翻訳記事:勝つ為に戦う(5)

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敗北から学ぶ

敗北はゲームの一部である。一度も負けた事が無いとすれば、それは一度も試された事が無いという事だ。それでは成長しない。敗北は学びに繋がる機会である。だが敗北は苦しい。感情が論理的考えを押しのけてしまう事もある。以下に列挙するのは「負け犬」になる姿勢だ。これらを口にする様になったら赤信号である。

 

「少なくとも俺は正々堂々戦った」言い換えれば「あいつはせこい!」

これは圧倒的に多い負け犬の遠吠えである。これについては先に詳述した。負け犬は空想上の倫理的優位を拵えるため、自分の「正々堂々」にしがみつく。どの行動ができてどの行動はできないかを決める個人的な戒律だ。言うまでもなく、どの行動が可能かはゲーム自体が決める事であり、上乗せの戒律は無駄で余計で勝利の邪魔だ。負け犬は対戦相手が彼の戒律を破ったかどで文句を言う事もある。彼は常に、世界中が自分の戒律に同意し、それを破るのは邪悪なアウトカーストだけだと信じている。こうした「正々堂々」への宗教的情熱に理由を見出すのは難しい。ある種のプレイヤーは何が何でも「勝者」でいたがるものだ。敗北の海のただ中にあってさえ、彼は自分の戒律を奇妙に歪めて自分を何とか「勝者」に分類するだろう。

 

「負けたけど相手は弱い」

これは最もおかしな抗議だ。自分より弱いと思っている相手に負けると、「相手は弱い」という言い訳が用いられる。彼は自分が非常に優れたプレイヤーで、この様な雑兵に負けたくらいでは何も証明されないと言っているのだ。彼は往々にして相手の「弱いプレイヤー」が持っている弱点を数え上げ、「ワンパターンだ」とか「読み合いが弱い」といった台詞を吐く。しかし相手を貶めれば貶めるほど、彼自身もっと惨めになる。相手がワンパターンな戦術に頼っているとしたら、それを打ち破れなかった自分はどうなのだ?

この傾向は取り除かねばならない。恐らく相手を責めるのはプライドのゆえだろうが、失敗から学ぶ機会を奪ってしまう(それに他のプレイヤーにも嫌われる。気にしないかも知れないが)。原則として、勝つだけの力量を持ったプレイヤーには相応の敬意を払わなくてはならない。プレイスタイルにどんな瑕疵があろうとだ。認めたくないかも知れないが、こうした「弱い相手」はしばしば実際には自分より強いのだ。相手が自分より弱いなら勝たせてはいけない。自分の失敗から学び、ライバルに追いつくべし。どちらにせよ問題は自分自身の中にある。相手のせいではない。

 

「俺は弱いよ、やるまでもなかろうよ」

今度は逆のパターンである。自信がありすぎるのではなく無さすぎるのだ。この台詞は負けた後の悲しさからしばしば出て来る。それはまだ良い。その場に留まって挑戦を続けるべし。問題なのは、試合の前や最中にこれを言う場合だ。自己評価の低さは自分を本当に弱めかねない。中には過去の敗北や、生活上の不運を引きずってしまう者もいる。そしてゲームに対しても負け犬根性で挑む。客観的に見れば試合において有利になっている場合ですらだ(例えばM:tGで良いデッキを持って来たとか、格闘ゲームで相性の良いキャラクターを選んだ場合が相当する)。この種のプレイヤーはそうした雑念を振り払い、今目の前にある試合に集中せねばならない。選んだキャラクターなり陣営なりデッキなり、あるいはゲームの技量なり知識なり、何らかの優位を持っているならそれに集中すべきである。そして優位性を持っていないなら、それこそもっと頑張らなくてはならない。冷静にならなくてはならない。逆境に打ち勝たねばならない。そして目にもの見せてやれ。自分を信じなければゲームには勝てない。信じれば勝てる。

 

「糞ゲー/運ゲー/つまんねー」

公正を期す為に言っておくが、世の中には本当に糞なゲームや偶然性が強過ぎるゲームやつまらないゲームもある。その場合はさっさとそのゲームを止めて時間を無駄にせぬ方がよい。しかしこの種の抗議はしばしば完璧なゲームに対しても向けられる。「糞ゲー」に見えるのは、そのゲームを素晴らしい物にしている本質が見えていないだけかも知れない。

「運ゲー」は少々話が複雑だ。ゲームの偶然性が強ければ、それだけ競技性が失われる可能性がある。しかし偶然性はゲームに「楽しさ」ももたらす。通常、この抗議への回答は1つしか無い。同じプレイヤーが安定して勝ち続けるかどうかを見よ。例えばM:tGは偶然性が強過ぎるという議論もある。しかし国際大会で入賞するのはいつも同じ顔ぶれだ。本書執筆時点での世界最強プレイヤー、Kai Buddeは大会に毎回出て来る。使うデッキは他のチームメイトと全く同じである。それでもKaiが勝つ。どうやらこのゲームはそれほど「運ゲー」ではないようだ。

ポーカーにも同じ事が言える。個々の手は偶然による所が大きいが、大会で優勝して賭け金をさらって行くのはいつも同じ面々だ。

(訳注:北米で最も人気のあるポーカーのルールは、日本で普及しているルールに比べ実力に左右される割合が大きい)

「つまんねー」というコメントは頭を使わない。これは基本的に、負けた責任をゲームの欠陥のせいにしているだけだ。無論ゲーム自体が欠陥を抱えている場合もある。しかしこのフレーズを使っていると、負けた言い訳をしてそこから学ばないという事も覚えておこう。

こうした負け犬根性に陥らない様に気をつけよう。負けたのは自分の責任だ。被害者ぶるのは負け犬の道である。勝つのは負けを受け止め、自分を磨こうとする者だ。

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翻訳記事:勝つ為に戦う(4)

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雑魚病

ここまでは当たり前の、ありふれた事ばかり論じて来た。長い道のりは最初の一歩が最も難しい。ゆえにまずはぬるま湯に浸かって貰った。ここからは違う。ここから先は勝負の冷たく厳しい真実に向き合わねばならない。ここが最も難しい所だ。不安な気持ちになるかも知れない。心の防衛機能によって、この本は間違っていると感じるかも知れない。だが保証する。この部分において、私は聖なる真実を直接告げる。

 

雑魚とは何か

「雑魚」という言葉は様々な意味を持つ。そのうちの1つは何か(例えばゲーム)があまり上手でない人間の事だ。この定義に従えば、我々はみな雑魚として始まる。それを恥じる事は全く無い。だが私はそれとは違う意味で「雑魚」という言葉を使う。雑魚とは、自分で作った規則に縛られて満足に戦えないプレイヤーの事だ。雑魚の作った規則などゲームは関知しない。雑魚は「勝つ為に戦う」事をしない。

誰も皆、最初は弱いプレイヤーとして始まる。自分のしている事を理解するまでには十分な練習が必要だ。だがここに重大な誤解がある。ただゲームを続けて「練習」するだけで、誰でもトッププレイヤーになれるという誤解だ。現実には、「雑魚」はまず多くの心理的障壁を乗り越えなければ先へ進めない。雑魚は戦う前に負けている。いやゲームを選ぶ前に負けている。何が問題なのか? 「勝つ為に戦う」事をしないからだ。

雑魚はこの言明に反発するだろう。自分はちゃんと勝とうとしている。しかし違う。雑魚は複雑な、虚構の規則を自分に課し、まともに競技に参加する事さえできていない。無論これらのお手製ルールはゲームによって異なるが、雑魚の性質は一緒だ。私がキャリアを築いた格闘ゲーム、ストリートファイターを例に取って説明しよう。

