで描画し、アニメーションや背景をリアルに見せていた。クリフ・ブレジンスキーは”Gears of War”のゲームシステムをこう語る。これは2Dアクション”Bionic Commando”を水平にしたものだ。一方はワイヤーを使って足場を渡る。もう一方は遮蔽物から遮蔽物へ渡るのだと。

本質的に、殆どのゲームはグラフィックでなくシステムによって3種類に分けられる:

・マス目型ゲーム(テトリス、パズルクエスト、Civilization、Oasis、NetHack)
・平面ゲーム(Starcraft、Madden、Geometry Wars、スマブラ)
・現実世界ゲーム(Portal、スーパーマリオギャラクシー、Burnout、Boom Blox)

簡単な法則を紹介しよう。現実世界ゲームはほぼ3Dグラフィックが必須である。もちろん「現実」と言っても文字通りの意味ではない。”Portal”のワープ銃は現実に存在しないが、それが現実同様の重力と物理法則を持った世界に存在するから面白いのだ。「現実世界ならこうなるだろう」というプレイヤーの期待に応えるには、現実同様の見た目と振る舞いをする三次元環境を作るべし。これぞゲーム版WYSIWYGである。

これとは対照的に、マス目型ゲームは見下ろし2Dが一番適している。ゲーム性と見た目の乖離が少なくなるからだ。平面ゲームの場合、選択は見た目と技術の問題になって来る。プラットフォームは3Dグラフィックをスムーズに動かせるか? 3Dにするメリットは? モーションを共有したり、特殊効果を付けたり、色々融通が利く様になったりするだろうか? これらを考えて3Dの是非を判断する。

こうしてみると、2Dグラフィックは時代遅れと見なされ過小評価されている様だ。3Dグラフィックの様に巨大なエンジンや大量のアセットを管理しなくて済むのは大きなメリットである。更に、上出来の2Dグラフィックは時代遅れにならない。”Habbo Hotel”のリードデザイナー、スルカ・ハロはよくこう語る。レトロな2Dグラフィックは8年経っても発表当初と同じ位見栄えがする。もし3Dを使っていたら1〜2回はグラフィックエンジンの世代交代が必要だったろう。一度2Dグラフィックが軌道に乗ってしまえば、後は好きに画像を追加できる。2Dグラフィックがゲームシステム自体と上手くリンクしていれば更に良い。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=113

翻訳記事:戦略ゲーム七つの大罪

これは翻訳記事です

GDC#1:戦略ゲーム七つの大罪

2008/9/27 Soren Johnson
Game Developer誌2008年4月号に掲載された物の再掲:

 

戦略ゲームはコンピューターゲームの中でも歴史が古く、誉れ高き伝統を持つ。”M.U.L.E.”から”Civilization”や”Starcraft”へと連なる系譜だ。にも関わらず、同じ様なデザイン上のミスが何度も何度も繰り返されているのも確かだ。ここではよくある7種類のミスを解説しよう。

 

1.大量の文章を詰め込む

戦略ゲームはボードゲームの直系子孫である。ボードゲームの楽しさはルールやメカニクスを理解し、決断を下し、その世界に何らかの結果を引き起こす所にある。
コンピューターゲームではこの楽しさを一人で味わえる。ところがいつの頃からか、開発者はやたらに長いシナリオをシングルプレイ用コンテンツとして詰め込み始めた。最近の”World in Conflict”に至ってはシングルプレイ用のスカーミッシュモードすら無い有様だ。こういったシナリオはどうにも奇異である。ゲーム本体と共通のルールはあるが、色々と相違点もある。AIは自力で戦略陣地を発展させて行動を始めるのでなく、人間プレイヤーがトリガーとなる特定の行動をする事で動き始める。人間が負ける事が不可能になっているシナリオすらある。負けそうになるとスクリプトでAIが止まったり、人間側に増援が来たりする。さらに、こうしたシナリオは基本的に「目標物」ベースである。あれを壊せ、あの場所を占拠しろ。これではプレイヤーが戦略を判断する余地が無くなってしまう。面白い意思決定の無いゲームはすぐ飽きる。幸い、最近の戦略ゲームは状況が改善された。”Sins of a Solar Empire”や”Armageddon Empires”はオープン型のランダムマップ方式に戻って来ている。予め決められた目標物などは無い。これぞ本格戦略ゲームの楽しさなり。