ストリートファイターにおいて、雑魚は様々な戦術や状況を「せこい」と断ずる。「せこい」は雑魚のお題目だ。投げを仕掛けるのはせこいと言われる。投げとは特殊な攻撃で、相手を掴んでダメージを与えるものだ。他の攻撃はガードしていると防げるのだが、投げは防げない。そもそも投げが存在するのは、ずっとしゃがんでガードしている相手にもダメージを与えられる様にする為だ。ゲームが成立する為には基幹部分に投げが組み込まれていなくてはならない。投げは理由があって存在している。しかし雑魚は自前の原則を築き上げ、ガードしている間はいかなる攻撃も完全に防げるべきだと考える。雑魚はガードを無限のマジックシールドだと思っているのだ。何故か? 考えるだけ無駄だ。そもそもの始めから馬鹿馬鹿しい概念なのだ。

いわゆる雑魚が、対戦相手を5回続けて投げる光景にはまずお目にかかれない。何故だろうか? それが勝利の確率を高める戦略上の最適手だったとしても? ここで最初の衝突に出会う。雑魚は自分の作り上げた心理的規則の範囲内で「勝つ為に戦う」のだ。これらの規則は信じ難いほど恣意的である。もし相手が遠くから飛び道具を浴びせ続け、距離を保って近づかせなかったら? せこい。立て続けに投げを浴びせたら? それもせこい。これは先ほどの例である。あるいは50秒ほど何もせずにひたすらガードしていたら? せこい。最終的に勝ちをもたらす行動はどれもこれも「せこい」と言われる候補である。ストリートファイターは単なる一例に過ぎず、どの競技ゲームでも同じ事が言える。

同じ行動を繰り返し繰り返し繰り返し浴びせる戦術というのは雑魚からの抗議を呼び起こす。そしてそれこそ話の核心である。雑魚はどうしてこんなに見え透いた戦術を打ち破れないのか? その行動への対抗手段を知らないほど下手なのか? あるいはその行動が何らかの理由によりほとんど対抗不可能なのか? もしそうなら、あえてそれを使わない方がよほど馬鹿らしいのではないか? 「勝つ為に戦う」とは勝率を高める行動なら何でもするという事だ。これに気付くのが最強への道の第一歩である。「勝つ為に戦う」ではその様に定義している。ゲームは「正々堂々」とか「せこい」といった規則に一切関知しない。ゲームにあるのは勝ちと負けだけだ。

雑魚は往々にして、全てを犠牲にして勝ちを求めるスタイルは「退屈」だとか「面白くない」とわめく。雑魚が何を目標にしているのかは知らないが、少なくとも本気で勝つ事を目標にしていないのは明らかだ。こちらは違う。勝つという目標は善であり正義であり真実である。誰にもそれを否定させてはいけない。否定する者は力でねじ伏せよ。つまり対戦して勝つのだ。

2つの組を想定しよう。良いプレイヤーの組と雑魚の組である。雑魚は「楽しみ」の為に遊び、ゲームの深淵を探求しようとはしない。最も効果的な戦術を見つけてそれを無慈悲に振るうという事をしない。良いプレイヤーはそれをする。良いプレイヤーは信じ難いほど強力な戦術やパターンを見つける。そして攻略を進めるに連れ、それへの対抗手段を見つけねばならなくなる。最初は対抗不可能に見えた戦術も、往々にしていつかは対抗手段が発明される。無論それを見つけるのは非常に難しい。対抗手段を知っていれば相手はその戦術を使えなくなるが、今度は対抗手段への対抗手段を使える様になる。そして対抗手段を使うのを躊躇うと、相手は再び最初の強力な戦術を通さんとして来る。この考え方については後に詳述しよう。

良いプレイヤーはどんどん上達する。彼らは「せこい」技を見つけて濫用した。そしてせこい技を止める術を知った。そして止める術を止めてせこい技を通す術を知った。そして競技ゲームにおいては非常に一般的なのだが、後から多くの戦術が発見される事で最初のせこい技がフェアに見えて来る。格闘ゲームではしばしば1人のキャラクターが非常に強い戦術を持っている。不公平に見える。よろしい、そのまま持たせておくべきである。時が経つに連れ、他のキャラクターはそれより更に強く不公平な戦術を持っている事が明らかになる。プレイヤーは双方とも試合の流れを引き寄せんとする。チェスのグランドマスターが対戦相手にとって都合の悪い状況を作り出そうとするのと同じだ。

ここで雑魚組の方に戻ってみよう。彼らは先に述べた奥深さについて何も知らない。彼らの主張とは、戦略も何も無く無闇にボタンを連打する方が「楽しい」というものだ。表面的にはこの主張は正しい様に思える。彼らの試合は「激しく、動きがある」からだ。上級者の試合はもっと抑制され洗練されている。だがよくよく吟味すれば、上級者は雑魚には想像もつかないレベルにおいて莫大な「楽しさ」を見出している事が分かる。暴れ回って曲芸をでっち上げる楽しみなど、相手の心理を読み切って全ての行動に対処する楽しみには及びもつかない。

この2つの組が出会ったら何が起きるだろうか? 上級者が雑魚を徹底的に打ちのめす。雑魚が見た事も無い様な、あるいは本気で対抗を迫られた事の無い様な戦術を次々に繰り出す。これは即ち、雑魚は上級者と同じゲームで遊んでいなかったという事である。上級者は本物のゲームを遊んでいた。雑魚は自前の不文律に従ってハウスルールで遊んでいた。

雑魚にはまだ縋る先がある。「実力」について繰り返し語り、自分がどれほど実力を有していて、他のプレイヤー(自分が負けた相手を含む)がそうでないかを論ずる。混乱のもとは何が「実力」かという点である。ストリートファイターの場合、雑魚は往々にしてコンボを実力の指標にする。コンボとは最初の攻撃が当たれば残りもガードできない一連の攻撃である。コンボは極めて精密で難しい。また雑魚によれば単発の必殺技もまた「実力」を要する。ストリートファイターの「昇龍拳」はスティックを前、下、斜め下に動かしてパンチボタンを押すと出る。この操作はコンマ数秒の内に完了しなくてはならない。ある程度誤差も許されるとは言え、かなり正確な入力が必要だ。雑魚に聞けば昇龍拳を出せるのは「実力」だと言うだろう。

(訳注:この本が書かれたのは2006年。ストリートファイターIIは必殺技入力の誤差があまり許されずかなり難しかった。ストリートファイターIVでは簡単になっている)

プレイ自体は上手い雑魚と対戦した事がある。つまりゲームのルールはよく知っており、キャラクター対策もできていて、殆どの局面では正しい判断をしていた。だが心理的規則の網が彼を絡めとり、「勝つ為に戦う」事を阻んでいた。彼が次々に昇龍拳を繰り出す一方、私は「簡単な」技で彼を沈めた。彼は抗議した。「馬鹿の一つ覚えか? 投げばっかりじゃないか」私は彼にアドバイスした。「勝つ為に戦え。難しい技を出すのは目標じゃない」これは彼の雑魚人生において大きな転機だったと思う。彼は敗北から目をそらし、心理的な檻の中で暮らし続ける事もできた。しかし敗北を分析し、自分に課している規則を取払い、次のレベルへと進む事もできた筈だ。

難しい技を沢山出したプレイヤーに賞を出す様な大会には未だ参加した事が無い。また「革新的な」プレイに賞が出るのも見た事が無い(尤もチェスの大会にはしばしば技能賞があり、天才的な一手に賞を出すが)。多くの雑魚が「革新」に囚われている。彼らは言う。「あいつが使うのはみんな既にある戦術だ、大した事ないよ」あるいは「このテクニックを考えたのはXだ。Yはそれは真似しただけだ」よろしい、YはXより100倍も上手いかも知れない。それでも雑魚には知った事ではないのだ。もしYが大会で優勝し、Xは忘れられた歴史となったら彼らは何と言うか? 無論「Yには実力が無い」と言うに決まっている。

革新的な手法を生み出せばプレイヤーコミュニティでの地位は上がるだろう。しかしそれが最終目標ではない。革新は勝利への手段のひとつに過ぎない。最終目標は可能な限り上手くなる事だ。最終目標は勝つ事だ。

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翻訳記事:勝つ為に戦う(3)

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最初の一歩

ゲームに勝つ事を論ずる前に、まずゲームの遊び方をきちんと心得ているか確認しよう。やるべきゲームを一本持っていて、それを遊ぶ環境があり、対戦相手がいて、基礎的なテクニックはどこで身につけられるかを知っている必要がある。

 

ゲームの選択

まずゲームを選ぼう。恐らく既に思い描いているゲームがあり、それ以外のゲームで勝とうとは考えもしないだろう。ゲームはそれぞれ異なる技巧を要する。初心者には、そしてしばしば中級者にすら、そのゲームが本当はどんな技巧を求めているのかはっきりとは分からない事がある。言うまでもなく、自分に合ったゲームで勝ちを求めるのが最善である。

私が推薦するのは全てのプレイヤーが平等な条件で開始できるゲームである。例えば格闘ゲームは異なるキャラクターでゲームを始められるが、全てのプレイヤーはどのキャラクターでも自由に選べる。M:tGはトーナメントにそれぞれ異なるデッキを持って行けるが、デッキを組む段階では皆同じカードプールにアクセスできる(トーナメント級になればそれが当然だ)。それゆえ全員がどんなデッキでも作れる。しかし「レベルアップ」を基盤にしたゲームの場合、例えばMMOなどは、「対戦」が始まる前に既に優位に立っているプレイヤーがいる。そしてそれは相手より多くの時間をゲームに費やしたというだけの理由に基づくのだ。こうした恣意的な優位性を含むゲームは避け、プレイヤースキルのみが勝敗を決するゲームを選ぶとよい。

どれもこれも選んではいけない。出会う全てのゲームで「勝つ為に戦う」事ができると信じるのは結構だが現実を見よう。選ぶゲームは1つか2つが限度だ。とてつもなく自由時間があってゲームが上手いのでない限り。例えば、FPSタイトルの1つを重点的に攻略している間に、他のFPSタイトルでも息抜きに遊んだりするだろう。ガールフレンドとたまにスクラブルで遊ぶ。友達とポーカーをする。集まりに出ればM:tGも遊ぶ。本気でそれら全てに勝とうとするとフルタイムの仕事になってしまう。スクラブルに国際大会がある事は知っているか? ポーカーにもワールドツアーがあるし、M:tGにもプロツアーがある。そしてそれぞれに世界クラスのプレイヤーがゴロゴロいる。頂点を争うのは1つのゲームですら大仕事だ。

それぞれのゲームにどれだけ生活を費やせるか認識しよう。そしてそれに満足しよう。私が本気でやっているゲームはほんのいくつかだけである。それ以外のゲームは空いた時間で気軽に楽しんでいる。例えば私はチェスの本を読み、ずいぶん前から時々指している。だが総体として私はひどいプレイヤーだ。チェスの試合中、私は(ゲームとしての範囲で)勝つ為にあらゆる事をするのだが、長期的視野に立って自分の技量を磨くという事をしない。チェスコミュニティにも入っていないし、上級者に指事もしていない。それにインターネットで大勢と対戦する事も無い。試合の最中だけ「勝つ為に戦う」のである。よって全体として、私とチェスとの関わりはたまに遊ぶ楽しみ以上のものではない。チェス界に君臨しようという真剣な努力ではないのだ。私はそれで満足している。現実問題としてそういくつもの世界に君臨などできない。

とは言え、私は他のゲームに比べれば結構な精神力をチェスに注ぎ込んで来た。以前は週に何回か”Boggle”を遊んでいたのだが、勝とうとするのはやっている最中だけで、ゲームが終わったら何も自己研鑽をしなかった。それで良いのである。同じ時間を”Boggle”の修練に費やすより、真剣に遊んでいる他のゲームに費やす方が良いからだ。

閑話休題。ゲーム選びの話に戻ろう。考えるべきもう1つの要素は、上級者が遊んでもきちんとゲームが成立するかどうかである。上達するに従ってつまらなくなるゲームは沢山ある。その一方で、上達してもあまり、あるいは全く悪化しないゲームも沢山ある。チェスの様な歴史あるゲームを選ぶのであれば上級者同士でも真剣勝負が成立していると期待できよう。しかし新しいゲームはギャンブルだ。今はこの問題は大した事が無い様に思えるかもしれないが、上達してもゲームが壊れないかどうかというのは非常に重要だ。思うに、ほとんどのゲームの真剣なプレイヤーは、ゲームが壊れていかなる戦略も必要としなくなる瞬間を経験しているのではないか。それは往々にして、対抗手段の無い強力な戦術が発見され、一切の戦略的思考が失われてしまった時である。これも私に言わせれば大抵はプレイヤーが間違っている。対抗戦術や更に優れた戦術がまだ発見されていないだけだ。ゲームにはまだ深みが残っている。しかし時には、プレイヤーが正しく本当にもう深みが残っていない事もある。そして困った事にこの二つは区別し難い。ゲームが上達に従って壊れて来た時、それでも続けて更に深みを探すか、それとももっと良いゲームに移るか。これは難しい決断だ。

今からこういう事を心配するのは行き過ぎかも知れぬ。しかし覚えておいて欲しい。歴史あるゲームを選んだのでない場合、いつかこの問題に直面する可能性がある。

 

環境

ゲームを遊ぶ為の環境作りは極めて重要だ。つわものは炎の中で築かれる。無より出ずるにあらざるなり。まずはそのゲーム自体への物理的なアクセスと、大勢の対戦相手へのアクセスが必要だ。友達が同じゲームをやっていれば、あるいはそのゲームのプレイヤーと友達になれば助けるところ大である。最強への道を本気で歩むなら、いつかはプレイヤーコミュニティに深く関わる事になるだろう。参加するのは早いほど良い。ゲームについての知識、トーナメントやイベントの情報など得る物が多い。コミュニティの中核へと入るに連れ、ゲームの秘密を知る者、そして最強のプレイヤーとの出会いが待っている。

ゲームへの物理的アクセスの重要性はいくら強調しても足りない。それがアーケードゲームであれば、家か職場か学校の近くに台が無くてはならない。この本が出版される頃には「アーケード」とは何か歴史の本で調べる様になっているかも知れないが。PCゲームであればネットに繋がったPCが必要だ。ポーカーならばそれを遊べるカードハウスが近くに必要である。もしそのゲームがインターネットで通信対戦できるなら、潜在的には非常に幅広い対戦相手がいる事になる。ちゃんと相手にしてもらえるなら、だが。直接顔を合わせて遊ぶゲームであれば、そのゲームの達人と同じ町に住んでいるのが望ましい。それが不可能な場合、そうした上級者と対戦できるプレイヤーは自分よりも有利になっている事を認識せねばならぬ。今住んでいる所に上級者がいなければ、他のゲームで勝つ事を目指した方が良いかもしれない。