 

2.大量の要素を詰め込む

ゲームの骨格が完成した後も、大量のユニットやら建物やら何やらをついつい追加したくなる。実際、多くの開発者がゲームの事を要素の寄せ集めとして語るのを目にして来た。(「18の武器!68種類のモンスター!29面!」)
この考えは間違っている。ゲームは面白い意思決定の集合だ。そして「要素」は意思決定を形成する為にあり、漫然と存在しているのではない。プレイヤーの取り得る選択肢が少な過ぎるのは良くないが、大抵の場合は多すぎて失敗している。選択肢はいくつが丁度いいのか? 具体的な数字を挙げるのは難しいが、大雑把な見当は付けられる。Blizzardは12という数字を用いて、RTS製品が複雑になり過ぎない様に管理している。”StarCraft”は各勢力ごとに平均12種類のユニットを持つ。”WarCraft 3″も然り(ヒーローは含まない)。”StarCraft 2″も大体このあたりに落ち着くだろう(訳注:本コラムの発表はSC2の発売前。その通りだった)。実際Blizzardの発表によれば、新たなユニットを追加する分、古いユニットをいくつか廃止するとの事である。ゲームはプレイヤーが頭の中で全ての選択肢を一度に検討できなくてはならない。あまりに選択肢が多過ぎると考えるべき範囲が広がり過ぎてしまう。

 

3.プレイ方式の限定

良いゲームもいずれは飽きられる。折角の名作も、ゲーム設定が限られていると色々な遊び方ができない。”Company of Heros”は革新的で素晴らしい戦術RTSであるが、枢軸国同士の対戦や、3人以上のマルチプレイが許されていない。第二次世界大戦の世界観からすればそれが正しかろうが、その結果遊び方が非常に限定されてしまっているのも確かである。一方”Age of Empires”シリーズは良い判断をした。どの文明も自由に組み合わせてチームに入れる事ができるし、マップスクリプトを自分で作る事もできる。”Age of Kings”のマップで印象的だったのが、木が殆ど無く石と金が溢れているという地形である。通常のゲームと経済バランスがあべこべになるのだ。更にこのゲームは複数のプレイヤーが1つの文明を操作する事さえ可能だった。1人が軍隊を動かし、もう1人が経済を賄うといった具合である。以前AoKで面白い試合をした。4人が操作する2文明と、3人が操作する3文明が対戦したのだ。そして2文明の側が勝ってしまった! こういうちょっとしたプレイ方式の広がりによって、我々の仲間内でのAoKの製品寿命は倍になったと言えよう。無論ゲーム設定はゲームの核となるメカニクスときちんと結びついていなくてはならない。設定を変えると無駄にルールが複雑化するのは良くない。

 

4.メカニクスのブラックボックス化

90年代後半のいつ頃だったか、”Black & White”が開発されていた頃である。インターフェースの無いゲームという概念が流行り出した。インターフェースを無くせば普段ゲームをしない層にも受け入れられるという考え方であった。それ以来、ゲームメカニクスをプレイヤーから隠してしまおうという潮流が顕著になった。1999年の”Age of Kings”には素晴らしいレファレンスカードが付いて来た。ゲーム中に登場するあらゆる物のコストや価値や修正子が一覧になっていたのだ。しかし最近のRTSは、マニュアルに具体的な数字が書いてある事は稀である。ただし強調しておきたい。透明性の名の下に数字の洪水でプレイヤーを溺れさせろと言っているわけではないのだ。そうでなく、開発者はインターフェースを2層に分けるべきである。基礎レベルと参照レベルだ。基礎レベルは初心者が基本的な情報を得られる様にする。例えばどうやって戦車を作って悪者を粉砕するのか。そして参照レベルはゲームシステムに関するあらゆる質問に答えられる様にする。このレベルの情報をゲーム内百科事典にまとめるのも有効だ。つまりシヴィロペディアである。”Rise of Legends”は2層構造を上手く実装している。ゲーム中のポップアップには「上級モード」があり、特定のキーを押しっぱなしにすると詳しい情報が表示される。

 