ゲームに時間を注ぎ込めるライフスタイルも必要だ。ゲームを遊ぶ為の経済力と精神力も要る。そしてそれらは莫大だ。ゆえに「楽しい」と感じるゲーム、あるいは少なくとも対戦や練習が楽しいと思えるゲームを選ぼう。「苦行」の様に感じられるゲームを中心に生活を組み立てるのは間違っている。ゲームを中心に生活を組み立てる事自体が間違っているという意見もあろうが、とりあえず聞かないふりをしておく。その方が勝つ事に集中できる。

 

基礎テクニック

最初の目標はゲームのルールを覚え、基本動作の出し方を学び、どういう行動が合法で、どうしたら勝ちでどうしたら負けか知る事だ。またこの段階で他のプレイヤーが使っている用語を覚え、動かし方に慣れておかねばならない。ゲームによっては初心者が慣れるまでに結構な時間を要するものもある。

これらの課題は上級者に教わらなくても自分でできる。ルールブックやFAQを読み、とにかくプレイしてみればよい。もちろん上級者に師事すれば(この段階では対戦相手にはなれないが)助けるところ大であろう。ゲーム用語や基礎を教わったり、あるいはそれをもう知っていれば、ゲームが「実際に」どうプレイされているかを聞ける。この段階では上級者同士の対戦を見るのも有益だ。直接の観戦でも録画でもよい。しかし自分で上級者と戦っても圧倒されて終わりである。何が役に立つかは成長の度合いによって変わる。上級者や中級者の対戦には普通に出て来る「基本戦術」もこれから学ぶべき課題かも知れない。それ以外にも色々、現状では分からない要素が沢山あるだろう。

これらの課題をこなして基本を学んだら、次は自分なりの基本戦術を身につける。効果的で、簡単に使える動きを覚えて当座の勝ちに繋げよう。今までに無い戦術を編み出すのが目標ではない。効果的であればよいのだ。少なくとも相手が非常に下手だった場合に、どうやってその試合を取れば良いかは分かるようにしておく。ゲームによって基本戦術の内実は異なる。またゲームによっては、実戦の混沌を離れた所で入力の練習をする必要がある。最も基本的な戦術ですら膨大な練習が必要であれば、制御された環境の中でできるだけ早くそれを身につけよう。ただしあまりに長くラボの中に籠っていてはいけない。いつかは実戦へと身を投ずる必要がある。

プレイヤーの中には、この段階ですら上級者としか戦いたがらない者もいる。私自身はどちらかと言えば平均や下位のプレイヤーを相手に攻撃の練習をする方が好きである。だが最も重要なのはとにかく数をこなす事だ。相手の技量に関係なく、とにかく試合をしてゲームに慣れるべし。

上級者と対戦したら、おそらくボロボロに負けてしまうだろう。上級者は「何をしてはいけないか」を教えてくれる。これをやる。凄まじい反撃を喰らう。あれをやる。負ける。上級者との対戦はどの行動が「危険」で「悪手」であるか教えてくれる。そしてそういった「負ける行動」はできるだけ減らさねばならない。勿論、負ける行動をレパートリーから削って行けば試合運びはより安全になるだろうが、それだけではなく勝つ為の行動もしなくてはならない! 上級者との戦いでは早々に負けない為の技術を身につけるだろうが、勝つ事はいかにして学ぶか? 上級者がやって来る事を見よう。それらは恐らく非常に効果的な勝ち手段なのだ。悪手を打ったら、どんな反撃が来るかしっかり見ておこう。上級者がどうやってゲームを終わらせるか見ておこう。

私の友達の中には上級者としか戦わないと誓っている者もいる。それで学ぶ物も確かにある。しかしひとたび上級者のやり口を覚えたら、今度はそれを上級者自身を相手に練習するというのは非常に難しい。勝つ為の筋肉を鍛える機会は滅多に現れない。この段階になったらもう少し対戦相手のレベルを落とそう。弱い相手ならばゲームを終わらせる戦術を試す機会は沢山ある。攻撃パターンを一から十まで全部試せる。試合の畳み方を練習できる。往々にして、攻撃パターンの後は自分が無防備になるが、この隙を晒さなくなるまで練習しよう。そして本当に隙を無くせたかどうか、上級者を相手に試してみよう。

基本的な考え方は、それほど強くない練習相手を利用して「勝つ為の戦術」を集中的に実践するという事だ。上級者は滅多に勝つ機会を与えてくれない。しかしひとたび隙が生まれたら、そこにつけ込んで勝利を物にせねばならない。相手が致命的なミスを見せたら、冷静に試合の支配権を奪い勝利を導かねばならない。この動作は自然なものであって、何千回も練習した末に身に付くのである。上級者相手の実戦で勝ちのチャンスが到来した時、「理論上この試合には勝てるだろう、確か教科書にはXをやれば良いと書いてあった」などと考えている暇はない。試合の支配権を奪うのは単純に、素早く、直感的に行う必要がある。あまり強くないプレイヤーを相手に幾度と無くやって来た様に。

上級者は驕りを削いでくれる。「その動きは危険だ。そのトリックにはかからん。それではこちらの攻撃は止まらんよ」と伝えて来る。また上級者はどうやって試合に勝つかも教えてくれる。しかし試合に勝つ練習は滅多にさせてくれない。初心者はこれと逆に、それが習性になるまで勝つ練習をさせてくれる。そうしたら再び上級者との戦いに戻るべきだ。

遠からず、初心者はおろか中級者さえ用無しになる時が来る。彼らはこちらがミスをしてもどうやって反撃するかを正しく知らない。それゆえ悪手を増長させる。まがい物のトリックにも引っかかる。それは上級者に通用しない。もっと悪い事に、彼らはしばしば自爆する。初心者や中級者を相手に安全な立ち回りをずっと続けると、いつかはミスをやらかしてこちらに勝利を進呈して来る。それはつまり、引き分けを志向する保守的な引き延ばし作戦こそ勝利への道なりと教えているのだ。だが上級者を相手にした時、絶対にミスをしてくれなかったらどうする? 相手が強く、自爆を待つのでなくこちらから攻めて行かなければならないとしたらどうする? こうした理由により、ある段階になったら上級者との対戦に集中しなくてはならないのだ。

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翻訳記事:勝つ為に戦う(2)

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概要

私がここにいるのは勝つ事を教えるためである。

「勝つ為に戦う」はあらゆる競技ゲームにおいて最も重要な、そして最も誤解されている概念である。皮肉な事に、これから述べる事を既に理解している人でなければ、それを信じる事はできないだろう。実際、もし本書を過去の私に送りつけたら、その私自身これを理解しかねるに違いない。恐らくこの概念は経験を通じて習得するしか無いのだろう。それでも私は、読者のうちにこの本から学んでくれる人がいる事を望んでいる。

 

人類は他者の経験から学ぶという独自の能力を持ちながら、それを嫌がる事においても一流である。

 

—ダグラス・アダムズ「これが見納め」

 

なぜゲームに勝つべきか

ゼロサム競技ゲームの偉大さとは、成功の度合いを計る客観的な基準を提供してくれる事だ。最強を目指すならば自己研鑽の長い道のりを歩まねばならない。その途上、より多く勝つ事ができる様になれば(つまり上級者を安定して倒せる様になれば)前に進んでいる事が分かる。そうでなければ進んでいない。人生の他の側面において、例えば家庭生活とか仕事の面で、物事が前進しているかどうか計測できるだろうか? 果たして自分は成長しているのか? これに答えるには、何が「ゲーム」に含まれて何がそうでないのか正確に知っていなくてはならない。職業人としての成功に含まれる要素とは何だろうか? これは答えるのが難しい。自前で基準を拵えてそれに答えたとしても、他の人々はその基準に同意せぬかも知れない。そうした意見を無視して全て自分で基準を作ったらどうなるか? 恐らく無意識に、自分が上手くやっている(もしくはやっていない)事にするため、手前勝手に成功の基準を作り上げるに違いない。これでは単なる前向きさのテストだ。

ゲームは人生とは違う。ゲームの本質とは全てのプレイヤーに合意されたルールの集合である。ルールに同意しなければ、そのゲームを遊んでいる事にはならない。ルールは何がゲームに含まれ、何が含まれないかを定義する。ルールはどの行動が合法でどの行動が違法かを定義する。ルールはどうすれば勝ちで、どうすれば負けで、どうすれば引き分けかを定義する。ゲームの定義を書き換えて負けを勝ちと言い募るインチキは存在しない。ゲームは再定義を必要としない。負けは負けである。

勝ちを求める道程を進むうち、ただ相手を倒すだけでは駄目だと気付く筈だ。長い目で見れば、常に自分を鍛える事を目指さなくてはならない。そうでなければいつか追い越される。戦いは自分と相手の間で起きている様に見えるが、勝つ為の最上の方法は相手を倒す事ではない。勝つ技法、ゲームの技法を手にし、それを卓上に提示する事だ。これらの技法は自分自身の中で磨かれる。そして戦いを通じてのみ表せる。

 

戦ってみるまで、どんな男かは分からんさ

—「マトリックス:リローデッド」のセラフ

 

本当に勝ちたいか?

先に進む前に、そもそも自分は本当に勝とうとしているかを考えてみよう。殆どの人は勝とうとしていると答えるが、勝ちたがる事と勝つ事は別物だと分かっていない。勝つ為には犠牲を要する。長期にわたる努力を要する。鍛錬と、時間を要する。誰もが最強になれるわけではないし、そうなるべきでもない。競技ゲームで優勝するだけが人生ではない。人生における関心が他にあるなら、この本を読み続けても不安になるだけだろう。ここで閉じてしまった方が良い。「勝ちたいな」という程度なのか、勝つ事を心から求め相応の犠牲を払う用意があるのか、よく考えよう。一流の料理人になる。良い母親になる。医者に、政治家に、音楽家になる。これらは皆崇高な目標だ。時間も努力も有限であり、それらを求めるならゲームに勝つといったつまらない問題に関わっている事はできないだろう。私は勝つ為に戦う事を勧めているのではない。そうしたい人にやり方を教えるだけだ。

ゲームを「楽しむため」に遊ぶという人もいる。この問題は本書では扱わない。私は勝つ為に戦う道のりの先にはカジュアルな「楽しみ」以上の物があると信じているが、そこを議論しても始まらない。「楽しみ」は主観的な問題だ。定義はできぬ。しかし「勝ち」は定義できる。これが我々の強みである。勝ちは明確で絶対なのだ。勝つ為に戦っている限り、完全に明瞭な目標と、客観的な成長の指標が得られる。料理の達人がいたとして、その分野で世界一だとどうしたら分かるだろうか? それを偏見無しに言える者がいるだろうか? 競技ゲームでは事情が違う。全ての対戦相手を安定して倒せるかどうか、それだけだ。

勝ちの原則は全てのゼロサム競技ゲームに適用される。どんなゲームであろうと、成長できる環境を作らねばならない。多くの対戦相手と戦って練習すべし。自らを縛り勝利を阻む自前のルールを取り払うべし。精神面を鍛え、相手の行動を読むべし。コミュニティに入って他のプレイヤーと交流すべし。チェスだろうと、テニスだろうと、Quakeだろうと、マリオカートだろうとストリートファイターだろうとポーカーだろうと、やる事は全て同じだ。

 

対話としてのゲーム

競技としてゲームを遊ぶのはどういう事だろうか。私にとっては討論の様なものだ。私は私の論点を押し、相手は別の論点を押す。「この一連の動きこそ最適手だ」と言うと、相手が反駁する。「これを計算に入れたら違うだろう?」現実の討論は非常に主観的なものだが、ゲームにおいては誰が勝者か完全に明らかだ。

本当の戦いはプレイヤーとプレイヤーの間で起きる。ゲームはその媒体、討論における言語である。ゲームに十分な深みがあれば複雑な思考を論ずる事もできる。熟練した論者は言葉のニュアンスやトリックを駆使して相手を罠にかけるが、言葉はあくまで彼の道具である。ひとたび討論のいろはを学べば他の言語にもそれを応用できる。討論の本質を学ばずに、言葉のニュアンスにばかりかまけてしまう事もあり得よう。熟練者同士の討論は相手を理解し、何を言わんとするか予測し、素早く反論を加える技を含んでいる。欺瞞や図々しさ、リスクを取ったり保守に回ったりするのもゲームのうちだ。討論のやり方(勝つ為の戦い方)を覚えれば、その後で種々な言語(ゲーム)を学ぶのは割合簡単である。

数節前にゲームの「楽しみ」については扱わないと宣言したが、ここで変化球にも慣れておいて貰いたい。優れた討論の「楽しみ」とは、少なくとも私にとっては、何らかの論点で相手を攻撃し、相手がそれに強烈な反撃を加え、そしてそれに耐え切った時である。もし相手を何十もの手段で自由に攻撃できるとしたら討論とは言えない。逆に開始早々相手に押し切られてしまったら、相手の技量を感じる事はできるだろうがこれまた討論とは言えない。双方が相手の論点に反駁し、意味のある討論を展開する事でのみ、本当に面白い勝負ができる。私はこれを「楽しみ」と呼ぶ。

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月刊スパ帝国 Vol.10

スパ帝国がミニ雑誌になった! ゲームに関する記事を1冊の中に凝縮! 更にアナログゲームが1つ付録に! Vol.10の内容:

  • ロボット格闘ゲーム”Mech Arena 2013″専用カード
  • ダイス&チップ
  • 20ページ+表紙のオフセット誌
  • Mech Arenaデザインノート
  • ゲームレビューコーナー(ウルティマIX、Civilization II、Machinarium、Solar 2など)
  • ぐう凡艦長航海記
  • ほか

 

ゲームレビューコーナー Civilization II

Civilizationシリーズの2作目。これを最高傑作と見なす人も多い。1の足りない部分を補いつつ完成度を高めた仕上がり。とにかく都市を大量に作って技術を進めて最新鋭の軍隊で隣国を押し潰す、というCivシリーズの様式は今作で完成している。

初代Civの作者、シド・マイヤーは天才でアカである。ゆえにCivシリーズはマルクス経済学と唯物史観をアルゴリズムにぶち込んだゲームである。例えば市民は毎ターン食糧を2つ必要とするが、それを超える分の生産物はみな国庫に入る。これはまさにマルクス経済学の利潤の原理そのものだ。

また土地やインフラなどの経済基盤を社会の下部構造、政治や文化を上部構造と呼ぶのだが、Civではまず下部構造があってそれを基に上部構造を作る。例えば土地から出る生産力で寺院や図書館を作る事はできるが、図書館の力で土地を造成したりはできない。下部構造の優越はこれまたマルクス流の歴史観である。

Civ2は厳密にはブライアン・レイノルズの作品であってシドは補助的な役割しか果たしていないのだが、ブライアンもやっぱりアカで天才でシドの後嗣なので結局同じである。とにかく領土を広げて土地や人口といった下部構造を獲得し、それを基に強力な上部構造を築いて世界を獲る。首尾一貫して迷いの無いデザインだ。「領土が大きければ強い」「技術が進んでいれば強い」という具合に「何が良くて何が悪いか」が非常に明確なので、今自分が勝っているのか負けているのか、先の戦争は成功だったのか失敗だったのか、判断の良し悪しが実に分かりやすい。