5.プログラムやデータの機密化

折角作ったプログラムやデータを秘密にしておきたいというのは自然な感情である。開発に何年もかけたのだし、独創性によってジャンルの地平を広げたのだから。ゲームの核を公開するのは大抵の開発者にとって難しい決断だ。経営者にとってはもっとそうだろう。だが我々はCiv4のゲームとAIのソースコードを発売直後に公開した。その結果は素晴らしい物だった。2つ目の拡張パックには3つのModが含まれていた。どれもファンが作った物で、デレク・パクストンの”Fall from Heaven: Age of Ice”と、ガブリエル・トロバートの”Rhye’s and Fall of Civilization”と、デール・ケントのWWII: The Road to Warである。これらのシナリオは”Beyond the Sword”の大きな売りだった。Modがこれほど深く、面白くなるには(あるいはそもそも存在するには)ソースコードの公開が不可欠だったのだ。PC系の開発者は殆どが既にこの点を理解しているだろう。釈迦に説法だ。だからこそ、これに反する事は七つの大罪の中でも最も重い。どういうわけか戦略ゲーム界は、FPSやRPGに比べてModに閉鎖的だ。id Softwareの様な先駆者を欠いているせいだろうか。Blizzard社の”WarCraft 3″には素晴らしいシナリオエディタが付いていたが、これはどちらかと言えば例外である。戦略ゲームのMod作者は制作環境に恵まれないのが現状だ。だからこそ、我々はCiv4をModに開放する事を使命と感じた。物を手放すのはいい気分だ。それに冴えたやり方である。

 

6.病的なコピープロテクト

不正コピーが業界に与えるダメージを計測する事は不可能だが、無視する事も不可能である。Stardockのブラッド・ワーデルは製品である”Galactic Civilization”シリーズに一切のコピープロテクトを施さなかったが、こういう勇者は少数派だ。ちなみにこの製品はきちんと製品番号を登録するとオンラインアップデートが受けられる。何らかの方策で不正コピーを防止するのは業界にとって当然だ。しかしだからと言って、ゲームを始めるのにいくつもの面倒な手順を要しても良い事にはならない。重要な問いはこうだ。「果たしてこのコピープロテクトを導入する事で売り上げは増えるのか?」目くじらを立てない方が良い場合もある。例えばLANマルチプレイだ。言い換えれば、製品CDを持っていないプレイヤーは持っているプレイヤーが主催するゲームに参加できる。”StarCraft”はゲームを「増殖」させる事を許していて、LANマルチにのみ参加できるコピーを作れる。実はLANマルチの開放はCiv4における我々の方針であった。ゲームは起動時にCDチェックを行うが、ゲーム中はしない。よって、4人で集まってLAN対戦をするとなったら1枚のCDを順に回して行けば良い。たまにしか無いLAN対戦会のためにわざわざ全員が製品を購入してくれるとは思えなかったのだ。それにこういう環境によって新規プレイヤーが入って来れば、今度はシングルプレイの為に本当に製品を買ってくれるかも知れない。

 

7.余計な所にストーリーを入れる

ストーリーとゲームの歴史は悲喜こもごもである。退屈なカットシーンやら、どこかで見た様なキャラクターやら、プレイヤーが操作できないシナリオやらで多くのゲームが駄目になった。ゴミの様な会話を早送りできないのは本当に困る。だが最悪なのは、ストーリーを入れなくて良い所に入れてしまうケースである。例えば戦略ゲームがそうだ。結局の所、戦略ゲームとはゲームの源流である。人類初のゲームはバックギャモンやチェスだ。誉れ高き伝統なり。戦略ゲームにおける「ストーリー」とはゲームそのものである。例えば”Rise of Legends”はシナリオ型のキャンペーンでなく、”Rise of Nations”にあった世界征服モードを搭載していたらどれほど良くなっていた事か。皮肉な事に、私はRoLのキャンペーンモードが気に入っている。技術や強いユニットがミッションの合間の戦略マップでのみ獲得でき、RTS部分がシンプルになっている。しかしそれはストーリーがあるから楽しいのでなく、ストーリーがあるにも関わらず楽しいのである。核となるRTSをシンプルな上部戦略レイヤーと組み合わせ、何回も繰り返して遊べるゲームにもできた筈だ。それがストーリーの為に犠牲になっている。こういう例は枚挙にいとまがなく、殆どのRTS開発者は同じ罠に陥っている。今こそ潮流を止めなくてはならない。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=106