こうした素直さもあって難易度はそれほど高くなく、初期拡張とラッシュのやり方を覚えればいくらでもAIを手玉に取れるため、Civシリーズに入っていく作品としては非常に優れている。この点においてCiv4は一歩を譲る。4を作ったソレン・ジョンソンもやはりアカで天才なのだが、それに加えて自由主義者であるため「単一のやり方がいつも通用するとは限らない」という信念を自分の作品に注ぎ込んでしまった。その結果、勝ち筋が複数ある奥深いゲームになったが、構造が非直線的で初心者には少々分かりにくい。ひたすら国を広げれば勝てるCiv2やレヴォリューションの方が入門には良かろう。

なお余談だがCiv5を作ったジョン・シェーファーはアカでも天才でもないふつうの人である。結果5はふつうの作品となった。

 

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メックアリーナ2013 新機体

オスカーII

  • ボディチェック:判定2。成功なら距離を0にし装甲ダメージ1。失敗なら距離-1
  • ネックハンギング:気力+1。距離0なら判定1で装甲ダメージ1、スタン。
  • アッパーカット:気力+1。距離-1。距離0なら格闘、距離+2。
  • スウィープキック:距離-1。距離1なら判定2で装甲ダメージ1。距離0なら判定2でスタン。
  • オーラバースト:気力3消費。距離-1。判定2で装甲ダメージ1、スタン。

 

イェーガースナイパーII

  • ハンドガン:距離-1。判定2で装甲ダメージ1。
  • スナイパーガン:距離1以上でのみ使用可能。気力+1。判定2で装甲ダメージ1。
  • ブレード:気力+1。距離-1。距離0なら格闘、距離+2。
  • スニーク:判定2。成功なら距離を0にするか+2し、次の相手のターンでダメージを受けない。失敗なら距離+1か-1。
  • マイクロミサイル:気力4消費。判定2でHPダメージ1、距離+1。

 

レオ

  • ショットガン:気力+1。距離2以上なら判定1で装甲ダメージ1。距離1以下なら{判定1で装甲ダメージ1}を2回。
  • ロケットランチャー:判定2で装甲ダメージ1
  • ロケットジャンプ:判定1で{装甲ダメージ1、距離を0にするか+2する}。失敗なら距離+1か-1。前のターンにロケットランチャーを使っていれば判定2になる。
  • ブレード
  • ミサイル

 

ヴォルガII

  • ハンドガン
  • チェイス:判定1で距離を0にする。失敗なら距離-1
  • マッスルポーズ:気力+1。判定2で更に気力+1。
  • ボディスラム
  • アトミックスープレックス:距離1以下でのみ使用可能。気力3消費。距離-1。格闘。HPダメージを与える判定はダイスが3個でなく5個になる。装甲ダメージ2。スタン。

 

ウラヌス

  • マシンピストル:気力+1。距離-1。判定1で装甲ダメージ1。
  • イオンガン:判定1で{装甲ダメージ1、スタン}
  • フィンガーフレア:距離-1。1〜5個まで好きな数のダイスを振る。どれか1つでも1の目が出たら自分にHPダメージ1。1の目が出なければ4・5・6の出た数だけ相手に装甲ダメージ。HPが1の時に自爆した場合、HPダメージは受けず、代わりに装甲が1になる。
  • ダッシュ
  • クロー(気力+1。距離-1。距離0なら格闘。前のターンに相手がスタンしていれば反撃を受けない)
  • ミサイル

 

ネルヴァ

  • マシンピストル
  • リボルバー:距離-1。判定2で装甲ダメージ1。
  • デュアルブレード:気力+1。距離-1。距離0なら格闘。前のターンにリボルバーを使っていれば攻撃ダイス4個。
  • ダッシュ
  • ローリングショット:気力2消費。{判定1で装甲ダメージ1}を2回。どちらかが当たれば次の相手のターンにダメージを受けない。
    • この攻撃で敵の装甲を削り切った場合、次の相手のターンは1回休みとなるので「ダメージを受けない」効果は無駄になる。
  • マイクロミサイル:気力4消費。判定2で{HPダメージ1、距離+1}

 

コカリアス

  • コークスレーザー:気力+1。判定2で装甲ダメージ1。発熱(この武器の上に発熱カウンターが置かれ、取り除くまで再度使用できない)。
  • スチーム:距離-1。判定1で{装甲ダメージ1、スタン}。発熱。
  • バーニングスピード:判定2。成功なら{距離を0にして装甲ダメージ1、または距離+2}。失敗なら{距離-1、または距離+1}。発熱。
  • ファイアバースト:気力+1。発熱カウンターを全て取り除く。距離1以下なら取り除いた発熱カウンターの数だけダイスを振り、4・5・6の目が出た数だけ相手に装甲ダメージ。
  • ブレード
  • マイクロミサイル

#27 神の怒り プロトタイプ

#26 カラコレを弄り続けたら違うゲームになってしまった。5つの塔を建設し、高さによって点を競う。高過ぎると神の怒りを買って崩されるというチキンレース。

プレイ人数:2〜4人

 

内容物

  • 1〜5のカード各9枚
  • 摩天カウンター1個
  • 労働者コマ4個(色違い)
  • 道コマ1本
  • ゲーム盤1枚:

 

ゲームの目的

終了時点で手札の価値が最も高いプレイヤーの勝利。

 

始め方

  • くじ引きで開始プレイヤーを決める。
  • 1〜5のカード合計45枚をよく切って山を積む。
  • カードを5枚ずつ配り手札にする。
  • 労働者コマをそれぞれのプレイヤーの前に置く。

 

遊び方

  • 交互に手番を行う。
  • 順番が来たら以下のA〜Cの手順で進める。
  • A.山からカードを1枚引く。
  • B.自分の労働者コマを盤上の線のうちどれかの上に移動させる。
    • 他のコマがある場所や元いた場所は不可。
    • 置ける場所が無い/置きたくない場合、コマを喫煙所に置き、手札から1枚選んで裏向きに自分の前に捨てる。これは-3点になる。
  • C.移動させた先の線に従ってカードを盤上に出す。
  • 例えば1と2の間の線にコマを置いたら、1のカードを2の上に置くか、2のカードを1の上に置く。
  • 2と3の間には2本の線がある。これは別々として扱われる。
  • 最初にどれか1つの数字に3枚のカードが置かれら、それに「摩天カウンター」を置く。
  • 摩天カウンターを置いたプレイヤーは好きな数字の間に道を作る。これは労働者を配置できる新たな場所になる。
  • どれが1つの数字に5枚のカードが置かれたらゲーム終了。

 

得点計算

  • 同じカードを3/4/5枚持っていれば+3/+7/+12点。
  • これにカード1枚ごとの得点を加える。得点は盤上のその数字に何枚のカードが置かれているかによって決まる。
  • 盤に0/1/2/3/4/5枚のカードが置かれていれば、そのカードは1枚につき0/0/+1/+2/+3/-1点。
  • 摩天カウンターが置かれている数字は得点が2倍。
  • 自分の前に捨てたカード(喫煙所)1枚につき-3点。

 

3〜4人ゲームでは3と4の間にも線を引く。

翻訳記事:勝つ為に戦う(1)

これは翻訳記事です

勝つ為に戦う:最強への道 David Sirlin著

 

序章

勝利者ならびに勝利者たらんとする者に贈る。

 

探せば見つかるわけではない。しかし探す者にしか見つけられない。

 

—スーフィズムの諺

 

想像してみよう。ゲームの世界には涅槃に至る雄大な山がある。その頂上には充実感と、楽しさと、卓越とがある。ほとんどの人はこの頂上には無関心だ。人生にもっと大事な問題があり、他に目指すべき頂上があるからだ。しかし少数ながら、この頂上に登れば非常に幸せになれる人もいる。この本はそうした人々に向けて書かれている。その中には既に頂上への道を歩んでおり、手助けを必要としない人もいる。だが大部分は知らずしてその道から外れている。山の麓には大きな谷間があり、彼らはそこで引っかかっている。そこは雑魚の棲む地だ。そこに留まる者は自ら作り上げた心理的な枷に囚われ、自分自身に余計なルールを課している。この谷を越えるのだ。その先にあるのはあるいは退屈な高原であり(駄目なゲームの場合)、あるいは天国の如き頂上である(奥深いゲームの場合)。前者はもっと良い山を登ろうと思える様になる。後者は幸せになる。「勝つ為に戦う」とは即ち、この心理的な枷を明らかにし、本当なら頂上で幸せになれるプレイヤーを谷間から解き放つ過程である。

この考えに不快感を示す人もいるが、それは誤解に基づくものだ。私は「勝つ為に戦う」事を全ての人に求めているわけではない。誰もがこの頂上に辿り着く必要は無いし、そもそも誰もがそこに行きたいと思うわけではない。人生には他にも多くの頂上がある。もしかしたらそちらの方がもっと良い場所かも知れない。だがこの頂上を目指して谷間で引っかかっている人々にとって、自分の位置を知り、より幸せな場所への行き方を知る事は有益である。

「勝つ為に戦う」という考えは現実の生活にも応用できるのか? 何年にも渡ってこの問いを受けて来た。まずは現実とゲームの大きな違いを指摘しておかなくてはならない。ゲームはルールによって明確に定義されている。現実はそうではない。極端な異常事態を探求する事は上級ゲーマーの常である。現実で同じ事をやれば社会的に受け入れられず、倫理にもとり、法にも触れる。競技ゲームは軍隊の倫理を求める。即断即決、有事に備え、勝てば全てが許される(ゲームのルールに沿っている限り)。現実の生活は市民の倫理を求める。親切、理解、公正、優しさである。

「勝つ為に戦う」は確かに現実生活に役立つ知見を含んでいる。しかしそれを語る前に、まずはいかに勝つかを論じよう。

原文:http://www.sirlin.net/ptw

翻訳記事:ゲームデザイナーになる方法

これは翻訳記事です

GDC#23:ゲームデザイナーになる方法

2013/2/4 Soren Johnson
Game Developer誌2012年11月号に掲載された物の再掲

 

ゲーム業界に入る理由は色々ある。才能あるイラストレーター、プログラマ、作曲家にとって、ゲームの仕事は創造性を発揮できる場だ。あるいは単に、自分の好きな事を仕事にできるのが楽しいという人もいる。しかし多くの場合、業界に入る理由はただ一つ。ゲームデザイナーになる事だ。

言うまでもなく、ゲームデザイナーになる最も簡単な方法はゲームを作る事だ。優れたツールや配信チャンネルが今程充実している時は無い。これらは個人で素晴らしいゲームを作る助けになるだろう。Andreas Illigerは”Tiny Wings”を、Brendon Chungは”Atom Zombie Smasher”を、Vic Davisは”Armageddon Empires”を、Jonathan Makは”Everyday Shooter”を作った。誰もゲームデザイナーになるのに許可など取ってはいない。

とは言っても、誰もが個人でできる程の資質を、あるいは気力を備えているわけではない。残念ながら、大手のゲーム会社でゲームデザイナーとして仕事を始めるというのはほとんど神話である。この職は非常に経験を要する上、競争は極めて激しい。どの会社にもデザイナー志望の開発者は溢れている。ゆえに新入社員が雇われるのは、コードを書くとか絵を描くといった特定の技能のためである。

ゲームデザイナーの役割は自分で勝ち取らねばならない。そして勝ち取るのは仕事を通じてである。デザインに関われる位置を占めれば機会は自ずと現れる。私が初めてデザインの仕事を得たのは、Civilization 3チームからデザインとプログラミングの人員がいなくなった時にちょうど準備ができていたからである(当時Big Huge Gamesの立ち上げにより人員が流出した)。

チームには純粋なゲームプレイプログラマがいなかった。社長であるJeff Briggsはリードデザイナーとしての仕事に忙しかった。私は一度も公式にデザイナーとして任命された事は無いが、デザインに関する仕事は可能な限り全て引き受けた。プロジェクトが完成する頃には私の貢献は明らかになっていた。かくしてJeffは私を共同デザイナーとしてクレジットしてくれた。

つまり、ゲーム開発者として働いている人間にとっての大きな問いはこうだ。デザインの仕事に関わる機会が現れたら、どうやってそれを活かすべきか? 以下にいくつかの知見を述べる。

 

1.プログラミングを学ぶ

ゲームというカテゴリは非常に広い。文章、音楽、映像といったいくつもの要素を往々にして含む。ストーリーに重点を置いたゲームもある。純粋なアブストラクトゲームもある。しかしそれらは全てアルゴリズムを土台にしているという共通点がある。コードはゲームの言語である。そしてコードを書く方法を知っていれば非常に様々な役割を果たす事ができる。

誰かが敵の挙動スクリプトを書かなくてはならない? チームがシナリオエディタを必要としているが誰もそれを作る暇が無い? あるいはゲームにもっとランダムマップスクリプトが必要? シニアデザイナーにゲームのアイディアがあるが、プロトタイプを作るプログラマが足りない? これらの仕事は全て、デザインの仕事に至る梯子である。そしてそれができるのはプログラマだけだ。

 

2.UIやAIを作る

ゲーム開発の分野でありながら、「ゲームデザイン」と厳密には見なされていない2つの要素がある。UI(ユーザーインターフェース)とAIである。AIはゲーム世界において人間の操作しない要素の挙動を決める。これはゲームプレイ自体と切り離せないものであり、AIを作るにはデザイナーと毎日相談しなくてはならない。もしAIプログラマが常に良い仕事をし、更に信頼性を高める事を目指すなら、ゲームデザインは明らかな次の一歩だ。

この道筋はインターフェースの仕事においては更に明白である。UIはまさにユーザ体験の最前線だ。プレイヤーとやり取りができなければゲームメカニクスは無意味であり、UIこそその問題を解決する最も重要な道具である。即ち、UIデザインはゲームデザインの一部なのだ。「インターフェースからデザインへ」という道筋の良い所は、インターフェースの仕事をやりたがる開発者が非常に少ないという事だ。ベテランはインターフェースの仕事は若手にやらせれば良いと思っている。この偏見を利用して、皆が嫌う仕事に志願しよう。インターフェースデザインをやりたがる実力ある開発者は、どこのゲーム会社も探し求めている。

 

3.DLCに志願する

DLCもまた、ゲームデザイン職への良い道筋だ。小さいリリースならば競争は激しくないし、ゲーム本体のデザイナーは往々にして疲れ果てており、DLCが必要だと考える事さえ難しくなっている。ゆえにDLCはデザイナーの卵にとって、自分の力を示す素晴らしい機会なのだ。会社は自分の従業員が成長してデザイン職に相応しい力を付ける事を望んでいる。新たなデザイナーを外部から雇うのは大博打だからだ。DLCは小さなリスクで従業員を育てる素晴らしい機会なのだ。

拡張パックのデザインを担当するのもデザイナーの卵には利益が大きい。即ち、真っ白な所から面白さを作り出すという困難な事業に挑戦しなくて済む。これは新人デザイナーにとっては何もできなくなる程のプレッシャーだ。拡張パックなら、中核デザインの改良を続けつつ、大勢のプレイヤーが遊んで得られた知見を適用していける。多くのゲームは簡単に実現可能な改良点がいくつもぶら下がっているが、それが明らかになるのはリリースの後だ。これらの改良に集中せよ。プレイヤーはきっと良い反応を示してくれる。

 

4.フィードバックに集中する

ゲームデザインは才能と技能である。 Noah Falsteinによれば、ゲームデザイナーに占めるINTJ(内向・直感・思考・判断)タイプの人間は不釣り合いに多い。つまりゲームデザインの仕事に向いた性格とそうでない性格とがあるわけだ。しかし才能だけでは十分とは言えない。自分のデザイン技能を自発的に磨いていかなくてはならない。そしてそうする方法はただ一つ、デザインを実装してユーザからフィードバックを得る事だ。私がデザインについて本当に学び始めたと言えるのは、Civilization 3がリリースされ、プレイヤーはこうやって遊ぶだろうという当て込みが悉く外れた時である。

ゲームは自律アルゴリズムの塊ではない。デザイナーとプレイヤーの間に存在する、共通の体験こそがゲームである。ゲームは常に中立的なプレイヤーに晒されなくてはならない。さもなくばそれは机上の空論である。ゲームはリリース前に可能な限り多くのパブリックテストを行わなくてはならない。ゲームを晒せば晒すほどデザイナーの技能は高まる。デザイナーの卵は何とかしてこのフィードバックループを得る方法を見つけなくてはならない。簡単なモバイル用ゲームを出すとか、人気ゲームのModを作って皆からのフィードバックを得よう。その方が、リリースまで外部に晒される事の無い巨大プロジェクトで働くよりずっと有益だ。簡単なボードゲームを作るのでさえ、きちんとテスター集団を見つけてフィードバックを得られるなら技能を磨く助けになる。

 

5.謙虚であれ

今日のゲーム業界において、謙虚な性格は成功の鍵である。デザイナーは現実を受け入れなくてはならない。多くのアイディアを出してもその殆どは上手く行かないのだ。実際、ゲームデザイナーの仕事とは自分の考えやプライドに固執する事ではない。展望を選び、チームに任せる事だ。デザイナーは口上手な演説家でなく、謙虚な聞き手であるべきだ。もしデザイナーが懐疑的な聞き手に向かって、何故そのメカニクスが面白いか論じているとしたら、そのゲームには非常に大きな問題がある。確かにデザイナーは自信と自己主張の強さを備えていなくてはならない。そうでなければ誰も取り合わない。だが、謙虚さは物事をあるがままに見る目を与えてくれる。どうあって欲しいかという希望ではなく。

もちろんゲームデザイナーの卵にとって、この規則は二重に重要である。傲岸不遜で自分のアイディアに自信を持ち過ぎている様に見えれば、職に就く準備ができていないのは誰の目にも明らかだ。素晴らしいアイディアがあるのに誰にも相手にされないのは途轍もないストレスだ。しかしそれでも正しい態度を保ち続けるべし。誰かのアイディアが実装されたとしても、そのアイディアが勝ったとは思わないこと。それはテストされているだけなのだ。本当の仕事が始まるのはアイディアがプレイ可能な形になり、それが「皆の物」になった時だ。どのゲーム開発チームも実装し切れないほどの大量のアイディアを抱えている。開発者はその中で最高のアイディアを追求せねばならない。誰のアイディアだったかなど関係ない。実際、アイディアの出所は往々にして忘れ去られる。覚えているのは、それを正しい形に持っていくのに誰が時間を費やしたかである。

 

誰がデザイナーになるべきか?

最後に、デザイナーの卵に次の質問に答えてもらおう:ビデオゲームを作った事はあるか? シナリオは? Modは? ボードゲームやカードゲームは?

全ての質問に対して「否」と答えたら、そもそも自分がゲームデザイナーに向いているのかどうか考え直すべきである。画家は子供の頃から絵を描き始める。音楽家は小学生の頃から楽器を習う。作家は文章を書く。俳優は演じる。監督は監督する。若いデザイナーはゲームを作る。成功への情熱を抱いているならば、ゲーム作りは絶対にすべき事だ。したいと思う事ではない。本物のゲームデザイナーはゲーム作りを止める事などできないのだ。

ゲームを作るのと遊ぶのとは違う。ゲーム作りを楽しめる人の数は、ゲームで遊んで楽しめる人よりも遥かに少ない。ゲーム作りとは何年にも渡って1つのコンセプトを磨き続ける事であり、批判から学ぶ強さを要する仕事だ。本物のゲームデザイナーの証とは何か? それは適当な週末に彼がしている事を見れば分かる。空いた数時間を費やして最も好きな事をしていれば……即ち新しいゲームを作っていればそれが証だ。

原文:http://www.designer-notes.com/?p=455

QftNW スパ帝国版ルール

やがもん作。2人用カードゲーム。カードの伏せ合いで領地を奪う。相手より強いカードを伏せると資金を失い、破産すると領地を取られる。同じ領地を3枚集めるか、5枚のストレートを作れば勝ち。また相手が持っていない3枚のストレートでも勝ち。

 

内容物

  • 1〜5の手札用カード各2枚
  • A〜Gの領地カード各5枚
  • 6面ダイス2個(資金マーカー用)

 

始め方

  • 手札用カード1〜5をそれぞれのプレイヤーに手札として配る。
  • 領地カード35枚をよく切って山を積む。
  • 各プレイヤーは領地カードの山から1枚ずつ引き、自分の場に置く。
  • 各自資金用のダイスを自分の場に置き、5の目を上に向ける。

 

勝利条件(どれかを満たせば勝利)

  1. 同じ領地カードを3枚揃える
  2. 5枚続きのストレートを揃える。AとGは繋がっていない。
  3. 相手が持っていない3枚続きのストレートを揃える。例えば相手がA・B・Cのどれも持っていない時にABCを揃えれば勝ち。

 

遊び方

  • 領地カードの山から1枚めくり、場に置く。
  • 各プレイヤーは手札から1枚選んで伏せ、同時に公開する。
  • 数の大きい方が勝ち。
  • 1は5に勝つ。
  • 相手より1だけ大きい数で勝った場合、自分の資金を+2する(上限6)。
  • 2以上大きい数を出した場合、差分だけ自分の資金を減らす。
    • 5は1に負ける上に資金も減る。
  • 勝ったプレイヤーは場に出ている領地カードを獲得して自分の場に置く。
  • 同じ数なら引き分け。双方資金を1減らし、場に出ている領地カードを裏向きにして山の一番下に置く。
    • 双方資金1で引き分けても資金は減らない。
  • 資金が0以下になったら破産。双方資金を5に戻し、対戦相手は破産者の領地カードから1種類指定する。その種類を1枚しか持っていなければそれを捨てて山札の一番下に置く。2枚以上持っていれば1枚を捨て、残りを相手に渡す。
  • 以上でラウンド終了。また最初に戻り、どちらかが勝利条件を満たすまで繰り返す。

 

その他のルール

  • 2人が同じラウンドに勝利条件を満たした場合、破産していない方のプレイヤーの勝利(領地を獲得しつつ破産し、それによって奪われた領地で対戦相手も勝利条件を満たした場合、相手に勝利の優先権がある)。